2023年01月07日

執筆者佐藤理人

「ウォーリス・バッジ」 いちばん欲しかったもの

エジプトから4万点の文化遺産を盗んだ、
大英博物館の考古学者ウォーリス・バッジ。

文化財の保護が目的とはいえ、
その違法なやり口は、イギリス国内でも非難を浴びた。
1892年、彼の活動はついに国会で追及を受ける。
しかし政府はバッジを支持した。それもそのはず。
高官たちは皆、大英博物館の理事会メンバーだった。
イギリスは偉大な国であり、文化遺産を持ち出して、
展示する資格がある。政府はすべてを知りながら、
国ぐるみで黙認していたのだった。

1920年、バッジは功績を認められ、
ナイトの称号を与えられた。

2023年01月07日

執筆者佐藤理人

Photo by Barry Davis

「ウォーリス・バッジ」 いちばん欲しかったもの

大英博物館の考古学者ウォーリス・バッジ。
彼は1924年、67才で退職するまでの約40年間で、
エジプトの文化遺産を4万点、メソポタミア関連を5万点集めた。
その横暴な収集方法への批判に対し、彼は自伝でこう反論した。

ミイラの略奪者はエジプト人自身だ。
盗掘商人が墓から持ち出したミイラを、
我々が買わなければ、ミイラは焼かれてしまう

1934年、脳血栓でこの世を去るまでバッジは、
世界でもっとも安全な大英博物館で保護され展示されることこそ、
文化遺産と世界中の人々にとって幸せだと信じていた。

ところが1998年、ある事実が発覚する。
イギリスがギリシャから持ち帰ったパルテノン神殿の彫刻群。
これらは元々、鮮やかな彩色が施されていたにも拘らず、
彫刻は白であるべきという間違った美意識のせいで、
大英博物館が白く塗り替えてしまっていたのだ。

バッジたち博物館の職員は、エジプト人を原始人と呼び、
その無知に散々つけ込んだ。だが職員たちもまた、
正しい知識を持っていたわけではなかった。

大英博物館に保護されたからこそ、残せた文化遺産は多い。
しかし2010年、エジプトやインドなど古代文明が発祥した25ヶ国が、
文化遺産の返還を連携して求めていくことを宣言した。
フランスやアメリカの一部の博物館はすでに返還に応じている。

大英博物館は1753年の創設以来、一切の返還に応じていない。

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

Photo by Jordan Wozniak on Unsplash

新年の歌 千年の繁栄

 新しき 年のはじめに かくしこそ
 千歳をかねて 楽しきを積め

古今和歌集の詠み人知らずの歌である。

年のはじめには千年の繁栄を思い描いて
楽しいことを積み重ねて行こうと歌っている。

「楽しきを積め」
本当にそうだ。いい言葉だ。
私たちも楽しきを積み重ねていきたい。

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

新年の歌 クギ

あらたまの 年の経ぬれば 今しはと
夢よ我が背子(せこ) 我が名のらすな

あれから新しい年を何度も迎えて
いまなら大丈夫だろうなんて思わないでね。
私たちの関係を誰かに喋ったら承知しないわよ。

もちろん、女から男へ贈った歌である。
お調子者の男にクギを刺す歌のようだ。

女は笠女郎(かさのいらつめ)、男は大伴家持。
家持は万葉集の編纂に関わり
彼女からもらったこんな歌まで万葉集に載せてしまった。

クギも毎年新しくすべきだったのか….

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

新年の歌 正月気分

お正月気分って、どんな気分なのだろう。
その問いに、樋口一葉の歌が答えてくれる。

 あらたまの年の若水 汲む今朝は
 そぞろにものの うれしかりけり

「若水」は元日の朝に初めて汲む水のことだ。
誰にも会わないように早朝に汲む。
当時は共同の井戸から水を汲んでいた。
もし誰かに会っても口をきいてはいけないから
急ぎ足になる。

水を汲んで、小走りに帰る足元で
今朝おろしたばかりの下駄がカタカタと
冴えた音で鳴っただろうか。
うつむきかげんのうなじを撫でる風の冷たさも
新年の清々しさに思えたのだろうか。

「そぞろにもののうれしかりけり」
なんとなくうれしい、
これが正月気分かと思う。

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

新年の歌 チクリ

新年を喜ぶ人々に
紀貫之の歌はチクリと刺さる。

 行く年の 惜しくもあるかな ます鏡
 見る影さえに暮れぬと思えば

暮れてゆく年は名残惜しいではありませんか。
年が明けると鏡に映る自分の姿も
晩年に近づいていくのですから。

確かにその通り。
でも今日くらいは年齢を忘れませんか、貫之さん。

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

新年の歌 お天気

 昨日こそ 年は果てしか 春霞
 春日の山に はや立ちにけり

きのう年が暮れたばかりだというのに
春日山には早くも霞が立って
春めいた景色になっている…

これは万葉集の詠み人知らずの歌である。
この時代、新年の雪はめでたいとされていたようだが、
あたたかい正月を迎える年もあったのだろう。
旧暦の新年は立春のころで、
あたたかい日があるかと思うと大雪も降る。

昔の歌には新年のお天気情報も記されている。

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

Photo by Aditya Vyas on Unsplash

新年の歌 

756年の1月、
元正天皇が宴を催し、
若手の貴族たちに歌を詠むように命じた。
そのとき、葛井諸会(ふじいのもりあい)は
こんな歌を詠んだ。

 あたらしき 年のはじめに 豊(とよ)の年
 しるすとならし 雪の触れるは

新年に豊かな実りを告げる雪が
こんなにたくさん降っています、というこの歌を見ると
正月の雪はめでたさの前兆であったようだ。

(この宴には、推定38歳の大伴家持も加わっており、
やはり雪の歌を詠んでいる。)

2023年01月01日

執筆者中山佐知子

Photo by Mihika on Unsplash

新年の歌 祈り

万葉集の編纂に関わった大伴家持は
自らの新年の歌をいちばん最後に置いた。

 あらたまの 年のはじめの初春の
 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)

新しい年の初めの今日、
豊年を告げる雪が降っている。
この雪のように良いことが降り積もりますように。

歌は祈りである。

2022年12月31日

執筆者川野康之

Photo by Oregon State University

星野道夫の旅 シシュマレフ村への手紙

神田の古本屋街で見つけた本の中の
一枚の写真が彼を惹きつけた。
アラスカ北極圏の荒涼とした風景の中に
小さな集落が写っていた。
「シシュマレフ」と書かれていた。
行ってみたいと思った。
住所も宛名もわからないが
青年は手紙を書いた。

Mayor
Shishmaref
Alaska
「シシュマレフ村 村長さま
ぼくは日本の学生で、ホシノ・ミチオといいます」
半年過ぎた頃、返事が来た。
「夏に来るとよいでしょう」