2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「パリ」

世界初の推理小説、「モルグ街の殺人」。

作者エドガー・アラン・ポーはアメリカ人なのに、
なぜ物語の舞台をフランスにしたのだろう。

答えは簡単。ポーが小説を書いた1841年当時、
アメリカには「探偵」という職業がまだ存在しなかった。

世界初の探偵が誕生したのは1834年。
フランソワ・ヴィドックがパリに
探偵事務所を開いたのが最初である。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「乱歩」

日本の推理小説の草分けであり第一人者・江戸川乱歩。

彼は早稲田大学在学中の1914年、
エドガー・アラン・ポーの小説と出会い、衝撃を受ける。

ポーの作風に心酔した彼は、
その名に敬意を表し、自らのペンネームとした。

ダークでゴシックな雰囲気。暗号の謎解きのスリル。
ポーのエッセンスを日本風にアレンジした、
「怪人二十面相」シリーズは大ヒットを記録した。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「 ホームズ」

名探偵シャーロック・ホームズ。
作者コナン・ドイルはキャラクター設定にあたり、
ある人物を参考にした。

世界初の推理小説「モルグ街の殺人」の主人公、
探偵オーギュスト・デュパン。

天才的な頭脳と奇人変人な性格。
ホームズとデュパンには酷似する点が数多くある。

日本の推理小説作家江戸川乱歩は言う。

ポーが探偵小説を発明していなければ、
ホームズは生まれなかっただろう。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「 ヴィドック」

17世紀のフランスが生んだ、
世界初の名探偵であり、近代捜査の父にして犯罪者。

ウジェーヌ・フランソワ・ヴィドック。

脱走兵として逮捕された彼は、
高い記憶力を活かし、刑務所にいた10年間で、
犯罪者たちの名前や手口をすべて暗記した。

出所した後はパリ警察で潜入捜査官になり、
膨大な記憶を元に次々と犯罪者を逮捕した。

警察をやめた後は世界初の私立探偵となり、
3000人以上の人々の力になった。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「 ディケンズ」

アメリカの作家エドガー・アラン・ポーが、
「モルグ街の殺人」を書いた1841年。

「クリスマス・キャロル」で知られる、
イギリスの作家チャールズ・ディケンズも、
探偵小説「バーナビイ・ラッジ」を連載していた。

しかし、ディケンズにライバル心を抱くポーは、
トリックを暴き、連載中に犯人を言い当ててしまう。

世界初の推理小説が、
「モルグ街の殺人」となった理由である。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月07日

執筆者佐藤理人

ミステリー記念日 「 岩井三郎」

名探偵・明智小五郎には、実在のモデルがいた。
日本初の探偵、岩井三郎。

警視庁の捜査官だった岩井は、
日清戦争ではスパイの摘発で活躍したのち、
警察の捜査に限界を感じて退職。
1895年、日本最古の探偵事務所を開業した。

彼の名を一躍有名にしたのが「シーメンス事件」。

旧日本帝国海軍とドイツの兵器会社シーメンスの間には、
入札をめぐって贈賄の噂が絶えなかった。
しかし警視庁は軍からの圧力で捜査を進められず、
私立探偵である岩井に捜査を依頼した。

岩井は圧力に屈することなく、捜査官時代の情報網を駆使し、
戦艦の発注をめぐる贈賄事件の全貌を暴いた。

海軍や商社のトップぐるみの汚職の衝撃は、
社会を大きく揺るがし、当時の内閣を総辞職にまで追い込んだ。
この事件の裁判中に第一次世界大戦が勃発、
日本はドイツではなくイギリスなど連合国側での参戦を決意する。

岩井の活躍のおかげで、探偵が警察の代わりに難事件を解決する、
推理小説やアニメ、漫画が誕生した。

その代表格・明智小五郎の生みの親、江戸川乱歩は、
岩井の下で2年間、実際に探偵として働いていた。

今日は「ミステリー記念日」。

2023年10月01日

執筆者仲澤南

コーヒー好きのあの人 「ベートーヴェン」

今も名を残す偉人には、
無類のコーヒー好きがいた。
『運命』や『月光』などの作曲家、
ベートーヴェンもその一人だ。

きっかり60粒のコーヒー豆を、
毎朝挽いていたという。

「人は習慣の生き物だ」とは、
哲学者・デューイの言葉。
ベートーヴェンの名曲の数々は、
確立された習慣から生まれたのかもしれない。

Let’s have a coffee break.

2023年10月01日

執筆者仲澤南

コーヒー好きのあの人 「キルケゴール」

『死に至る病』で知られる哲学者、

キルケゴール。

彼のコーヒーの楽しみ方は、

少し変わっていた。

まず、コーヒーカップに山のように砂糖を入れる。

そこにホットコーヒーを注いで、

砂糖を溶かしながら飲むのだ。

角砂糖にして、なんと30個に及ぶ量だったという。

コーヒーの苦味は、

極度の甘党にも味方するようだ。

Let’s have a coffee break.

2023年10月01日

執筆者仲澤南

コーヒー好きのあの人 「宇田川榕菴」

蘭学者・宇田川榕菴は、
「哥非乙説(こうひいせつ)」、
すなわち、コーヒーに関する日本初の論文を書いた。

時は江戸時代、
コーヒーは日本にまだ
ほとんど広まっていなかった。
榕菴はオランダ商館長と面会し、コーヒーと出会う。
それから19歳の若さで、
「哥非乙説」を書き上げたのだ。

それだけではない。
現在使われている
「珈琲」という漢字表記は、
榕菴が考えたものだ。

「珈琲」の漢字2文字は、
髪飾りと飾りをつなぐ紐を意味する。
枝に実った真っ赤なコーヒーの実から、
女性の髪飾りを連想して名付けたそうだ。

初めての論文に、美しい名前。
今日の日本のコーヒーは、榕菴のおかげでもある。

Let’s have a coffee break.

2023年10月01日

執筆者仲澤南

コーヒー好きのあの人 「バッハ」

コーヒー好きのあの人・バッハ

コーヒーを愛した作曲家・バッハは、

ある小喜劇を作曲している。

その名も、『コーヒー・カンタータ』。

娘がコーヒーに依存しているのを、

頑固な父親が

やめさせようとするコメディだ。

このカンタータ、

夏はコーヒーガーデン、

冬はコーヒーハウスでも演奏され、

コーヒーを飲みながら聴けたのだという。

Let’s have a coffee break.