2022年08月14日
新井奈生
象形文字 #1
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
「両手を重ねてひざまずく人間」を描いたその絵は、
やがて「女」という漢字になった。
漢字が生まれたのは紀元前1300年ごろの中国と言われているが、
なぜ「女」を表す文字が
「ひざまずく人間の絵」から生まれたのだろう。
その人間が神に使える巫女だったと考えれば納得もできる。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
「両手を重ねてひざまずく人間」を描いたその絵は、
やがて「女」という漢字になった。
漢字が生まれたのは紀元前1300年ごろの中国と言われているが、
なぜ「女」を表す文字が
「ひざまずく人間の絵」から生まれたのだろう。
その人間が神に使える巫女だったと考えれば納得もできる。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
「支流を巻き込みながら流れる、長い長い川」を描いたその絵は、
やがて「永遠」の「永」という漢字になった。
これは、距離としての「長い」が
時間としての「永い」に意味が広がったことを示している。
漢字を生み出した古代文明は黄河の流域で栄えた。
黄河は河口付近ともなるとその川幅は18kmにも及ぶ。
向こう岸が見えず、
向こう岸があるかどうかもわからないまま
いつまでも続く水の流れだけがあったのだろう。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
今、ここにあるのは一枚の稲妻の絵。
ジグザグと屈折しながら天を切り裂くその姿は
やがて、「申(シン)」という漢字になった。
日本風に送り仮名をつければ、「申す」と読むそれである。
古代、中国に住む人は
神がその威光を示すために
地上に雷を降らせるものと考えていた。
そのため、雷から生まれたこの申(シン)という漢字も
元の意味は天の神を指している。
さて、時代が降るにつれ「申」の文字は意味が転じ、
「申す」の意味で使われるようになった。
そこで神の漢字には「しめすへん」をつけた。
「しめすへん」は
「神への捧げ物をおく台座」の絵から生まれている。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
祭事に用いる器から手足が生えたような絵。
この奇妙な絵はやがて「兄」という漢字になるのだが、
これは古代の中国で、家の神事を取り仕切るのは
長男の役目とされていたことに由来する。
造形的には現代のゆるキャラに近い文字だが、
家の神を祀るという長男の大事な役目を
伝えているのだ。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
峯が三つ連なったその絵は、
やがて「山」という漢字になった。
これは誰もが納得できる漢字の由来のひとつだが、
山が三つ連なっているのには、中国の地形上の理由がある。
かの国では、山々が連なる「連山」こそが
一般的な山なのだそうだ。
もし富士山のある日本で山という漢字が生まれていたら
どんな形になっただろうか。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
今、ここにあるのは2枚の絵。
猛々しい虎の絵と、身をくねらせる竜の絵である。
それらは「虎」の漢字と「竜」の漢字に姿を変えた。
この成り立ちを聞くと、ふと疑問が浮かんでくる。
虎を目にした人間が、それを描いて、文字ができた、というのはわかる。
しかしその理屈だと、竜を見た人間がいた、ということにならないか。
実際にはワニや蛇だとする主張もあるが、
ここではあえて、古代中国の空には竜が飛んでいたのだ、という考えに
心を遊ばせておくことにしたい。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
今、ここにあるのは「背中あわせの人物」の絵。
この絵はやがて、方角を示す「北」という漢字になった。
背中の絵がなぜ北の意味に用いられるのか。
それは王が儀式をする際、南を向く決まりであったため、
背中にあたる北にこの字を当てた、とされている。
なるほど。
だから背を向けて逃げることを「敗北」と呼ぶんだ。
ひとつの知識が、ふっと別の知識をもたらす快感を
この言葉はもたらしてくれる。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月14日
その絵はあるとき意志を持ち、
漢字となって姿を残した。
右手の絵と、左手の絵がある。
右手には、神への祝詞を入れる器、
左手には、まじない用の呪具(じゅぐ)を持っている。
それぞれの絵は、やがて右と左の漢字になるのだが、
どちらの文字も、
神との対話を試みたい人の願いをあらわしている。
3000年の昔、絵が文字に変わる一瞬があった。
2022年08月13日
あたたかな温泉の湯船に身を沈める。
それは日本人の至福の瞬間。
スマホが手放せなくなっている現代人も、
このときばかりはケータイ電話を置いて、
あらゆる情報から自分の身をシャットダウン。
自らを「圏外」におき、頭をからっぽにする。
リラックスしていく身体。
お湯に溶け出していくストレスや疲れ。
古くは「古事記」「日本書記」にも記されている温泉。
神々の時代から日本では、
その土地からこんこんと湧き出る温泉に身を委ね、
たまった疲れを癒し、大地の力を吸収した。
日本は海の幸、山の幸、
そして、湯の幸に恵まれている。
2022年08月13日
あたたかな温泉の湯船に身を沈める。
それは日本人至福の瞬間。
だが、身体へのその効果は、湯の温度によって違う。
熱い湯に入ると交感神経が刺激され、新陳代謝が上がり、
精神は活動的になる
ぬるい湯に入ると副交感神経が刺激され、
胃腸の動きが活発になり、
精神はリラックスした状態になる。
活動か、休養か、
それによって求めるお湯の温度が変わる。