100ドル
1ドルが80円くらいの頃。
「You are crazy」
「No! You are crazy」
エジプトのどこかわからない砂漠で、
僕はエジプト人と言い争っていた。
なぜこんなことになったのか。
2日前、
パスポートを含む全ての荷物をタクシードライバーに盗まれた。
エジプトではアラブの春と呼ばれる革命が起きていた。
どこの航空会社も渡航中止を呼びかけていることも知らずに、
ヨルダンからフェリーで入国してカイロへやってきた。
観光客もほぼいないカイロのゲストハウスで日本でも読める
AKIRAや寄生獣などの漫画を何度も読んで過ごしていた。
そこで帰国するために空港へ向かうタクシーで
着ている服以外をすべて盗まれたのだった。
翌日ゲストハウスのスタッフに日本大使館の場所を聞き、
大使館でパスポートの代わりとなる渡航書の発行方法を聞き、
100ドルを借りた。
渡航書発行にはいろいろな書類と、
帰国日のわかる航空券が必要だということがわかった。
やることが多くて気が遠くなるが、
そのまま警察署で盗難されたことを証明する書類を書いてもらい、
次はカイロ市内の区役所的な場所で書類をもらおうとしているときだった。
日本のように番号の書いた整理券をもらい順番を待つスタイルではなく、
窓口に向かって人の群れをかき分けて身体をぶつけあい、
順番を勝ち取るのがエジプトスタイルだった。
何度かチャレンジして諦めそうになっている時だった。
エジプト人の男が話しかけてきた。
この男がいうには友人に警察がいるので、
頼めばすぐに書類が手に入ると言う。
昨夜から一睡もできていなかったので藁にもすがる思いで
この男の言葉を信じてついていくことにした。
なぜか区役所的な施設を出て、
電車を乗り継いでたどり着いたのは、
この男の家だった。
友人の警察が来るまでゆっくりしてくれと言うので、
出されたコーヒーを飲んでくつろいでいると、
ドライブに行かないか?と男が言う。
もうここまで来てしまったら、
とことん付き合おうと思い、
ドライブへ行くことにした。
車は街を抜けて砂漠のなかへ入っていく。
街がどんどん遠ざかり小さくなっていく。
するとピラミッドが見えてきた。
それは教科書でよく見るスフィンクスがいる
ギザのピラミッドとも違う見たことのないピラミッドだった。
男はピラミッドの前で車を停める。
見渡す限り観光客などもいなく
ここにいるのは男と僕の2人だけだった。
ピラミッドのなかへ入ろうと男が言うので、
入ってみることにした。
なかは狭くて暗くて洞窟のような感じだった。
男が日本の有名な曲を歌ってくれないかと言うので、
坂本九の『上を向いて歩こう』を歌った。
男は手拍子をして答える。
知らない男と知らないピラミッドのなかで
『上を向いて歩こう』を歌う日が来るとは。
そんなことをしてピラミッドを出たあとだった。
男が僕に言う。
100ドルだ、と。
何を言っているのかわからないという態度をしていると
畳み掛けるように男は言う。
ドライブして
ピラミッドの中に入ったのだから100ドルだ、と。
そんなの払わないと伝える。
「You are crazy」と男が言う。
「No! You are crazy」と言い返す。
誰もいない砂漠のうえで言い争う男2人。
遠くに見えるカイロの街に夕陽が輝き砂漠を照らしている。
今朝大使館で借りた100ドルは消えた。
そして、友人の警察に頼んで書類を手にいれてくれる約束も嘘だった。
この100ドルなくなると無一文になるんだけど、と伝えると
男はポケットから小銭を出して渡してきた。
これでバスに乗れるから帰りな、と。
知らない街で
知らない男に渡された小銭を握りしめ、
どこで降りればいいかもわからず、
知らないバスに揺られる。
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日 ひとりぼっちの夜