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中山佐知子 2016年12月25日

nakayama1612

私は行かなきゃならない

   ストーリー 中山佐知子
     出演 清水理沙

私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
もう火はかなりまわって家の中が真っ赤だし
二階の屋根の、黒光りする瓦と瓦の隙間から
白い煙が空に向かって噴き上げている。
ここにいても熱いのに、
燃えている家の中はさぞ灼熱だろう。

でも私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
午前三時の祇園花見小路。
お座敷を済ませて
やっと布団に入ったら障子の向こうがぱあっと明るくなって
もしかしたら火事とちゃうやろかと
隣で寝息をたてていたあの子を
揺すぶって揺すぶって揺すぶって起こして
階段を駆け下りて裸足のままやっと外に出て
おお来たかと先に逃げたみんなに労られている最中に
「姐さん、姐さん」と声が聞こえた。
声は家の中からだった。

私は行かなきゃならない。
どうしても行かなきゃならない。
あの子は九州から来た子で
舞妓ちゃんになっても言葉がちょっとおかしかった。
それをみんなが注意したし、私はときどきからかった。
そうだ、私は意地悪もした。
おかあさんが着せてくれる着物も帯も簪も
いいものを私が取った。
いけずなお客さんのお座敷から先に帰ったこともあった。
だから私は行かなきゃならない。
意地悪をしたから。
玄関の戸の開け閉めをうるさく注意したから。
親孝行がしたいというあの子の口癖を聞いていたから。
夜中に布団がひくひく震えて
声を出さんように泣いているのを知っていたから。
処刑される人を黙って見守る群衆のような無責任な同情で
あの子が焼かれて死んでいくのを見ていることが
どうして私にはできないんだろう。

姐さん、姐さん。
学校なら先輩と後輩の関係が
ここでは姐さんと妹分になる。
縁という名で呼ばれる偶然としきたりで
がんじがらめに結びつけられた私とあの子だから
姐さん、姐さん。
あの声に応えなかったら
私はこの町で妹を見殺しにしたと噂される。

だから私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
姐さんと呼びつづけるあの子を抱きかかえ、
燃え落ちる屋根の下できっと死ぬんだ。

小さい頃に死んだら空へ昇るときいたその空は
青空かと思っていたのに
いまは火事の炎で赤く染まって空まで熱そうだ。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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遠藤守哉の「山月記」

20150523215202

遠藤守哉の朗読「山月記」です。
テキストは下に掲載しておきますが
青空文庫が読みやすいと思います。
下記URLの青空文庫からどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

山月記

   中島敦

隴西《ろうさい》の李徴《りちょう》は博学|才穎《さいえい》、天宝の末年、若くして名を虎榜《こぼう》に連ね、ついで江南尉《こうなんい》に補せられたが、性、狷介《けんかい》、自《みずか》ら恃《たの》むところ頗《すこぶ》る厚く、賤吏《せんり》に甘んずるを潔《いさぎよ》しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山《こざん》、※[#「埒のつくり+虎」、第3水準1-91-48]略《かくりゃく》に帰臥《きが》し、人と交《まじわり》を絶って、ひたすら詩作に耽《ふけ》った。下吏となって長く膝《ひざ》を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺《のこ》そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐《お》うて苦しくなる。李徴は漸《ようや》く焦躁《しょうそう》に駆られて来た。この頃《ころ》からその容貌《ようぼう》も峭刻《しょうこく》となり、肉落ち骨|秀《ひい》で、眼光のみ徒《いたず》らに炯々《けいけい》として、曾《かつ》て進士に登第《とうだい》した頃の豊頬《ほうきょう》の美少年の俤《おもかげ》は、何処《どこ》に求めようもない。数年の後、貧窮に堪《た》えず、妻子の衣食のために遂《つい》に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己《おのれ》の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥《はる》か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙《しが》にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才《しゅんさい》李徴の自尊心を如何《いか》に傷《きずつ》けたかは、想像に難《かた》くない。彼は怏々《おうおう》として楽しまず、狂悖《きょうはい》の性は愈々《いよいよ》抑え難《がた》くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水《じょすい》のほとりに宿った時、遂に発狂した。或《ある》夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇《やみ》の中へ駈出《かけだ》した。彼は二度と戻《もど》って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰《だれ》もなかった。
 翌年、監察御史《かんさつぎょし》、陳郡《ちんぐん》の袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]《えんさん》という者、勅命を奉じて嶺南《れいなん》に使《つかい》し、途《みち》に商於《しょうお》の地に宿った。次の朝|未《ま》だ暗い中《うち》に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎《ひとくいどら》が出る故《ゆえ》、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜《よろ》しいでしょうと。袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は、しかし、供廻《ともまわ》りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥《しりぞ》けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎《もうこ》が叢《くさむら》の中から躍り出た。虎は、あわや袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]に躍りかかるかと見えたが、忽《たちま》ち身を飜《ひるがえ》して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟《つぶや》くのが聞えた。その声に袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は聞き憶《おぼ》えがあった。驚懼《きょうく》の中にも、彼は咄嗟《とっさ》に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]の性格が、峻峭《しゅんしょう》な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
 叢の中からは、暫《しばら》く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微《かす》かな声が時々|洩《も》れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
 袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐《なつ》かしげに久闊《きゅうかつ》を叙した。そして、何故《なぜ》叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人《とも》の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭《いふけんえん》の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇《あ》うことを得て、愧赧《きたん》の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭《いと》わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
 後で考えれば不思議だったが、その時、袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は、この超自然の怪異を、実に素直に受容《うけい》れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停《と》め、自分は叢の傍《かたわら》に立って、見えざる声と対談した。都の噂《うわさ》、旧友の消息、袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等《ら》が語られた後、袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊《たず》ねた。草中の声は次のように語った。
 今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼《め》を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻《しき》りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時《いつ》しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫《つか》んで走っていた。何か身体《からだ》中に力が充《み》ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱《ひじ》のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然《ぼうぜん》とした。そうして懼《おそ》れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判《わか》らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめ[#「さだめ」に傍点]だ。自分は直《す》ぐに死を想《おも》うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎《うさぎ》が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間[#「人間」に傍点]は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間[#「人間」に傍点]が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗《まみ》れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還《かえ》って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操《あやつ》れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書《けいしょ》の章句を誦《そら》んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己《おのれ》の残虐《ざんぎゃく》な行《おこない》のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤《いきどお》ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己《おれ》はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経《た》てば、己《おれ》の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋《うも》れて消えて了《しま》うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎《いしずえ》が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人《とも》と認めることなく、君を裂き喰《くろ》うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他《ほか》のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせ[#「しあわせ」に傍点]になれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀《かな》しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。
 袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]はじめ一行は、息をのんで、叢中《そうちゅう》の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。
 他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業|未《いま》だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百|篇《ぺん》、固《もと》より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早《もはや》判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚《なお》記誦《きしょう》せるものが数十ある。これを我が為《ため》に伝録して戴《いただ》きたいのだ。何も、これに仍《よ》って一人前の詩人|面《づら》をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯《しょうがい》それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
 袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随《したが》って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短|凡《およ》そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は感嘆しながらも漠然《ばくぜん》と次のように感じていた。成程《なるほど》、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処《どこ》か(非常に微妙な点に於《おい》て)欠けるところがあるのではないか、と。
 旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲《あざけ》るか如《ごと》くに言った。
 羞《はずか》しいことだが、今でも、こんなあさましい[#「あさましい」に傍点]身と成り果てた今でも、己《おれ》は、己の詩集が長安《ちょうあん》風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟《がんくつ》の中に横たわって見る夢にだよ。嗤《わら》ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は昔の青年李徴の自嘲癖《じちょうへき》を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐《おもい》を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるし[#「しるし」に傍点]に。
 袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
   我為異物蓬茅下 君已乗※[#「車+召」、第3水準1-92-44]気勢豪
   此夕渓山対明月 不成長嘯但成※[#「口+皐」の「白」に代えて「自」、第4水準2-4-33]

 時に、残月、光|冷《ひや》やかに、白露は地に滋《しげ》く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖《はっこう》を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
 何故《なぜ》こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依《よ》れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己《おれ》は努めて人との交《まじわり》を避けた。人々は己を倨傲《きょごう》だ、尊大だといった。実は、それが殆《ほとん》ど羞恥心《しゅうちしん》に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論《もちろん》、曾ての郷党《きょうとう》の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云《い》わない。しかし、それは臆病《おくびょう》な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨《せっさたくま》に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍《ご》することも潔《いさぎよ》しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為《せい》である。己《おのれ》の珠《たま》に非《あら》ざることを惧《おそ》れるが故《ゆえ》に、敢《あえ》て刻苦して磨《みが》こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々《ろくろく》として瓦《かわら》に伍することも出来なかった。己《おれ》は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶《ふんもん》と慙恚《ざんい》とによって益々《ますます》己《おのれ》の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる[#「ふとらせる」に傍点]結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己《おれ》の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有《も》っていた僅《わず》かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為《な》さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄《ろう》しながら、事実は、才能の不足を暴露《ばくろ》するかも知れないとの卑怯《ひきょう》な危惧《きぐ》と、刻苦を厭《いと》う怠惰とが己の凡《すべ》てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸《ようや》くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼《や》かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎《ひごと》に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪《たま》らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖《いわ》に上り、空谷《くうこく》に向って吼《ほ》える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処《あそこ》で月に向って咆《ほ》えた。誰かにこの苦しみが分って貰《もら》えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯《ただ》、懼《おそ》れ、ひれ伏すばかり。山も樹《き》も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮《たけ》っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易《やす》い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡《ぬ》れたのは、夜露のためばかりではない。
 漸く四辺《あたり》の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処《どこ》からか、暁角《ぎょうかく》が哀しげに響き始めた。
 最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼等《かれら》は未《ま》だ※[#「埒のつくり+虎」、第3水準1-91-48]略《かくりゃく》にいる。固より、己の運命に就いては知る筈《はず》がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐《あわ》れんで、今後とも道塗《どうと》に飢凍《きとう》することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖《おんこう》、これに過ぎたるは莫《な》い。
 言終って、叢中から慟哭《どうこく》の声が聞えた。袁もまた涙を泛《うか》べ、欣《よろこ》んで李徴の意に副《そ》いたい旨《むね》を答えた。李徴の声はしかし忽《たちま》ち又先刻の自嘲的な調子に戻《もど》って、言った。
 本当は、先《ま》ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己《おのれ》の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕《おと》すのだ。
 そうして、附加《つけくわ》えて言うことに、袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]が嶺南からの帰途には決してこの途《みち》を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人《とも》を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方《こちら》を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以《もっ》て、再び此処《ここ》を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
 袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]は叢に向って、懇《ねんご》ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪《た》え得ざるが如き悲泣《ひきゅう》の声が洩《も》れた。袁※[#「にんべん+參」、第4水準2-1-79]も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
 一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺《なが》めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声|咆哮《ほうこう》したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

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蛭田瑞穂 2016年12月18日

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猫は空を見ていた

       ストーリー 蛭田瑞穂
         出演 大川泰樹

猫は空を見ていた。
天窓の上の空をじっと見ていた。
空には雲がぽっかりと浮かんでいた。
雲はひとところに留まっているように見えたが、
しばらく眺めていると
窓の端にむかって少しずつ移動していることがわかった。

雲は徐々に窓枠の外に隠れてゆき、
最後は完全に姿を消した。
「消えた雲はどうなるのだろう?」
猫はいつもそう思うのだった。

雲だけでない。
鳥も飛行機もみんな窓枠の外にいなくなる。
そのあと、雲や鳥や飛行機はいったいどうなるのだろう。
跡形もなく存在が消え、
二度とこの世界に戻ってこないのだろうか。
猫は窓枠を通してしか世界を見ることができない。
猫にとって窓枠こそが世界の果てだった。

猫はゆっくりと歩きながら、別の窓辺に移動した。
そして先ほどとおなじように空を見た。
猫にとってそれぞれの窓から見える空は
それぞれ別の世界だった。
窓枠の数だけ世界が存在していると猫は思っている。
にもかかわらず、それぞれの世界はとてもよく似ていた。
ほとんど同じと言ってもよかった。
同じ色の空があり、同じ色の雲があった。
同じように雨が降り、同じように夜になった。
「それぞれの世界はどのように関係しているのだろう?」
猫は窓枠を通してしか世界を見ることができない。
猫には無限の世界というものを
想像することができない。

今日もどこかの窓辺で猫が空を見ている。
その時猫が考えているのは世界とはいったい
何なのだろうということなのだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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佐倉康彦 2016年12月11日

sakura1612

土の眼差し

      ストーリー 佐倉康彦
         出演 石橋けい

土は、雲を見上げている。
雲は、土を見下ろしている。
土は、太陽を見上げている。
太陽は、土を見下ろしている。
土は、風を見上げている。
風は、土を見下ろしている。

わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、わたしを見下ろしている。

土は、雨を見上げている。
雨は、土を濡らし続けている。
土は、雪を見上げている。
雪は、土を隠そうとしている。

わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、わたしを濡らし続けている。
わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、わたしを隠そうとしている。

土は、
雲を、
太陽を、
風を、
雨を、
雪を、
あなたを見上げている。
あなたは、
わたしを、
土を、
わたしのなかに埋まったままのそれを
見下ろしている。

土は、宙(てん)を見上げている。
宙(てん)は、土を見下ろしている。
土は、星を見上げている。
星は、漆黒のなか、土を見下ろすことなどできない。
土は、月を見上げている。
月は、己の放つ朧な明かりだけでは、土を見下ろすことなどできない。

わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、わたしのなか、わたしを見下ろすことなどできない。
わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、己の放つ朧な思いだけでは、わたしを見下ろすことなどできない。

土は、
そこからひとつのいのちをひり出す。
そのいのちが太陽に向かってゆく姿を見上げる。
そのいのちは、
己がひり出された土を、膣を見下ろしながら、
いつの間にか、その土を顧みることもしなくなる。

わたしは、
あなたからひとつのいのちをひり出させる。
そのいのちがわたしに向かってゆく姿を想像する。
そのいのちは、
己がひり出されたあなたのなにかを濁らせながら、
いつのまにか、わたしの中にもとどまれず、
白い陶器の渦潮の中に打ち棄てられてゆく。
土は、
わたしは、
空を、
あなたを見上げている。
空は、
あなたは、
土も、わたしも見下ろしてなどはいない。

がらんどうの、その空(から)の、あなたの瞳に映るのは、
よこたわったままの、
土の、膣の、わたしの隣りに広がっている海しか映ってはいない。

よこたわったままのわたしは、
空しか、あなたしか、見上げることはできない。
わたしのとなりに
土のとなりにひろがる、
あのひとも、
海も、
見つめることしかできない。

わたしは、あなたを見上げている。
あなたは、わたしを見つめてなどいない。
土は、空を見上げている。
空は、大地を見つめてなどいない。
          
わたしは、空を見上げている。_

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

 

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田中真輝 2016年12月4日

tanaka1612

流星群

    ストーリー 田中真輝
      出演 齋藤陽介

中学生の頃、僕は夜遊びばかりしていた。
といっても、住んでいたのはドがつく田舎。家の周り
にあるのは、田んぼと畦道。あと、墓と寺。
近所にはコンビニなんかなくて、
夜遅くまで開いているのは、小さな酒屋兼立ち飲み屋か、
しょぼくれたスナックしかなかった。
そんな最果ての地でできる夜遊びといえば、もう、ただぶらぶらと
歩くだけのこと。心細い街灯を頼りに、毎晩農道を一人で歩いた。
時々その小さな酒屋でアイスや缶コーヒーを買い食いした。
別にぐれていたわけではないから、タバコを吸ったり、
酒を飲んだりはしなかった。
どちらかというと、優等生だった。
波風立てずに、そこそこの成績を収め、そこそこクラブ活動に
励み、そこそこみんなと仲良くしていた。
そして、そんな自分が心底嫌いだった。
一人で部屋にいると、底なしの穴に落ちていく気がした。
だから、夜な夜な農道を歩いた。そこそこ歩いたら、
盗んだバイクで走り出したりせず、折り返してまっすぐ
家に帰った。結局のところ、逸脱だってそこそこだった。

ある冬の夜、いつものように夜道を歩いていたら、
上の方から僕の名前を呼ぶ声がした。
田舎の夜空は星が多くて明るい。その明るい夜空を背景に、
黒々と建つ一軒家の屋根のあたりで、誰かが手を振っていた。
僕は、それが新井であることを、声とシルエットから察した。
新井は東京から来た転校生で、抜群のイケメンだった。
成績も申し分なく、スポーツもでき、愛想もよかったので、
新しい環境に瞬く間に馴染み、いわゆる人気者になった。
僕はそれを、違う星から来た異星人を眺めるように見ていた。
星を背負った異星人の新井は、綺麗な標準語で、
上がってこいよ、と言った。
彼の家には大きなベランダがあって、そこには外付けの階段で
上がることができた。
僕は素直に彼の言葉に従った。
田舎には何もないけれど、何の役にも立たない星だけは腐るほどある。
新井はそんな、バカみたいな夜空を見上げながら、
今日は流星群の日なんだぜ、と言った。
ほら、と新井が見上げる視線の先を追いかけると
何かが視界の端っこで走る感覚があった。
と、思う間に、また視界のやや外れを星が流れた。
素晴らしいスピードで。
空を埋め尽くす星の間を、カミソリで切り裂くように
いくつもいくつも星が流れた。
星の光が、夜空を何度も何度も切りつけているように見えた。
二人とも、長い間そうして夜空を見ていた。
二人とも、何も言わなかった。
何十という流れ星を黙って見送ったあと、
新井が「俺、いつ死んでもいいなあ」と言った。
唐突な言葉には聞こえなかった。
その時、その場に、とてもしっくりくる言葉だと
思った。そこにあったすべてを丸めて放り込んだ
ような言葉だと思った。
だから僕は、「わかるよ」と答えた。
そうしたら、新井はこう言った。
「お前なんかに、俺の気持ちがわかるか」

それ以降も、新井はクラスの人気者だったし、僕にも
これまで通り、何もなかったように普通に接した。
今まで通り、愛想のいい、素敵な転校生。
あの日を境に、変わったことなど何一つなかった。
そこそこの浮き沈みを繰り返しながら、毎日は
淡々と過ぎていき、そうこうしてる間に、新井は
別の場所に引っ越していった。
みんな少し残念がり、そして忘れた。

今でも、流星群がやってくると聞くと、新井のことを
思い出す。そしてその思い出は、
心の奥の方にある、暗い場所をカミソリのように、
さっと切り裂いて、消える。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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中山佐知子 2016年11月27日

1611nakayama

門のなぞなぞ

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川征義

風が吹いていた。
遮るものもないだだっ広い荒野に門が並んでいた。
門はざっと100くらいあった。

門には名前がついていた。
カンケイドーブツ門、センケイドーブツ門、ユーソードーブツ門…
カンケイドーやセンケイドーはわからなかったが
どの門もブツ門というからには仏の道なのだと思った。
そうか、本当に俺は死んじゃったんだ。
死ぬと誰でも仏になれるんだ、ラッキー、と思った。

ドーフンドーブツ門、セッソクドーブツ門、
ドーフンドーブツ門は泥の臭いがした。
門を入るとぬかるみの道かもしれない。
セッソクドーブツ門は花の匂いに海の匂いが入り混じっている。
こっちは気持ちよさそうだ。
わくわくしながら門の名前を見てまわった。
モーガクドーブツ門、ナイコードーブツ門
ナンタイドーブツ門…
ナンタイドー….ブツ…。ナンタイドーブツ…
待てよ、ナンタイドーはちょっと引っかかる。
ナンタイドーならいいが、
ナンタイドーブツに分類学の門がつくと
軟体動物門じゃないか。イカやタコだよ。
するとこれは仏門ではなく輪廻転生の門かもしれない。
正しい門を選べば
もういっぺん人間に生まれ変われるってことだ。
イカもタコもある意味では人に愛されていると言える。
節足動物門のエビやカニならもっと愛されると思う。
でも、どうせなら愛されるカニより愛する人間になりたい。
輪廻転生、生まれ変わるならもういっぺん人間になりたい。

俺は門を叩いてまわった。
門には門番がいて、
その門を代表する生き物の名前をいくつか教えてくれた。
軟体動物門の代表はイカ、タコ、貝。
節足動物門の代表はバッタなどの昆虫にエビやカニ。
緩歩(かんぽ)動物門はクマムシ。
クマムシは地球最強の不死身の生物だ。
絶対零度でも死なない。
150度のオーブンに放り込まれても死なない。
水がなくても死なない。放射能でも死なない。
宇宙に放り出されても10日は生きられる。
これには正直、心が揺れた。しっかりしろ、俺。
それから脊索動物門。
この門の代表はホヤにプレシオサウルスだった。
プレシオサウルスといえばジュラ紀の恐竜だけど、
生まれた途端に化石になってしまうってことか?

俺はどの門をくぐればいいのか悩んだ。
いま調べた門の中で
人間に転生できる可能性を秘めた門がひとつだけある。
そこでなぞなぞだ。
イカ、タコの門、バッタとカニの門。クマムシの門、
ホヤと恐竜の門、
この中で人になれる門はどれでしょう。
答を待ってるからね。

出演者情報:大川征義 https://www.facebook.com/masayoshi.okawa?fref=ts

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