ボラボラの島まで
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
日本の広告制作のロケ隊が、
初めて南太平洋のタヒチに飛んだのは、
一九六八年の冬だった。
北半球とは季節がさかさまになる南半球で、
来年の夏の、化粧品のキャンペーンの
撮影をすることが目的だった。
このロケ隊に、この原稿を書いている私は、
コピーライターとして参加していた。
鎌倉の江の島以外、
海を渡ったことがない私の、
初めての海外旅行でもあった。
ロケ隊は、羽田空港から
ハワイのホノルルまで飛び、
そこから、ほぼ一直線に
太平洋上を南下して、
赤道を越えてタヒチに飛んだ。
タヒチのパペーテに
着陸したのは、夕暮の時刻だった。
空港の名前は、FAAAと書いて
ファアアといった。
ファアア空港という、
ねむくなるような名前の空港に降りたつと、
空気があたたかく湿り、
熱帯の花の甘い香りが
肌にまとわりつくように思えた。
車に乗って、街を走ると、
祭のある夜だったのか、
あちこちに、かがり火が明るく燃え、
ゴーギャンの絵に出てくるような女たちが、
たわむれるように、歩いていた。
ホテルは、海を見おろす丘の上にあった。
部屋に入り、ベランダに出てみると、
南十字星が見えた。
四つの明るい小さな星が、十字の形になって
口数の多い少女たちのように、
たえまなく、キラキラ、きらめいていた。
タヒチでのロケ地は、
ボラボラという名前の島だった。
パペーテに二泊したあと、
私たちは、ちいさなプロペラ飛行機に乗って、
ちいさな島の飛行場に着陸した。
この島から、自動車で
ボラボラ島(とう)まで走るのだと、
ガイドのひとが言った。
飛行機のドアがひらき、
タラップの階段を降り始めると、
熱い風がほおをなでた。
ここの飛行場は、草原だった。
風の中に草の匂いがする。
短く刈り込まれた草の滑走路の
先端のあたりを、
一本のダートコースの道路が
横切っているのが見えた。
その道路の、滑走路と接する二ヶ所には
鉄道線路のように遮断機がつき、
カァン カァン カァンと、警報のベルが
まのびした調子で鳴っていた。
一台のオープンカーが、
遮断機のあがるのを待っていた。
フランス人の若い兵士が運転席にいて、
助手席には、金髪の女性が乗っていた。
飛行場からの道は、
浅いサンゴ礁の海へ続いていた。
エメラルドグリーンの海の真ん中に、
まっ白なサンゴ礁の破片で固めた道が、
一直線に、ボラボラ島まで続いている。
雲ひとつない空は、あくまで青く、
海もまぶしく青くひかり、
ひともとの白い道は、
影ひとつなく明るかった。
なんだか、もったいなくて、
私は、サングラスをかけなかった。
エメラルドグリーンとコバルトブルーと、
白い道。熱い空気。走り続ける車の中で、
私の耳に、あの空港の警報機の音が、
のんびりと、よみがえってきた。
カァン カァン カァン、カァン カァン カァン。
人生って、いいだろう?
誰かが、そんなことを言っているように
あのときの私には思えた。
タヒチには、そのあと、二度ほど
訪れた。けれど、あの空港のことも、
白い道のことも、最初の時しか
記憶の中にない。あれは、本当だったのか。
いまでも、なぜか、冬が近づくと、
そのことを考える。
出演者情報:久世星佳
*携帯の動画はこちらから http://www.my-tube.mobi/search/view.php?id=bLupfcQ2zoY