宗形英作 2018年9月15日「初雪が降ったら(2018」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 大川泰樹

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。
そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が
浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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宗像英作 2014年12月21日

1412munakata

峠の先にあるもの
         
        ストーリー 宗形英作
           出演 地曵豪

峠に通じる山道は、暗闇林道と呼ばれていた。
遠い古代より鬱蒼と樹木は茂り、日中でも差し込む光はわずかだった。
道は起伏が連なり、小さく登っては下り、下りてはまた登る。
その道幅は、すれ違う時に人の肩が触れあうほど狭く、
足元は日が当たらずにいつもぬかるんでいた。

その道を往くものは、男女を問わず大概ひとりだったが、
時折老いたものを背負う者、あるいは幼子の手をひく者に出会うことがあった。
誰もがゆっくりとした足取りで、地盤の確かさを確かめるように歩いた。

彼らは一様に念仏のようなリズムで言葉を唱えていた。
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。
心の中にあるものが沸騰して言葉になる、そんな気配があった。
耳を澄ませば、それらの言葉は不平であり、不満であり、不幸であった。
怒りであり、嘆きであり、さみしさであり、悲しみであった。
愛する人を失った人や職を失った人、あるいは心か体かに傷を負った人たちだった。
心の中に溜めおいてしまうと気分がいつまでも重い雲の中にある、
その雲を追い払うかのように、彼らはぶつぶつと言葉を連ねた。

すれ違う人、つまり下山してくる者たちは、そのぶつぶつに応えるように、
立ち止まって「ご苦労様」と声をかけ、軽い会釈をして見送った。
誰がその習わしを作ったのか、いつから始まったのか、
そのいきさつを知るものはいなかった。

いくつもの起伏を登り下りしているうちに、次第に息が切れ、
一歩一歩意識的に踏み出さないと前に進まない、そんな疲労を感じ始める。
ぬかるんだ道に足をとらわれないようにと視線は足元の少し先を見つめ、
やや腰を折った形で峠を目指した。
彼らは一様に無口になり、滴る汗を拭うことも忘れて峠を目指した。
もはやぶつぶつは聞こえなかった。ただただ荒い息だけが聞こえてきた。

そして、最後の登りとなった。立ち止まって見上げれば、
その暗闇となった樹々の先にぽっかりと穴が開き、
そこには陽光に輝く青空があった。それを見て、誰もが安堵し、
すがすがしい微笑みを浮かべ、そして大きめの深呼吸をした。

登りつめた峠の先は、大きく視界が広がって森と湖とが眼下に見えた。
ただただそこに広がる風景に魅了され、いつしかぶつぶつと唱えてきたことを忘れた。
一歩一歩が生きていることであり、その先には開かれたものがある、
登ったり下りたり、その小さな峠を繰り返し越えることで、大きな峠に辿り着く。
暗闇林道は、信仰の場として長いこと人々の心に光を差し込んできた。

今そこには若い声が溢れ、山ガールと言われる人たちが列をなし、
ハイキングの家族連れや吟行の老人たち、
そして平日には遠足の子供たちで溢れている。
人々はそこをパワースポットと呼び、麓には大きな駐車場が出来た。
道には砂利が入れられ、急坂には階段が出来、森は間伐され、
暗闇林道は明るい森林浴道となった。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/


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宗形英作 2012年10月21日

あなたは、グラウンドに向かいますか。

           ストーリー 宗形英作
              出演 大川泰樹

だれもいない観客席。グラウンドの半分を覆う影。
校名も得点も表示されていないスコアボード。
その時計が、7時半を指している。
いまはまだシャッターの開かない、始発電車を待つ駅のような静かな面持ち。

グラウンドの影が小さくなる頃に、
秋の高校野球県大会の決勝戦が始まる。
管理人は通路の扉を開き、
毎朝そうしているように鍵の束を揺らしながら、
ゆっくりとマウンドに歩み寄っていく。

そのマウンドに今日上るエースは、
歯を磨きながら肩の重さを感じ、
そのエースのボールを受けるキャッチャーは、
風呂場でしこを踏んでいた。

そのふたりを率いるチームの監督は、
いつもの願掛けで梅干を二つ食べ、
その梅干を売ったスーパーマーケットの会長は、
応援団を募る電話をかけていた。

その応援団の団長は、擦り切れた団旗を広げて風に当て、
その風に髪をなびかせた遊撃手の彼女は、
神社に参って柏手を打っていた。

その神社の裏手にあるラブホテルで理科の先生と歴史の先生は、
選手の将来性を語り、
その先生が担任の3年2組の生徒たちは、
グラウンド行きのバスが待つ駅に向かっていた。

その駅の売店で決勝戦の取材に行く若い記者は、
アンパンと牛乳を買い、
その記者の書いた記事に傷ついた県知事は、
高校野球の見所をテレビで見ていた。

そのテレビに出ていたキャスターは、
チームの大先輩として激励の言葉を述べ、
その激励の言葉にマネージャーの女子生徒は、
控えのピッチャーの背中を思い出していた。

その控えの背中は、寝たきりおばばのために
野球中継するラジオ局にチャンネルを合わせ、
そのラジオ局の番組を聴いている手は、
決勝戦の主審を務める夫のために大きなおにぎりを握っていた。

そのおにぎりよりもっと大きなおにぎりは、
四番バッターの手の中にすっぽりと収まり、
その手の大きさに魅かれたプロ球団のスカウトは、
新幹線で大きなあくびをしていた。

その新幹線の高架下で壁投げをしている小学生は、
その高校で野球をやることを目指し、
その高校を卒業した女優は、
ちょっとエッチなポーズで人気を博していた。

そのちょっとエッチなポーズは、
応援のポーズの手本としてチアガールが取り入れ、
そのチアガールたちは、
グラウンドのそばの公園で最後の練習をしていた。

その練習は、朝の散歩やジョギングをする人たちの足を止め、
足を止めた人たちは、
そのグラウンドで決勝大会があることを知らなかった。

陽はゆっくりと動き、
グラウンドの影から鮮やかな芝の緑が浮かび上がり、
大きなグラウンドが深呼吸を始めたかのように色を帯びていく。
グラウンドは、いつも人を待っている。
その日のために披露されるものを祝福するかのように
最良の状態で待っている。

管理人は、鍵の束から一つずつ丁寧にグランドに通じる扉を開けていく。
あちらこちらから、若きも老いも、男も女も、見る者も見られる者も、
泣いたり笑ったりするために、
大きな声で叫んだり静かに祈ったりするために、
褒めたり貶したりするために、戦うために讃えるために、
グラウンドに集まってくる。
グラウンドは、ばらばらのまま、ひとつのこころになる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 


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宗形英作 2011年12月23日

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 森田成一

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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宗形英作 2011年3月20日



都会の野原    

          ストーリー 宗形英作
             出演 森田成一

あなたは知っていますか?
あなたが今いるところが、野原だったことを。

あなたは想像できますか?
あなたが今暮らしているところが、野原だったことを。

かつてそこは空と雲と野原しかなかった。
あるいは、月と星と野原しかなかった。

50年前のことなのか、
100年前のことなのか、
300年前なのか、500年前なのか。
あるいは1000年も前のことなのか。
もっともっと前のことなのか。

なだらかで、風通しがよくて、見晴らしのいい、
その野原に一軒の家が建った。
ほんの小さな一軒の家ではあったけれど、
その家から少し離れたところにまた一軒の家が建ち、
それが十軒になり、百軒になり、千軒になり、家々が綱なり、
野原は村になり、町になった。

野原の面影を残していた村は、屋根の連なる町になり、
水平に広がっていった町は、縦に縦にと伸び始めた。
高層のビルが立ち、その高さを競うようにビルの隣にビルが立ち、
ビルとビルの間には陽のあたらない場所が出来た。
野原は村になり、町になり、そして都会になった。

ずっと昔々から、
その都会は都会であったかのように佇んでいる。
そこであなたは暮らしている。

都会で暮らすということは、
そこが野原であったことを忘れるということかもしれない。
もはや野原を思い出すこともできないということは
ようやく都会になったということかもしれない。

だからこそ、ほんの少しだけ思い出してみよう。
あなたが今いるところ、そこが野原だったことを。
ほんの少しだけイメージしてみよう。
あなたが今暮らすところ、そこが野原だったことを。

あなたの野原はどんな野原だろう。
あなたの野原はどんな季節の野原だろう。
あなたの野原はどこの野原に似ているのだろう。

陽は東にあるのか西にあるのか。
風は南から吹いているのか北から吹いているのか。
草の高さは足首までか膝上までか。

野原にはいろんなものが潜んでいる。
野原にはいろんなものが混じり合っている。

蝶がいて、トンボがいて、
カマキリがいて、トカゲがいて、
クモがいて、てんとう虫がいて、
赤があって、緑があって、
黄色があって、紫があって、
知っているものがあって、知らないものがあって、
光があって、影があって、
そして、どれもみんな動いている。

野原であなたはきれいに出会い、
野原であなたは不気味に出会い、
野原であなたは心地よいに出会い、
野原であなたは怖いに出会い、
野原であなたは子供のころに出会う。

目は近くも遠くも見つめている。
耳は360度の音に神経を使っている。
皮膚はささいなことにも繊細になっている。
そしてなにより、あなたの動きがゆっくりになっている。

生きるということは急がないということなのだ、
そんなことに改めて気づいたりする。
生きるということはいろんな生きると出会うことなのだ、
そんなことに改めて気づいたりする。

もしもあなたが疲れていたら、
あなたが今いるところが野原だったということを思い出してみよう。
もしもあなたが眠れなかったら、
あなたが今寝ているところが野原だったということを思い出してみよう。

野原はきっとあなたを大切に迎えてくれる。
野原はきっとあなたを大きく包んでくれる。
都会に住むひとにこそ野原は必要なものだから。
そしてなにより野原はあなた自身なのだから。

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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宗形英作 2009年4月30日



年老いたキリン
                      
                  
ストーリー 宗形英作
出演 西尾まり

とある都市の動物園に、年老いたキリンがいた。
ひとりぼっちのキリンがいた。

若い頃から、左と言えば右を向き、
上と言えば下を向くような性格だった。
そのせいで、いつも現状には不満が溜まっていた。

なぜ、私は柵の中に閉じ込められていなければならないのか?
なぜ、私は見世物として、ここにいなければならないのか?

一度も行ったことはないけれど、
アフリカの広野には、果てしない自由があるように思えた。

ノソノソと歩き、ゴロゴロとし、時折水にドボンと飛び込む、
そんな白熊ののん気さを羨ましく思い、
しかし、そのだらしなさにうんざりもした。

毛づくろいをしたりしながら、仲良く群れをなしている、
そんな猿の一体感を羨ましく思い、
しかし、その寄らば大樹の精神にあきれもした。

野生、とはなんだろう、とキリンは考えた。
もはや、私たちには野生はないのだろうか?

キリンは、すくっと左右対称に足を開き、ゆっくりと首を回した。
柵の向こうには、いろんな顔があった。
あくびをしている顔、キャンディをなめている顔、
おしゃべりばかりしている顔。

ある朝目覚めると、一台のトラックが待っていた。
ほんの2分ほど乗ってすぐ降ろされたところは、
動物園の端っこにある、その昔狼がいたところだった。
飼育係のお兄さんがとても気を使ってくれていた。
なんども落ち着くように体を摩ってくれた。

何日か経って、またトラックに載せられて、元の場所に戻ってきた。
見渡す景色は何も変わっていなかった。
キリンは、ほっとした思いで、足を踏み出した。
その瞬間、不思議な感触が足の裏に走った。
柔らかいのだ。

今まではコンクリートだった地面が、土に変わっていた。
そうか、今まではコンクリートのその清潔そうな白さが、
粗相をしてはいけませんよ、と自分を緊張させていたのだ、
と土を踏みしめながら、キリンは思った。
気持ちが前よりずっとリラックスしているのだ。

柵の周りにいる人たちを見渡す。
じっと自分を見ている子がいる。大きな目をした子だった。
私がまばたきをすると、その子もまばたきをした。
首をかしげると、一緒になって首をかしげた。
厳しい顔がほころんで、微笑みが生まれた。

なぜ、私はここにいるのか?
柵で仕切られてはいるけれど、しかし、心の中に柵はない。
キリンは、首を思い切り伸ばして、姿勢を正した。
自分が大きく見えたような気がした。
誇らしい自分に出会えたような気がした。

キリマンジェロの頂きを見ることはできない、としても、
花が咲き、緑が茂り、葉が色づき、そして雪を被る、
そんな大樹を見ながら、一年を過ごしていく、
世界に1頭しかいないキリン、それが私だ。

柵の向こうで子供が手を振った。
キリンは、ロックロールの歌手のように首を振り、
その子に返事を返した。

*出演者情報 西尾まり  03-5423-5904 シスカンパニー

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