2024年03月16日

執筆者村山覚

Photo by Porto Convention & Visitors Bureau

ポルトガルの話 「緑のワイン」

“緑のワイン”をご存じだろうか?

ポルトガル北部の大西洋に面した地域で、完熟する前の
葡萄から作られる若々しくフレッシュなワイン。
微かに発泡しているものが多く、アルコール度数は低め。
だからワイン初心者でも飲みやすいし、
暑い夏にぴったりだと言われている。

ちなみに、ポルトガルの食卓には鱈や鰯が並ぶ。
ヨーロッパの国にしては珍しくタコも食べるし、
お米も食べる。遠く離れた日本との、意外な共通点。

緑のワイン、ヴィーニョ・ヴェルデは、
日本の魚料理や天ぷらにもよく合いますよ。
お試しあれ。

2024年03月16日

執筆者村山覚

Photo by ho visto nina volare

ポルトガルの話 「サウダーデ」

ポルトガル語の「サウダーデ」、
ブラジルだと「サウダージ」。

J-WAVEでも耳にするこの言葉は、
日本語や英語で翻訳することがむずかしい。

あの人にまた会いたい。
あの頃に戻りたい。
遠くなってしまった人や時間に
想いを馳せる言葉。

大航海時代。
ユーラシア大陸の西の端から旅立った
ポルトガルの商人や宣教師たちは、
「サウダーデ」を胸に抱きながら
いちばん東の島国までやってきた。

2024年03月16日

執筆者村山覚

ポルトガルの話 「南蛮渡来」

日本から遠くて近い国、ポルトガル。

今からおよそ480年前、種子島に鉄砲が伝来。
同じ頃、宣教師のフランシスコ・ザビエルは
眼鏡、時計、鏡などを大名への貢物にすることで、
キリスト教を布教する許可を得たそうだ。

戦国時代のニッポンには、いわゆる南蛮貿易によって、
目新しい文化や食材が次々と上陸。新しいものを
どんどん取り入れた信長や秀吉、そして商人たちは、
海外からもたらされたアレコレに興味津々だったはず。

コンペイトウ、テンプラ、タバコ、
カルタといった日本語は、
実はポルトガル語が元になっているというのは
よく知られた話だ。
南蛮渡来の貴重な品々は、褒美や土産になったり、
顔をしかめられたりしたことだろう。

大航海時代の船には、ガラス瓶とコルクという組み合わせに
よって長期保存ができるようになったワインも積まれていた。
ワインは長旅の疲れを癒やすと同時に、珍しい飲み物として
アジア各国に広がっていった。日本の武将や商人たちが
「南蛮茶会」と称してポルトガルのワインを楽しんだという
記録も残っている。

もうすぐ日曜日。あしたが休みの人も、お仕事の人も、
南蛮茶会で一息つきましょうか。 Boa noite!

2024年03月10日

執筆者蛭田瑞穂

Photo by Gareth Jones

育てる 「小澤征爾①」

先月他界した、指揮者界の巨匠小澤征爾。
彼は毎年、夏になるとレマン湖の畔で音楽アカデミーを開き、
若い学生を自ら指導した。

「そう、とてもいい。でも、もう少し長いほうがいいな。
 ほんの少しだけね」

「ちょっと待って。ここは少しクレッシェンドを入れよう。
 すべての感情を次の1拍目に込めるんだ」

小澤は学生たちの演奏を否定しない。
良いところはもっと良くなるよう助言し、
改善点は、時には鼻歌を交えて、具体的に説明する。
そして、演奏の技術が上がると満面の笑みで喜びを表した。

小澤は語る。

彼らは音楽を生み出していく。本当にすばらしい。
音楽では呼吸が大事です。僕の息にみんなが合わせる。
同じ呼吸で演奏してくれる。指揮者にとって至福の時です。

2024年03月10日

執筆者佐藤日登美

育てる 「トーマス・エジソン」

発明家・トーマス・エジソン。
子どもの頃から好奇心が強すぎた彼は学校の手に負えなくなり、
わずか3ヶ月で退学。
母とともに実験をくり返しながら学びを深めた。

鳥と同じものを食べれば飛べると考え、
ミミズジュースを作って友だちに飲ませたことも。
きっと、彼の母も悩みながら育てたことだろう。

後にエジソンは話す。

「何があっても支えてくれた母がいたから、今のわたしがある」

2024年03月10日

執筆者佐藤日登美

育てる 「松下幸之助」

パナソニック創業者・松下幸之助の言葉、「事業は人なり」。
人が成長しなければ会社も成長しない。
だからこそ、人材育成には特に力を入れた。

パナソニックの前身である松下電器を創業したばかりの頃、
幸之助は社員に話した。

「松下電器が何をつくるところかと尋ねられたら、
 『松下電器は人をつくるところです。
  併せて電気器具もつくっております。』
こうお答えしなさい」

2024年03月10日

執筆者森由里佳

育てる 「マリア・モンテッソーリ①」

藤井聡太、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス。
3人に共通するのは
「モンテッソーリ教育を受けたこと」だ。

マリア・モンテッソーリはこう。

子どもが何か困難に出くわしている時、解決法を教えてはいけません。
子どもの興味が失われてしまうからです。
子どもにとって重要なことは活動自体ではなく
そこにある困難を乗り越えようとすることなのだから。

困難を乗り越える力。
あの3人を見ると、頷ける。

2024年03月10日

執筆者森由里佳

Photo by Etienne

育てる 「マリア・モンテッソーリ②」

世界に知られるモンテッソーリ教育の生みの親、
マリア・モンテッソーリ。

教えるという行為ではなく、
学ぶという行為に着目した彼女が用意したのは、
わかりやすいテキストでも優秀な家庭教師でもなく、
自由に動ける環境だけ。

彼女は言う。

自由とは、好きなことを思うままにやっていいということではない。
援助なしに行動ができるということだ。

一方的に教えを受けるのではなく、自ら関りを持って学ぶこと。
その経験は将来、子供たちの翼となり、
真の自由へと連れて行ってくれる。

2024年03月10日

執筆者蛭田瑞穂

Photo by Jun Seita

育てる 「小澤征爾②」

先月他界した、指揮者界の巨匠小澤征爾。
彼はその生涯を通じて、後進の育成に情熱を傾けた。

教えることを、小澤はこのように語る。

それは本能みたいなもので、
教え始めるとやめられなくなるんです。
若い才能に出会うと、本業よりおもしろくなったりしてね。
で、女房に叱られたりしています。

2024年03月09日

執筆者道山智之

Photo by Tomoyuki Michiyama

1月の河 「波」

リオ・デ・ジャネイロ。
1502年1月、ポルトガルの探検隊がこの地に到着。
入江を大河だと勘違いし、
“1月の河”「リオ・デ・ジャネイロ」と名づけた。

日本とは地球の反対側にあるこの街が面するのは、
大西洋。

打ち寄せる白い波に、
世界の海はつながっていることさえ忘れて
はるかな郷愁をさそわれる。