アーカイブ

佐倉康彦 2006年12月29日



匂い

               
ストーリー さくらやすひこ
出演  深浦加奈子

二度寝をしてしまった遅い朝、
ベッドの中は、私の匂いで満たされている。

正確に言えば、
昨日の夜に落とさなかった化粧とアルコールと、
少しだけ後悔が入り交じった匂い。
ずっと点け放しになっているテレビからは、
気象予報士と呼ばれる中年男の
鼻にかかった甘ったるい声が洩れている。

上空に強い寒気が入り冬型の気圧配置が一層強まって
今夜は雪になる見込みです。
自分の声に酔ったような調子で喋ったあとに、一拍おいて、
ステキな聖夜になりそうですね、と、
余計なことを口走る。

そんなテレビの中の男に毒づきながら、
私は、まだベッドから抜け出せないでいる。
いまどき流行らないメントールの煙草に火を点ける。

私の鼻腔をゆっくりと抜けてゆく紫煙の、
その醒めた匂いに、一瞬、たじろぐ。
ベッドの傍らに脱ぎ捨てられたコートや
パンティストッキングや下着から、
昨日の夜の執着が見え隠れしているようで、
慌てて目をそらす。

そんな昨日の残骸の中に、それはあった。
おそるおそる手を伸ばす。
誰が見ているわけでもないのに
用心深く手繰り寄せる。

ベッドから起きあがった私は、
少しだけ逡巡したあと
自分の胸元に、それをそっと引き寄せる。

ベッドの中の私の匂いが、
わずかだけれど薄まったように感じた。
真っ直ぐに立ち昇っていた吸いさしのメントールの煙が
灰皿の上でかすかに揺れた。

ケータイが羽虫のような音を立てて震え出す。
私はそれに顔を埋めながら、震える羽虫の音を聞き続ける。
それには、
マフラーには、あいつの匂いがした、
ような気がした。
 
今夜、知らない誰かのために雪が降る。

*出演者情報:深浦加奈子(闘病中のご出演、ありがとうございました)

Tagged: , ,   |  1 Comment ページトップへ

中山佐知子 2006年12月23日



マフラーの雪           

                      
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

塀に沿って植えてある雪割草の常緑の葉の上に
ふわりと積もった雪を
小さかった君は「マフラー」といった。

そのときは
君がクリスマスにもらったばかりのマフラーを見せに来ていたときだったので
白い雪も吹き溜まった茶色の落ち葉も
みんなマフラーに見えるんだと僕は思った。

マフラーの雪はすぐ溶けたけれど
その冬はいつもより寒い冬で
水道がぶるぶる震えて氷を吐き出したり
鉢植えがひと晩で凍りついたこともあったね。
いっそ雪が積もってくれた方が植物は助かるのに、と
僕の母も庭を眺めてはつぶやいていた。

日曜日、目が覚めたとき妙に静かだと思ったら
こんどは本格的な雪が積もり
ツリバナやクロモジのやわらかな木の枝が重そうに撓(たわ)んだ。
その雪を払いのけている母から
この雪の布団は冬から芽を出す節分草や
緑の葉が凍えている雪割草を守ると教わったんだ。
雪のマフラーと言う人と雪の布団と言う人の
その言葉の違いと認識の違いに気づいたのは
もっともっと後になってからだった。

君はもう、小さな女の子ではなくなったのに
ときどきその明るすぎる眼で僕をたじろがせることがある。
土の下には種が眠り、この世の暗がりには悲しみが沈んでいるのに
君の眼は日の光を浴びて生きるものだけを映し
君のマフラーは明るい地上で動くものしか守ろうとしない。
君がいまだに無造作に踏み込むその靴の下から
春にはスミレが顔を出すことを知ることもない。

そして、僕は未だに
すべての命は暗い場所から生まれ
この星もまた闇の宇宙に浮かぶ一粒の種である真実を
君に教えられないでいる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2006年12月15日



年上の女と黒いマフラー

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳    

男と女がいたの、昔、昔のお話よ。

冬の始まる頃の寒い夜、ふたりは、
彼女の、板ぶき屋根の小さな家で逢った。
その家は、信州の片田舎の、
宿場町のはずれにあって、
大きな欅(けやき)の木が何本も何本も
街道沿いに続いていた。
それでね、ふたりの夜が更けてきた頃、
急に男が立ちあがり、旅仕度をして、
わらじをはき始めたの。

「今夜のうちに峠を越えないと、
明日のたびが辛くなるんだ、
わかっておくれ」
男はそういった。彼は行商人で、
明日は北の国へ遠出をする。
そのことは女もわかっていたわ。
でもね、その夜は、どうにも寒くて
寂しくて、かなうことなら、朝まで
一緒にいて欲しかったの。

外では風まで吹き始めて、女は、まだ
十七歳になったばかりだったのね。
「また、七日もすれば戻ってくるから、
もう、遠い行商には出ないから。
それじゃあ、な」
そういって男が、戸をあけて外に
出ようとする時、板ぶきの屋根に
なにかが当たる音がした。
「おや、雨かな」と、男が言った。
「いいえ」と、女が言った。
「雨ではありません。あれは、
枯れ葉が屋根に当たる音です。
こんなに木枯しも吹くのですもの。
木の葉だって、飛びますわ。
でも、今夜は、十六夜(いざよい)。
きっと、夜道は明るいでしょう。
どうか、あなた、お気を・・・・・」
お気をつけて、と言おうとしたけれど、
急に涙が出て来て、女はうつむいた。
その言葉を聞くと、戸口にかけていた
手をはずして、男は言った。
「外は寒そうだ。明日、日の出に出かけよう」

・・・・・ねえ、洋(ひろし)、こういう男も
昔はいたのよ・・・・・
でも、洋は帰っていっちゃった。
しかも、私があげたカシミヤの
黒いマフラーまで忘れてさ。
突然だとママが心配するからだって。
一人前の男なのに、しょうがないね、
あいつは。でも、こんな寒い夜に、
風でも引かなきゃ、いいけれど・・・
なんだか、年上の女って、気苦労ばっかり・・・

(ケータイのコール音)
はい。なんだ、洋か。
えっ?終電に乗り遅れた?
それと、なんだか首筋が寒い?
あたりまえでしょう。ひとがあげた
マフラー忘れていくんだもの。
帰ってらっしゃい、すぐに。
なーに?よく聞こえないよー。
タクシーのお金、足りそうもない?
もうっ!
運転手さんを連れて、帰ってらっしゃい!

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2006年12月8日



ぐるっとまわって ~マフラーのうた~     
                 

ストーリー 一倉宏                    
出演 坂本真綾

<マフラー>は
<ありがとう>ということばに似ている
光も息も白い12月の朝
極太の毛糸の手編みのように くすぐったい<ありがとう>
ふんわりとカシミアのように やさしい<ありがとう>
<ありがとう>のあたたかさを 嫌いなひとはいない
だから <マフラー>は
<ありがとう>ということばに似ている 

<ありがとう>ということばは
<アリゲーター>に似ている
たとえば多摩川の河原を散歩して
ばったり出会ったら 足がすくんでしまう<アリゲーター>
ばっちり目が合ったら 心臓が止まりそうな<アリゲーター>
<アリゲーター>に会って <ありがとう>というひとはいない
だけどやっぱり <ありがとう>ということばは
<アリゲーター>に似ている

<アリゲーター>は
<夏の日の恋>に似ている
アラビア半島で戦争がはじまったあの年
激しい陽射しの下の 瞳が私を虜にした<夏の日の恋>
すっかり忘れているのに 突然ちくりと思い出す<夏の日の恋>
<夏の日の恋>は かすかな痛みとして刻まれる
だから <アリゲーター>は
<夏の日の恋>に似ている

<夏の日の恋>は
<友だちに貸した本>に似ている
高校時代 毎日のように会っていた親友に
私が好きで 彼女も好きになってほしかった<友だちに貸した本>
いつまでもと願ったから 約束はしなかった<友だちに貸した本>
<友だちに貸した本>は ほとんど 永遠に帰らない
だから <夏の日の恋>は
<友だちに貸した本>に似ている

<友だちに貸した本>は
<セッケンの匂い>に似ている
朝起きて 働いて 家に帰る毎日
わるい時もあるけど いい時もある<セッケンの匂い>
ぶつぶつ文句いうより さっぱり洗い流したい<セッケンの匂い>
<セッケンの匂い>は 誰かを恨む気持ちにさせない
だから <友だちに貸した本>は
<セッケンの匂い>に似ている

ぐるっとまわって
<セッケンの匂い>は
<マフラー>に似ている
母親から 友だちから 恋人からもらった
私をいつも取り巻いて ほっとさせてくれる<マフラー>
なのに うっかり涙を落としてしまうこともある<マフラー>
<マフラー>は ときどき 目頭まで熱くする
だから <セッケンの匂い>は
<マフラー>に似ている
<マフラー>は <ありがとう>のことばに似ている

*出演者情報 坂本真綾 http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

上田浩和 2006年12月1日



ウール     

                      
ストーリー 上田浩和
出演 清水理沙

ある街のはずれの病院で、
男の子が産まれました。 

その男の子は両腕が不自由だったので
不憫に思った両親は、
特別なマフラーをプレゼントしました。
えんじ色の長いマフラー。
何が特別かと言うと、
それにはお母さんの右腕の神経とお父さんの
左腕の神経が縫いこんであるのです。

それを首の周りにくるっと巻き、
両端を肩からさげてやると、
マフラーは男の子の腕になり、
先端のひらひらのフリンジは指になりました。

ウールと名付けられた男の子の、
そのマフラーの手は大きな栄誉をつかみました。
物心ついたときからはじめたピアノは、
ウール100パーセントのタッチと賞賛され、
若き天才ピアニストとして世界にその名を轟かせるまでになったのです。

恋もしました。
相手は、ある国のコンサートホールの売店で働く
カシミヤという名の女の子。
その恋にウールは作戦を練りに練りました。
カシミヤの手をとり、なんて素敵な手なんだと大袈裟になでまわしながら、
その小指の爪に、自分のマフラーをひっかける。
そのあとじゃあねと言って別れ、
ふたりがお互いの家に着くころには、
ウールのマフラーの手はほどけ、毛糸が一本かろうじて残っている。
あとは彼女に電話するだけ。
「ぼくと君は赤い糸でつながっているみたいだ」
「赤ではなくてえんじ色なんですけど」
「それは深い赤色だよ。深い愛ということさ」
そしてふたりは、毛糸の指輪を交換し、結婚しました。

ウールはまさに人生でもっとも輝くときを迎えようとしていました。
しかし、不幸とはこういう幸せの絶頂期にしばしば訪れるものです。
それはこのウールとカシミヤの場合にもあてはまります。

ある晩、やかんがピーっとなりました。
子供の頃からの約束でウールは火に近づくことを禁じられていましたが、
ちょうどそのときカシミヤはウールの腕の毛玉とりに夢中でした。
仕方なく伸ばしたウールの左腕は、またたくまに灰になってしまいました。

奇跡のマフラーピアニスト、絶頂期の左腕焼失!

それから何年かたって......
スポットライトのなか、ステージの上に現れたウールは、
観客にむかって高々と左手のマフラーをあげました。
ウールの見つめるその先にいるのは、カシミヤでした。
ウールの左腕には、カシミヤの左腕の神経が縫い付けてあるのです。

ウールの演奏は、以前よりもあたたかく見事なものでした。
それもそのはずです。
ウール50パーセントカシミヤ50パーセントの音色なのですから。

*出演者情報:清水理沙

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2006年11月24日



置き忘れていった                    
                           
                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

置き忘れていった小さな腕時計を
僕はときどき取り出して触る。
もしかしたら、
わざと置き去りにされたのかもしれないと考えてもみる。

その持ち主の手首の細さをもう覚えてはいないが
腕時計をはずすときの指のカタチがぼんやり記憶にある。
結局僕は
針を合わせたりネジを巻くその指が好きだったのか
それともこの小さなかわいそうな腕時計が好きだったのか
いまだにわからないでいる。

このところ気温が下がりはじめ
文字盤のガラスがときどき曇る。
僕の時計も一緒に曇って
針のありかがよく見えなくなってしまうので
縁側の先まで霧が押し寄せている朝などは
世間からも、時間からも、
ひどく遠ざかったところに漂っている気持ちになる。
僕は本当にそんな場所に、ひとりいるのかもしれない。
君の時計だって
そんな寂しいところでじっと耐えているんだよ。

たまに空に向かって呼びかける相手の、
どちらの手首にこの腕時計が巻かれていたのかさえ、
もう思い出すことがなくなっているのに
その人が、わざと時計をしたまま水槽の水を替えたり、
焚火の栗を突ついたりしていたのは
どういうわけか覚えている。
小さな時計はいつも喪に服したようにひっそりと悲しんでいた。
そして、とうとう置き去りにされてしまったんだ。

ある昼下がり、
長く伸びた日差しを浴びているヤブコウジの赤い実を見つけたとき
この季節に生きた色を持たないものは
すべて眠ってしまえばいいと思った。
落葉樹が葉を落とし、樹液の水路を閉ざして眠るように
トカゲが土の中で目を閉じるように
時計も動きを止めてやれば目と心が閉じるだろう。
心が閉じれば寂しくも悲しくもないだろう。

僕は小さな時計を洗ったばかりのハンカチにつつんで
小机の引出しにいれたまま
3日ほど様子を見ることもしなかった。
うっかり手に取るとネジを巻いてしまうので
引出しを開けることもしなかった。

4日めの朝、寝静まった巣箱を覗きこむように
そっとハンカチを広げたとき
小さな時計はまだかろうじて息をしていた。
1秒の3倍ほどかかって
秒針をひとつ進めるのが精一杯だったけれど
時計は目も心も閉じようとはしていなかった。

悪かったね
僕はもう一度小さな腕時計のネジを巻いた。
冬が来ても時計と人に楽園の眠りはやって来ないが
ヒリヒリと痛がる心がやがて赤い実をつけるかもしれない。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ