佐藤充 2024年12月15日「100ドル」

100ドル

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1ドルが80円くらいの頃。

「You are crazy」

「No! You are crazy」

エジプトのどこかわからない砂漠で、
僕はエジプト人と言い争っていた。

なぜこんなことになったのか。

2日前、
パスポートを含む全ての荷物をタクシードライバーに盗まれた。
エジプトではアラブの春と呼ばれる革命が起きていた。

どこの航空会社も渡航中止を呼びかけていることも知らずに、
ヨルダンからフェリーで入国してカイロへやってきた。
観光客もほぼいないカイロのゲストハウスで日本でも読める
AKIRAや寄生獣などの漫画を何度も読んで過ごしていた。

そこで帰国するために空港へ向かうタクシーで
着ている服以外をすべて盗まれたのだった。

翌日ゲストハウスのスタッフに日本大使館の場所を聞き、
大使館でパスポートの代わりとなる渡航書の発行方法を聞き、
100ドルを借りた。

渡航書発行にはいろいろな書類と、
帰国日のわかる航空券が必要だということがわかった。

やることが多くて気が遠くなるが、
そのまま警察署で盗難されたことを証明する書類を書いてもらい、
次はカイロ市内の区役所的な場所で書類をもらおうとしているときだった。

日本のように番号の書いた整理券をもらい順番を待つスタイルではなく、
窓口に向かって人の群れをかき分けて身体をぶつけあい、
順番を勝ち取るのがエジプトスタイルだった。

何度かチャレンジして諦めそうになっている時だった。
エジプト人の男が話しかけてきた。
この男がいうには友人に警察がいるので、
頼めばすぐに書類が手に入ると言う。

昨夜から一睡もできていなかったので藁にもすがる思いで
この男の言葉を信じてついていくことにした。

なぜか区役所的な施設を出て、
電車を乗り継いでたどり着いたのは、
この男の家だった。

友人の警察が来るまでゆっくりしてくれと言うので、
出されたコーヒーを飲んでくつろいでいると、
ドライブに行かないか?と男が言う。

もうここまで来てしまったら、
とことん付き合おうと思い、
ドライブへ行くことにした。

車は街を抜けて砂漠のなかへ入っていく。
街がどんどん遠ざかり小さくなっていく。
するとピラミッドが見えてきた。

それは教科書でよく見るスフィンクスがいる
ギザのピラミッドとも違う見たことのないピラミッドだった。

男はピラミッドの前で車を停める。
見渡す限り観光客などもいなく
ここにいるのは男と僕の2人だけだった。

ピラミッドのなかへ入ろうと男が言うので、
入ってみることにした。

なかは狭くて暗くて洞窟のような感じだった。
男が日本の有名な曲を歌ってくれないかと言うので、
坂本九の『上を向いて歩こう』を歌った。

男は手拍子をして答える。
知らない男と知らないピラミッドのなかで
『上を向いて歩こう』を歌う日が来るとは。

そんなことをしてピラミッドを出たあとだった。
男が僕に言う。

100ドルだ、と。

何を言っているのかわからないという態度をしていると
畳み掛けるように男は言う。

ドライブして
ピラミッドの中に入ったのだから100ドルだ、と。

そんなの払わないと伝える。

「You are crazy」と男が言う。

「No! You are crazy」と言い返す。

誰もいない砂漠のうえで言い争う男2人。
遠くに見えるカイロの街に夕陽が輝き砂漠を照らしている。

今朝大使館で借りた100ドルは消えた。
そして、友人の警察に頼んで書類を手にいれてくれる約束も嘘だった。

この100ドルなくなると無一文になるんだけど、と伝えると
男はポケットから小銭を出して渡してきた。
これでバスに乗れるから帰りな、と。

知らない街で
知らない男に渡された小銭を握りしめ、
どこで降りればいいかもわからず、
知らないバスに揺られる。

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日 ひとりぼっちの夜

.
出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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「寝かすだけでもダメなこと」 久世星佳

 「寝かすだけでもダメなこと」

      久世星佳     

先日、ちょっとした失敗をした。
いや、失敗というのとはちょっと違うか。

その時なりに・・
または、その年齢なりに・・
とでも言うのか。

ある時口にしたワインを飲み込んだ途端
食道から胃にかけて
ピリピリする感覚になった。

う~む・・・これは・・・

アルコールを口にしていて
こういう言葉が出てくるのも何だが
体に悪そう・・

グラスを前にして心の中で呟く。
赤色もちょっと良い赤みではない気が・・
その時の私の舌が
数日前に飲んだ
とても良い感じのワインに 育てられていたせいもあるかもしれない。

これは・・残して帰ったほうが我が身のためかも・・
心の中で誰に対しての言い訳なのか わからない言葉を繰り出し
その店を出た。

熟成・・。
ああ、よくよく熟成された美味しいのが飲みたいな。
グラスに注いだ時の何とも言えないこっくりとした色合い。
口に含んだ途端、パーっと広がる芳醇さ。
飲み込んだ時の食道を伝って行く滑らかな優雅さよ。
ああ、そういうのがやっぱりいいよねぇ。
などなど、
頭の中でたいしてお酒に強くも無いのに
蘊蓄を垂れてみる。

上手に空気と触れ合わせながら樽で長時間寝かせたワインは
極上の味わいとなるそうな。
はてさて、それじゃぁ私の人間的熟成度たるや
今現在、どの程度のものなのか・・
日々眠ってはいるが
惰眠を貪れば良いということではあるまいに。
そんなことを思いながら 街中を歩く。

そして今年も、終わってゆくのだ。

作・出演:久世星佳  ARTScompany https://earts.jp/artist/seika-kuze/

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遠藤守哉の「檸檬」

檸檬

 作 梶井基次郎
朗読 遠藤守哉

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、
酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
それが来たのだ。これはちょっといけなかった。
結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。
また背を焼くような借金などがいけないのではない。
いけないのはその不吉な塊だ。
以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、ど
んな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。
蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、
最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を
居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 
何故だかその頃
私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。
風景にしても壊れかかった街だとか、
その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、
汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり
むさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。
雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような
趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――
勢いのいいのは植物だけで、時とすると
びっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。

 時どき私はそんな路を歩きながら、
ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか
長崎とか――
そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。
私は、できることなら京都から逃げ出して
誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。
第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。
匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。
そこで一月ほど何も思わず横になりたい。
希くはここがいつの間にかその市になっているのだったら。
――錯覚がようやく成功しはじめると
私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。
なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。
そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。
花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、
さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。
それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。
そんなものが変に私の心を唆った。

 それからまた、びいどろという色硝子で
鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。
またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。
あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。
私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、
その幼時のあまい記憶が大きくなって落魄れた私に蘇えってくる故だろうか、
まったくあの味には幽かなかな爽やかな
なんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。

 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。
とは言えそんなものを見て
少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには
贅沢ということが必要であった。
二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。
美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。
――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、
たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。
洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や
翡翠色の香水壜。煙管、小刀、、石鹸、煙草。
私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。
そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。
書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように
私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに
友達の下宿を転々として暮らしていたのだが
――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかに
ぽつねんと一人取り残された。
私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。
そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、
駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、
とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。
ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、
その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。
そこは決して立派な店ではなかったのだが、
果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、
その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。
何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、
見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、
あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。
――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴らしかった。
それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。
寺町通はいったいに賑やかな通りで
――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが
――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。
それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。
もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、
暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず
暗かったのが暸然しない。しかしその家が暗くなかったら、
あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、
その廂が目深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、
「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、
廂の上はこれも真暗なのだ。
そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が
驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、
ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。
裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、
また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、
その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。
というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。
檸檬などごくありふれている。
がその店というのも見すぼらしくはないまでも
ただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、
それまであまり見かけたことはなかった。
いったい私はあの檸檬が好きだ。
レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、
それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。
――結局私はそれを一つだけ買うことにした。
それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。
始終私の心を圧えつけていた不吉な塊が
それを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、
私は街の上で非常に幸福であった。
あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる
――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。
それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。
その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。
事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために
手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。
その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくような
その冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。
それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。
漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が
断れぎれに浮かんで来る。
そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、
ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には
温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。
……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、
ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど
私にしっくりしたなんて
私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。

 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、
美的装束をして街をした詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。
汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして
色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、
疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを
重量に換算して来た重さであるとか、
思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり
――なにがさて私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。
平常あんなに避けていた丸善が
その時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、
私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。
香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。
憂鬱が立て罩めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。
私は画本の棚の前へ行ってみた。
画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。
しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、
克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。
しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。
それも同じことだ。
それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。
それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。
以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。
とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの
橙色の重い本までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。
――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。
私は憂鬱になってしまって、
自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
一枚一枚に眼を晒し終わって後、
さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、
私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。
本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。
「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。
私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌しく築きあげた。
新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。
奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、
その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調を
ひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
私は埃っぽい丸善の中の空気が、
その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。
私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。
その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰(く)わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」
そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、
もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったら
どんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。
「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を
下って行った。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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田中真輝 2024年12月1日「煙草と5万円」

煙草と五万円

      ストーリー 田中真輝
      出演 大川泰樹

煙草に火をつけ、深々と煙を吸い込む。
薄暗いバーの店内。年季の入ったカウンターの上には、
ぞんざいに置かれた旧札ばかりの五万円。
くらり、とめまいがして、カウンターに手をついた。
なにか、大事なことを忘れているような気がする。
大丈夫、少しずつ思い出しますから、と遠くで誰かの声がする。

そういえば、あの夜、わたしはかなり酔っていた。
仕事でのミスをうじうじと思い返しながら、
惰性のようにグラスを空け続け、煙草を吸い続けていた。

カウンターの隣の席に座っていた女性が、
際限のない煙を嫌がってか席を移っていった。
このご時世、いくら煙草が吸える店だとは言え
ヘビースモーカーの肩身は狭い。

こんなものはいつだってやめられるんだ。
きっかけさえあればね。
誰に聞こえるともなく、つい言い訳をしたわたしに、
ふと、誰かが話しかけた。

では、きっかけを差し上げましょうか。
例えば、お客さんが次にうちにくるまで
煙草を吸わないでいられたら、五万円差し上げる、
と言ったらどうです?

え、と顔を上げると、店のマスターと目が合った。
シニア、というよりも老人と言った方がしっくりくる、
そんな枯れた雰囲気の男だった。

唐突にごめんなさい。
いや、わたしも同じような経験がありましてね。
と笑いながら、マスターは続ける。

例えば、二週間。二週間後にうちに来ていただくとして
それまで吸わないでいられたら、五万円です。
どうです? いいきっかけになりませんか?

マスターはそう言うと、
引き出しから茶封筒を出してカウンターに置いた。

そんなことをして、マスターにどんないいことがあるんだい。
意外な申し出に、わたしは思わず問いかけた。

いやね、実はこの五万円、ちょっとしたいわくつきでしてね。
そう言ってマスターは自分の昔話を始める。

わたしも禁煙をめぐって先輩と約束したことがありましてね。
二週間、煙草を吸わないでいれたら五万円やろう、と、そうです、
いま、わたしがお客さんに言ってるのと同じ約束です。
煙草なんて、すぐやめられる、やめられないやつの気が知れない、
そんなことを言っていた手前、どうにも引っ込みがつかなくてね、
その話に乗ったわけです。
そして二週間後、先輩に会ったわたしは、
一切煙草を吸わなかったことを伝えて、
無事、五万円を手に入れました。

しかしほんとのところは違いました。わたしはその約束をした
次の日から煙草を吸っていたんですからね。
次の日も、また次の日も、どうせわかりゃしないんだからと
毎日、いつも通り煙草を吸いました。
そうです、とんでもない嘘つきです。
その先輩は、若いわたしを思って、禁煙できるようにと
分の悪い賭けをしてくれたのに、
わたしときたら、そんな思いやりを踏みにじって、
五万円をせしめたわけです。

煙草なんて、もう見たくもない、そう言ったわたしに
五万円を渡したときの先輩の顔。
あの顔が、頭にこびりついて離れないんですよねえ。

遠い目をしたマスターの横顔に、一瞬影がさす。
その影に、深い後悔と絶望のようなものを見た気がして
ふと目を伏せる。

そのときせしめた五万円が、これです。
しかし、どうにも後味悪くてね。結局こうして使わずじまいです。
まあ、ちょっとした罪滅ぼしってやつです。
これであなたが煙草を辞められたら、この五万円も浮かばれる
ってもんです。

そういってマスターが差し出した茶封筒を改めて良く見てみると、
確かにかなり古びている。
いまのマスターの年齢からすると、相当昔の話のようだが、
あながち嘘でもなさそうだ。

わかりました。じゃあ、乗りましょう。
ただし、わたしは本気で禁煙したいんだ。
もちろん嘘なんてつきませんよ。
正々堂々と、二週間きっちり禁煙して、五万円、頂きましょう。

酔いに任せてそう啖呵を切ると、わたしは手にした煙草の、
息の根を止めるように灰皿に押し付けた。

二週間後、わたしは同じバーの同じ席に座って
マスターからの五万円を受け取る。
もちろん、煙草はやめてはいない。
やめてはいないが、やめたことになっている。
どうせわかりゃしないんだから、と思っている。

禁煙、おめでとうございます。わたしも、たいへんうれしいです。
そういうマスターの笑顔がなんだか変に見えたのは、
きっとわたしの歪んだ気持ちのせいだろう。
因果応報ってやつさと、心の中でつぶやく。

マスターの目が、店の明かりを捉えて、ちらりと光る。
わたし、こう思うんです。
約束っていうのは、一種の呪いなんじゃないかなってね。
約束した人を、何かに縛り付ける力がある。
そういえば、煙草ってのは、昔、呪術に使われていたそうですね。
煙草と悪魔、なんて話もありましたっけ。

そういいながら、マスターが火のついた煙草を勧めてくる。
いやわたしはもう、煙草なんて見たくもないんだ、とつぶやく。
しかし言葉とは裏腹に、わたしはマスターが差し出す煙草を、手に取っている。
そして、ゆっくりと口に運ぶと、深々と吸い込む。

くらり、と世界が傾いて、そのまま横ざまに倒れたと思った瞬間、
わたしはバーにいた。カウンターの内側に。
片手に煙草、片手にぼろぼろの茶封筒をもって。

ゆっくりと煙が漂う中、わたしは五万円を古びた茶封筒に入れ直し、
カウンターの下にある引き出しにしまいこむ。
そして、ふと思う。そろそろ、店を開ける時間だ。
代り映えのしないここでの仕事に就いて、もうずいぶん経つ。
この店に立ち始めたのが、いつからだったのか、もう忘れてしまった。
何か大切なことを忘れている、
そんな気持ちも、吐き出した煙と一緒に薄れて消えた。

.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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ポンヌ関 2024年11月24日「こんな夢を見た」

こんな夢を見た

  ストーリー ポンヌフ関
     出演 遠藤守哉

こんな夢を見た。

腕組みをして枕元に座っていると、
あおむけに寝た猫が、静かな声で
「もう死にます」
と云う。

外は雨。

猫というものは腹をさわられるのを極端に嫌うというが
こやつはいつもさわらせてくれた。
そうして毎日私の口元を何度も何度も舐めた。
ざらざらとした痛いような舌で…。
その暖かなもふもふは
とうてい死にそうには見えない。

そこで
そうかね、もう死ぬのかね。
と、上から覗きこむようにして聞いてみた。

「死にますとも」
と云いながら、猫はぱっちりと目を開けた。
大きな潤いのある目の中は、
ただ一面に真っ黒であった。

その瞳の奥に、
自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
透き通るほど深く見えるこの黒目の色つやを眺めて、
これでも死ぬのかと思った。

それで、ねんごろに枕のそばに口を付けて
死ぬんじゃなかろうね、
大丈夫だろうね、
と、また聞き返した。
すると猫は黒い目を眠そうに見張ったまま、
やっぱり静かな声で、
「でも、死ぬんですから、仕方がないんです」
と云った。

しばらくして、猫がまたこう云った。
「死んだら埋めてください」

「そうして100年、
お墓のそばで待っていてください
きっと逢いに来ますから」

夜が明けて雨が上がって
虹の橋が出来た。
猫は何度も何度も振り返りながら
ゆっくり橋を渡っていった。

何ということだ。
涙が止めどなく流れる。

猫の墓をこしらえた。

これから百年の間
こうして待っているんだなと考えながら
丸い墓石を眺めていた。

そのうちに日が東から出た。
やがて西へ落ちた。

自分は一つ二つと勘定していくうちに
赤い日をいくつ見たかわからない。

勘定しても勘定してもし尽くせないほど
赤い日が頭の上を通り越して行った。

それでも百年がまだ来ない。

しまいには苔の生えた丸い石を眺めて
私は猫にだまされたのではなかろうかと思い出した。

すると石の下から
青い茎が伸びて来た。
と思うと、一輪の蕾が開き
私の口元をペロリと舐めた。

あのざらざらとした痛いような舌で。

「百年はもう来ていたんだな」と
このときはじめて気がついた。

時雨るるや
泥猫眠る経の上

漱石は猫の死後、
毎年弟子たちを集めて命日に法事を営んだという。
彼がどれほどかの猫を愛したのかは誰も知らない。
.

出演者情報:遠藤守哉

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永野弥生 2024年11月17日「時をかけるメモ」

「時をかけるメモ」 

    ストーリー 永野弥生
       出演 阿部祥子

祖母が残した本を読み終えても、
その謎は解けなかった。

本の間に栞のように挟んであったメモに書かれていた
「こいしぐれに」という平仮名の走り書き。

まずは本の内容に関するメモなのではないかと思い、
注意深く読んだが、それらしい記述はなかった。

最後の「に」を助詞と捉えると、
「恋時雨」という演歌のタイトルのような言葉が
浮き彫りになる。

名詞と捉えると、味を濃いめにつけた「しぐれ煮」、
つまり「濃いしぐれ煮」という意味にとれる。

だいたいなぜ漢字を使わなかったのだ。
祖母は、ふつう平仮名で書きそうな言葉でさえ
漢字で書く人だったではないか。
「お手紙ありがとう」の「ありがとう」がいつも漢字だった。
おばあちゃん子だった私は、何かにつけて
よく祖母に手紙を書いていた。
子どもの私相手に、容赦なく漢字を多用した手紙を送ってくる
おおらかさが、今思えば彼女らしい。
おかげで「ありがとう」の語源が「有り難し」だと知り、
後に私はクラスで一番国語が得意な子どもとなった。

今さら、漢字でないことを悔やんでも
始まらないので「恋時雨」に思いを馳せてみる。

ググってみると「恋時雨」という曲は
いくつもあった。演歌のイメージが強かったが、
私が知ってる人気グループの曲も2008年に出ていた。
ありえないとは思いつつ、まだ祖母が健在の頃の曲ではあるので、
その失恋ソングを口ずさむ祖母を想像してみた。
そういえば、一緒に温泉に行ったとき、
旅館のカラオケルームで、年齢に似合わない当時のアイドルの曲を歌って、
驚かされたのを思い出した。祖母は70歳までスナックをやっていたので、
そう不思議なことではないのかもしれない。

それにしても、最後の一文字の「に」は何なんだ。

客がリクエストした曲名をメモったのだろうか?
「ママ、次は恋時雨にしようかな」と言われ、
思わず「こいしぐれに」とメモる可能性はゼロではないかもしれない。
ただ、そのメモが本の間に挟まるまでのストーリーが見えてこない。

おしどり夫婦だったと聞く祖父のために
濃いめのしぐれ煮をつくろうと思い、
買い物メモ的に書いたものかもしれない。
そう言えば、息子である父が「高血圧は親父譲り」と言っていたから、
祖父は味の濃いものが好物だったのかもしれない。
祖父の健康を気遣いつつも、たまには好物を食べさせてあげたいと
台所に立つ祖母を想像してみた。

漁師だった祖父は暗いうちに起きる生活だったから、
祖母は、遅めに帰宅した夜、大好きな読書をしながら
祖父が起きるのを待ったかもしれない。
買い物メモを本の間に挟んだのも自然な流れに思えた。

ドラマでもなかなか描かれないような、
すれちがい生活を送っていたふたりが、
おしどり夫婦と呼ばれるまでの人生の道のりに思いを馳せた。

日の出を待たない朝食の時間が
ふたりにとって、何よりも幸福な時間だったのかもしれない。

なんとなく、たどり着きたい推論にたどり着いた気がして、
ふと窓の外をみると、さっきまで降ったり止んだりを繰り返していた
小雨が止んで空が明るくなっていた。



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

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