小野田隆雄 2011年8月14日



風の祭

             ストーリー 小野田隆雄
                出演 長野里美

立春の日から数えて二百十日めは
ちょうど九月の初めに当る。
この季節になると、南の海から日本列島に
雨をともなう強い風が襲ってくる。
昔は野分と呼ばれ、現代では台風と呼ばれる。
おりしも農村では、
田んぼの稲が花をつけ始める頃である。
その白い小さな花が強い風で散ってしまうと
稲は実らず、収穫できなくなる。
そんなことがないように、
「どうぞ、強い風がやってきませんように」
農民たちの切実な祈りをこめたお祭りが
二百十日の前後に、この国では行われてきた。
その祭を、風祭(かざまつり)と呼ぶ。

地方によっては、この祭りの日には
竹竿(たけざお)の先に草を刈る鎌をつけ
その刃を風上に向けて、高々と屋根の上に立てる。
「この鎌で悪しき風を切ってしまえ」
そのような、おまじないである。

小田原から箱根山に向かって
昔の東海道は続いていた。
現在の国道一号線である。
この道路にそって箱根登山鉄道が走っている。
その電車で小田原からふたつめの駅が
風祭という名前である。

そのあたりは小田原市の郊外で、人家も多い。
そこから南へちょっと行けば、相模湾の海、
北へすこし登れば、もう山である。
けれども、この細長くひらけた平野も
ずっと古い時代には、田畑が広がり農家が並び
海沿いは漁村だったのだろう。
そして二百十日が近づく頃には
海からの強い風が吹き、ちぎれ雲が空を飛び、
田んぼの稲は波のようにゆれ動き、
家々の屋根には、草刈り鎌が並び立てられ、
夏の終りの光に、ギラギラひかったのだろう。

箱根登山鉄道に乗り、この駅を通るたびに、
私は昔の風祭のようすを空想するのだった。
それは、ちいさな楽しみだった。
ところが、つい最近、ほんとうのことを言えば
この話を書くにあたって、
次のことを知った。

鎌倉時代、この地域の地頭であった一族が、
風祭氏といった。その名前が地名として残り、
駅名になったのであると。
この事実を知った時、私は思った。
きっとこの一族は、心をこめて
風の祭をおこなってきたのだろう、
そして、よい人たちであったのだろうと。

出演者情報:長野里美 03-3794-1784 株式会社融合事務所所属


動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2011年3月13日


すすき、幻想
       ストーリー 小野田隆雄
          出演 毬谷友子

広い広いすすきの草原に、
月の光がさしていました。
すすきの穂が、風の中で、
寄せては返す波のように金色にひかっています。
すすきの穂波は、はるかかなた、
草原の向こうにある山のふもとまで、走っていきます。
そして山々は雪をかぶり、
まぼろしのように浮かびあがって見えるのでした。

真夜中に近い時刻のようです。
まだ少年の私は、黒いマントを着て、
左手に重いカバンをぶらさげて
すすきの海を一生けんめい歩いていました。
すると風が吹きぬける中を、
青い着物を着た女性がひとり、歩いてくるのです。
室町時代のあそびめのように、
細い帯を腰のあたりに低くしめ、
黒い髪をうしろにたばねていました。

面長な顔立ち、青白い肌、切れ長の眼、
形のよい唇。
彼女は私の前で、立ち停り、私を見ました。
そして、すーっと何かを呑み込むように笑いました。
赤い唇がすこしひらかれると、
なんだか、あたりの空気がゆらりとゆれて、
ひときわ強く、風の音が聞えてきます。

狐だ!、少年の私はそう思いました。
すると月が雲に隠れ、女性の姿も消えました。
すすきの原は、暗い灰色の、ただのすすきの原に
もどってしまいました。

このカバンは? ふと、少年の私は思いました。
この左手にぶらさげている重いカバンは、
いったい何が入っているのだろう…
気がつくと、私は現実の私にもどっていました。
六十歳をずいぶん過ぎた私が、
無彩色の、夜のすすきの草原に、
カバンをぶらさげて、立っているのでした。

出演者情報:毬谷友子 03-3552-1616 J-CLIP所属

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小野田隆雄 2010年12月5日

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焚 火

               
ストーリー 小野田隆雄
出演 大川泰樹

目白駅から少し入った住宅街の、
昔ふうに言えば、300坪ほどの敷地がある家で
初老の男がひとり、焚火をしている。
あんずの葉、かえでの葉、さくらの葉など、
ほうきで集めて小さな山をつくり、
そっとマッチで火をつける。
すると待っていたかのように、落ち葉たちは
メラメラと燃え上がる。
親ゆずりの家に住み、
さしたることもない人生を生きて、
ついこのあいだ、秋の終りに
ようやく次長の席にすわった。
それがどうやら
会社スゴロクのあがりのようだ。
そんなことを考えながら
燃えあがる炎を見つめている。

落葉の山は燃えながら、崩れ落ちて、
カサコソ、カサコソ、かすかな音を立てる。
その音を、男は聞いたことがあると思った。
あれは30代の終り、ちょうどいま頃、
ゆきずりのような恋をして、
人影もない、夜(よ)もふけた六本木の公園で
ひとりの女性を抱きしめて唇を合せた。
あの時、男の腕の中で、
女性のレインコートが、
カサコソ、カサコソ、音を立てた。
その音がいま、手の平によみがえってくる。

昨夜、深夜テレビで映画を見た。
妻が静かに立ちあがり、寝室に去ったあと、
男は和光のコンソメスープのカンヅメを開けた。
それを温めてマグカップで飲みながら
ゆっくりと、古いフランス映画を見た。
くたびれた初老のギャングが
酒場でスコッチを飲みながら女につぶやく。
「おれだって、もうひと旗、でかい仕事を…」
すると、40代半ばの、
すこし体の線が丸くなり始めた女がやさしく言う。
「もう、おやめなさい。もう…」
けれど男は、結局、銀行強盗をくわだてて失敗する。
女はパリ北駅から国境の町リールに向かう。
平原を走る列車のロングカットにf(エフ)、i(アイ)、n(エヌ)の文字が重なる。

男は焚火を見つめている。
「おれだって」とつぶやいてみる。
「おれだって、
会社スゴロクはあがり、かもしれないけれど」
そう、つぶやきながら、
月桂樹の枯れ葉を焚火に投げ込む。
炎(ほのお)が高くあがり、
スパイスのある香りが立ち昇る。
どこかで、キジバトの鳴く声がした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2010年10月3日

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目ざまし時計

ストーリー 小野田隆雄
出演 内田慈

目ざまし時計を買いました。
夜遅くひとり、
コチコチ鳴るのを見つめています。
私の影は壁にうつり
ブルーな本を手にしています。
たとえばほんのすこし
ウィスキーを飲むと
心は夢へ逆もどりしてしまうから
ほんとうにねむくなるまで
グラスにたくさん
飲むようにしています。
あなたの部屋の窓から
湘南の海を、最後に見たのは、夏の終り。
そして、いまは、秋の終り。
もうすぐやってくる、
あなたの誕生日。でも、
海にあるのは波ばかり。
空にあるのは風ばかり。
さようなら、あなた。
そして誕生日、おめでとう。
今夜は目覚まし時計の音を
ショパンと一緒に
聴きたいと、思っています。

出演者情報:内田慈 03-6416-9903 吉住モータース

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小野田隆雄 2010年9月12日



九月のありがとう

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

立原(たちはら)さん、あなたに
九月のありがとうを
ささげたいと思います。
「夏の死」、という題名の
美しく、いとおしく、
秋の訪れを歌った十数行の詩を
残してくださったあなたに。

「夏は慌(あわただ)しく遠く立ち去った。
また新しい旅に。

私らはのこりすくない日数(ひかず)をかぞえて
火の山にかかる雲(くも)・霧(きり)を眺(なが)め
うすら寒い宿(やど)の部屋にいた。
それも多くは何気(なにげ)ない草花の物語や
町の人たちの噂(うわさ)に時を過ごして。

或る霧雨(きりさめ)の日に私は
停車場(ていしゃば)にその人を見送った。

村の入口では、つめたい風に細(こま)かい
落葉松(からまつ)が落葉(おちば)していた。
しきりなしに……
部屋数(へやかず)のあまった宿(やど)に、私ひとりが
所在(しょざい)ないあかりの下(した)に、その夜から
いつも便(たよ)りを書いていた。

立原(たちはら)道造(みちぞう)さん、あなたは
一九一四年の七月に東京に生れ、
一九三九年の三月に東京で病没(びょうぼつ)しました。
二十四歳と八ヵ月の
あまりにも短かったその一生は、
あなたの愛した信濃(しなの)追分(おいわけ)の高原から、
あおぎ見る浅間山の煙のように
永遠に空のかなたへ
消えてしまったけれど、
透きとおって弾(はじ)ける言葉が織(お)りなす、
命のささやきのような詩の数々は、
いまも、私たちに、
かけがえのないやすらぎと、
やさしい祈りのレクイエムを
もたらしてくれるのです。
あなたは、「のちのおもいに」という
詩の中で、次のようにうたいました。

「なにもかも、忘れ果てようと思い、
忘れつくしたことさえ、
忘れてしまったときには、
夢は、真冬の追憶のうちに
凍るだろう。
そして、戸をあけて寂寥(せきりょう)のなかに
星くずにてらされた道を
過ぎ去るだろう。」

二十五年にも満たない人生を
走るでもなく、なげくでもなく
従容(しょうよう)として、星明(ほしあか)りの道を
あゆみ去っていった立原(たちはら)さん。
ある霧雨(きりさめ)の日に、あなたが
高原の駅の停車場(ていしゃば)で、
見送ったのは誰でしょうか。
あなたの短かすぎた日々に、
恋の炎があざやかに燃えたことは
あったのでしょうか。
私は、あったと思います。
あった、
必ずあったと、信じています。
恋もないままに終ってしまったなんて、
かわいそうだと、俗っぽい私は
考えてしまうのです。
かなうことなら、私の手で、
この胸に抱きしめてあげたかったと。

立原さん、私はいま
信濃(しなの)追分(おいわけ)の草原に立って、
浅間山を見あげています。
ススキがゆれ動き、
ヒヨドリバナが乱れて咲き、
落葉松(からまつ)の林が続く、その向こうに、
浅間山が、大きな牛のように
うづくまっています。
夕焼けに、煙を赤く染めながら。
私は、高原の風の冷たさに、
首筋に両手をあてています。
そして、小鳥のように
空腹です。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年8月22日



ニューヨークの金魚

ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

私の母は、みやもとさゆり、である。
秋吉敏子に魅せられて
ジャズピアニストになり、
いま、ニューヨークにいる。
父は、おかやまはちろう、である。
神楽坂でちいさなアトリエを経営している。
ふたりは三年前に離婚し、
高校二年生の私、おかやまゆきこは
父と一緒に暮らしている。

我が家では、ずっと昔から
父が台所仕事を引き受けていた。
なつかしい母の味が、父の得意だった。
ガンモドキとアブラアゲの煮物とか、
キューリの酢のものとか。
母は、普段から演奏活動で、
家にいないことが多かった。
いつだったか、私は父に聞いた。
「どうして別れちゃったの?」
父は、世間話をするように言った。
「おたがい、四十(しじゅう)の坂も超えたんだし、  
 そろそろ、ひとりずつもいいかねえ、  
 なんて、ふたりで話しあってね」
私は、あれから、 恋愛とか結婚とか、わからなくなった。

このあいだ、六月二十日の午前二時に、
母のみやもとさゆりから
私のモバイルに電話がかかってきた。
「会おうよ、MOMA(モマ)で。  
えーっと、今度はね、  
ゴッホの『オリーブの木』の前、  
七月の二日か三日、午後三時。  
暑いよ、ニューヨークは」
みやもとさゆりは、
私が高校生であるとか、
十二時間のひとり旅であるとか、
そういうことは、まったく気にしない。
すべて彼女の都合で、
電話してくるように思えた。
これが三回目である。
会う場所は、いつも、MOMA(モマ)。
ニューヨーク近代美術館、
その五階である。
そのフロアには、十九世紀後半から 二十世紀前半までの、
ほんとうに沢山の 油絵が展示されている。
二度目に行ったのは去年の晩秋で、
ダリの「〈柔かい時計〉あるいは〈流れ去る時間〉」の前で、母と会った。
一度目はおととしの八月で、
モンドリアンの絵、
「ブロードウェイ・ブギウギ」の前だった。
それが私の、初めてのニューヨークだった。
出かける日に、父がニコニコしながら
私に言った。
「ああ、いいねえ、MOMA。
 ゆっくりしておいで」
それだけだった。
そして私は、ふわふわした気分で、
デルタ航空の古びたジャンボに乗り、
初めての海外旅行に出かけたのである。

七月二日、ニューヨーク午後三時。
ゴッホの「オリーブの木」の前で、
まるでピカソが描く女のような
たくましい母の両腕の中に
私は抱きしめられていた。
母が低く、つぶやく。
「ああ、元気そうだね。
 このあいだの夜、シカゴでね。
 ピアノの鍵盤(けんばん)の上に、
 おまえの後姿(うしろすがた)が見えたんだ」

陽気なギャラリーたちの間を、
みやもとさゆりと、おかやまゆきこが、
腕を組んで歩く。
アンリ・マチスの絵の前で、
母が立ち止り、思い出したように言った。
「はちろうはね、金魚が好きなんだよ」
緑色の壁がある明るい部屋に
金魚鉢が描(えが)かれていて、
金魚が一匹、 ボーッと浮かんでいる。
「ほら、似ているでしょ。ボーッとして」
母の声が、とてもやさしかった。
私は父と向いあっている時の、
あの、ここちよい退屈について
ぼんやり考えていた。
そうか、金魚だったんだ、あのひとは。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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