小野田隆雄 2008年12月31日 大晦日スペシャル



二〇〇九年に贈る言葉

ストーリー 小野田隆雄
出演 木野花

もうすぐ、やってくる年にむかって、
来年こそ、わたしがいちばん、
しあわせになりたいと、多くのひとが
祈っているのかもしれません。
なぜなら、みんながいちばん、
ふしあわせになってしまったような時が
ずいぶん長く続きましたから。
いちばん、しあわせに、
なって欲しいひとたちに
詩人の西脇順三郎さんの言葉を
お贈りします。
「明日は恋なき者に恋あれ
明日は恋ある者にも恋あれ」

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小野田隆雄 2008年12月31日 大晦日スペシャル



モンゴル草原の六月

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  坂東工  

 
小説家の開高健さんが
幻(まぼろし)の魚、イトウを求めて、最後に
モンゴル人民共和国を訪れたのは、
一九八七年の五月だった。
それから二年後の一九八九年、
まるで神様に奪い取られるように
開高さんは、天国へ行ってしまった。

一九九一年の六月下旬、
開高さんをしのんで、私たちは
モンゴルを訪れた。
彼が釣りをした川や湖に
そっと、釣り糸をたらしてみよう、
という計画だった。
そして、ツァカン・ノールという
広い草原で、数日を過ごした。
モンゴル草原の六月は、
わすれなぐさは青く、
きじむしろの花は黄色に
さくらそうはピンクに咲き、
パステルカラーのじゅうたんを
一面にしきつめて、
私たちを迎えてくれた。

明日は、首都ウランバートルへ
戻るという日の午後、私たちは、
開高さんが、最後のポイントにした湖に
静かにルアーを投げた。すると、突然、
空が曇り、風が吹いて、雨になった。
雨はすぐに、あられに変り、
あられは、またたくまに、ひょうとなり、
ひょうは、すぐに雪に変った。
そして草原は、白い冷たい砂嵐のような
吹雪になった。
私たちは、ころがり込んでジープに乗り、
草原の宿舎へと、逃げていった。

翌日の早朝、みごとに空は晴れていた。
宿舎を出て、草原を歩いた。
残り雪のなかに、わすれなぐさの花が、
咲いたまま、凍りついている。
指に触れると、そのちいさな青い花は、
カチッと、かすかな、
陶器がこわれるような音をたてて
指のなかで、くだけてしまった。
手のひらにひかる、宝石の破片のような
青いわすれなぐさの凍った花を
私は、写真に撮りたいと思った。
手のひらをかかえるようにして、
宿舎に走って戻った。
けれど、凍っていた青い破片は
手のぬくもりで、みるみる溶けていく。
宿舎の入口にたどりついたときには、
もとのままの、花びらに戻っていた。

写真機を持たずに、散歩に出たことを、
私は、くやしい、と思った。
そして、なぜだか、わからないが、
「さようなら、開高さん」
と、つぶやいていた。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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小野田隆雄 2008年12月12日



ミッドナイトマーケット

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

 
金色のちいさき鳥のかたちして
銀杏ちるなり岡の夕日に。与謝野晶子。
夕焼け空を、風に輝きながら、
小鳥のように舞う銀杏の葉も、いまは、
すっかり散ってしまったでしょうか。

今晩は、久世星佳です。
今日から明日へ、なつかしい、
夢のおみやげをご紹介する
ミッド・ナイト・マーケット。

眠り姫のやさしい胸に抱かれるまで
しばし、私のお話に
耳をかたむけて、くださいませんか。

さて今夜は、かわいい小鳥たちと
小鳥たちをめぐるお話も集まってくる
小鳥の市場で、
拾い集めたお話からです。
小鳥の市場は、八ヶ岳の山々の奥の、
星の牧場に近い高原の村にあります。
多くのひとは、その存在を知りません。
でも、色いろなひとが昔から、
ひっそりここを訪れていたのです。
はるばる、海を越えて、ベルギーから
チルチルとミチルという兄と妹が、
幸せの青い鳥をさがして
やってきたとも、いわれています。

私がこの市場で聞きたかったのは、
歌を忘れたカナリアのことです。
このカナリアは、
ある詩人が飼っていたのですが、
ある日、突然、歌わなくなりました。
詩人は、色いろなものを食べさせたり、
鳥のお医者様にも診断してもらいました。
けれど、カナリアは、
低く、チュッ、チュッ、と鳴くだけで、
真珠をころがすような、あの美しい歌声は
出せなくなっていました。そして、
悲しそうに、詩人をみます。
「わたしはもう歌えません。
どうぞ、わたしのことは
 忘れてください」
カナリアは、そういっているように
詩人には見えました。
どうしよう、と詩人は思いました。
いっそのこと、近くの山に
放してしまおうか。
いやいや、もしも、性悪のカラスたちに
いじめられたら、かわいそうだ。
それでは、と、詩人は
心を鬼にして、考えました、
家のうしろの竹やぶに埋めてしまえ。
けれど、心のやさしい詩人に、
そんなことが出来るはずもありません。
それでは、柳の枝を鞭にして
たたいてしまおうか。
でも、詩人は、自分が鞭に打たれることを
考えると、体がふるえてくるのでした。
とうとう詩人は、ある月の明るい夜に、
小さな象牙の船に、銀の櫂をつけ、
そこにカナリアを乗せて、そっと
海に浮べてみました。
なんだか、そうすれば、歌を思い出して
くれそうに思ったのです。

さて、私は、あのカナリアが歌を思い出した
かどうか、知りたかった。
そこで、この市場に、いちばん古くから、
お店を出している、百歳をらくらくと
超えていそうな、アラビアうまれの老人に
カナリアのことを尋ねました。
老人は、トビ色の眼をキラリとさせて
いいました。
「私は、あの詩人に教えてあげたのだよ。
 彼の夢枕に立ってね。
 ヒヨコグサをあげなさいと。
 それから、カナリアは、
歌を思い出したのさ」

ヒヨコグサ、あなたはご存知ですか。
春の七草のひとつ、ハコベのことです。
小鳥の好物です。でも、人間が、恋をなく
したり、歌を忘れたときも、効果があるか
もしれませんね。それでは、良い夢路へ、
ボン・ボヤージュ。おやすみなさい。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属


shoji.jpg
  動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2008年11月21日

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働くって、どんなこと?

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

 
淑子さんが、バーのカウンターの中にいる。
下北沢の、若者でにぎわう駅前から
少しはずれた住宅街の
古いマンションの一階にある
止まり木が八つほどの小さなバー。
彼女は、このバーの、ママの代理。
田園調布にある外務省のキャリアの家の
三人姉妹のすえっこに生れ、
広尾の女子大学の国文科を出たが、
どこにも就職せず、美術館やコンサート、
ときおりは海外旅行、そして、しばしば
ボーイフレンドたちと酒場がよい。
そんな生活を、ごく自然に続けているうち、
このバーのママに気に入られて、
いつのまにか、ママの代理になった。
そのうち、ママは顔をみせなくなり、
そろそろ三年になる。
淑子さんの父は、彼女の生き方が、
どうにも気に入らない。
「額に汗して働けとはいわん。
ともかく、もうすこし、
まともな仕事をしなさい」
たまに家に顔を出すと、必ず、そう言う。
けれども、母は、のんきなもので、
「いいじゃございませんか。
お女郎さんをやっているのではあるまいし」
などと言って、笑っている。
ところで淑子さんにしてみると、
働くということに、あまり実感がない。
遊ぶということも、あまり実感がない。
やりたくないことは、やったことがなく、
特別になりたい職業もなく、
でも、生きているのは楽しいから、
それだけのことで、生きてきた。
それが今日までの人生だった。

淑子さんが、バーのカウンターの中にいる。
時刻は金曜日の二十二時。
いまだ、ひとりもお客がこない。
常連さんも、ヒヤカシも、まったくこない。
こんなことは、いままでになかった。
待てど暮らせど、こぬひとを、
宵待草のやるせなさ、
今宵(こよい)は月も出ぬそうな
古い竹久夢二の歌である。
この歌を思い出すと、
マツヨイグサの黄色い花を思い出す。
すこし寂しい感じの花。
この花は、月見草とも呼ばれている。
「富士には月見草がよく似合う」
太宰治が「富嶽百景」という小説の中で
そういうことを書いた。
それから、マツヨイグサは
月見草と呼ばれるようになったと、
淑子さんは、記憶している。
宵待草、マツヨイグサ、月見草。
「待つ女か」……
そんなことをぼんやり考えているうち、
ついに時刻は二十四時を回ろうとしている。
この店の閉店は二十五時。

「もうすぐいくからね。待っていておくれ。
あなたが、そうことづけてきたから、
私はねむらずに、ひと晩おきていた。
有明の月が沈むまで待っていたのに」
そういう意味をうたった、
百人一首の歌もあるけれど、
まさか、こないお客を呼び出すほどの
ヤボも出来ない。
淑子さんは、CDをかけてみたり、
ラジオのスイッチを入れたり、切ったり。
でも、秋の夜ながに、ひとりぼっち。
そのうちに、お店のどこかの隅で
ツヅレサセコオロギが
かぼそい声で鳴き始めた。
イカナイ、イカナイ、イカナイ。
とでも言っているみたいに。
たまらなくなって、淑子さんのひとりごと。

「さびしいな。待つのって、つらいな。
こんな日が、まい日まい日続いたら、
どうすればいいのかしら」
そう言いながら、アッと思う。
「そうか。もしかすると、待つことが、
働いているってことなのかしら」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2008年10月10日



ベネチアングラスのワイングラス
            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

  
ワインって楽しいお酒だなと、
思うことがあります。
赤いワイン、白いワイン、
バラ色のワイン、そのほかにも色いろ。
同じブドウから作られるのに、不思議です。
ビールや日本酒と比較してみてください。
でも、ワインについて
なんだか変だなあって、思っているのは、
あのワイングラスのことです。
チューリップみたいな形をして
ほとんどが透明度の高いクリスタルグラス。
あの無色透明で、清潔すぎて、
すこし冷たい感じ。
あのグラスが、赤ワイン用、白ワイン用と、
テーブルに並んでいるのを見ると、
なんだか、理科の実験室を
思い出してしまうのです。
どこのレストランにいっても
ワイングラスって、ほとんど同じスタイル。
なにも飾りがなくて、無機的で。
ワイングラスは、世界中どこでも
あんなに同じなのでしょうか。

「いいえ、そんなことはないのですよ」
私のワイングラスについての話を
黙って聞いていた彼が、
ニコニコしながら言いました。
それは五年程前のこと。
私はあの頃、横浜にある小さな
グルメ関係のタウンマガジンの、
駆け出しの記者でした。
彼は、イタリアのワインを
輸入している商社の
若い社長さんでした。
彼にインタビューしたのは、
イタリアの食材の特集号を
企画していたからです。
インタビューは、伊勢佐木町に近い
馬車道にある彼のオフィスで行われました。
秋の夕暮のことでした。
「最近のレストランで使用している、
あのワイングラスは、もともとは、
ソムリエコンクールのための
標準規格のグラスなんです。
お酒の色がよく見えるし、
香りも逃げない形なのですね。
ま、その点は便利ですが、
あなたのおっしゃるように
味もそっけもない、そのことも確かです。
ただね、すべてのワイングラスが
あれと同じでは、ありませんよ」

そう言って彼は、席を立ち、
すこし古びた、木の箱を運んできました。
ふたをあけると
ワイングラスがふたつ。
彼は、それを取り出し、
応接セットのデスクに置きながら、
言いました。
「ベネチアングラスです」
そのグラスは、ブルゴーニュの
赤ワイン用のグラスほど大きくはなく、
なつかしいソーダガラスで作られていました。
茎と言われるカップと台をつなぐ部分には、
ドルフィンが二匹、
カップの部分をささえるように
からみあっています。
そして、カップの部分には
エーゲ海を思わせるような、
あざやかな青い色の小さな花が、
ちりばめられて。
 「ワインは、ひとが作るものだから、
グラスにも手作りのぬくもりが
欲しいと、僕も思っていました。
でも、今日まで、グラスについて、
あなたのようなことを
おっしゃる方に初めて会いました」
それから、遠くをみるような眼で
彼は言いました。
「いつか、僕はこのグラスで、
誰かと、夜明けの白ワインを
飲みたいと思っていたのです」

あれから五年すぎて、どこかの誰かが
彼と、夜明けの白ワインを
もう、飲んでしまったのかなあと、
ときおり、いまも、気になっています。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2008年9月12日



曇った鏡

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳       

              
空飛ぶ円盤みたいな形の、
古びた丸い金属の物体で、
表面に竜の絵が
描かれているモノ。
それが小学生の頃、
初めて昔の鏡を、
写真で見たときの記憶でした。
中学生になってから
あの竜の絵の裏側の面が、
ピカピカに磨かれていて、
そこにモノが映り、
鏡の役割を果たしていたことを
知りました。
遠い遠い昔、太陽をつかまえてひかり、
モノの姿を映しだす鏡は、
そこに神様が宿るものと考えられて
深く信仰されていたのだそうです。

石見の国、いまの島根県、
浜田市に近い海岸に
小さな漁村がありました。
松林のあいだに
家々が並び立ち、
白い砂浜を、のぞんでいました。
その砂浜から沖まで舟を出し、
トビウオをとることで、
村人たちは生きていました。
ところで、この白い砂浜に
飛箱みたいな形をした、
大きな岩がありました。
その岩の上に、
三歳の子供の背丈ほどの
石造りの社が、
ひっそりと建っておりました。
そして、この石造りの社に、
一枚の古い鏡が
まつられていたのです。

さて、この村に、すっかり腰も曲がり、
歯も欠けて、白髪になった老婆が、
住んでいました。
彼女は、まいにち、この岩山にのぼり、
社に水をそなえ、六日に一度は、
鏡をていねいにみがきました。
それが彼女の仕事でした。
七十年ほど前、この村は
大きな津波に襲われ、
まだ少女だった老婆を除いて、
みんな死んでしまったのだと、
村人たちは聞いていました。
「鏡が曇ると、この村に
 悪しきことが起こるのじゃ。
 だからの、わらわは、
 このように、磨くのじゃ」
老婆は、ときおり砂浜で遊ぶ子供たちに、
話しました。
子供たちは、みんな、彼女の言葉を
信じていましたが、
ただひとり、この村でいちばん大きな家の
ひとりっこ、ハヤテマルだけは、
いつも、うすく笑っているのでした。

それは、ハヤテマルが十一歳に
なった九月の中旬、
とうとう彼は
満月に近い夜に岩山に登り
うすく笑いながら、
石造りの社の鏡に、
イカの墨を塗りつけたのです。

翌朝、老婆は狂ったように
鏡の異変を知らせました。
「逃げよ。津波じゃ」
けれど、ハヤテマルの
いたずらを知っていた村人たちは、
笑うだけで、誰も逃げませんでした。
そして、その日は、何ごともなく
夜になり、月が高くなるころには、
村人たちは、みんな寝てしまいました。
ですから、海が月光をあびながら、
一枚の青い岩のように立ちあがり、
すさまじい勢いで、
村に襲いかかってくるのを、
知るひとは、いませんでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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