2023年02月25日

執筆者大友美有紀

Photo by moollyem

菅原道真 「梅ヶ枝餅(うめがえもち)

今日は、道真忌。
太宰府での菅原道真の暮らしは、
悲惨なものだった。
それを見かねた近所の老婆が、
梅の枝に粟餅を巻きつけて差し入れた。

その言い伝えから生まれたのが、
梅ヶ枝餅。
小豆の餡を薄い餅皮で包んで焼いた餅で、
梅の刻印が入っている。           
太宰府天満宮の門前町で楽しめる。

学問の神様の伝説から生まれた
おいしさもある。

2023年02月25日

執筆者大友美有紀

Photo by YELLOW Mao. 黃毛, Photographer

菅原道真 「綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)

今日は、道真忌。
菅原道真は京都から九州へ渡るとき、
瀬戸内海を船で行ったとされている。

ある港に立ち寄ったとき、
お迎えする用意もなかった漁師たちは
船のともづなを巻いて敷物をつくった。   

その姿は、綱敷天神像となり、
それを祀った天満宮が、
西日本の各地にはいくつもある。

2023年02月25日

執筆者大友美有紀

Photo by Lester Salmins on Unsplash

菅原道真 「正直の神」

今日は、道真忌。
学問の神様、菅原道真は、
正直・至誠の神でもある。

藤原の謀略で太宰府に流された道真は、
自分の無実を示す術がなかった。
だから歌を詠み続けた。

海ならずたたへる水の底までも
清きこころは月ぞ照らさむ

自分は正直な心で、
上皇への忠誠を持ち続けると、
清廉潔白を訴えている。

そして、正直の神、至誠の神と
信仰されるようになった。

2023年02月25日

執筆者大友美有紀

菅原道真 「幼きころからの才能」

今日は、道真忌。
学問の神様、菅原道真が
5歳の時に詠んだ和歌。

美しや紅の色なる梅の花
あこが顔にもつけたくぞある

「あこ」は道真の幼名。
なんとも可愛らしい歌だ。
周囲はおどろいたという。
このときから文才を見せている。

文人として才能のあった道真は
異例の速さで出世した。
それが反感を買う。
梅を愛した幼き子は、長じて
いわれなき罪で、太宰府へ左遷させられる。
その後を追ったのも、梅だった。

2023年02月25日

執筆者大友美有紀

Photo by Shibuya246

菅原道真 「牛」

今日は、道真忌。
菅原道真は59歳の生涯を太宰府で終えた。
その亡骸を、牛車で墓所まで運ぶ途中、
あるところまで来ると、
牛が突然屈み込んで全く動かなくなった。
仕方なく、そのままそこを墓所に定めた。
その場所がのちの太宰府天満宮。

全国の天満宮には牛の像がある。
道真が丑年生まれだったともいわれている。
牛は農耕の神様でもある。

参拝に来る人は牛を撫で、
病気の回復や学業の成就を祈る。

2023年02月25日

執筆者大友美有紀

菅原道真 「その伝説」

今日は、道真忌。
菅原道真は、学問の神様として、
天満宮、天神様に祀られている。

天神様とは雷の神様だ。雨を降らす、農耕の神様でもある。
道真の死後、京ではさまざまな災いが起こり、疫病が流行した。
道真を謀略で陥れた人々が雷にうたれることがあった。
それが道真の怨念の仕業だと噂が広がった。
おそれをなした時の天皇はその魂を鎮めるために、
道真の位を上げた。すると災いは去り、平穏が戻ってきた。
こうして菅原道真は、天神様となり、
学問、至誠、農耕の神ともなった。

それだけでなく道真は
謡曲、狂言、歌舞伎、浄瑠璃など、
様々な芸能の題材に取り上げられている。
代表的なのは、
浄瑠璃の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてないらいかがみ)」。
怨霊となった道真の姿が強調されている。

明治、大正の時代になると、
道真の功績や思いを歌った唱歌が作られる。
その肖像は6度も紙幣に描かれ、
学生服の「カンコー」は、菅原公に由来している。

長く親しまれてきた菅原道真。
今日は、その命日。

2023年02月19日

執筆者熊埜御堂由香

Photo by Egor Lyfar on Unsplash

チョコレートのはなし 「バレンタインのチョコレート」

先日のバレンタインデー、
世界的には恋人や夫婦の記念日とされている。
実はチョコレートを贈るのは日本だけ。
1930年代のあるお菓子メーカーの
キャンペーンから火がついた。

しかし、理由はともかく
もらって悪い気はしないのがチョコレート。
特別な愛の贈り物は、
甘く、ほろ苦く、口の中で溶けていく。

2023年02月19日

執筆者熊埜御堂由香

Photo by ZoAmichi Kai

チョコレートのはなし 「チョコミントの日」

本日、2月19日はチョコミントの日。
もともとは全米菓子協会が制定したのがはじまりだった。

1970年代にアメリカの
アイスクリームチェーンが日本に上陸。
看板メニューだったチョコミントアイスが
日本にも広がった。
初めて食べたらびっくりして、いつの間にかやみつきに。
そうやって日本でもじわじわ市民権を得ていった。

そして、2021年には熱狂的な愛好家が
クラウドファンディングで賛同者を募り
日本でもチョコミントの日が公式に制定された。

チョコとミントが織りなす唯一無二のフレーバー、
今日こそ、味わいたい。

2023年02月19日

執筆者若杉茜

チョコレートのはなし 「Chocolate soldier」

英語には、Chocolate Soldierという表現がある。

戦う気力のないもの、戦いで役に立たないもの、
非戦闘員といった意味を持ち、
誰かを軽蔑するときなどに使われる。

この表現は元々正しくはchocolate-cream soldier であり、
1894年初演のジョージ・バーナード・ショーの喜劇
『武器と人』で広く知られるようになった。

その戯曲のヒロインは敵の兵士が家に逃げ込んできたのをかくまう。
その兵士は銃の弾を入れる弾薬ポーチに、チョコレートを入れていた。
そして戦争が終わり、このふたりは結婚する。

この言葉は軽蔑のための表現ではあるが、
ヒロインは弾薬の代わりにチョコレートをもつ、
Chocolate Soldierを愛した。

チョコレートは時に、平和の象徴にもなりうる。

2023年02月19日

執筆者若杉茜

チョコレートのはなし 「辛いチョコレート」

チョコレートはその昔、辛かった。
チョコレート発祥の地は
マヤ文明やアステカ文明が栄えた中央アメリカ。
当時はカカオの粉末にとうもろこしの粉や
唐辛子などのスパイスをたっぷり加えて、
人々はその飲み物「カカワトル」(カカオの水)を楽しんでいた。

それがスペインに伝わったのが16世紀。
時代と共に楽しみ方は変わったが
人のチョコレートへの愛は、今も昔も変わらない。