2023年04月16日
茂木彩海
色彩のはなし 「あなたの周りの色」
伝統色にはその土地の個性が色濃く反映されている。
日本の場合、植物が由来となるものが多く
同じ竹の色でも
みずみずしい「若竹色」
落ち着いた「青竹色」
くすんだ「老竹色(おいたけいろ)」と
成長に合わせて名前が変わる色もある。
色を見ればその国の風土がわかる、とは
流石に言い過ぎだろうか。
2023年04月16日
伝統色にはその土地の個性が色濃く反映されている。
日本の場合、植物が由来となるものが多く
同じ竹の色でも
みずみずしい「若竹色」
落ち着いた「青竹色」
くすんだ「老竹色(おいたけいろ)」と
成長に合わせて名前が変わる色もある。
色を見ればその国の風土がわかる、とは
流石に言い過ぎだろうか。
2023年04月16日
日本には個性ある色の呼び名が数多く存在する。
中でも「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)」は、
初めて耳にする方も多いのではないだろうか。
江戸時代、奢侈禁止令で着物の色や柄を制限された庶民が
それならばと茶色と鼠色の膨大なバリエーションを染め分けて
新しい流行を作り出したことに由来する。
江戸の庶民の気骨を物語る、粋な色彩のはなし。
2023年04月16日
貝紫は巻貝の内臓のごく一部を染料にして生まれる色。
貝の中にあるときは乳白色だった色が
日光に当たると紫に変わるという。
手のひらサイズの大きい貝でも
採れる染料は茶さじ一杯程度。
着物1枚を染めるのに50kgの貝を割る。
多くの命を犠牲にし、
困難に耐えてやっと染め上がる貝紫は
紀元前にフェニキア人が発見し
古代エジプトやローマ帝国に受け継がれた
尊い色だった。
2023年04月16日
公式な催しでVIPを歓迎するためのレッドカーペットは
もちろん赤。
しかし、信号機や工事現場では、
禁止や停止の意味で赤色が使われる。
喪服は黒色だが、
タキシードもテールコートも黒色。
危険の標識は黄色だが、
スポーツ選手の黄色のユニフォームは
活気があって楽しそうに見える。
色は、場所によって、その顔を使い分けている。
2023年04月15日
その日、22歳のエレノア・ダンフォースは
叔母と一緒にカルパチア号に乗っていた。
その朝見たのは恐ろしい光景だった。
船は見渡す限りの氷山に囲まれ
海には救命ボートが浮かんでいた。
ボートには寝巻きのままの人やドレスの人が乗っていて
みんな寒さに震えていた。
カルパチア号は
タイタニック号の生存者700人あまりの救助を終えると
彼らを送り届けるためにニューヨークへ引き返し、
エレノアもそこで旅をやめてしまった。
旅は怖いと思った。
でも、嫌いになったわけではない。
結婚してからのエレノアは
大西洋と太平洋を頻繁に旅している。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。
2023年04月15日
ペンシルバニア州出身のヘンリー・パトリック・バーク牧師は
カルパチア号の乗客だった。
彼はダニエル・マッカーシー牧師と共にローマへ、
そして聖地をめぐる旅をする予定だった。
カルパチア号がタイタニックの救援に駆けつけ
生存者をすべて救助したとき、
ふたりの牧師は聖職者としての務めを果たし、
さらに立派な行いをした。
不幸な生存者にファーストクラスの自分の部屋を譲ったのだ。
ふたりの牧師は、サロンの床で眠った。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。
2023年04月15日
カルパチア号がタイタニックの生存者を乗せて
ニューヨークへ向かった後、
残された遺体の回収を請け負ったのがマッケイ・ベネット号だった。
その中に身元のわからない小さな男の子の遺体があった。
遺体の多くは海に埋葬されたが、この子は…
乗組員たちはお金を出し合って
葬式を行い、墓碑を建てた。
白い棺の中にペンダントを入れた。
ペンダントには「our babe」
我らの赤ちゃんと書かれていた。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。
2023年04月15日
1912年当時、
ヨーロッパからアメリカに渡る船には
移民が多く乗っていた。
アメリカからヨーロッパへ戻る船には観光客が乗った、
実業家ジョン・ギルバートも
カルパチア号でヨーロッパへ向かう観光客のひとりだった。
途中、大きな回り道があった。
タイタニックの遭難現場へ向かい、生存者を救助。
いったんニューヨークへ引き返し、
それから再びヨーロッパへ。
ニューヨークで船を降りた乗客もいたが
ジョン・ギルバートはカルパチア号のまわり道に
最後まで付き合った。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。
2023年04月15日
メイ・バークヘッドは
未亡人の母親と一緒にルイジアナ州に住む仕立屋だった。
叔母のヨーロッパ旅行に同行し、
1912年のその日、カルパチア号に乗っていた。
現地時間の朝4時半、
彼女が目覚めると
甲板を慌ただしく走りまわる音が聞こえていた。
部屋を出ると船より大きい氷山が見えた。
海には見知らぬ救命ボートが浮かび
カルパチア号の乗組員が
寒さに震える生存者たちを救助している最中だった。
すぐに彼女の才能が必要とされた。
船のタオル、カーテン、テーブルクロス。
あらゆる布を使って
メイ・バークヘッドは
タイタニックの生存者のために服を縫った。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。
2023年04月15日
ドクター・ブラックマーは
カルパチア号が救助した生存者の世話を手伝っていた。
救助の様子を記録し、
生存者にインタビューをし、
生き残りの乗組員からサインももらっている。
ドクター・ブラックマーは
報道陣にタイタニック沈没の詳細を伝えた人物のひとりだった。
やがて彼はこれらをスクラップブックにまとめ、
家族に残した。
1998年、そのスクラップブックは
5万ドルの値段がついた。
4月15日、タイタニックが沈んだ日。