2022年06月19日

執筆者厚木麻耶

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雨のはなし 6 『人工降雨』

人工降雨。ひとの手で雨を降らせること。

この研究を真っ先に始めたのは、
アメリカの気象学者、チャールズ・ハットフィールド。
彼の父親は農業を営んでいたが、干ばつにより廃業。
苦しんだ父や農民たちを想い、
チャールズは人の手で雨を降らせる研究を始めた。

1916年、サンディエゴに雨を降らせ過ぎたことで
裁判にかけられたハットフィールドは
人工降雨の技術を封印したまま死去。

それから100年以上、その想いが引き継がれ、
今でも人工降雨の研究と実験は続けられている。

降らせたいところに雨や雪を降らせることができたら
世界はどう変わるだろう。

2022年06月19日

執筆者茂木彩海

雨のはなし 7 『雨の使い方』

雨は昔から映像作品の中で
心理描写の手法としても使われてきた。

涙と一緒に雨を降らせば
悲しみを助長させる効果があるし、
逆に、笑顔で雨の中に踊り出せば、
自分の殻を破る開放の瞬間を描くものにもなる。

見つめ合う男女の周りに大粒の雨が降れば、
それは外界との遮断を意味するのかもしれない。

雨が降る映画を、雨の使い方に着目して鑑賞する。
きっと楽しい、この季節ならではの過ごし方。

2022年06月19日

執筆者茂木彩海

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雨のはなし 8 『朝雲暮雨』

大事な日ほど雨が降る、雨女・雨男の起源は
さかのぼること江戸時代。

画集「今昔百鬼捨遺」に妖怪「雨女」として描かれている。

側には中国、戦国時代の詩人、宋玉の詩。
楚の王が夢の中で愛した女神が去り際に言う。
「朝には雲となり、夕には雨となってここに参りましょう」

愛する者に会いたいが故に雨になる。
意外にもロマンチックな物語がそこにはある。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 1 『鰻』

日本人と鰻のつきあいは、縄文時代に遡ると言われる。
当時の遺跡から鰻の骨が出土するからだ。
奈良時代には鰻の栄養も知られるようになっていた。

でも醤油とみりんのタレをつけて焼く、
今の蒲焼きスタイルになったのは江戸時代から。
歌川国芳が団扇に描いた浮世絵、
「春の虹蜺(こうげい)」
鰻を食べようとする女性の後ろで、空に虹が現れる。
鰻を食べると気分が晴れ晴れするのは、
今も昔もきっと変わらない。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 2 『蕎麦』

蕎麦が細長い麺になったのは、江戸時代のこと。
当時の江戸は、参勤交代の影響で、
単身赴任の男性が多かった。
そんな彼らに、安くて早い蕎麦は人気があった。
江戸の人口比率は、女性が2に対して、男性が8。
奇しくも二八蕎麦とおそろいだった。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 3 『初鰹』

江戸の町でもっとも人気のあった食材、初鰹。
初物を食べると寿命が75日延びる、
「勝つ魚」で縁起がいいなど理由は様々。
でもいちばんの理由は、江戸っ子の見栄。
江戸時代にSNSがあったら、初夏のタイムラインは、
鰹で埋め尽くされたことだろう。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 4 『天ぷら』

江戸時代、油の生産量が増えると、
天ぷらは一気に庶民に広まった。
しかし火事と喧嘩は江戸の華。
失火した者には厳しい罰が下されたため、
天ぷらは主に屋台の味となった。
江戸湾で捕れた魚介をごま油で揚げるのが定番で、
人気のタネは芝海老だったそうだ。
ちなみに天ぷらが高級料理になったのへ江戸末期で
屋台との差別化をはかるために
衣に卵などを加えていたらしい。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 5 『猪』

江戸時代の浮世絵画家、歌川広重。
代表作「名所江戸百景」の中の一枚、
「びくにはし雪中」には、
「山くじら」という看板が出てくる。
山に住む鯨とは、じつは猪のこと。
仏教の影響で肉食が禁じられた時代に、
海の幸に名前を変えて肉を食べる、
庶民のしたたかな知恵であった。
当時は鯨が魚だと思われていたことも
これでわかる。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 6 『豆腐』

江戸の食卓に欠かせない食材といえば豆腐。
もともと贅沢品だった豆腐は
江戸の中期になると庶民の食卓に登場するようになり、
1782年には100種類の豆腐料理を紹介した
「豆腐百珍」という料理本が出版された。

何でもひとつのことを突き詰める、
日本人らしい気質は、
料理の世界にも深く根付いていたようだ。

2022年06月18日

執筆者佐藤理人

江戸のごちそう 7『寿司』

蕎麦、天ぷらに並ぶ「江戸の三味」、寿司。
シャリの上にネタを乗せる握り寿司が生まれたのは、
19世紀前半のこと。考案者は華屋与兵衛だ。

新鮮な魚介に酢飯を合わせた和のファストフード。
そのシンプルでスピーディな美味しさは、
せっかちな江戸っ子に大人気となった。

値段は1カン200円前後。
今とあまり変わらないが、大きさは2、3倍あり、
大きすぎるので2つに切って出すようになった。
一皿に2カンずつ乗っているのは、これが起源である。

当時人気のネタは海老とコハダ。魚介ではないが、
高級品だった卵がいちばん値段が高かった。

一方、マグロは不人気だった。
冷蔵技術がなく傷みやすいこと、脂身が多く、
江戸っ子の口に合わなかったことがその理由。
特にトロは、価値のない部分を意味する
「アラ」と呼ばれ、ただ同然で扱われていた。

江戸の前の海で捕れた魚介を使うことから、
「江戸前」と呼ばれた寿司は、関東大震災で
多くの寿司職人が故郷に帰ったことをきっかけに、
全国へ広がっていった。