ベネチアングラスのワイングラス
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
ワインって楽しいお酒だなと、
思うことがあります。
赤いワイン、白いワイン、
バラ色のワイン、そのほかにも色いろ。
同じブドウから作られるのに、不思議です。
ビールや日本酒と比較してみてください。
でも、ワインについて
なんだか変だなあって、思っているのは、
あのワイングラスのことです。
チューリップみたいな形をして
ほとんどが透明度の高いクリスタルグラス。
あの無色透明で、清潔すぎて、
すこし冷たい感じ。
あのグラスが、赤ワイン用、白ワイン用と、
テーブルに並んでいるのを見ると、
なんだか、理科の実験室を
思い出してしまうのです。
どこのレストランにいっても
ワイングラスって、ほとんど同じスタイル。
なにも飾りがなくて、無機的で。
ワイングラスは、世界中どこでも
あんなに同じなのでしょうか。
「いいえ、そんなことはないのですよ」
私のワイングラスについての話を
黙って聞いていた彼が、
ニコニコしながら言いました。
それは五年程前のこと。
私はあの頃、横浜にある小さな
グルメ関係のタウンマガジンの、
駆け出しの記者でした。
彼は、イタリアのワインを
輸入している商社の
若い社長さんでした。
彼にインタビューしたのは、
イタリアの食材の特集号を
企画していたからです。
インタビューは、伊勢佐木町に近い
馬車道にある彼のオフィスで行われました。
秋の夕暮のことでした。
「最近のレストランで使用している、
あのワイングラスは、もともとは、
ソムリエコンクールのための
標準規格のグラスなんです。
お酒の色がよく見えるし、
香りも逃げない形なのですね。
ま、その点は便利ですが、
あなたのおっしゃるように
味もそっけもない、そのことも確かです。
ただね、すべてのワイングラスが
あれと同じでは、ありませんよ」
そう言って彼は、席を立ち、
すこし古びた、木の箱を運んできました。
ふたをあけると
ワイングラスがふたつ。
彼は、それを取り出し、
応接セットのデスクに置きながら、
言いました。
「ベネチアングラスです」
そのグラスは、ブルゴーニュの
赤ワイン用のグラスほど大きくはなく、
なつかしいソーダガラスで作られていました。
茎と言われるカップと台をつなぐ部分には、
ドルフィンが二匹、
カップの部分をささえるように
からみあっています。
そして、カップの部分には
エーゲ海を思わせるような、
あざやかな青い色の小さな花が、
ちりばめられて。
「ワインは、ひとが作るものだから、
グラスにも手作りのぬくもりが
欲しいと、僕も思っていました。
でも、今日まで、グラスについて、
あなたのようなことを
おっしゃる方に初めて会いました」
それから、遠くをみるような眼で
彼は言いました。
「いつか、僕はこのグラスで、
誰かと、夜明けの白ワインを
飲みたいと思っていたのです」
あれから五年すぎて、どこかの誰かが
彼と、夜明けの白ワインを
もう、飲んでしまったのかなあと、
ときおり、いまも、気になっています。