2023年10月14日
新井奈生
学名 #7
「さあさあ、お立ち合い、
御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。
遠出山越え笠の内、聞かざる時には、
物の出方、善悪、黒白(あいろ)がトントわからない。
山寺の鐘がゴォーン、ゴォーンとなるいえども、
童子来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、
鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか
トント その音色がわからぬが道理じゃ・・・」
軽快なリズムで始まるこの文句は、
茨城県は筑波山に伝わる伝統芸能、「ガマの油売り」の口上である。
ガマ。いわゆるガマガエルは
別名をニホンヒキガエルという。
古くから馴染みのあるわりに
ガマガエルとヒキガエルが同一のものであるというのは
意外と知らない人が多い。
かの有名な忍者、児雷也のおとももガマガエルであるが、
これがヒキガエル、と書かれていたなら
もっと弱々しく見えていたことであろう。
どうやら我々は
ガマガエル、という名には霊的な何かを、
ヒキガエル、という名には親しみを感じるようにできているらしい。
同じ生き物でも名前によってガラリと印象が変わるから不思議である。
さて、このニホンヒキガエル。
主に西日本に生息し、学名はBufo japonicus japonicusという。
そのまんま、「日本のヒキガエル」という意味であるが、
近年は東日本に住む近種、アズマヒキガエルとの交雑が進んでいると言われ、
専門家にはもっぱら心配の種となっている。
ちなみにアズマヒキガエルの方はというと、
なかなか面白い学名の持ち主だったりする。
その名もBufo japonicus formosus。
意味は「日本のハンサムヒキガエル」である。
実際このカエルがハンサムかどうかは・・・個人の意見にもよるだろうが、
その名に多大なる愛が込められていることは間違いない。
科学とは本来、客観性を重視する世界である。
無論、生物の分類学においても
解析データなどの客観性が求められる。
が、最終的に学名をつけるタイミングになると、
途端に「ハンサム」などという主観性が入り込んでしまう。
どうやら人類にとって
名付けという行為は特別な意味を持ち、
個人の思い入れとは切っても切り離せない関係にあるようだ。
人間の、客観的になりきれない・・・という欠点は
たぶん永遠に治りはしないだろう。
それは筑波の山に妙薬ありと鳴り響く、
ガマの油薬を持ってしても難しい話である。
「えーどうだい、お立ち合い。
こんなに効くガマの油だけれども、
残念ながら 効かねいものが四つあるよ。
まずは恋の病と浮気の虫、
あと二つが 禿と白髪に効かねえよ・・・」