2023年04月15日
中山佐知子
タイタニックが沈んだ日 「カルパチア船長ロストロン(Sir Arthur Henry Rostron)」
客船カルパチア号はそのとき700人余りの乗客を乗せ
ニューヨークから地中海に向かう航海の最中だった。
1912年の4月15日、
真夜中を30分ほどまわったころ
カルパチア号の通信士が無線を受信した。
氷山に激突。助けを求む。
北緯41度46分、西経50度14分、
知らせを聞いたロストロン船長は
直ちに海図で遭難している船の位置を確認。
およそ93km離れた現場へ向かうことを決心した。
急を要することは言うまでもない。
最高速度を出すために余分なエネルギーはすべてカットした。
暖房を切り、お湯の供給も停止した。
最高速度14ノットのカルパチア号は17.5ノットで
氷だらけの海を進みはじめた。
到着までの間に
救命ボートの準備、医師の配置、
暖かい飲み物や食べ物の準備がすすめられていった。
1時35分、無線が入った。
エンジンルームが浸水したと告げていた。
1時45分、ボイラーまで浸水。
2時10分には判別不可能な信号が来た。
4時に現場らしき位置に到着したが、何も見えない。
そこに緑色の光が上がった。
救命ボートが打ち上げた照明弾だった。
そうして最初の救助がはじまった。
夜が明けると、大小さまざまの氷山の隙間に
いくつもの救命ボートが小さく浮かんでいるのが見えた。
寒さに震える生存者は
梯子を登る体力がないものはロープで、
子供は郵便袋で引き上げられた。
9時15分、もう2隻の船が救助にやってきたが
すでに救助が必要な生存者はカルパチア号に収容されていた。
それから6年後の1918年
カルパチア号は第一次世界大戦のさなか、
ドイツのUボートの魚雷を受け沈没した。
さらに1940年、
カルパチア号船長だったロストロンが肺炎のために亡くなり
その墓にはこんな墓碑銘が刻まれた。
Sir ARTHUR ROSTRON”
CAPTAIN OF RMS CARPATHIA
SAVED 706 SOULS FROM
SS TITANIC 15 APRIL 1912
サー・アーサー・ヘンリー・ロストロン
カルパチア号の船長
1012年4月15日
タイタニック号から706人の命を救った。