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2022年10月16日 遠藤守哉 朗読「悟浄歎異」より抜粋

「悟浄歎異 」  より抜粋
      
          作:中島敦
          朗読:遠藤守哉

三蔵法師は不思議な方である。実に弱い。驚くほど弱い。
変化(へんげ)の術ももとより知らぬ。途(みち)で妖怪(ようかい)に襲われれば、
すぐに掴(つか)まってしまう。弱いというよりも、まるで自己防衛の本能がないのだ。
この意気地のない三蔵法師に、我々三人が斉(ひと)しく惹(ひ)かれているというのは、
いったいどういうわけだろう? 
 (こんなことを考えるのは俺だけだ。悟空(ごくう)も八戒(はっかい)も
  ただなんとなく師父(しふ)を敬愛しているだけなのだから。)

私は思うに、我々は師父のあの弱さの中に見られるある悲劇的なものに
惹(ひ)かれるのではないか。
これこそ、我々,妖怪からの成上がり者には絶対にないところのものなのだから。
三蔵法師は、大きなものの中における自分の(あるいは人間の、あるいは生き物の)
位置を―その哀れさと貴(とうと)さとをハッキリ悟っておられる。
しかも、その悲劇性に堪えてなお、正しく美しいものを勇敢に求めていかれる。
確かにこれだ、我々になくて師に在(あ)るものは。
なるほど、我々は師よりも腕力がある。多少の変化の術も心得ている。
しかし、いったん己(おのれ)の位置の悲劇性を悟ったが最後、
金輪際(こんりんざい)、正しく美しい生活を真面目(まじめ)に続けていくことが
できないに違いない。
あの弱い師父(しふ)の中にある・この貴い強さには、まったく驚嘆のほかはない。
内なる貴さが外(そと)の弱さに包まれているところに、
師父の魅力があるのだと、俺(おれ)は考える。
もっとも、あの不埒(ふらち)な八戒(はっかい)の解釈によれば、
俺たちの――少なくとも悟空(ごくう)の師父に対する敬愛の中には、
多分に男色的要素が含まれているというのだが。

 まったく、悟空(ごくう)のあの実行的な天才に比べて、
三蔵法師は、なんと実務的には鈍物(どんぶつ)であることか! 
だが、これは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならぬ。
外面的な困難にぶつかったとき、師父は、
それを切抜ける途(みち)を外に求めずして、内に求める。
つまり自分の心をそれに耐えうるように構えるのである。
いや、そのとき慌(あわ)てて構えずとも、
外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、
平生(へいぜい)から構えができてしまっている。
いつどこで窮死(きゅうし)してもなお幸福でありうる心を、
師はすでに作り上げておられる。
だから、外に途を求める必要がないのだ。
我々から見ると危(あぶ)なくてしかたのない肉体上の無防禦(むぼうぎょ)も、
つまりは、師の精神にとって別にたいした影響はないのである。
悟空のほうは、見た眼にはすこぶる鮮やかだが、
しかし彼の天才をもってしてもなお打開できないような事態が
世には存在するかもしれぬ。
しかし、師の場合にはその心配はない。師にとっては、
何も打開する必要がないのだから。

 悟空には、嚇怒(かくど)はあっても苦悩はない。
歓喜はあっても憂愁(ゆうしゅう)はない。
彼が単純にこの生を肯定(こうてい)できるのになんの不思議もない。
三蔵法師の場合はどうか? 
あの病身と、禦(ふせ)ぐことを知らない弱さと、
常に妖怪(ようかい)どもの迫害を受けている日々とをもってして、
なお師父(しふ)は怡(たの)しげに生を肯(うべな)われる。
これはたいしたことではないか!

 おかしいことに、
悟空は、師の自分より優(まさ)っているこの点を理解していない。
ただなんとなく師父から離れられないのだと思っている。
機嫌(きげん)の悪いときには、
自分が三蔵法師に随(したが)っているのは、
ただ緊箍咒(きんそうじゅ)(悟空の頭に箝(は)められている金の輪で、
 悟空が三蔵法師の命に従わぬときには
この輪が肉に喰(く)い入って彼の頭を緊(し)め付け、
 堪えがたい痛みを起こすのだ。)のためだ、などと考えたりしている。
そして「世話の焼ける先生だ。」などとブツブツ言いながら、
妖怪に捕えられた師父を救い出しに行くのだ。
「あぶなくて見ちゃいられない。どうして先生はああなんだろうなあ!」
と言うとき、悟空はそれを弱きものへの憐愍(れんびん)だと
自惚(うぬぼ)れているらしいが、
実は、悟空の師に対する気持の中に、
生き物のすべてがもつ・優者に対する本能的な畏敬(いけい)、
美と貴さへの憧憬(どうけい)がたぶんに加わっていることを、
彼はみずから知らぬのである。

 もっとおかしいのは、
師父自身が、自分の悟空に対する優越をご存じないことだ。
妖怪の手から救い出されるたびごとに、師は涙を流して悟空に感謝される。
「お前が助けてくれなかったら、わしの生命はなかったろうに!」と。
だが、実際は、どんな妖怪に喰(く)われようと、師の生命は死にはせぬのだ。

 二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛し合って(もちろん、
ときにはちょっとしたいさかいはあるにしても)いるのは、おもしろい眺めである。
およそ対蹠(たいせき)的なこの二人の間に、
しかし、たった一つ共通点があることに、俺(おれ)は気がついた。
それは、二人がその生き方において、ともに、所与(しょよ)を必然と考え、
必然を完全と感じていることだ。
さらには、その必然を自由と看做(みな)していることだ。
金剛石(こんごうせき)と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、
その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、
ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。
そして、この「必然と自由の等置(とうち)」こそ、
彼らが天才であることの徴(しるし)でなくてなんであろうか?

 悟空(ごくう)、八戒(はっかい)、俺(おれ)と我々三人は、
まったくおかしいくらいそれぞれに違っている。
日が暮れて宿がなく、路傍の廃寺に泊まることに相談が一決するときでも、
三人はそれぞれ違った考えのもとに一致しているのである。
悟空はかかる廃寺こそ究竟(くっきょう)の妖怪(ようかい)退治の場所だとして、
進んで選ぶのだ。
八戒は、いまさらよそを尋ねるのも億劫(おっくう)だし、
早く家にはいって食事もしたいし、眠くもあるし、というのだし、
俺の場合は、「どうせこのへんは邪悪な妖精(ようせい)に満ちているのだろう。
どこへ行ったって災難に遭(あ)うのだとすれば、
ここを災難の場所として選んでもいいではないか」と考えるのだ。
生きものが三人寄れば、皆このように違うものであろうか? 
生きものの生き方ほどおもしろいものはない。

 孫行者(そんぎょうじゃ)の華(はな)やかさに圧倒されて、
すっかり影の薄らいだ感じだが、
猪悟能八戒(ちょごのうはっかい)もまた特色のある男には違いない。
とにかく、この豚は恐ろしくこの生を、この世を愛しておる。
嗅覚(きゅうかく)・味覚・触覚のすべてを挙げて、この世に執(しゅう)しておる。
あるとき八戒(はっかい)が俺(おれ)に言ったことがある。
「我々が天竺(てんじく)へ行くのはなんのためだ? 
善業を修(ず)して来世に極楽に生まれんがためだろうか? 
ところで、その極楽(ごくらく)とはどんなところだろう。
蓮(はす)の葉の上に乗っかってただゆらゆら揺れているだけでは
しようがないじゃないか。
極楽にも、あの湯気の立つ羹(あつもの)をフウフウ吹きながら吸う楽しみや、
こりこり皮の焦げた香ばしい焼肉を頬張(ほおば)る楽しみがあるのだろうか? 
そうでなくて、話に聞く仙人のように
ただ霞(かすみ)を吸って生きていくだけだったら、
ああ、厭(いや)だ、厭だ。そんな極楽なんか、まっぴらだ! 
たとえ、辛(つら)いことがあっても、
またそれを忘れさせてくれる・堪えられぬ怡(たの)しさのあるこの世が
いちばんいいよ。少なくとも俺(おれ)にはね。」
そう言ってから八戒は、自分がこの世で楽しいと思う事柄を一つ一つ数え立てた。
夏の木蔭(こかげ)の午睡。渓流の水浴。月夜の吹笛(すいてき)。
春暁の朝寐(あさね)。
冬夜の炉辺歓談。……なんと愉(たの)しげに、
また、なんと数多くの項目を彼は数え立てたことだろう! 
ことに、若い女人の肉体の美しさと、四季それぞれの食物の味に言い及んだとき、
彼の言葉はいつまで経(た)っても尽きぬもののように思われた。
俺はたまげてしまった。
この世にかくも多くの怡(たの)しきことがあり、
それをまた、かくも余すところなく味わっているやつがいようなどとは、
考えもしなかったからである。
なるほど、楽しむにも才能の要(い)るものだなと俺(おれ)は気がつき、
爾来(じらい)、この豚を軽蔑(けいべつ)することを止(や)めた。
だが、八戒(はっかい)と語ることが繁(しげ)くなるにつれ、
最近妙なことに気がついてきた。
それは、八戒の享楽主義の底に、
ときどき、妙に不気味なものの影がちらりと覗くことだ。
「師父(しふ)に対する尊敬と、
孫行者(そんぎょうじゃ)への畏怖(いふ)とがなかったら、
俺はとっくにこんな辛(つら)い旅なんか止めてしまっていたろう。」
などと口では言っている癖に、
実際はその享楽家的な外貌(がいぼう)の下に戦々兢々(せんせんきょうきょう)として
薄氷を履(ふ)むような思いの潜んでいることを、俺は確かに見抜いたのだ。
いわば、天竺(てんじく)へのこの旅が、あの豚にとっても(俺にとってと同様)、
幻滅と絶望との果てに、最後に縋(すが)り付いたただ一筋の糸に違いないと
思われる節(ふし)が確かにあるのだ。
だが、今は八戒の享楽主義の秘密への考察に耽(ふけ)っているわけにはいかぬ。
とにかく、今のところ、俺は孫行者(そんぎょうじゃ)からあらゆるものを
学び取らねばならぬのだ。
他のことを顧みている暇はない。
三蔵法師の智慧(ちえ)や八戒の生き方は、孫行者を卒業してからのことだ。
まだまだ、俺は悟空(ごくう)からほとんど何ものをも学び取っておりはせぬ。
流沙河(りゅうさが)の水を出てから、いったいどれほど進歩したか? 
依然たる呉下(ごか)の旧阿蒙(きゅうあもう)ではないのか。
この旅行における俺の役割にしたって、そうだ。
平穏無事のときに悟空の行きすぎを引き留め、
毎日の八戒の怠惰(たいだ)を戒(いまし)めること。
それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。
俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、
調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。
けっして行動者にはなれないのだろうか?
 孫行者の行動を見るにつけ、俺は考えずにはいられない。
「燃え盛る火は、みずからの燃えていることを知るまい。
 自分は燃えているな、などと考えているうちは、
 まだほんとうに燃えていないのだ。」と。
悟空(ごくう)の闊達無碍(かったつむげ)の働きを見ながら俺はいつも思う。
「自由な行為とは、どうしてもそれをせずにはいられないものが内に熟してきて、
おのずと外に現われる行為の謂(いい)だ。」と。
ところで、俺はそれを思うだけなのだ。まだ一歩でも悟空についていけないのだ。
学ぼう、学ぼうと思いながらも、悟空の雰囲気の持つ桁違(けたちが)いの大きさに、
また、悟空的なるものの肌合(はだあ)いの粗(あら)さに、
恐れをなして近づけないのだ。
実際、正直なところを言えば、悟空は、
どう考えてもあまり有難(ありがた)い朋輩(ほうばい)とは言えない。
人の気持に思い遣(や)りがなく、ただもう頭からガミガミ怒鳴り付ける。
自己の能力を標準にして他人(ひと)にもそれを要求し、
それができないからとて怒(おこ)りつけるのだから堪(たま)らない。
彼は自分の才能の非凡さについての自覚がないのだとも言える。
彼が意地悪でないことだけは、確かに俺たちにもよく解(わか)る。
ただ彼には弱者の能力の程度がうまく呑(の)み込めず、
したがって、弱者の狐疑(こぎ)・躊躇(ちゅうちょ)・
不安などにいっこう同情がないので、
つい、あまりのじれったさに疳癪(かんしゃく)を起こすのだ。
俺たちの無能力が彼を怒らせさえしなければ、
彼は実に人の善い無邪気な子供のような男だ。
八戒はいつも寐(ね)すごしたり怠(なま)けたり化け損(そこな)ったりして、
怒られどおしである。
俺が比較的彼を怒らせないのは、
今まで彼と一定の距離を保っていて
彼の前にあまりボロを出さないようにしていたからだ。
こんなことではいつまで経(た)っても学べるわけがない。
もっと悟空に近づき、いかに彼の荒さが神経にこたえようとも、
どんどん叱られ殴られ罵られ、こちらからも罵り返して、
身をもってあの猿からすべてを学び取らねばならぬ。
遠方から眺めて感嘆しているだけではなんにもならない。

 夜。俺(おれ)は独(ひと)り目覚めている。
 今夜は宿が見つからず、山蔭(やまかげ)の渓谷の大樹の下に草を藉いて、
四人がごろ寐(ね)をしている。
一人おいて向こうに寐ているはずの悟空(ごくう)の鼾(いびき)が
山谷(さんこく)に谺(こだま)するばかりで、
そのたびに頭上の木の葉の露がパラパラと落ちてくる。
夏とはいえ山の夜気はさすがにうすら寒い。もう真夜中は過ぎたに違いない。
俺は先刻から仰向(あおむ)けに寐ころんだまま、
木の葉の隙(あいだ)から覗(のぞ)く星どもを見上げている。
寂しい。何かひどく寂しい。
自分があの淋(さび)しい星の上にたった独りで立って、
まっ暗な・冷たい・なんにもない世界の夜を眺めているような気がする。
星というやつは、以前から、永遠だの無限だのということを考えさせるので、
どうも苦手(にがて)だ。
それでも、仰向(あおむ)いているものだから、
いやでも星を見ないわけにいかない。
青白い大きな星のそばに、紅(あか)い小さな星がある。
そのずっと下の方に、やや黄色味を帯びた暖かそうな星があるのだが、
それは風が吹いて葉が揺れるたびに、見えたり隠れたりする。
流れ星が尾を曳(ひ)いて、消える。
なぜか知らないが、そのときふと俺は、
三蔵法師(さんぞうほうし)の澄んだ寂しげな眼を思い出した。
常に遠くを見つめているような・何物かに対する憫(あわ)れみを
いつも湛(たた)えているような眼である。
それが何に対する憫れみなのか、
平生(へいぜい)はいっこう見当が付かないでいたが、
今、ひょいと、判(わか)ったような気がした。
師父(しふ)はいつも永遠を見ていられる。
それから、その永遠と対比された地上のなべてのものの運命(さだめ)をも
はっきりと見ておられる。
いつかは来る滅亡(ほろび)の前に、
それでも可憐(かれん)に花開こうとする叡智(ちえ)や
愛情(なさけ)や、そうした数々の善(よ)きものの上に、
師父は絶えず凝乎(じっ)と愍(あわ)れみの眼差(まなざし)を
注(そそ)いでおられるのではなかろうか。
星を見ていると、なんだかそんな気がしてきた。
俺は起上がって、隣に寐(ね)ておられる師父の顔を覗(のぞ)き込む。
しばらくその安らかな寝顔を見、静かな寝息を聞いているうちに、
俺は、心の奥に何かがポッと点火されたようなほの温かさを感じてきた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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三島邦彦 2022年9月25日「眼の多さについて」

「眼の多さについて」 

ストーリー 三島邦彦
   出演 遠藤守哉

それがとんぼだと気づいた時にはもう遅かった。
日本海に浮かぶ小さな島の港のそばにある宿で早めの夕食をとった後、
腹ごなしに船小屋が並ぶ海沿いの道を歩いていると
薄暗いかたまりに出くわした、
と思った時にはもうそのかたまりに飲み込まれていた。

それはとんぼだった。
数百匹のとんぼが静かに羽音を立てている。
全身をとんぼの群れに包囲されたまま、
さてどうしたものかと考えていると、
一匹のとんぼが話しかけてきた。

「いくつもの目を持つということがどういうことかわかるかい。」
こちらの回答を待たずにとんぼは話を続けた。
「人間には二つしか目玉がないだろう。
とんぼには一匹あたり一万を超える目玉がある。
一万を超える目玉が同時にものを見ているわけだ。
ここには今、数百匹のとんぼがいる。
その全部のとんぼが一万の目で見ているんだ。」

とんぼは続けてこう言った。
 「とんぼがどういう世界を見ているかを想像してみるといい。
  二つの目玉で見えている世界から、目玉を一つずつ増やしていくんだ。
そしてそれをずっと繰り返すんだ。」
そこでとんぼは沈黙した。

静けさの中で、二つの眼で見えている視界から、
眼を一つずつ増やすことをイメージしてみた。

見えている世界を万華鏡のように
いくつもの面に切り取っていく。
しかしそれはどうにも一つの像を結ばなかった。
そして、一万というのはいくらなんでも多すぎる。
そう思ってあきらめた。
「頭がくらくらするよな。」

またとんぼが話しかけてきた。
「一万の眼というのは多すぎる、と思っただろう。
その通りなんだ。多すぎるんだよ、一万の眼は。」
そう言うと、とんぼたちはどこかに行ってしまった。

日が暮れた海のそばで静かな波音を聴きながら、
一匹のとんぼはこの夜を一万の眼で見ているのだと思った。



出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2022年9月18日「路上にて。」

路上にて。

     ストーリー 佐藤充
        出演 地曳豪

去年、家の近くの路上で
70ぐらいのおじいちゃんが
嗚咽をもらしながら電話をしていた。

ちょうど会社員も帰宅する時間だから
みんな訝しげな目をしながら歩く。

おじいちゃんが急にその場に泣き崩れて叫んだ。
「もう歩けなくなったよお」
多くの会社員が見てないふりして歩く。

やばいじいさんだな、面倒に巻き込まれたくないな、と思い
自分もみんなと同じように避けて
近くのセブンイレブンへ向かった。
セブンイレブンに入る前に振り返る。
おじいちゃんはまだしゃがみこみ泣きながら電話していた。
弱々しい背中を見ないふりしてなかに入る。

今日の夕飯はなににしようかな。
オマール海老のスープも買おうかな。
水切らしてたし、いろはす買お、桃の。
お、やりい、品切れだったハーゲンダッツのきな粉餅あるよ。

さっきの出来事なんてなかったように買い物をしている。
いいのか、これで。
さっきのおじいちゃん泣いてたぞ。
こうやってめんどうなことを見なかったことにして
避けて生きていいのか?
なにか自分は分岐点にいる気がした。

このまま見なかったことにして知らん顔していたら、
そんな人間になる気がした。
そんな人間ってなんだよと言われてもわからないけど、
そんな人間になる気がした。
というかここんとこずっとそんな人間になっている気がする。

遅いなんてことはない。
なにも解決できないかもしれないけど
泣いているおじいちゃんに話しかけたら、
自分も救われる気がする。

急いでさっきの場所に戻る。
おじいちゃんはいなかった。
赤とんぼが飛んでいた。
赤とんぼに「お前はそんな人間だよ」と言われている気がした。

いろんなことと自分は関係ないと思っている。
関係ないなんてことは一切ないはずなのに。
今も世界のどこかで戦争している。
ぼくはスマホで「早漏 対策」とか検索している。
今も飢えに苦しむ人がたくさんいる。
ぼくは昨夜に牡蠣を食べたので「牡蠣 栄養」とか検索している。
今も311は終わっていない。
ぼくは口元にニキビができたから「ニキビ 口元」で検索している。
今も着々と寿命は減っている。
ぼくは松屋の店員が気付いてくれないからちょっと咳払いをする。
今もどこかでもっと生きたいと思って死ぬ人がいる。
ぼくはフェイスブックに「誕生日おめでとう」と書き込んだのに
自分にだけ返信がないことを気にしている。

すべてのことは地続きなのに、自分の周りしか見えていない。
自分のことばかりで想像力が足りてない。情けない。
失ってからでは遅いという当たり前なことに気づく。

一昨年、父親が自殺した。
小学生のころに離婚していたし、嫌いだったから、
もう何年も会っていなかった。
毎週のように電話がきていたけど、無視していた。

間違って電話にでてしまったことがある。

「なんでいつもでてくれないのよ」
「ごめん、いそがしくて」
「父さん、出てくれないと心配するべ」
「ごめんごめん」

今さら父親づらするなよと思ったし、嫌いだったし、
なにより声がすごく弱くなっていてこれ以上話すと
なんか泣きそうだったので、
適当に相槌をうってすぐに電話をきった。

最後に「次からはちゃんと電話にでてくれよ。
お父さんさびしいから」と言われた。
それから1度も父親からの電話にでなかった。

一昨年の雨の日、警察から電話があった。
父親の遺体があるから確認してくれと。
なぜ自分の電話番号がわかったのかと聞くと
家の机に死んだときに連絡してほしい人の紙が置いてあったらしい。

親戚と遺体が安置してある警察署まで行った。
会議室のような場所で、
警察の方から死んだ時間や状況などの説明を受け
安置所で数年ぶりに会った。
死んでいるからなのか、会わないうちに変わったのか、
大きくでかいイメージが
頬もこけ弱々しく小さい人になっていた。
最近はじぶんで歩くこともできなくて車椅子生活をしていた。
電話のときの弱々しい声はこの体からでていたのかと思う。
本当はその後に火葬したりしないとならなかったのだけど
腹違いの兄にまかせて帰った。

実は死ぬ前日にも父親から電話があった。
でも、でなかった。
弱々しい声を聞きたくなかった。
あのとき電話にでていたら
変わったかもしれない、と今でも思う。
最後まで嫌いでいたことを後悔している。
もっと素直になっていろいろな話をしておけばよかった。
自分の成長した姿を見せてやりたかった。
遅い。

ちょうど父親が死んで1年。
泣きながら電話しているおじいちゃんの姿に
父親をかぶせてしまった。
誰に電話していたのか。
なんで泣いていたのか。
相手がでてくれなくて泣いていたのかもしれない。
父親もでない電話を握りしめて泣いていたのかもしれない。
寂しかったのかもしれない。
わからない。

おじいちゃんを助けたら自分が救われる気がしたのは、
父親のときに後悔した自分を救える気がしたからかもしれない。
当たり前ですが、もっと素直に生きた方がいいです。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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関陽子 2022年9月11日「トンボの恩返し」

トンボの恩返し

ストーリー 関陽子
    出演 平間美貴

私は今、トンボに乗って空を飛んでいる。
おっきなトンボに乗った小さな女の子・・いやいい歳の女。
月の下を横切っていけば、
E.Tばりのポスターになりそうじゃない?

年に一度、
ここの住人であるトンボや蟻たちには迷惑な人間たちの祭りがある。
地響きするビート、空気を震わせるメロディ、飛び散るお酒や汗、
のんびり茂った原っぱを踏み荒らす足・足・足。
人工ピンクのキャンプチェアの先っちょに一匹のトンボが止まった時、
だから、私はその目を見て、いや、目を見た気になって、
「今日はお邪魔してすみませんねー」と謝ってみた。
3度目の乾杯でふわふわしていたから、かもしれない。

「私、昼間のトンボです」
夜中。トイレに起きてテントを出た私の目の前に
グライダーぐらいのトンボがいた。そして羽をさわさわ揺らして
静かに名乗ったのだった。夢?いや夢じゃないぞ。

「ほんと迷惑なんですよ、この3日間。
子供たちには追いかけ回されるし、大人たちには追い払われるし、
音圧って言うんですか?あれで震えちゃって羽が休まらないし。
でも、あなたは優しく、気遣ってくれた。
ささやかですがお礼をさせてください。
私に乗ってくださいよ。大丈夫、トンボの背中は意外と頑丈ですから」

さて、ニルスのふしぎなトンボは、会場のステージに降り立った。
ステージの上には他にも巨大な二匹のトンボが待っていた。
「お礼に、僕らの音楽も聴かせたいなって。
ドラゴンフライズのハーモニー、聞いてみてください」

さりさりさり・・
しるしるしる・・
せろせろせろ・・
うすーく、広―く、ながーい羽と羽をこすり合わせて、
かき氷のように涼しげで、でも霜柱のようにはかない
三重唱が、夜明け前の一番深い夜空に立ち昇る。
さりさりさり・・りりり

私は、ステージの最前列で、たった一人の観客として耳を澄ませた。
いや、たった一人の人間の観客として。
きっと、地面の下で、草花の陰で、無数の生き物たちが、
このトンボのアカペラを聴いてくつろいでいるのだろう。
「今夜はお邪魔して、すみませんね。
そして、ありがとう」

3年ぶりに出かけた先で
ビールと太陽が生んだ妄想を、物語にしてみました。



出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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磯島拓矢 2022年9月4日「トンボ」

「トンボ」

  ストーリー 磯島拓矢
     出演 大川泰樹

小学生になった息子が、軽快に自転車を飛ばしている。
僕は後をついていく。
その背中には、できることが増えたよろこびが満ちている。

公園の散歩道に入る。
彼は何台もの自転車を追い抜いてゆく。
こんなにゆっくり漕げるなんて逆にすごい!
と思えるおばあさんはもちろんのこと、
小さい女の子をのせた若い母親、高校生くらいの男の子も追い抜いてゆく。
男の子は大声で歌を歌っていた。
元気でいい歌声だった。

トンボが飛んできたのは、そんな時だ。
息子の前をスーッと横切る。
当然視線はそちらに流れる。
そして、転んだ。
大きな石をよけそこなったのか、原因はわからない。
ただただ見事に転び、かごに入っていたザリガニ獲りの道具をぶちまけた。
急停止して自転車のスタンドを立てようともたもたしている父親の横を、
3つの影が通り過ぎた。
歌っていた男の子が、すごい勢いで息子に駆け寄る。
「大事大事、荷物は大事だよ!」
と言いながらぶちまけた道具を集めてくれる。
若いお母さんはいつの間にか息子の脇で立ち上がるのを助けてくれている。
小さな女の子も「大丈夫?」と彼のズボンの泥を払っている。
もう無茶苦茶可愛い。
そしておばあさんは自転車にまたがったまま
「大丈夫かい?頭打ってない?大丈夫かい?」
繰り返し語りかけてくれる。
もはや僕のやることはなく、ただただその光景を見つめていた。
息子も呆然としている。それは、転んだショックというよりは、
突然、圧倒的善意に囲まれた戸惑いのように、僕には見えた。

「じゃあね気をつけてね」
ケガがないとわかると、4人は立ち去ってゆく。
僕は慌てて背中に向かって声をかける。
「ありがとうございます」
息子もようやく我に返り「ありがとうございます!」と叫ぶ。

愛とは何かという命題に対し、たくさんの人が様々な名言を残している。
僕はそこに「愛とは反射神経だ」という一言を加えようと思う。
転んだ人に手を差し伸べる。転びそうな人に手を伸ばす。
これはもう、反射神経だ。
人を助けるために、人の身体は自然と動くようにできている。
息子に駆け寄ってくれた4人から、僕はそんなことを感じた。
愛とは反射神経だ。
人の身体にあらかじめ備わっているもの。そして、
脳が指令を出す前に、突然発露されるもの。

目の前を再びトンボが横切る。
先ほどのトンボと同じかどうか、それはさすがにわからない。
「お~い、トンボだぞ」僕は息子に話しかける。
「いいよ別に」
転んだのはコイツのせいだと言わんばかりに、彼は口をとがらせている。
まあ怒るな。
トンボのおかげで、お父さんはいい風景を見ることができたんだ。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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田中真輝 2022年8月28日「表彰」

「表彰」

ストーリー 田中真輝
   出演 遠藤守哉

とある夏の日。
俺があまりの暑さに朝から何もせず
クーラーの効いた狭いワンルームでグダグダしていると、
玄関のチャイムが鳴った。

面倒くさいなど思いながらドアを開けると、
そこには、この暑さにも関わらず
かっちりとしたスーツに身を包んだ初老の男が立っていた。

「こんにちは、今田義彦さんですね?
わたくし、日本政府の方から、あなたを表彰するために伺った者です」

日本政府?の方?表彰?新手の押し売りだと思った俺は、
間に合ってますなどと言いながらドアを閉めようとする。

「ちょちょちょ、ちょっとまってください。
わたしは正式な政府の人間です。
賞状だけじゃないんです、ちゃんとした副賞もございますので!」

副賞、と聞いて少しひるんだ隙をついて、
その男は強引にドアの隙間に足を突っ込むと、
恐るべき柔らかさで身をくねらせながら玄関に侵入してきた。

「皆さん、最初は警戒されるんです。
でもなんてったって、日本政府からの表彰ですから。
副賞付きの。そんな名誉をご辞退されるなんて、ねえ?」

そういいながら、
男は手にしていた筒からおもむろに丸まった紙を引き出すと、
その場で読み上げ始める。

「表彰状、今田義彦殿。
あなたは日々、朝起きてから夜寝るまで、
余計な情熱を燃やすこともなく、与えられた仕事を淡々とこなし、
褒められもせず、けなされもせず、
でくのぼうと呼ばれることも特になく、
ひたすらにごくごくあたりさわりないのない生活を続けられていることを、
日本政府として、ここに賞します。はい、賞状と副賞をどうぞ」

賞状と、「現状維持」と書かれたキーホルダーを渡される。
このキーホルダーが副賞なのだろう。
あっけにとられている俺に、政府から来たという男は、
こぼれんばかりの笑顔で話し続ける。

「なぜわたしが、と皆さんおっしゃいます。
しかし意外とあなたのような方はいらっしゃらないんですよ。
ええ。SDGsという言葉をご存じですか?
持続可能な成長目標、というやつです、
ええ。昨今の資本主義社会は、経済成長を重視し過ぎた挙句、
環境と人類の存続を脅かすまでになってしまいました。
日本政府はこの問題を解決するために、
まったく成長もしない、かといって負担にもならない、
そういう毒にも薬にもならない稀有な存在を、
ゼロ・エミッション生活者と名付け、表彰するという政策を打ち出したのです。
はい、そうです、あなたはその厳しい条件に適合した、
貴重なゼロ・エミッション人材なのです!おめでとうございます」

そういうが早いか、自称政府の男は私の手をとって猛烈に上下に振り始めた。

「今田様には、これからもぜひ、何の野心も好奇心ももたず、
粛々と人生を生きていっていただきたい!
いやもちろん、言うほど簡単なことではないでしょう。
周りの人から、そんな無気力なことでどうするといわれることも
あるでしょう。
しかし、そんな甘言に心を動かされてはなりません!
あなたはありのままのあなたでいい!
そこに存在するだけでよいのです。
もともと特別なオンリーワンなのですから!」

涙ぐむ男を見て、俺も少し胸が熱くなる。そうか、俺はこのままでいいのだ、と。

満面の笑みで去っていく政府の男を見送って、後ろ手にドアを閉める。
クーラーが効いた、ひんやりとした部屋に戻ると、手にしたキーホルダーを
眺め、現状維持、とつぶやいてみる。

目の前にまっすぐな道が見える気がした。まっすぐ、どこまでも続く一本道。
ふと見上げた窓の外から、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。
今日も、何もしなかった一日が暮れていく。



出演者情報:遠藤守哉

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