2023年04月29日

執筆者河田紗弥

Photo by idua_japan

全国ご当地メシ 『粉もん』

「大阪は粉もんでっせ?」
1980年頃、吉本興業のある芸人がテレビで言ったのが最初という説がある。
粉もんとは小麦粉のことで、小麦粉を使った食べ物のこと。
たこ焼き、お好み焼き、など。
大阪に粉もんが溢れた理由のひとつは
第二次世界大戦にある。

終戦近くなると、国内に米が足りなくなり、
人々は小麦粉ですいとんなどを作り、飢えを凌いだ。
戦後もしばらくその状態が続き、
アメリカは大量の小麦粉を日本に送った。
アメリカの食事を広めようとキッチンカーなるものが誕生し、
各地で小麦粉を使った料理を伝えて回った。
それが初めて導入されたのが大阪だったのだ。

小麦粉料理に戦前から親しんできた大阪では、
たった一銭で食べられる洋食という意味で名付けられた「一銭洋食」という
小麦粉にネギやキャベツなどを入れ、ソースをかけて食べるものが
人気を博していた。
具材を季節に合わせて変えたり、肉などが入るようになり、
“お好み”で楽しむようになっていったことから”お好み焼き”という
現在の”ご当地メシ”が誕生したのだ。

お好み焼きだと、小さい子どもが食べにくく、
さらに持ち運びがしにくいという問題から
もっと小さく持ち運びがしやすいものにできないかと考え出されたのが
もう一つの”ご当地メシ”たこ焼きだ。

天下の台所とも言われる大阪。
とにかく原価が安く、その割にお腹いっぱいになれる
という一石二鳥の利点から今でも手頃に食べられるおいしい食べ物として
粉もんは”ご当地メシ”として愛されている。

仙台の牛タン、名古屋の味噌、福岡の明太子、
香川のうどん、秋田のきりたんぽ、大阪の粉もん。

日本全国には、愛すべき”ご当地メシ”がたくさんある。

そこには、”ご当地メシ”として愛される理由と歴史があるのだ。
その理由と歴史を知ると、
”ご当地メシ”はもっとおいしくなるかもしれない。

さあ、日本全国の”ご当地メシ”を食べる
おいしい旅をはじめよう。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #1

五線譜のルーツは
カトリックの手によって誕生した。
教会の中心であるローマから離れたどんな土地でも
同じ聖歌を歌えるようにするためである。
しかし当初の譜面には、五線譜の横軸に当たるものがなく、
単に旋律の上下が示されているだけであった。
すると何が起きるか。
歌い手によってキーが変わるのである。
どこかのタイミングでその失敗に気づいたのだろう。
それはまたひとつ、
五線譜の完成へと近づいた瞬間であった。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #2

カトリックにとって、聖歌は重要なツールである。
いつでもどこでも同じ聖歌を歌えるようにと、
彼らは「譜面」の開発に勤しんだ。

はじめは鍵盤楽器をベースに作られていたが、
すべての楽器をカバーするよう進化し、
やがて五線譜が完成した。
無論、キリスト教圏以外でも、さまざまな譜面が生まれている。
しかし楽器や歌い手によって揺らぎがないよう
徹底的に様式を統一したものは、他に例がないようだ。
カトリックの語源はギリシア語の「カトリコス」。
普遍的な、という意味である。
普遍性への執念が、どの瞬間も彼らの心に根付いていた。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #3

音楽の授業で見る五線譜の成り立ちは、
意外にも一人の男の思いつきからであった。
彼の名は教皇グレゴリウス一世。
西暦590年に即位した、カトリックの最高指導者である。

当時ヨーロッパ各地の教会では
それぞれ独自の音楽で神を讃えていたようであるが、
グレゴリウスはそれを拒否し、
聖歌をすべて統一することを望んだ。
しかし、音楽のほとんどを口伝に頼っていた時代、
その実現にはおそろしく負担がかかった。

ある旋律を他の土地に伝えるためには、
歌える人間が行くしかないが、
その間一切の生活を捨てて旅することになる。
やはり苦労したのであろう、
信徒たちはその後300年もの時間をかけて旋律を記号化するようになり、
五線譜のルーツが誕生する。
それは一人の思いつきが、歴史の流れを変えた瞬間であった。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #4

十九世紀以降の近代化によって、
イスラム世界の国々でも
五線譜を用いた音楽教育が行われるようになった。
しかしルールは時に混乱を生む。
五線譜の概念では「音が下に行く」と言えば
低い音になることを意味するが、
イスラムの弦楽器では
「音が下に行く」と言われると
下の弦を押さえてしまい、高い音が出てしまう。
この世に完璧など存在しない。
異なる文化にぶつけた瞬間、ルールに穴が見えてくる。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #5

19世紀の音楽家、フランツ・リストは
友人の語る異国の話に感銘を受けた。
土地の名はイスタンブール、
当時オスマン・トルコが支配する、美しい港町であった。
1847年、リストは念願かなってイスタンブールを訪れ、
最高権力者であるスルタンに曲まで捧げている。
ちなみにロッシーニも、サン・サーンスも、
スルタンに曲を捧げていたりする。
異なる文化が、天才たちに刺激を与えた瞬間があったのだ。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #6

「アラベスク」とは、
「アラブ様式の」という意味のフランス語で、
元々は美術の装飾模様を指していたのだが、
やがて西洋文化の各所で使われるようになった。

バレエにおいて「アラベスク」とは、
片足で立ち、もう片足をまっすぐ後ろに伸ばしたポーズである。
シューマンやドビュッシーも、
曲の表題に「アラベスク」を使っているが、
なにか特定の様式を指すわけではなく、
幻想的であったり装飾的であったり・・・
というイメージに由来するようだ。
アラブ世界に対する、西洋の憧れの眼差し。
そんな瞬間が、言葉の中から窺える。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #7

音楽を示すmusic、の語源は
古代ギリシア語の「ムーシケー」という単語に行き着くとされる。

「ムーシケー」の意味するところは、現在よりもかなり広く、
楽器の演奏に詩歌や舞踊、
後に天文学や演劇も含まれていったようだ。

「ムーシケー」は学問として扱われ、
その知識はギリシアからビザンツへ、
ビザンツからイスラム世界へと引き継がれる。
そこに五線譜は存在しない。
音階やリズムは全く別の方法によって論じられた。
近代化によって五線譜が流入してくるその瞬間まで、
独自の文化が生きていたのだ。

2023年04月23日

執筆者新井奈生

音楽の話 #8

18世紀のヨーロッパでは、ある音楽様式が流行した。
「トルコ風」である。

当時の西洋においてオスマン・トルコは
一番身近な脅威であったが、
同時に一番身近な異文化でもあった。
トルコとの緊張関係が緩和するや否や、
心の内にあった憧れが、
ここぞとばかりに音楽となって現れた。
文化が政治を凌駕した瞬間であった。

2023年04月22日

執筆者長谷川智子

山菜とアースデー 「山菜料理」

さくっと揚がったこしあぶらの天ぷら
しゃきっと茹でたこごみのお浸し
甘辛く炊いたきゃらぶき
ほろ苦い蕗味噌
たらの芽の胡麻和え、
うどの酢味噌和え
のびるのぬた和え
わらびの醤油漬け
ぜんまいのナムル
うるいのサラダ
行者にんにくの卵とじ
もちもちっと炊き上がった山菜おこわ

春、大地から顔を出す山菜たちは、
季節の訪れを告げる特別なごちそう。
食卓から消えつつある「旬」の大切さを思い出させてくれる。

大地の恵みに感謝。
今日は、アースデーです。