2023年08月20日
若杉茜
祈りのはなし 注意と祈り
フランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。
生涯強く純粋な信仰心を持った彼女は、祈りについてこう語る。
注意は、その最も高い段階において、祈りと同じものである。
L’attention, à son plus haut degré,
est la même chose que la prière.
じっと何かや誰かに注意を向けること。
ただそれだけがとても難しく、だがそれだけでも、祈りとなる。
2023年08月20日
フランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。
生涯強く純粋な信仰心を持った彼女は、祈りについてこう語る。
注意は、その最も高い段階において、祈りと同じものである。
L’attention, à son plus haut degré,
est la même chose que la prière.
じっと何かや誰かに注意を向けること。
ただそれだけがとても難しく、だがそれだけでも、祈りとなる。
2023年08月20日
無宗教を自認する人が少なくない国、日本。
では我々は、それでも何に、祈るのだろうか。
小説家の大江健三郎が考える、
信仰なき「祈り」は、こうだ。
人間が現在の世界に対する問いかけをする。
超越的なものーー神様なら神様に対する問いかけといっても
いいと思いますけれども、そういう問いかけをする。
答えは自分にはわからない。しかし問いかけていく。
わからないまま、それでも世界に何かを問うことをやめない。
その苦しい営みは、祈りになる。
2023年08月20日
日本では祈りの場で日本酒が振る舞われるが、
古代マヤ文明では
チョコレートドリンクが飲まれていた。
現代のような甘さはなく、ハチミツ、唐辛子などをブレンドして
泡立てたスパイシーな飲み物だったとか。
チョコレートがいかに神聖なものだったかは、
その学術名からも明らかだ。
「カカオ」の正式な学名は「テオブロマ・カカオ」。
「テオブロマ」とは“神の食べもの”を意味する。
2023年08月20日
世をさまり 民やすかれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけれ
鎌倉倒幕に敗れた後醍醐天皇が、島流しの道中で詠んだこの歌には
民の平和を願う祈りが込められている。
野望ばかりが語られる後醍醐天皇だが、
その真意とは。
この祈りの行先だけが知っている。
2023年08月19日
俳句や連歌で詠まれ、
季節を表す言葉、季語。
しかししばしば、
季節はすこしズレて感じられる。
季語の成立は俳句の歴史より古く、
平安時代まで遡る。
当然ながら旧暦である。
例えば7月7日の七夕は
歳時記では秋の行事だが、
新暦では梅雨の最中。
旧暦だと今年は8月22日で、なるほどと思う。
七夕や 秋を定むる 夜のはじめ 芭蕉
今日は、俳句の日。
2023年08月19日
俳句の季語のひとつ、
麦の秋。
秋の様子を想像したあなたは、
もう騙されている。
麦の秋は、夏の季語だからだ。
もともと秋には穀物の収穫期という意味があり、
麦にとっては夏の初めが秋だという。
寒い冬を越え、春にすくすく育ち、
やっと穂がたわむ5月6月を、麦の秋と呼ぶ。
ややこしい季語だが、
由来を聞くと納得だ。
今日は、俳句の日。
2023年08月19日
俳句が「俳句」と呼ばれるようになって百年余り。
歳時記には現代的な季語も目につくようになった。
たとえば、アロハシャツ。
これもれっきとした夏の季語として、
俳句の辞典である歳時記に載っている。
消えゆく言葉もあれば、
新しく生まれる言葉もある。
言葉の変化とともに、
俳句もかたちを変えているのだ。
今日は、俳句の日。
2023年08月19日
俳句の季語には、
これも季語なのか、
と意外に思えるものがある。
たとえば、ぶらんこは
春の季語だ。
これは、古代中国の慣習に由来する。
ぶらんこは元々、
中国で豊作を祈る春の儀式から生まれた。
女性たちの遊ぶぶらんこが、
儀礼のひとつだったとされているのだ。
季語の由来を辿っていくと、
思わぬ歴史が見えてくる。
今日は、俳句の日。
2023年08月19日
俳句といえば、五七五。
字余りもあるが、
基本的には十七音で詠まれる。
では、俳句に使われる季語で
最も長いものは何音だろうか。
それがこちら。
童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日
(どうてい・せいまりあ・むげんざいの・おんやどりの・いわいび)。
聖母マリアをその母が身籠った
12月8日を指すが、
既に二十五音で字余りだ。
ちなみに字余りにするなら、
上五と呼ばれる最初の五音が定石だという。
どうしても使ってみたい方は、冒頭がおすすめだ。
今日は、俳句の日。
2023年08月19日
俳句で詠まれる秋の季語のひとつ、
蚯蚓(みみず)鳴く。
おや、と思わないだろうか。
蚯蚓は、鳴かない。
実はこの季語、
思い違いから生まれたらしい。
実際には蚯蚓と同じく土の中にいる虫、
螻蛄(けら)の鳴き声を
蚯蚓のそれと取り違えたのだ。
思い違いと分かった今も、
変わらず季語として使われている。
手洗へば 蚯蚓鳴きやむ 手水鉢
正岡子規
今日は、俳句の日。