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2023年11月25日

執筆者川野康之

函館の石川啄木 『大森浜』

8月、函館は大火に襲われた。
函館の3分の2が消失。
石川啄木の勤務先の小学校も新聞社も焼け落ちた。
書きためた原稿はすべて灰になった。
啄木は札幌に移って再起を目指すことを決意。
9月13日、焼け出された人々で満員の汽車に乗った啄木は
函館に別れを告げた。

啄木が函館にいたのは5月5日から9月13日までの
わずか132日間であった。
しかし函館は啄木の生涯の中で特別な存在となった。
ここで出会った文学仲間との交流は
啄木の創作意欲をかきたてた。
恋や友情やさまざまな人間関係は
啄木の人生と作品に多くの叙情的影響を与えた。
啄木が函館のことを詠んだ歌は60首あまり。
故郷渋民に次ぐ2番目の数であるという。

啄木が住んだ青柳町の家の近くに大森浜と呼ばれる砂浜があった。
啄木はよくここを散歩し、砂山に座って海を眺めていた。
晴れた日には下北半島が見えた。

 しらなみの寄せて騒げる
 函館の大森浜に
 思ひしことども  

 函館の青柳町こそかなしけれ
 友の恋歌
 矢ぐるまの花  (石川啄木)

函館を離れた啄木は、札幌、小樽、釧路を転々とした後、
上京し、4年後に人生を終える。
生前、郁雨に宛てた手紙で
「僕は死ぬときは函館で死にたい」
と書いていた。
啄木にとっての心のふるさとは、故郷の渋民村ではなく、
たった4か月過ごした函館だった。

26歳で死んだ啄木の墓は
親友宮崎郁雨らの手で
函館の大森浜をのぞむ立待岬に建てられた。

執筆 川野康之

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