2023年12月09日

執筆者佐藤理人

Photo by Dr Umm

「トランボ」

アメリカの脚本家、ダルトン・トランボ。
政治的理由でハリウッドを追放された彼は、
偽名で作品を書き続けた。

「ローマの休日」と「黒い牡牛」で、
2度のアカデミー賞脚本賞に輝くと、
志ある映画人は彼を放っておかなかった。

「スパルタカス」の主演カーク・ダグラスと、
「栄光への脱出」の監督オットー・プレミンジャーは、
脚本のリライトを直々に頼みにきた。
2つの大作はどちらも大ヒットを記録。
トランボの名前も正式にクレジットされた。

1971年、彼は自らメガホンをとり、
自身の反戦小説「ジョニーは戦場へ行った」を映画化。
戦争の残酷さを改めて世界に強く訴えた。

1975年、本来彼が手にするはずだった、
「黒い牡牛」のオスカー像が授与された。
しかし翌年、彼は心臓発作により70歳でこの世を去る。

「ローマの休日」のオスカー像は、
受賞から40年後の1993年、遺族に贈られた。

トランボをはじめ多くの映画人を不当に弾圧した、
下院非米活動員会は1975年に消滅。
50年近い活動において、1人のスパイも、
1つの陰謀も見つけることはできなかった。

今日はダルトン・トランボの誕生日。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

甘党 芥川龍之介 「先生とくず餅」

『羅生門』で知られる作家・芥川龍之介。
彼は、甘いものをこよなく愛した作家でもあった。

学生時代には
体育の授業を抜け出してくず餅を食べ、
先生に叱られた。

ちなみに、先生にばれた理由は
口の周りについたきなこだったという。
ニヒルな印象の彼にも、
そんな時代があったと思うと可愛らしい。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

甘党 芥川龍之介 「西洋人と汁粉」

芥川龍之介の甘いもの好きは、
その作品からもわかる。
たとえば、その名も『しるこ』という随筆だ。

彼はその中で、
もしも西洋人がその味を知れば、
汁粉が世界を風靡しないとも限らない、と語っている。
ニューヨークやパリで、
人々が汁粉を味わうのを想像したのだ。

いつかパリのカフェで
コーヒーの代わりに、
汁粉がすすられる日が来るかもしれない。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

Photo by Strolling

甘党 芥川龍之介 「妻と羊羹」

芥川龍之介は、
妻の文(ふみ)にいくつもの手紙を書いた。
彼の作風からは考えられないほど、
素直でまっすぐな文章で。

芥川は手紙の中で、
旅の途中、羊羹を食べに
京都に寄った話をしたという。
今度京都へ行ったら、
お土産に買ってきてあげましょうか。

羊羹を食べるために京都に寄り、
ラブレターにまで甘いものの話が出てくる。
あきれるほどの甘党だ。

またあるときの手紙では、
こう記している。

この頃ボクは文ちやんがお菓子なら
頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。
嘘ぢやありません。

ほかでもない、
大の甘党の芥川からのこの言葉。
妻・文への愛がどれほどのものだったか、
これだけでもうかがい知れる。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

甘党 芥川龍之介 「和菓子屋と大福」

芥川龍之介は、
鎌倉に滞在していた頃
東京の馴染みの和菓子屋に手紙を書いた。

手紙には
こんなお菓子を送ってくれ、と
ご丁寧に横から見た図や
断面図が描かれ
細かい注文付きだった。

和菓子屋の主人の名は、谷口喜作(たにぐち・きさく)
のちに、芥川の葬儀を取り仕切った男だ。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

Photo by ponafotkas

甘党 芥川龍之介 「師匠とジャム」

甘いもの好きの作家、
芥川龍之介。

彼が先生と呼んで慕ったのが、夏目漱石だ。

実はこの漱石も、大の甘党だ。
1瓶のジャムを、1日で舐めてしまったという。

芥川との交流は一年ほどだったが、
漱石は芥川を作家へと導き、
芥川は漱石のことを幾度となく作品に記した。

甘いもの好きなところまで、
まるで師匠に倣ったかのようだ。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

甘党 芥川龍之介 「侍と芋粥」

芥川龍之介の小説、『芋粥』。

平凡な侍の、
「芋粥を飽きるほど飲んでみたい」
という欲望から話は始まる。

この芋粥、いわゆる芋の粥ではない。
使うのは、さつまいもではなく山芋だ。
山芋をツル草の蜜で煮たもので、
お粥というよりデザートに近い。

甘いものは好きだが、とろろは嫌いだった芥川。
主人公の欲望は、芥川の欲望か、果たして。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

Photo by Zengame

甘党 芥川龍之介 「詩人と羊羹」

芥川龍之介の作品『都会で』の一節に、
こんな文章がある。

夜半の隅田川は何度見ても、
詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない。

この詩人S・Mとは、
室生犀星(むろお・さいせい)のことだという。
犀星は隅田川を、こう表現したのだ。

——「羊羹のやうに流れてゐる。」

夜の暗く静かな川を、羊羹と見る。
その感性が、
甘いもの好きの芥川の琴線に触れたのかもしれない。

2023年12月03日

執筆者仲澤南

Photo by ink spot

甘党 芥川龍之介 「主治医と無花果」

芥川龍之介を看取った主治医、
下島勲(しもじま・いさおし)

彼は芥川の主治医というだけでなく、
友人でもあった。

芥川の死後には、
甘党の彼が好んでいた無花果を
霊前に供えたという。

稀代の作家は、雲の上でも
甘いものを愉しんでいることだろう。

2023年12月02日

執筆者村山覚

カミソリヒストリー #1

きょうは、切れ味の良さを追求しながらも、
皮膚を傷つけないよう工夫をこらした
“安全カミソリ” にまつわるお話。

20世紀初頭のアメリカで、刃の部分が交換できる
T字型のカミソリが発売された。
その後、第一次世界大戦中にアメリカ軍が
350万セットも購入して兵士たちに配ったことで、
替え刃タイプの安全カミソリは一気に普及していったそうだ。

軍が大量に購入したのは、
替え刃が衛生的でメンテナンスが不要だったこと、
そして、兵士たちが防毒マスクをつけるのに、
髭があるとぴったりフィットしないという理由もあったらしい。

安全な商品の、なんとも物騒なエピソード。