2023年06月25日
中山佐知子
松竹看板女優 「木暮実千代」
木暮実千代は1938年、
大学在学中に松竹に入社した。
当時、松竹の看板女優は
純情可憐なタイプが主流だったので
背が高くスタイルもよく、
妖艶な雰囲気さえ漂わせる実千代は
悪女の役が多かった。
しかし、デビュー作では看護婦を演じている。
田中絹代主演の映画「愛染かつら」である。
2023年06月25日
木暮実千代は1938年、
大学在学中に松竹に入社した。
当時、松竹の看板女優は
純情可憐なタイプが主流だったので
背が高くスタイルもよく、
妖艶な雰囲気さえ漂わせる実千代は
悪女の役が多かった。
しかし、デビュー作では看護婦を演じている。
田中絹代主演の映画「愛染かつら」である。
2023年06月25日
高峰秀子は子役からの出発だった。
1929年、5歳のときに松竹蒲田撮影所を見学に行き
飛び入りでオーディションを受けて合格。
川田芳子の娘役を演じたその映画は大ヒットし、
秀子は人気の子役になった。
田中絹代の妹役を演じたのは12歳。
絹代は秀子を可愛がり、
自分の家から撮影所に通わせた。
映画を栄養にして、高峰秀子は女優になっていった。
2023年06月25日
すれ違いメロドラマの代表といえば
戦前は「愛染かつら」、戦後は「君の名は」
2本とも松竹が映画化している。
ヒロインは、「愛染かつら」田中絹代、
「君の名は」岸惠子。
岸惠子は高校生のときに撮影所を見学に来てスカウトされた。
1951年のデビュー作から期待の新人と言われていたが、
1953年の「君の名は」で一躍看板女優になった。
しかし、岸惠子はのちに
自分が真知子を演じたのはミスキャストだと言っている。
2023年06月25日
原節子は松竹の女優ではない。
ただ、小津安二郎が松竹にいた。
原節子の代表的な作品が
松竹で制作されたのは
小津がいたからだ。
「晩春」「麦秋」「東京物語」
「東京暮色」「秋日和」
粒よりの名作である。
2023年06月24日
2011年6月、小笠原諸島が世界自然遺産に登録された。
その「生態系」の独自の価値が認められたのだ。
小笠原諸島は、一度も大陸と陸続きになったことがない。
だから、たくさんの固有種、希少種が生息し、
特異な生態系を形成している。
ことに、貝類や植物は、現在進行中の
進化の過程を見ることができる、という。
まさに「進化の実験場」。
この自然を守ることも、
世界自然遺産であり続ける条件となっている。
2023年06月24日
小笠原の海の色を「ボニンブルー」という。
かつては、ここは、無人(むじん)と書いて
「むにん」と呼ばれる島だった。
それが転じてボニンとなった。
ボニンブルーの海には、
バンドウイルカが泳ぎ、ザトウクジラが訪れる。
日本最大のアオウミガメの繁殖地でもある。
美しいサンゴ礁もある。
ボニンブルー。
明るく透明度が高い紺碧の海。
ひとめ見た瞬間、忘れられなくなる。
2023年06月24日
小笠原諸島へ行くには東京から船で24時間。
週1便ほどが運航しているだけ。
島にコンビニエンスストアはない。
クレジットカードもほとんど使えない。
店は朝7時に開店し、
夕方6時半ごろには閉店する。
これを不便と思うか、のどかと感じるかは、
訪れる人の気持ちひとつ。
住む人たちは制約があるとわかったうえで、
「心豊かに暮らし続けられる島」を目指している。
2023年06月24日
世界自然遺産・小笠原諸島は、
一説によると小笠原貞頼(さだより)が
発見したと言われている。
江戸時代、ロシアの調査船が来航し、
欧米系やハワイ系の人々が小笠原の父島に
入植しはじめる。
1853年にはペリーが立ち寄る。
それを知った幕府は
発見者が小笠原貞頼であることを理由に
領有権を主張。
そのとき、正式に小笠原諸島の
名称が生まれた。
2023年06月24日
世界自然遺産・小笠原諸島では自然保護のため、
外来種の侵入を防ぐ努力がなされ、
保護地域は通行ルートが決められている。
例えば沈水カルスト地形の無人島・南島(みなみじま)には
東京都自然ガイドの同行が必要だ。
ガイド1人につき、15人まで。最大2時間。
上陸時には履物の裏を海水で洗う。
植物を踏まないよう、決められたルートを歩く。
何も持ち込まず、何も持ち帰ってはいけない。
そうしてまで行くからこそ、
出会える景色がある。
2023年06月24日
小笠原諸島の世界遺産の区域は、
聟(むこ)島列島、父島列島、母島列島、
北硫黄島、南硫黄島、西之島。
南硫黄島は、海に突き出た火山島で海岸線は険しい絶壁、
淡水が無く定住者もいない。
標高は916メートル、東京都の島しょ部では最高峰だ。
人を寄せ付けないこの島は、
人為的な影響をまったく受けておらず、
全島が天然記念物。
世界自然遺産に登録されるべく存在した島だ。