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中村直史 2007年6月22日



サイババに祈ってみた、その日の夕方。

                         
ストーリー 中村直史                          
出演  マギー

「働いているわたしが夕飯の準備までして、
職探しの身のあなたがそんな平気な顔で食べて。
なんか、結婚したころは、こんなんじゃなかったのになあ」
と、妻が言ったとき、
ぼくは、たまたま、サイババのことを考えていた。

インドに住んでいるという、いろんな奇跡を起こすという、
あのサイババのことをだ。

何もない空中をぱっとひとつかみするだけで、
きれいな石がその手のひらからあらわれたり、
医者が見放した難病の人を、突然治してしまったり。
いつかテレビで見た彼は、ほんとにいろんな奇跡を見せていた。

もし彼が「本物」ならば、
ここから遠く離れた国にいるとしても
僕の気持ちをテレパシーみたいなもので受け取って、
何か見せるくらいできるはずだ。

そう勝手に解釈して、
ごはんはしっかり食べつづけながらも、
妻の話も一応ちゃんと聞いているというそぶりも見せながらも、
心の中では、「サイババ、平凡な日々を送るこの平凡なぼくに、
何か奇跡を見せてもらえませんか」と、
なにげに真剣に祈ってみたのだった。

5回くらい繰り返し祈って、何くだらないこと考えてるんだ?
と思い始めたとき、妻が「ねえ、わたしの話聞いてないでしょ」と言った。

たしかにぼくは聞いていなかったのだけれど、
そんなことはどうでもよくて、
妻はそのせりふを言ったあと、ゲップをしたのだった。

それは、とても小さな音で、「きゃふ」と変わった音だったから、
一瞬ゲップだとはわからなかった。
でも、それはゲップだった。
美しいゲップだった。
音程で言うと、たぶん「ファ」と「ラ」の2つの音のつらなりで、
宙に放たれたゲップの上に、スタッカートの記号がついているかのような
快活で、輪郭のはっきりとした響きがあった。

おおげさに聞こえるかも知れないけれど、
生きていてよかったと思えるほどのゲップが、
この世界にはあるのだと教えてくれる、そんなゲップだった。

あっけにとられるぼくに向かって、妻は
「今の、ゲップじゃないから」とちょっと怒ったような顔で
弁明しているのだけれど、
ぼくは、その怒った顔さえもなんだか神々しく見えてきて、
「ああ」とつぶやいた。

ああ、やるなー、サイババ。

うれしくて、ついニヤニヤしながら、
「ごはんおかわりある?」と聞いたら、
妻は落ち着きをとりもどした声で「あるよ」と答えたのだけれど、
ちょっと間をおいてから、
「ほんとにゲップじゃないんだってば」と言ったのだった。

*出演者情報 マギー 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Photo by (c)Tomo.Yun

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柴田常文 2007年6月15日



反論の余地

                     
ストーリー 柴田常文
出演 坪井章子

それでは、次にまいります。
世田谷区に住む57歳の男性からのお便りです。       
  
私には、一人娘がおります。
現在、女子大の3年生になります。  
彼女が生まれたのは、私が36歳の夏でした。
ヘンな男のムシなどついたらタイヘン、と、
小学校から大学まで、一貫教育の女子校に入れ、
それこそ、蝶よ花よと、大事に大事に育ててきました。

ある晩、いつものように、午前様で帰宅しました。

あ、申し遅れました。
私は、芸能プロダクションの会社を経営しております。

テーブルの上に、妻からのメモが置いてありました。妻は、もう就寝中です。
「私にはとても、理解が出来ませんので、夢子といちどお話をしてください」
と、書いてあります。

夢子というのは、娘の名前です。夢がある子に、夢をもたれる子に、と、
私が名づけました。

夢子の部屋をノックすると、彼女はまだ起きておりました。
ビールを一缶あけて、リビングのソファに腰をおろしました。
「ママからのメモだよ。いったいどうしたと言うんだね?」と、
彼女にメモを見せました。

「もうママったら・・」と困惑した表情で、私を見つめます。
「だんだん、いい女になってきたなあ・・
でも、私の会社には所属させんぞ。芸能界はイカン!」と、ふと思いました。
大学3年生になって、就職をどうしようか?と悩んでいたと言います。
ああ、もうそんな歳になってしまったんだな、と、シミジミ思いました。

「私は働きたくない。毎日、毎日、時間に縛られ働いて、
何が楽しいんだろう・・だから、就職なんかしたくない」と言います。

「今のままがいい。何不自由なく育った今のままで、
ずっと、ずっと生きられたらいいなあ、と・・。
働いても、結局、いつかは結婚して家庭に入る・・それなら、
最初から、永久就職がいい」と思ったと言います。

「永久就職!!」って・・・・まさか?!

その、まさか!でありました。

夢子は「結婚します!」とキッパリ言いました。

「け、結婚って・・ま、まだ21だろ、ゆ、夢子・・あ、相手はいるのか?」
その時の私の動揺をお察しください。

「私はパパやママに大事に育てられてきて、ホントに感謝しています。
何不自由なく生きてきたし、貧乏なんて知らないし・・だから、
働いたりしたくない。苦労なんか、したくない。
お金のある人と結婚して、早く子供を産んで、ママになりたいの。
だから、安心して、パパ!」と、屈託のない顔でニッコリ言いました。

「お、お金がある人って・・その男はいったい誰なんだ?」と詰問しますと、
昨年の夏、アルバイトで行った原宿のアパレル会社の社長だと言います。
「そんな浮き沈みの激しい会社、ITと同じで、今はいいかも知れないが、
いつ、どうなるかわからんぞ。そんな若い経営者じゃ、危なっかしい・・」
と、私は、思い直すよう必死になって語りかけました。

すると、
「大丈夫なの、心配しないで、パパ!
彼はチャンとした大人だし。広尾にマンションも持っているし、
軽井沢とハワイに別荘もあるの」と、目を輝かせます。

「お、大人といったって・・・いったい、その男は何歳なんだ?」
と聞きますと、

「49歳よ。あ、バツイチだけど・・。
友だちは、年齢が離れすぎだって言うけど、私、全然、ヘーキ!
大丈夫なの。彼ったら、私と、生まれてくる赤ちゃんのために、
一生困らないように、生命保険にもド~ンと入ってくれるって言うし。

ね、いいでしょ?!パパ、安心でしょ!
君は何もしなくていいよって。メイドもつけてくれるし、
私を娘のように、一生可愛がってくれるからって。
よかったね、パパ!」と、言います。

それからあと、私は何を言ったか・・

おそらく、何も言えずに、リビングを去りました。

私とたいして歳の違わない男から、お父さんって呼ばれるのか・・

喜んでいいのか?
何なのか?それさえも、もはや、定かではありません。

こんな娘に・・・誰がした・・・って。


*出演者情報 坪井章子 3479-1791 青二プロダクション

Photo by (c)Tomo.Yun

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小野田隆雄 2007年6月8日



出来ちゃった婚、昔と今

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

 お手打ちの 夫婦なりしを 衣更
という、蕪村の俳句がございます。

 江戸時代、武家屋敷の奉公人の男女が、恋
をするのは、ご法度、つまり禁止されており
ました。でも、ときおり、恋に落ちてしまう
若いふたりもいたのですね。これが、主人に
知られると、さあ、大変。やぼな主人ですと、
 「ふたり並べて、四つにする!」
つまり、エイヤーッとふたりを切って捨てよ
うという、大騒ぎにもなってしまいます。
 こんなとき、さいわい奥方が話のわかる女
性ですと、まあまあと、止めに入ってくれる。
「おまえさまも、ずいぶんおなごを泣かせて
きたではありませぬか。若いふたりが好きお
うているのです。許しておあげなさいましな」 
などと主人をいさめてくれまして。

晴れてふたりは許されて、夫婦になり、
お長屋門の小さな部屋で新世帯。
お手打ちの騒ぎが、梅の咲く頃で、
春も過ぎて、めでたく衣更を
迎えたという、そんなロマンスが
蕪村の俳句でございます。

衣更して、浴衣姿で、差し向い。
おたがいに見つめあって、
いまの時代でしたら、
ビールで乾杯って、ところですが、
あいにく江戸時代でございます。
ギャマンのさかづきに
ひやざけを、なみなみ注いで、
甘ーい気分で飲んでおりますと、
螢が一匹、庭先を、スーイ、スーイ・・・・・・
昔は、こういう結婚もございました。
けれど、よく考えてみますと、
これもひとつの「出来ちゃった婚」
なのかも知れませんねえ。

「おい、花子、どうしたんだ。
 ビール飲まないのかい、
 よく冷えてるぜ」

「しばらく飲まない。それからね、
 これからは私の前で
 タバコ吸うのも止めてね。」

「なんだ、なんだ、
 どうしたの、なにがあったの」

「ねえ、次郎。キミが鈍感でもいいよ。
 でも、今日から、私のことには
 敏感になってね」

「おいおい、お願いしますよ。
 おれ、ずーっとまじめだったし、
 コンビニで働くの、向いてそうだし、
 もう、フリーターとは呼ばせないぜ」

「あのね、次郎がしっかりしてきたから、
 こうなったのかも知れないんだ」

「なにが、こうなったの?
 えっ? もしかして、赤ちゃん?」

「そう、赤ちゃん。今日、病院行ってきた」
「うーん、よーし、わかった。覚悟をきめ
た。
 キッチリ結婚式をあげよう」

「結婚式の式なんて、どうでもいいよ。
 でも、ふたりが結婚してるってこと、
 そのことを大切にしてね、次郎。
 もう、ママゴト、終りだもんね」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Photo by (c)Tomo.Yun

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一倉宏 2007年6月1日



せつないオカザキくん

                       
ストーリー 一倉宏
出演   光野貴子

会いに来てくれてありがとう オカザキくん と 私はいった
なんだかせつなくなっちゃったよ オカザキくん

そう私がためいきをついても 絶対に誤解しないところが 彼のいいところだ
こうしてふたりだけで会うなんて たしか3年ぶりのこと
そして もう2度とはないのだろうと思う 私は結婚するから

幼なじみ ともだちよりは もうすこし男性として意識して
けれど 恋人であったことは一度もなかった オカザキくん

3年前 私が手痛い失恋をして お粥さえすする気力をなくしていたとき
たまたま ごく平凡な用件で電話してきたので 私から会おうよと誘い
そうしたら 煙がモウモウの焼き肉屋に連れていってくれた オカザキくん
あの店のタン塩とミノはたしかにおいしかったけれど 煙が目にしみた

ばかだなあ オカザキくん けれど 私は知ってる
あなたは鈍感なんじゃなくて 敏感すぎるから かんじんな話題を避けたこと 
炭火焼き肉の煙と 忘れていた中学時代の笑い話で 私は涙をこぼした
なんだ あいかわらずで安心したよといった オカザキくん
あの日 私はなぜだかヒールの高いサンダルを履いてきてしまい
帰り道 2回もよろけて右側から支えてもらい
3回目につまづいた後には 左側からしっかり腕を抱えてくれて
けれど 決して手は握らなかった オカザキくん

あれから3年 どこから聞いたのか
結婚を決め 仕事をいったん辞めて 郊外の実家に戻った私を 訪ねて来てくれた
結婚する彼氏の話を 多すぎず少なすぎずすると 思ったとおり 
よかったね うまくいくよと 多すぎず少なすぎず うなずいてくれて
私は そのオカザキくんの いい加減でも大げさでもない祝福のしかたが
静かにうれしくて そして ちょっぴりせつなかったのだ

上り電車で帰るオカザキくんと 店を出て歩きはじめた
生まれ育った街だから 神社の参道を抜けると近道だということを知ってる
ここでもういいよというオカザキくんに 駅まで見送るよと付いていった
照明も人通りも少ない道だけど べつに近道以外の意味があるはずもない
両親も元気 兄妹も元気 みたいな話をして歩くだけだった

すると オカザキくんは せっかくだからお参りしていこうと言い出し
拝殿の階段をのぼって お賽銭を投げ 手を合わせた
突然のことに戸惑いながら 私もそれにならった

どうしてなんだろう そして オカザキくんは何を祈ったのだろう
まさか 私のことを? 私の結婚のことを?
だとしたら いいひとすぎるよ せつなすぎるよ オカザキくん

それから 急ぎ足で駅まで向かい 改札を通って一度だけ振り返り 
消えていった後ろ姿の 一度も恋人ではなかった オカザキくん

ありがとう さようなら

*出演者情報 光野貴子 03-5571-0038 大沢事務所

Photo by (c)Tomo.Yun

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中山佐知子 2007年5月-2



夕暮れになると海から

                       
ストーリー 中山佐知子
出演  大川泰樹

夕暮れになると海から霧が流れてきます。
飛行場の視界は10メートルもなく
5月だというのに冷たい風も吹いていました。

けれども
飛行機の、風防ガラスの窓の外は素晴らしい夕日です。
高度100メートルで霧の上に出て
600メートルで雨雲も突き抜け
青空に向かってぐんぐん飛んでいきます。
だから、空は自分のふるさとだ
いつもそう思っていました。

左90度に標的をとらえ
2000メートルの高さから左に旋回しながら急降下し
距離1000メートル、
高度100メートルで魚雷を発射する。

実戦の訓練がはじまったとき
高度100メートルはあの霧の高さだと思い出しました。
霧は地上に属するものだから
青空がふと遠ざかった気がしました。
それなのにさらに低空飛行をめざすのは
魚雷の命中率を上げるためでした。

プロペラの風圧で海面に飛沫が上がるときは
高度10メートルもない危険なところを飛んでいます。
食らいつく海をなだめながら魚雷を発射し
炎上する敵の船を飛び越えて
はるか高みに舞い上がる...
海面すれすれの低さに身構えるのは
あの青空にもどるためのたったひとつの手段であり
青空をめざす姿勢のはずだったのに。

いま、自分の頭上に青空はなく闇があります。
足元も暗い海です。
自分が乗っているのは
250キロの爆弾をふたつ抱えた
白菊という名の練習機。
海軍航空隊の飛行機には違いありませんが
偵察や無線の訓練のための
スピードの出ない飛行機です。

敵と遭遇しても戦うことも逃げることもできない
爆弾を投下した後も青空に舞い上がれない
かわいそうな飛行機は
夜の海をよたよたと這うように飛んで敵に接近し
爆弾を抱いたまま突撃するしか攻撃の手段がありません。

夜の海を5時間も飛ぶと、夜明け前には沖縄に到達します。
運良く敵の戦艦に近づいて突撃できたら
僕は飛行機からも自分のカラダからも自由になって
きっとあの青空にかえっていくでしょう。

昭和20年5月24日
白菊特攻隊

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

*「夕暮れになると海から」は2007年5月に収録されましたが
 Tokyo Copywriters’ Streetの当時の番組スポンサーだった某社が放送を許諾せず
 番組ブログのみに掲載されました。

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中山佐知子 2007年5月25日-1



女は蔵のなかに

                        
ストーリー 中山佐知子
出演  大川泰樹

                      
女は蔵の中にもうひと月も潜んでいた。

蔵は屋根に近い高さに小さな窓がひとつ開いているだけで
いつも暗い上にネズミの鳴き声まで聞こえたけれど
それでも辛抱して縁を切りたい世間があった。

十をいくつも出ないうちに女を色街に売った父親は
すでに亡くなっていたし
自分を買い取って財産の一部のように扱った
たった一度の結婚相手とも
どうにか縁が切れていた。

それでも女をさがして何度も足を運ぶ客が来た。
それは曰くつきの昔の相手だったり
古い馴染みのお茶屋の女将だったりしたのだが
女は息を潜めて出ようとはせず
人の執念と欲の深さにその都度怯えた。

女はもう女であることに飽きていた。
それなのにまたひとり
この蔵に住みはじめてから
影のようにひっそりと女の世話をする男が出来た。

男は年下で財産もなく
細工物をしてわずかに稼いでいた。
箒の握りかたも知らない女にかわって
器用に蔵の掃除もしたし
客が女を尋ねてきたときは走って知らせにも来た。

女が病気をしたときは自分の稼ぎで薬代も払い
女の過去を問うこともなく
蔵の窓から差し込む小さな光のように
女の心をあたためたので
男の存在は日々大きなものになっていった。

それなのに、月明かりが蔵の窓から差し込む晩
男は、生き仏さんに手を触れることはできないと言って
女を拒んだ。
それがきっかけになった。
それならば、本当に仏になってしまおうと思った。

女が長い髪と一緒に世間を断ち切って尼の姿になり
小さな庵に住むことになったとき
男は当然のようについてきて、女の世話をしはじめた。

その手狭な寺には
座ると目の高さに小さな障子窓がある。
窓から見える庭は緑の苔でおおわれ
その苔が蛇のように波打つのは
盛り上がった木の根まで
苔が覆いつくしているからだった。

男は朝晩その庭を掃き清める。
その遠慮がちな箒の音に耳を澄ませながら
女は、自分に指1本触れたこともない男が
いままででいちばん、もう身動きもつかないほどに
自分をがんじがらめにしているのだと気づいた。

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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