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佐藤延夫 10年02月06日放送

01-yoshida

社長は語る/吉田拓郎(小6)


ヤエヤマアオキをご存知ですか。
ハワイの言葉で「ノニ」。
健康食品として注目されている植物です。

久米島に、ノニを原料にしたジュースや石鹸などを販売する会社があります。
社長は、吉田拓郎さん。
あの人と同姓同名の、小学6年生。
ちなみにお母さんが秘書で、
営業部長はお姉さんです。

そんな社長の夢。

   少し大きくて、日本で少し知られていて
   3回飯が食べられるぐらいの会社にすること。


この子ども社長は、大人が見失ったものを
ちゃんとわかっている。



02-matsushita

社長は語る/松下幸之助


寒いから、下を向く。
景気が悪いから、下を向く。
転んでしまわないように、下を向く。

石橋を叩いても渡らないようなこのご時世。
あまり慎重になりすぎると
目の前にチャンスが訪れても
気付かずに通りすぎてしまいそう。

こんなときこそ真正面を向いて
思い切り走ってみるのがいいのかも。
松下幸之助さんは、こう言っています。

 こけたら、立ちなはれ。

この気楽な言葉が、
今の時代を救うヒントのような気がしませんか。



03-kawabata

川端康成

仕事でもかまいません。
辛い恋でも、くだらない中傷でも結構です。
何かを忘れるために、雪を見に行きませんか。
きっと心が真っ白になるはず。

たとえば、川端康成の小説「雪国」の舞台となった新潟県湯沢町。
「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で有名なあの場所には、
一面の銀世界が広がっています。

そうそう、「雪国」には、もうひとつ有名なフレーズがありました。

  なんとなく好きで、
  その時は好きだとも言わなかった人のほうが、
  いつまでもなつかしいのね。
  忘れられないのね。
  別れたあとってそうらしいわ。


真っ白な雪を見ても、恋の残り香は消えないかもしれません。






04-yanase

やなせたかし


それは、間近に控えた受験だったり。
終わりの見えない仕事だったり。人生だったり。

毎日頑張ってはいるけれど、
得体のしれない不安に包まれる。
そんなときは、
心の中のモヤモヤが消える魔法の言葉を思い出しましょう。

  何のために生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ
  何が君の幸せ 何をして喜ぶ
  わからないまま終わる そんなのは嫌だ


若い人ならきっと、
アンパンマンのうたを歌ったことがあるはず。
くじけそうなときには、そっと口ずさんでみましょう。
勇気が湧いてきますから。

今日2月6日は、アンパンマンの生みの親、
やなせたかしさんが生まれた日。



05-bis

ビスマルク


最近の若い奴は・・・
なんてセリフは、いつの時代にもある愚痴ですが、
現在の若者事情はどうなんでしょう。

仕事をする意味が見いだせない
将来の夢がわからない
マニュアルがないと動けない

どうやら、こんな悩みを抱える若者が多いようで。

ドイツの政治家、ビスマルクの言葉です。

  青年に奨めたいことは、ただ3つの言葉に尽きる。
  すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。


なかなかスパルタですね。
変に悩まずに汗を流すことも、案外気持ち良かったりして。



06-black

ブラックジャック

寒くて、朝起きるのが辛い。
このまま眠っていたい。
休んじゃおうかな。

毎朝布団の中で、同じことを考えてしまう皆さんへ。
仮病で休んでしまおうかと、こっそりたくらむ皆さんへ。

かの有名な天才外科医、ブラックジャックは、こう言っています。

  仮病は、この世でいちばん重い病気だよ

でも一日くらいなら、許してもらいたいですね。

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蛭田瑞穂 10年01月31日放送

武田百合子 1

武田百合子 1


武田百合子を語る時、まずその職業から、と思うのだが、
困ったことに彼女は肩書を極端に嫌う人だった。

夫、武田泰淳の死後、富士山麓での生活を綴った
『富士日記』を発表し、鮮やかに文壇デビューした後も、
「文筆家」と名乗るのを拒んだ。

ある原稿の肩書が「故武田泰淳夫人」となっていた。
それでは困ると編集者が言うと、彼女は笑って答えた。


 じゃあ主婦にしてください


さて、武田百合子を何から語りはじめよう。







武田百合子 2

武田百合子 2


武田百合子夫妻が富士山麓に山荘を構えたとき、
夫泰淳は、百合子に日記を書くよう勧めた。

彼女は首を横に振って、それを渋った。
しかし泰淳はなおも説得を重ねた。


 どんな風につけてもいい。
 何も書くことがなかったら、
 その日に買ったものと天気だけでもいい。
 日記の中で反省はしなくてもいい。
 反省の似合わない女なんだから。


後年、武田百合子の名を世に知らしめた『富士日記』は
夫の説得の末に生まれた作品である。


武田百合子 3

武田百合子 3


戦後間もない東京、神田に
「ランボオ」という名の喫茶店があった。
作家武田泰淳はその店の常連客だった。

泰淳は店の女に恋をしていた。
しかし、その恋の進展ははかばかしくなかった。
女は美人で、まわりにはいつも彼女目当ての客がいた。

あるとき泰淳は、女にチョコレートパフェをおごった。
女はうれしそうにそれを食べた。
アメリカ製のチョコレートパフェは当時高級品だった。

それ以来、泰淳は店に来ると
女にチョコレートパフェをおごるようになった。

好きなものを食べさせて、
自分は黙って、はずかしそうに焼酎を飲んでいる。
そんな泰淳を女はいつしか好きになった。

女の名は、鈴木百合子。
のちに武田泰淳と結婚し、武田百合子となるその人である。

もし、チョコレートパフェがなかったら、
武田百合子という稀代の文章家は
生まれていなかったかもしれない。


武田百合子 4

武田百合子 4


「美しい」という言葉を簡単に使わない。
武田百合子はそう決めていた。

 景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
 心がどういう風かくわしく書く。
 「美しい」という言葉がキライなのではない。
 やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。



美しい文章を書こうと思ったら、
美しいものを美しいと書いてはいけない。


勉強になります。


武田百合子 5

武田百合子 5


戦後間もない頃、「ランボオ」という喫茶店で
武田百合子は働いていた。
作家たちの溜まり場として繁盛していた店の常連客に、
のちに百合子の夫となる武田泰淳がいた。

痩せて元気がなく、女に話しかけるのが下手な人、
というのが百合子の印象だった。

泰淳からの求婚を受けたときも、
それをありがたく思う気持ちはなかった。
戦争で焼け野原になって、
ずっと酒を飲んでいる百合子に、
先のことは何も考えられなかった。

しかし、ともかく、ふたりは結婚する。
以後泰淳の死まで結婚は25年間続くことになる。

結婚することを、俗にゴールインと呼ぶ。
だが百合子と泰淳、ふたりにとってそれは、
ゴールではなく、スタートだった。


武田百合子 6

武田百合子 6


武田百合子は戦争を経験している。
空襲で家が焼け、親類を渡り歩いた。
裕福だった少女時代から一転、生活は貧窮の底に落ちた。


 七月三十日(金) くもりのち晴れ、風涼し
 朝起きぬけに、花畑のまんなかで
 髪の毛をとかしているといい気持だ。
 朝 麦飯、じゃがいもベーコン炒め、さばみりん干し、のり
 夕食 麦飯豚ロース


『富士日記』に繰り返し綴られる、平凡な日々。
しかし、平凡な日々の中にこそ、幸せがある。


武田百合子 7

武田百合子 7


武田百合子の『富士日記』は、
富士山麓に山荘を建てた昭和39年に始まり、
夫武田泰淳が他界した昭和51年に終わる。

13年の間に、溜まった日記帳はじつに12冊。
「長い間よくあきずに書きましたね」
百合子はよくそう言われた。
その度に彼女は胸の内でつぶやくのだった。


 私だってキョトンとしているのだ。
 よくまあ、この私が書き続けたものだ。




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坂本和加 10年01月30日放送

01-hachi

ハチ公と上野博士①


秋田で生まれたハチが
上野博士の住む東京へ
もらわれてきたのは、子犬の頃。
博士は、上野英三郎さんといって、
東大の先生だった。
いまや近代農業土木の祖と言われるくらい、
エライ先生だったそうで。

その博士とハチが
過ごしたのは、たったの1年3ヶ月。
けれど、犬たちにとっては、
それは10年近くの歳月。

忠犬ハチ公の話は、
帰らぬ主人を待ち続けた
かわいそうな話ではない。
それは、我が子のように
深く愛された、犬の話。



02-hachi

ハチ公と上野八重子②


ハチは、子犬の頃から
丈夫な犬ではなかったそうだ。
「ハチはよくおなかを壊すから」といって
上野博士の奥様、八重子夫人は、
付きっきりの看病をよくした。

いつものように見送りにいき、
そのまま博士が帰らぬひとになってからは、
奥様が内縁だったため、
これまでの暮らしができなくなった。

ハチをよそへやったのは、
奥様は犬が嫌いだったから
と言うひとがいるけれど。

そうではなくて、
博士を恋しがるハチを見るのが
誰よりもつらかったから。



03-hachi

ハチ公と小林菊三郎③

植木屋の菊さんは、
2番目のハチのご主人だ。
菊さんは、亡くなった最初の
ご主人のお屋敷の庭師で、
秋田からやってきたハチを
東京駅まで引き取りに行ったのも、菊さんだった。

「ハチはご主人の形見だ」といって、
繋がずに、放し飼いにしたのも、菊さん。

だから、ハチは、
10年近くも渋谷に通いつづけられた。



04-hachi

ハチ公と斉藤弘吉④


もし、斉藤弘吉さんという方が
新聞へ寄稿しなかったら
ハチがこれほど有名になることも、
渋谷に銅像として飾られることも、
なかっただろう。

ハチをずいぶん前から知っていた
斉藤さんは、日本犬保存会の会長だった。
だから、渋谷駅で野良犬のように扱われる
秋田犬をふびんに思ったのだろう。

「いとしや老犬物語」という記事が
新聞に載り、ハチはいつのまにか
「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。



05-hachi

ハチ公と安藤照⑤


ハチが新聞に載ってから
日本中がハチ公ブームだった。
銅像は、ニセモノが出回る前にと、
彫像家の安藤照が、大急ぎで作った。

けれど、現在の銅像は
そのときのものではない。

戦時下の金属回収で、ハチ公は
いちど渋谷から姿を消し、
戦後、GHQの後押しと
子どもたちの募金活動により
ハチはふたたび渋谷に帰ってこれた。



06-hachi

忠犬ハチ公⑥

忠犬ハチ公と呼ばれ
一躍有名になった後も、
迎えの時間になれば渋谷駅へ向かい
帰らぬ主人を待っていた、ハチ。
年老いて、足がふらついて
目や耳が悪くなっても。

帰らぬ主人を「わかっていた」と言うひとがいる。
けれど、ハチにとっては、
主人を待つことが、この上ない、しあわせ。

ハチのお墓は、青山霊園にある。
大好きな大好きな、上野博士の隣に。




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名雪祐平 10年01月24日放送

スティーブ・ジョブス

スティーブ・ジョブス


iPod、iPhoneが発表されるまで、
世界の多くのメーカーが、
こう考えていたかもしれない。

自分たちの製品が、
いちばん新しいと。

アップルのCEO、スティーブ・ジョブスは
スタンフォード大学の講演で
学生にこんな言葉を贈った。


 Stay Hungry,
 ハングリーであれ、
 Stay Foolish.
 バカであれ。


いま、世界でも
最高レベルの
経営者からの言葉。


ユル・ブリンナー

ユル・ブリンナー


テレビ画面から、
このまえ肺癌で死んだはずの俳優が
語りかけてくる。


 私はいま、この世にいないが
 みなさんに言っておこう。
 タバコは吸うな。
 何があってもタバコだけは吸うな。


ヘビースモーカーだった俳優、
ユル・ブリンナーが
死を目前に撮影にのぞんだテレビCMだった。

全米が度肝を抜かれた。
1980年代の
禁煙運動を象徴する出来事だった。






ヴァネッサ・パラディ

ヴァネッサ・パラディ


1987年に14歳で歌手デビューし、
フランスで一気に大スターになった
ヴァネッサ・パラディ

成功した彼女は、こう言った。


 お金には興味ないの。
 でも、お金のことを考えなくてすむなら、
 お金を持ってるのも悪くないわね。


手に入れたのは大金だけではない。

最もセクシーといわれる男、
ジョニー・デップとの間には
二人の子どももいる。

人生は、ちょっと不公平かも。


細川ガラシャ

細川ガラシャ


細川ガラシャは、
ラテン語の聖書を読めるほど
知的な女性だった。

父は明智光秀。
本能寺の変から、娘の運命も翻弄され、
やがて、死を選ぶ日が来る。

その辞世の句。


 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
 花も花なれ 人も人なれ


ガラシャとは、
ラテン語で“神の恵み”の意味という。


白石一郎

白石一郎


海、という字がついた
タイトルの本は売れない。
そう編集者は言った。

そんな馬鹿な。

長崎県壱岐で育った作家、
白石一郎は反発した。

白石は7回も直木賞候補になりながら
落選しつづけ、
実に8回目に受賞となる。

候補作で、
海の字がつく小説は3つもある。

受賞作『海狼伝』は、
海洋歴史小説の傑作。
海の字がつくベストセラーとなった。


白石一文

白石一文


こんども、父は謝っている。

直木賞受賞の知らせを
一緒に待ってくれた編集者に、
またこんども、父は。

直木賞なんか、なければいいのに。

落選しても、落選しても、父は書いた。
その姿が、
息子を小説家にしたのか。

父、白石一郎は
8回目の候補で直木賞受賞。
息子、白石一文も
落選を経験し、この冬、受賞。

直木賞を好き、くらいは言おうか。
息子は思った。


トルストイ

トルストイ


ロシアの文豪トルストイは、
82歳にして家出した。

もう、うんざりだ。
作品の版権に強欲な妻と
ののしりあう日々は。

家出したまま、肺炎で亡くなった。
最期の言葉は、


 妻を私に近づけるな。


文豪は逝き、そして、版権だけが残った。


 

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小山佳奈 10年01月23日放送

01-simon

サイモン&ガーファンクル


二人は怒っていた。

自分たちの曲を
プロデューサーが無断で
ロック調にアレンジして
発売してしまったのだ。

一人は大学に戻り、
一人は母国に戻る。

その曲があっという間に
全米ナンバーワン・ヒットに。

サイモン&ガーファンクル、
「サウンド・オブ・サイレンス」。

そういえばいまだに
彼らはライブでこの曲を
アコースティックバージョンで
歌うことの方が多いとか。

その人間臭さもまた魅力。



02-yoshiyuki

吉行淳之介


作家、吉行淳之介は、
女性の気持ちがよくわかっている。

女優、宮城まり子の部屋に
初めてやってきたときに
本棚を見てつぶやく。

「僕の持っている本と似ているね」

その一言で、37年間、
彼女は彼から離れられなくなる。

男が女を口説くとき、
大仰な愛の言葉は必要ない。






03-minagawa

皆川明

色と線を無限に組み合わせ
一枚の布に物語をつむぐ。

テキスタイルデザイナー、
皆川明はこう言う。

「短期間で魅力がなくなるのは
 デザインの力が弱いからだと思うのです。」

そんな彼のブランド「mina」は
必要があれば、
何年前のコレクションの服でも
修繕を引き受ける。

「100年後にも愛される服。」

彼の辞書に、
ファストファッションなんて
文字はない。



04-joe

ジョー・ストラマー


パンクというものが、
労働者階級の特権だとしたら、
彼はパンクではないかもしれない。

ザ・クラッシュのボーカル、
ジョー・ストラマー。

彼は中産階級の出身だったし、
父親は外交官だった。

ただやみくもな怒りの暴走では
世界は何も変えられない。
音楽にできることは何か。

ライブ中にウイスキーの空ボトルを投げつけられた彼は、
笑ってこう言った。

「こんなことぐらいしかできないのか。」

そして、
降り注ぐウイスキーのボトルにも、
彼は笑って歌うことをやめなかった。



05-yoshimoto

林正之助


吉本興業二代目社長、
林正之助は商いの天才だ。

1959年。
新しい舞台を始める際、
作家の原稿料に悩む
社員を叱りつけた。

「書いたことある人間に
 書かせるから高いんや。
 うちの社員なら金がいらんやろ。
 おまえが書け。」

その舞台はじわじわと評判になり、
50年たった今でも、
大阪の土曜のお茶の間を沸かせる
「吉本新喜劇」となる。

無茶もあるいは
商才のひとつ。



06-yasai

西健一郎

色割烹「京味」の亭主、西健一郎は
初物好きのお客をこう諭す。

「早ければいいってものじゃない。
 美味しいものと、
 変わったものは違います。」

素材の一番美味しい時期を知って、
料理を作る。すなわち、

「味を迎えに行く。」

脂のよくのったブリ大根、
ぷりぷりのカキと味噌の土手鍋。

さぁ今日は、
どんな冬を迎えに行こう。

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