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一倉宏 2010年8月1日


Photo by (c)Tomo.Yun


金魚怪談

ストーリー 一倉宏
出演 すまけい

真夏の夜には、こんな話がふさわしいだろうか。
狐狸が簡単に人をだませたような、それほど昔の話ではない。

祭り囃子のにぎわいのなか、ひとりの若者が歩いていた。
白がすりの浴衣の似合う、色白で細身の美男子だった。
その若者は、ふと気が向いて、金魚すくいの人垣をのぞいた。

「あー、惜しい」
「あれ、ねえ、あれ取って」
そんな家族づれのあいだに入って、金魚をすくう。
いちばん大きくて立派な、袴を腰高にはいたような、赤い金魚に
狙いをつけると、あっという間にすくいあげてしまった。
客たちが目を見張り、驚きの声をあげた。
その一匹だけを受け取って、若者は満足そうに立ち去った。

「ちょっと、すみません。うちの坊ちゃんが・・・」
人混みをかきわけ、追いかけてきた男が若者にいった。
「坊ちゃんが、その金魚をどうしても欲しいと」
お礼のお金はいくらでも出すと、その男は何度も頭をさげた。
若者はちょっと考えてから、あっさりこう答えた。
これは差し上げる。お礼はいらない。
自分も、つい気まぐれで手に入れたものだから。
こどものわがままを、お金で解決するのも感心しない、と。

やがて、祭り囃子も止んで、人々は家路につきはじめた。
さきほどの男が、ふたたび若者を見つけ出し、呼び止めた。
大変なご好意に感謝したい。一席もうけたのでおつきあい
いただけないかと、ご家族からの、たってのお願いである。
最初は断ったが、「とりわけ、一部始終を見ていた坊ちゃんの
おねえさまから、直接お礼が申し上げたい」とのことづてに、
若者の心が、すこし動いた。

川音の聞こえる座敷には、娘がひとりで待っていた。
素晴らしい料理と酒が運ばれ、美しい娘が酌をした。
ふたりきりだった。夢のようだった。
娘は頬を染めて、「恩人」とも「運命」ともいった。

それにしても… ふしぎな話じゃないか。
見たこともない豪勢な料理ばかりなのだが、お造りとか、
魚料理がひとつもないのもなんだか変だと、首をひねった。

若者が用を足して廊下に戻ると、障子に娘の影が映っていた。
それは。腰高に、揺れる袴は…

「き、金魚姫!?」

そう、金魚姫だった。
年に一度、お祭りの金魚すくいで、人間の世界をのぞきにくる。
めったにすくわれるへまはしないが、もしもすくわれれば、
その人間と結婚する運命となる。金魚の国で。

若者は逃げた。必死で逃げた。
屋敷のまわりは、ぐるりと川がかこみ、飛び込むしかなかった。
クロールで泳ぎ切ろうとする若者を、紙を貼った巨大な輪が、
いくつも追いかけてきては、すくいあげようとした。

やっとのことで逃げ切って、そのまま気を失った若者は…
全身ずぶ濡れで、夜明けの街に投げ出されていた。

それでもあなたは、金魚すくいで、
あの、いちばん立派な、赤い金魚を狙いますか?

出演者情報:すまけい 03-3352-1616 J.CLIP所属

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中山佐知子 2010年7月25日



夜鴉

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

夜鴉はゴイサギだということを僕は図鑑で知った。
祖母のいる田舎の家で蛍を追っていると
暗闇の向こうで奇妙な声が聞こえることがあった。
祖母はそれを夜鴉という鳥だと僕に教え
僕はその不吉な名前におびえた。

夜鴉はゴイサギだ。
知ってしまえば怖がる理由もないと父は言って
僕に鳥の図鑑をくれた。

僕はその年の夏休みのほとんどを祖母の家で暮らしていた。
父は仕事で忙しかったし
母はなめらかな皮膚と黒い髪を持っていたけれど
この星の人ではなく
あきらかに去年より凶暴だった。

小学校の学年が上がるに連れて母は僕を攻撃するようになっていた。
学校で国語や理科の時間を終えて
放課後に鉄棒を3回ほどまわって家に帰ると
水を一杯飲まないうちに母の手が僕をつかんだ。
頭を撫でるかわりに髪をひっぱり
抱き寄せるかわりに突き飛ばし、平手で打った。
理不尽な言葉を吐き出しては投げつけてきた。

僕は母に打たれる原因がどうしてもわからなかった。
どんな僕になったら母の攻撃が止むのかがわからなかった。
母の暴力は日課になり、僕を痛めつけた。
母は僕の敵だった。
敵だと思うことで、僕は自分を強くしていられた。

それでももしかしたら、と僕は考えたことがある。
母の生まれた星ではこうして子供をかわいがるのかもしれない。
それから、あわててそんな考えをやめた。
敵の事情を知ることは自分を弱くすることになる。
宇宙人の図鑑がどこにもなくてよかった。

僕が小学生だったその年の夏
さらさらと流れる川の音を伴奏に
朝は鳥が鳴き、昼間は虫の声が聞こえ
夜は蛍が飛ぶ単純な時間の区切りのなかで
僕は久しぶりに子供らしい日々を過ごしていた。
電話さえ滅多に鳴ることがなかった。

そこに父が来た。
父は、母が星に帰ることになったと僕に言った。
数日後、母が来た。
母は僕の知らない人たちと一緒に来て
僕を見るなり飛びかかろうとした。
それからむりやりクルマに乗せられて
おおんおおんという奇妙な鳴き声をあげながら去って行った。

その晩、僕が蛍を見に行くと田圃に夜鴉がいた。
図鑑によると夜鴉はゴイサギで、
ゴイサギは灰色の翼をたたんで田圃の杭に止まっていた。
近づいても逃げようとせず、片方の目で僕を長い間にらみ
それから、勝ち誇った声で一度だけ鳴くと
バサバサと大きな羽音を残して暗い空に飛んだ。

ゴイサギはやっぱり夜鴉だと僕は思った。
図鑑でどれだけ知識を得ても
どんな名前で呼んでも夜鴉はやっぱり夜鴉で
夜鴉の目は最後に母を見た僕の目に似ている気がした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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神谷幸之助 2010年7月18日

hotaru.jpg

ぶ~ん

ストーリー 神谷幸之助
出演  坂東工

あー、ハエがうざい。

ここ、ニュージーランドでは
毎日、大量のハエとの闘いだ。
こっちのジョークに
「口を開けてるとハエが入るから、食事中は口を閉じなさい」
なんてのがあるくらい。

だからといっても
きょうは異常に多すぎる。
これも温暖化のせいなのかなあ。

ハエで思い出したけれど
きのう見た
「ヒカリキノコバエ」の赤ちゃん、きれいだったなあ。
ヒカリキノコバエの幼虫は真っ暗な洞窟の天井に住んでいる。

そして、カラダから粘液を出すんだ。
粘液は長いものでは30cm以上も、たらーりと下にたらす。
その粘液が暗闇で、ポアアって青白く光る。
それは洞窟の中に銀河ができたような、幻想的な宇宙。
この粘液の正体は、
日本の蛍の発光成分とおなじ。
日本人は、ヒカリキノコバエを通称「土ホタル」って呼ぶ。

だけどその美しい光は、おそろしい罠なんだ。

光にうっとりした虫をおびき寄せ、粘液でとらえ
身動きできなくして、ポリポリ食べるんだ。
成虫になるまで半年から一年もかかる。
そして、

成虫には、なんと「口」がない。

口そのものを持っていない。

ひたすら交尾をし、産卵を終え、
エネルギーを使い果たし、数日間の短い一生を終える。
ただ生まれて子孫を残すだけのシンプルな生きもの・・・。

あー、しかしこのハエの多さは気が狂いそうだ。
うわーって叫びたいけれど声が、・・出ない。

声が・・・出ない?
NA:
「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
 まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

声が出ない?

そうか出せないはずだ。
このたくさんのハエは、
ぼくという「死体」に、たかっていたんだ。
ぼくはいつどうやって死んだんだろう。
ま、いまさらどうでもいいか。

そんなことより
あー、ハエがむかつく。
ぼくを食べるな。

NA:
「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

声が出ない?

声がでなくてあたりまえ。
だって
ぼくはヒカリキノコバエの成虫。
もともと「口」というものがないんだ。
だいじょうぶ。
口がないから、人にはかみつけない。

そんなことより
交尾して一生を楽しまなくちゃ。

それ、交尾、交尾♪

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年7月11日

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ホタルブクロ

 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 「いらっしゃいませ。
 まあまあ、みなさん、
 ずいぶんお濡れになって。
 まだ、梅雨明(つゆあ)けにならないのかしら。
 はいはい、とりあえずのビールですね」

三軒茶屋にある「小町(こまち)」という名前の
小さなスナックのママが、
ゆっくりビールを注(つ)いでくれた。

それは七月上旬の夕暮で、
私たち仕事仲間が、おけいこの帰りに
いつものように顔を出した。
「小町」は古くからあるお店で
ママも、かなりの年齢である。
和服姿がよく似合う。
カウンターには季節ごとの
野に咲く花がいけてある。
その日は、竹の花瓶(かびん)に
ほそ長い釣鐘(つりがね)の形をした
うすむらさきの花が
ひっそりと、咲いていた。

「この花の名前は、
ホタルブクロといいます。
この釣鐘型(つりがねがた)の花の中に、
ホタルを入れましてね、
薄紙で蓋をして、
昔、子供たちが遊びました。
それで、ホタルブクロなんです。
私は、多摩川の上流にある
五日市(いつかいち)という町で、
少女の頃まで育ちました。
あの頃、昭和十年代の初め頃は、
まだまだ、自然がいっぱい
残っていました。私の家の近所に
私をかわいがってくれる
お姉さんがおりました。
いまで言えば、中学校の三年生、
くらいだったのだと思います。背の高い
美しいひとでした。
そのひとが、私を、ホタル狩りに
連れていってくれたのです」

そこまで話すと、ママは私たちのために、
ケンタッキーバーボンの、
ハイボールをつくってくれた。
それからレコードをかけた。
この店にCDはない。クラッシックな
ジャズが流れ始めた。
そして、ママもゆっくり話し始めた。

「暗い田んぼ道を、お姉さんと、
多摩川に注(そそ)ぐ小さな川の川岸(かわぎし)まで
ホタル狩りに行くのですが、
ときおり、大きな赤くひかるホタルが、
二匹、並んでひかっているのです。
これはね、カエルを追いかける
ヘビの眼なのです。
それがすーっと近づいてきたりして、
ほんとうにもう、びっくりします。
それから、捕ってきたホタルを
ホタルブクロの花に入れましてね。
ふたりで蚊帳を吊って、その中に入り、
電燈も消して、息をひそめて、その花を
見つめるのです。すると、
ふたりの呼吸のように、ホタルブクロが、
ひかったり、消えたり、ひかったり、
消えたり。こわくなるほど、きれいでした。
それから、しばらく、遊んだあとに、
ふたりで庭に出ましてね、しっとりと
夜露に濡れた草の上に、ホタルを全部
逃がしてやるのです。その理由(わけ)を
お姉さんが話してくれました。
『ホタルはね、ときおり、
 死んでしまった恋人の魂になって
 生きている恋人の所に、
 飛んできてくれるんだって。
 だから、大切にしないとね』」

そこまで話すと、ママは自分用に
ハイボールをつくり、そのグラスを
「カンパイ」という感じに差し出し、
ホタルブクロの花に、ちょっと触れた。
それを見ていて、私は、ふと、思った。
あの後(あと)、お姉さんはどうしたのだろう、と。
なんとなく、ホタルの灯(ともしび)のような、
恋の匂いがしたように思った。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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一倉宏 2010年7月4日



蛍の想い

ストーリー 一倉宏
出演 春海四方

1945年 戦争の終わる夏
日本の各地には たくさんの蛍が飛んだ
たくさんの たくさんの たくさんの蛍が
せめてそうやって ひそかに故郷に帰りたいと願った
若者たちがいたことを 私たちは知っている

その頃は東京にだって
山手線の外側には まだ田んぼがあり小川があった
蛍たちは 水を飲んで渇きを癒し そして切なく光った
玉川上水の近くに住んでいたおばあさんは
その夜をきのうのことのように 憶えている

1960年代 オリンピックがあり 高度成長がはじまる
それでもまだ 蛍たちはいた
全国いたるところの里山に 田園に たしかにいた

やがて 川の水は汚れ
東京の用水や上水は ことごとくコンクリートの蓋をされた
だから 蛍たちは姿を消したのだという
誰もが そう信じている
だけど そうだろうか? ほんとうに?

蓋をされない玉川上水を いまも散歩するおばあさんはいう
「みんな 戦争のことを忘れたからだ」と
「戦争のことを 思い出さなくなったからだ」と
戦争で死んだ 若く 寡黙な 無念な 若者たちのことを

1960年代には まだ 戦争は語られた
思い出された若者たちの数だけ 蛍は飛んだ
くりかえし語られて 夏の闇に蛍は光った
そうじゃなかったろうか?
70年代 80年代と 戦争が語られなくなるたびに
あの蛍たちは どこかに消えたのではなかったろうか?

2010年のいま
どうしてあの戦争は 語られなくなったのだろう
どうして蛍たちは こんなに少なくなってしまったのだろう
このままだと 絶滅してしまうかもしれない
あの蛍たちは
あの若者たちの 痛恨の思い出は

それでも 東京のあちこちで
今年の夏も「ホタル観賞の夕べ」が開かれるだろう
一生懸命に 限られたわずかな環境を整え 飼育された蛍たち
私も数年前 近くの公園でそれを見た
二晩だけの限定の催し 長い列に並んで1時間待ち
7つほどの舞う光を たしかに見た
その夜 7つだけ 若者たちの魂の残光を見た
何万 何十万のうちの たった7つだけ

そして いつの日か
20XX年の日本に たくさんのたくさんの蛍の飛ぶ日が
ふたたびやってくることは あるのだろうか

私たちはそれほど 賢いだろうか?
あるいは それほど 愚かだろうか?

忘れないでください
源氏 平家の昔から 戦争で死ぬ若者たちの残した想いが
この世の蛍となることを

出演者情報:春海四方 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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中山佐知子 2010年6月27日

White_horse_from_air.jpg

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

それは馬であり、竜でなければならなかった。
なぜなら馬は湧き出す泉から生まれたものであり
その水は竜が治めるものだったから。

またそれは白い馬でなくてはならなかった。
ケルトの白馬は夏至のシンボルであり、
月の女神リーアノンは白い馬で死者を運ぶから。

ブリテン島の南西に位置する砦には
族長と同じほど重要な役目を負った人間がふたりいた。
ひとりは神に仕え、神の言葉を聴いた。
もうひとりは歌い手で
一族の歴史や系図を記憶し竪琴の調べにのせて歌った。
文字の記録を残さない人々にとって
歌い手の存在は重要だった。

戦いがはじまると
ひとりは勝利を祈るために戦士たちと行動を共にした。
もうひとりは勝利の様子を語りつぎ、歌うために
やはり馬に乗って砦を出て行くのだった。

この土地の6月は野原も森もいい香りがする。
キンポウゲやクローバーの香りに誘われるのか
ツバメがときどき地上すれすれに飛ぶ。
空高くひばりの声も聞こえる。
ひばりは誰に向って歌うのだろう。
そして、戦いに敗れ見捨てられた砦で
ひとり生残った歌い手は何をすればいいのだろう。
ここにはもう、歌を聴く人もなく
一族の歴史は途絶え、新しい歌が生まれることもない。

けれども
ここにはケルトの一族が住み一族の歌があった。
何世代も語り継いだ歌をこの土地に記さねばならない。
土地を開き、種を撒き、刈り取り
優れた馬と勇敢な戦士を育ててきた一族は
たとえ滅亡しても魂はこの土地を訪れるだろう。
そのときのために歌をしるさねばならない。
そしてその歌は千年も二千年も残るものでなくてはならない。

こうして、文字を持たない歌い手がつくった最後の歌は
緑の丘に描いた大きな絵として残された。
それは南へ向って飛ぶ白い馬であり、竜でもあった。

3000年のときを隔て、
イギリスのアフィントンの丘でこれを見る人々は首をかしげる。
全長100メートルを超えるその巨大な絵は
竜でない証拠に4本の長い足を持ち
馬でない証拠にその足を空に向けている。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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