2024年01月21日

執筆者小野麻利江

鍋のはなし 「きりたんぽ鍋」

潰したご飯を木の棒に巻きつけ、
その棒ごと、こんがりと焼く。
焼き目がついたら棒を抜いて、
ちくわのような形になったお米を
斜めに切って、鍋に入れる。

秋田名物、きりたんぽ鍋は
北部の鹿角(かづの)や大館(おおだて)辺りで
親しまれてきた。

この地方の炭焼きやマタギ達が山に籠る際、
そのままのご飯だと腐りやすいため、
木に巻いて焼いた状態で持っていき、
山で獲ったキノコや山鳥と一緒に
鍋にしたのが発祥と言われる。

「たんぽ」という名前は
(がま)の短い穂に由来するという説と、
槍の刃を覆う部分に由来するという説があるが、
どちらも「巻きつけたお米と木の棒」を
セットで見立てている。
ユーモラスな響きを持つこの鍋は、
今でも、ハレの日の家庭料理だ。

2024年01月21日

執筆者薄景子

Photo by osanpo

鍋のはなし 「ぽん酢の語源」

水炊きや湯豆腐など、鍋ものに欠かせないぽん酢。
その語源は実はオランダ語なんだとか。
柑橘類のしぼり汁をオランダでは「ポンス(pons)」といい
その「ス」に、お酢の「酢」の字を当てた造語なのだ。

日本の調味料の名が、海外に由来があったとは意外。
それを知って味わうぽん酢の味は、
鍋の世界をさらに豊かに広げてくれるはず。

2024年01月21日

執筆者石橋涼子

Photo by whity

鍋のはなし 「ひとり鍋」

寒い季節には、温かい鍋。

鍋といえば大勢でわいわい囲む料理だったが、
感染症の影響でひとり鍋の機会も増えた。

激辛など自分好みの味にできたり、
すき焼きなどの贅沢もしやすかったり。
ひとりならでは楽しみ方も多い。

なにはともあれ今年の冬は、
大勢で囲む鍋も、ひとり鍋も、自由に選んで楽しめそうだ。
それが一番、うれしいですね。

2024年01月21日

執筆者小野麻利江

Photo by Joi Ito

鍋のはなし 「うつつを抜かす鍋」

京都市上京区、千本通を西に入ったところに
三百年以上の歴史を誇る
すっぽん鍋の店がある。

老舗・大市(だいいち)の「◯鍋(まるなべ)」。
すっぽんの出汁と身が入った鍋を
コークスで1600度を超えるまで
ひと息に炊き上げる。

志賀直哉、芥川龍之介、直木三十五の
3文豪が一緒に食べて、
「うまさにうつつを抜かした」と発した。
そう伝えられる、◯鍋。
年の初めから試すのも、また一興。

2024年01月21日

執筆者石橋涼子

Photo by elmimmo

鍋のはなし 「鍋の地域性」

寒い季節には、温かい鍋。

「鍋料理」にも地域性はあるらしい。
北海道・東北は味噌ベース、
九州はあごだし、近畿ではうどんだしが多い、とか。

メイン具材は、関東はタラが多い傾向で
北海道は鮭・ほたて、九州は鶏肉が多い、とか。
なんとなく納得できるかも。

シメの人気者はもちろんお米だけれど
香川はうどん、長崎はちゃんぽん麺、
北海道はラーメンが多いという報告も。

さて、あなたの地元の鍋は、
どんな味・どんな具材でできていますか。

2024年01月21日

執筆者石橋涼子

Photo by Yuichi Sakuraba

鍋のはなし 「今日の鍋」

人は一生で、何回鍋を食べるのだろう。
寄せ鍋、鶏鍋、海鮮鍋。
素材が醸す出汁は一期一会の味わいだ。

一緒に鍋をかこむ見慣れた顔も
ひとりで味わう湯気の香りも
今日の鍋は、今日だけの味。
ああ、鍋って幸せだなぁ。

2024年01月20日

執筆者佐藤日登美

Photo by MIKI Yoshihito

クラシック音楽 「クシコス・ポスト」

思わず走り出したくなるこの曲。
ドイツの作曲家ヘルマン・ネッケによる「クシコス・ポスト」。

日本に入ってきたのは1910年。
当時宮内省式部職だった山井基清(やまのいもときよ)が初めて紹介した、
という記述が残っている。

いつの頃か運動会で採用されるようになり、
徒競争には欠かせない曲になった。

2024年01月20日

執筆者佐藤日登美

クラシック音楽 「亜麻色の髪の乙女」

クロード・ドビュッシー作曲、
“La fille aux cheveux de lin” 「亜麻色の髪の乙女」。

19世紀の詩人、ルコント・ド・リルの同名の詩からインスパイアされている。

ムラサキウマゴヤシが咲くなか歌っているのは誰?
このさわやかな朝に
それは亜麻色の髪の乙女
サクランボのような唇をした美しき乙女

ドビュッシーはこの曲を、想いを寄せる女性に贈った。
その人と道ならぬ恋に落ちていく、というのはまた別の話。

2024年01月20日

執筆者蛭田瑞穂

クラシック音楽 「レナード・バーンスタイン①」

ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の作曲家であり、
アメリカが生んだ初の国際的な指揮者、レナード・バーンスタイン。

『ウエスト・サイド・ストーリー』でバーンスタインは
物語の舞台であるニューヨークの文化的多様性を反映し、
クラシック音楽にジャズやラテン音楽の要素を融合させた。

その革新的な作曲スタイルは音楽の新たな潮流をつくり、
『ウエスト・サイド・ストーリー』はミュージカルの金字塔となった。

2024年01月20日

執筆者蛭田瑞穂

Photo by Bert Bial

クラシック音楽 「レナード・バーンスタイン②」

「ヤング・ピープルズ・コンサート」は
ニューヨーク・フィルハーモニックが主催する若い世代向けの演奏会。

1958年、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任した
レナード・バーンスタインはコンサートの模様を初めてテレビ放送した。

バーンスタインのわかりやすいプレゼンテーションは、
多くの若者たちに音楽への関心を持たせ、
クラシック音楽の普及に大きく貢献したといわれる。