2024年02月18日
厚木麻耶
受験のはなし 「絵馬の変遷」
受験シーズン。
神社やお寺に奉納された合格祈願の絵馬が
ニュースになっている。
絵馬はもともと願掛けのために
本物の馬を奉納したのが始まりで、
やがて土や木、藁などで作った馬の形の人形が流行し、
さらに簡略化して現代の絵馬になった。
今では個人情報を保護する絵馬も出現。
より多くの人の願いが神に届くよう、
絵馬は、形を変えながら現代まで受け継がれてきた。
2024年02月18日
受験シーズン。
神社やお寺に奉納された合格祈願の絵馬が
ニュースになっている。
絵馬はもともと願掛けのために
本物の馬を奉納したのが始まりで、
やがて土や木、藁などで作った馬の形の人形が流行し、
さらに簡略化して現代の絵馬になった。
今では個人情報を保護する絵馬も出現。
より多くの人の願いが神に届くよう、
絵馬は、形を変えながら現代まで受け継がれてきた。
2024年02月18日
「苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しくなるのだ。」
心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉。
この冬、受験と向き合う受験生には沁みる言葉かもしれない。
受験、これはただの学力試しではない。
自分自身と向き合い、
困難に立ち向かう力を育むときなのだ。
2024年02月17日
寒いこの季節、なんだか食べたくなるのがお鍋。
日本において鍋が盛んになった理由の一つが
牛鍋、つまりすき焼きの流行。
仏教伝来以来、日本では肉食が禁止されてきたが、
文明開化の明治になると一転して、
富国強兵のために肉を食べることが
奨励されるようになったのだ。
庶民にとって、一番身近な文明開化の象徴が
牛鍋だったのだろう。
2024年02月17日
秋田県の名物。きりたんぽ。
その発祥にはさまざまな説があるが
鹿角では鉱山で働く木こりが食べていたという話がある。
発見されたのが8世紀という古い鉱山の
その坑道の長さは800kmと言われ
それを支える材木も大量に必要だったのだろう。
きこりは、夏に木材を伐採し、冬は伐採した木材を運搬する。
そのエネルギー源として生まれたのが
杉の串にご飯を巻き付け焚き火で温めた “たんぽ焼き”
鹿角の三大資源、米と杉と鉱山が
ここで結びついている。
2024年02月17日
江戸時代のはじめ頃、琉球国、薩摩藩を経て、
日本各地に広まったとされているのが「さつまいも」。
1800年ごろ、江戸の木戸番屋が雑貨や駄菓子を売る店も兼ねていて
店の土間やひさしの下に土でかまどを作り、
焙烙(ほうろく)と呼ばれる土鍋をのせて。
その底にさつまいもを並べ、
重い木のふたをして蒸し焼きにして売っていた。
木戸番の内職仕事であった焼き芋屋は大繁盛。
現代の貨幣価値に直すと1シーズンで650万円相当、
江戸全体では6億円くらいの市場規模だったとか。
2024年02月17日
冬になると食べたくなる、肉まん。
その発祥は中国三国時代の諸葛孔明といわれる。
あるとき、川が氾濫して行手を阻んだことがあった。
本来ならば人を生贄にするところ、
孔明は小麦粉で練った皮に肉を詰め、
これを人の頭に見立てて川の神さまに供えた。
すると川は静まり無事に渡れたという。
「三国志演義」には
諸葛孔明は、この人の頭の代わりになった供え物を
「饅頭(まんとう)」と名付けたと記されている。
2024年02月17日
だいこん、こんにゃく。豆腐。さつま揚げ。ちくわぶ。
おでんの具材は色とりどり。
拍子木型に切った豆腐を竹串で刺して焼いた豆腐田楽が
おでんのルーツとされている。
「おでん」とは、宮中に仕える女房が使用した女房言葉で
「田楽」に「お」をつけて丁寧にし、
「楽」を省略して「おでん」になったという。
「おかか」や「おかず」も同じ女房言葉の仲間だ。
田楽とは元来、豊穣を祈願して、
笛や太鼓に合わせて舞う芸能だったが
一本足の竹馬に乗って踊る田楽法師の姿が
串に刺した豆腐に似ているとして田楽と呼ばれるようになったそうだ。
江戸の川柳には
「田楽はむかしは目で見、今は喰い」というものがあり
「見る田楽」が「食べる田楽」になったことを表している。
江戸時代の風俗事典「守貞謾稿(もりさだまんこう)」には
「上燗オデン」が紹介されている。
おでんと燗酒を天秤棒で担いで売り歩く流しのおでん屋だ。
今の私たちがおでんといえば、熱燗を思い浮かべるのは
江戸の行商人の影響かもしれない。
おでんの具は、
定番と紹介されているものでも20種類近くある。
東京のある店の持ち帰り用おでんは一人前が7種類。
さて、今夜のおでんは何を入れようか。
2024年02月11日
北海道は札幌の街を彩る風物詩、
さっぽろ雪まつり。
始まりは、
1950年のことだった。
最初の雪像は、6つ。
地元の中高生がつくった、
数メートルほどの大きさだった。
雪像の展示だけでなく、
雪合戦やスクエアダンス、
野外映画なども行われ、
なんと5万人あまりが集まったという。
雪の中、予想以上の来場者に
当時は大混乱。
スクエアダンスは観客が転倒し、
開始30分で中止になった。
野外映画は映写機が観客に押しつぶされ、
こちらも中止。
そんな混乱を差し引いても、
第1回の雪まつりは盛況に終わった。
だからこそ、
長い歴史が続いてきたのだ。
第74回を迎えた今年も、
幕が下りるまであと数時間となった。
2024年02月11日
札幌の冬といえば、さっぽろ雪まつり。
大きな雪像の製作者を見ると、驚かされる。
陸上自衛隊だ。
1955年から続き、
雪像に使う膨大な量の雪も、
自衛隊が輸送する。
その理由は、訓練。
雪の中での行動訓練や、
土木作業訓練になるという。
やっている方も、見ている方も楽しい。
こんな訓練は、なかなか珍しい。
2024年02月11日
1974年のさっぽろ雪まつりを襲ったのは、
オイルショックだった。
雪像づくりに使う雪は、
トラック数千台分に及ぶ。
その燃料が確保できなかったのだ。
雪が足りない分、
苦肉の策で雪像の中にドラム缶を入れた。
かたちにはなったものの、
異物が入った雪はとけやすい。
楽しむ観客の横で、
製作者は崩れないようにと祈ったに違いない。