坂本和加 2012年1月2日

「お金としあわせになる方法」

          ストーリー 坂本和加
             出演 皆戸麻衣

わたしはお金が大好きだ。

ほんとうは、みんなそう思っているはずなのに、
世の中は、そういうことは大きな声でいってはいけない
ということになっているので、
きょうも私は密かに思う、お金が大好き。

だから大切にしなければ、
という気持ちは、しぜんに起こる。
諭吉さんも、一葉さんも、英世さんも、
おなじ顔をしているようだけど
手元にきた経緯はまったく違うから、みんな一期一会。
ここにきたのも何かのご縁、
たとえそれがつかの間であっても
「ああ、楽しかった!」と帰ってほしいし
できれば大勢のお友達をつれて
またやって来てほしいとも思うので
わたしは彼らに、いつだって手厚い接待をする。
まるでスナックのママみたいに。

諭吉さんの話は、いつだってケタが違う。
この間やってきた諭吉さんは、
ハードボイルドな話を聞かせてくれた。
俺は闇の、汚れた金だったんだって。
コカインの密売を仲介したんだって、さめざめと泣いた。
ほんとかウソかしらないけど、わたしも泣いた。
それで、彼を生き金にしなきゃと思って
慈善活動団体にぽんと寄付した。
そう、お金の使い方もそれで決まったりする。

一葉さんは、24歳。派手でオシャレ好きで、
ネイルに行くときはいつも彼女と。
ちょっと前までは紫式部さんもいたけど、
お金もけっきょく人気がないと出回れないようで
造幣局に、いまだにお蔵入りしているらしい。

海外旅行にでも行くとなると、元気になるのが英世さん。
彼は、社交的でジェンントル。ブロンド好みで、
海外での知名度がすごく高い。6カ国語も話せるし。
円の国際外交は任せたと前任の漱石さんがいってたけれど、
この円高が彼の功績なのか罪過なのか、
くわしいことはわからない。

とにかく、ありがたいことに
わたしのところには、ひっきりなしに
いろんなお金がやってきては、去っていく。
シワくちゃのお金に、ふところもこころも温まる話を聞いたり、
造幣局で生まれたばかりの新入りさんたちを祝ったり。
そうやって、彼らの未来が
楽しい世渡りであることを願い、送り出してきた。

そのたびに、わたしは心の中で
おかえりと、いってらっしゃいを繰り返す。
それは、さっぱりと気持ちのよいものであるほどいいらしい。

クレジットカードなんかはこれからも、使うつもりはない。

出演者情報:皆戸麻衣 フリー

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宗形英作 2011年12月23日

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 森田成一

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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門田陽 2011年12月11日

 ユキの結晶。

            ストーリー 門田陽
               出演 瀬川亮毬谷友子

女「いいわよね、あなたは人気者で。
  世界中があなたの登場を待ちわびている。
  期待されている。ひと目見たいと思われている。
  だから写真誌に追っかけられるくらいは 
  我慢しなさいよ。みんなに愛されているんだもん。有名税よ。
  でもほんとはね、みんなじゃなくて私だけのものにしたいけど。
  そうもいかない。仕方ないわね。人気者なんだもん。」

男「いきなり呼び出しておいて、何だよそれ。大事な話があるっていうから
  わざわざ出てきたのに。そんな用件というか愚痴だったら
  メールで済ませてよ。
  第一いまの話だけどさ。キミも世間も誤解してるよね、
  ボクのこと。発表されている写真はどれもまるでボクとは
  似てない。あんなにワイルドじゃないよボクは。
  確かにスキーのインストラクターはやってるけど、
  どっちかというと草食系だし。足のサイズだって
  あれほど大きいわけがないでしょ。ヒマラヤなんか
  一度も行ったこともないよ。あだ名だってヘンだよね。
  カタカナで付けるならせめてユッキーとかでしょ。
  ボクからみるとキミの方がよほど恵まれてるよ。伝説があって
  神秘的だし、美化されてるし、少なくとも日本人と
  思われてるよねキミは。」

女「よくないわよ。伝説といっても悪い噂じゃないの。
  吹雪の夜に助けられた二人の男の一人を殺して、もう一人と
  恋におち結婚して10人の子どもを設けたのちに忽然と蒸発してしまった女。
  雪のように透き通った白い肌の美人とか言われてるけど、
  見ての通りよ。雪焼けでまっ黒。いちばん腹立たしいのは
  あなたはいつも写真だけど私は絵です。しかも時代錯誤な
  着物姿。それにあなたはいいわよ。リアリティがあるもの。
  今年も10月に西シベリアで行われた国際会議で95%の確率で存在するって
  世界的なニュースにもなったじゃない。ねぇ、イエティ。」

 男「よせよ、イエティじゃないよ。せっかくだから豆知識をひとつ
   教えておくけど、イエティとはネパールの少数民族シェルバ族の
   言葉で岩の動物という意味なんだ。1887年にイギリスのウォーデル
   大佐がヒマラヤでビッグフットと言われる足跡を発見したことで一躍
   脚光を浴びることになった謎の動物。もう150年以上も前のことだから
   ボクには関係ないよ。」

 女「じゃ、ヒバゴン?」

 男「違うよ、やめろよ、言うなよヒバゴンとか。
   ボクは雪に男と書いてユキオです。雪男ではありません。
   去年の冬にバイト先のゲレンデで知りあったキミと、
   たまたま名前に雪という字がお互いつくねと酒の席で盛り上がった
   勢いで一夜を共にしてしまったユキオですよ、お雪さん。
   つぎに街でばったり会ったときに誰だか全く気付かなかった、お雪さん。
   ゲレンデは見た目を3割増しにするって聞いたことあるけど、3割
   どころじゃないといい勉強になりました。
   じゃ、とくに大事な話がないのならボクはバイトに戻ります。」

 女「あ、ごめんなさい。ついあなたに会えたから興奮しちゃって。
   この頃のあなた冷たすぎ。ま、冷たいのはお互い様かもしれないけど。
   大事な話をしなきゃいけないのに。
   ユキオとユキ。やっぱり私たち運命的だったみたいよ。
   できちゃったのよ。
   あのときの私たちふたりの雪の結晶じゃないや、
   愛の結晶がね。」

出演者情報:瀬川亮 03-5456-9888 クリオネ所属
      毬谷友子 .03-3352-1616 J.CLIP 所属

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赤松隆一郎 2011年12月4日

悲しみの飴玉。喜びの飴玉。

       ストーリー 赤松隆一郎
           出演 赤松隆一郎

少年は今日も、
いつものように、
いつもの道を通って
二つの村を往復する。

彼は両手に籠を持っている。
しなやかな蔓草で編まれた
その籠の中には、
飴玉が入っている。

右手の籠には、悲しみの飴玉。
左手の籠には、喜びの飴玉。

悲しみの飴玉は、
悲しみの村で作られる。
悲しみの村の住人たちは、
悲しむことで生きていて、
目に映るもの、耳に聞こえるもの、
触るもの、感じるもの、すべてを悲しむ。
そして彼らは、悲しみの涙を流す。
流れた涙は、
地面に落ちたそばから結晶になり、
その結晶は、
村を吹き抜ける冷たい風を受けて
ころん、とした飴玉になる。
悲しみの村人はそれを、
少年の右手の籠にいれる。

もう片方、
喜びの飴玉は
喜びの村で作られる。
喜びの村の住人たちは、
喜ぶことで生きていて、
目に映るもの、耳に聞こえるもの、
触るもの、感じるもの、すべてを喜ぶ。
そして彼らは喜びの涙を流す。
流れた涙は、涙腺を離れた瞬間に結晶になり、
その結晶は、
涙を拭った村人の手の平で
ころん、とした飴玉になる。
喜びの村人はそれを、少年の左手の籠に入れる。

喜びの飴玉は、喜びの味がする。
それは、少年によって、
日の出とともに、悲しみの村に届けられる。
悲しむことしか知らない村人たちは
喜びの味がする、この飴玉を舐める事で、
喜びがどんなものなのかを知る。
しかし、そのことで涙を流すことはない。
彼らが涙を流すのは、あくまでも
何かを悲しむ時だけだ。

悲しみの飴玉は、悲しみの味がする。
それは、少年によって
日の入りとともに、喜びの村に届けられる。
喜ぶことしか知らない、村人たちは
悲しみの味がする、この飴玉を舐める事で、
悲しみがどんなものなのかを知る。
そしてもちろん、
そのことで涙を流すことはない。
彼らが涙を流すのは、あくまでも
なにかを喜ぶ時だけだ。

今日も少年は、飴玉を運ぶ。
悲しみの村と、喜びの村を往復する。
悲しみの村の大人たちは言う。
「私たちの涙でできた飴玉を、
 決して口に入れてはいけないよ。
 もしそれをしたら、
 お前は死んで、この世界から消えてしまう。
 お前がいなくなると寂しい。
 だから飴玉を舐めないでおくれ。
 そして毎日、この村に喜びの飴玉を届けておくれ。」

喜びの村の大人たちは言う。
「私たちの涙でできた飴玉を、
 決して口に入れてはいけないよ。
 そんなことをしたら
 お前は死んで、この世界を失ってしまう。
 お前にはこの世界が必要だ。
 だから飴玉を舐めてはいけない。
 そして毎日、この村に悲しみの飴玉を届けておくれ。」

少年は村人たちとの約束を守っている。
両手の籠にある飴玉を、
一度も口に入れることなく、
毎日、それぞれの村へと運んでいる。
でもそれはずっとは続かない。
彼が飴玉を口に入れる時が、
いつの日か、必ずやってくる。
いけない、と思いながらも
頭ではわかっていながらも、
その日の少年には
それを抑えることができない。

はっと気づいた時、
少年の口の中に、
悲しみの飴玉が一つある。
もちろんそれは、
少年が自分の手で、自分の口に運んだものだ。
悲しみの飴玉を舐めてしまった。
村の大人たちが言ったように、
僕は死んでしまうのだろうか。
この世界から消えてしまうのだろうか。
もしそれが本当だとしたら、
もう同じことだ。
悲しみの飴玉がまだ残っている口の中に
少年は、喜びの飴玉を一つ放り込む。
柔らかな舌の上で、
二つの飴玉を交互に転がす。
悲しみ。喜び。悲しみ。喜び。
そして気がつく。
二つの飴玉が、
まったく同じ味だと言う事に。

太陽が真上を通り過ぎる。
少年は空を見ている。
口の中はだいぶ前からからっぽだ。
彼にはもうわかっている。
籠の中の飴玉をいくつ舐めようが
僕は死にもしないし、消えもしないし
何も失ったりはしない。

そして、少年は歩き出す。
彼はもう村へは行かない。

この先、二度と行くことはないだろう。
歩いたことのない道に、ゆっくりと足を踏み入れながら
少年は新しい飴玉を一つ口に入れる。
それが悲しみの飴玉なのか、
喜びの飴玉なのか、
少年はもう考えもしないだろう。

その日は必ずやってくる。

出演者情報:赤松隆一郎 http://ameblo.jp/a-ryuichiro/

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古居利康 2011年11月23日

丘の上の未来  

         ストーリー 古居利康
            出演 山田キヌヲ

その日の午後、市役所から届いた葉書は、
団地の抽選に当選したことを告げていた。
倍率4倍とか5倍とかで、どうせ当たるわけがない、
と、最初からあきらめ半分で申し込んだ抽選だった。

だけど当たったんだ。
へぇぇ、あんたよく当たったねぇ。
なんだかひとごとみたいにそう思った。

団地、だんち、ダンチ。なんてステキな響きだろう。
私鉄沿線の新しい駅。郊外の丘の上。
真っ白な鉄筋コンクリート、5階建て。
キッチンにはちいさな食堂がついていて、
ベランダだってある。

いつものように、明るいうちに息子と銭湯へ行く。
番台のおばさんに、団地のことをしゃべってしまう。
あっという間に広まるな。
おばさん、町内のスピーカーだから。
でもかまわない。ほんとのことなんだから。

清潔な一番湯はさいしょ少しちくちくするけど、
すぐにほんわりとからだを包み込む。
傾いた陽の光が、高い窓から斜めに射し込んでいる。
天気のいい日の夕方は、東の空に鈍く輝きはじめる
気の早い星が、窓の向こうに見えたりもする。
天国にいちばん近い場所って、もしかしてここ。
だけど、団地はお風呂付きなんだ。
引っ越したら、もう銭湯には来れなくなる。
ちょっと残念・・。

そんなふうに考えているじぶんは、
かなり矛盾していると思う。

 おとうさんとおかあさん、
 おひっこしするのよ。
 おへやがみっつもある、ひろぉーいおうち。
 ろくじょうひとまから、だっしゅつだ!

息子はお湯のなかでうつらうつらしている。
半開きの瞼の奥で、黒目がゆっくり裏返っていく。

今日はごちそうをつくろう。団地当選のお祝いだ。
そうそう、お赤飯も炊かなくちゃ。
夫の大好物でもあるし、お赤飯。

夜、風呂敷に包んだ分厚い書類の束を抱えて
会社から帰ってきた夫が、
卓袱台の上に並んだ料理に驚いた。
葉書を見せたら、短い叫び声をあげて
すでに寝ていた息子を抱えあげ、
いきなり頬ずりをした。
伸びかけの髭が痛かったのか、
息子がわーんと泣き出した。

翌日、お隣の奥さんにご挨拶にいく。
このひとは、いつも息子の面倒を見てくれる、
やさしいひと。じぶんのことのように喜んでくれた。
お別れするのは寂しいな。
というより、少し後ろめたい。
去年の夏、お隣のご主人は北の戦場で亡くなった。
さいごの戦いと呼ばれる、あの激戦のさなか、
ご主人は勇敢に戦って、二度と戻ることはなかった。
いまひとりでこの六畳一間のアパートに暮らす奥さん。
ほんとうに団地に入るべきなのは、
このひとの方ではないか。

その週の日曜日、3人で団地の建設予定地へ行った。
建物はもうほとんどできていた。
白いコンクリートの壁に、24という数字が見えた。
わたしたちの24号棟だ。
道はまだ砂利道だった。アスファルトを敷くのは、
最後の仕上げらしい。道の両側に側溝だけ掘ってあった。

何もない丘だった。草っ原にポンポンポンと、
四角い建物がとつぜんふってわいたように建っている。
真ん中に高い塔がある。給水塔なんだそうだ。
塔を取り囲むように公園ができていて、
こどもの遊具もたくさんある。
遊動円木。雲梯。鉄棒。ブランコ。シーソー。
みんな真新しくて色鮮やか。

24号棟の裏手から、草ぼうぼうの空き地がつづいていた。
少しくだりかけた丘の中腹あたりに、火が見えた。
煙がまっすぐきれいに空に立ちのぼっている。
さっきからけむいなと思っていたら、
あの焚き火のせいだったのか。

「あれは人間だな」
夫がぽつんとつぶやいた。
「え?」
「人間は火が好きだ」
 なにかを燃やすことに、情熱を燃やしてきた。
 クククッ」
「人間って、あの人間?
 手が2本しかない。目も2つしかない、
 しっぽも生えてない、」
「うん。脳味噌の容積が、
 われわれの10分の1もない、
 かわいそうな生きもの・・」

夫はそう言って、4本の手をぐるぐる回し、
体操のようなことをした。
息子が真似して、まだ短くてかわいらしい
4本の手をぐるぐる回している。
「たった2本の手で、彼らはよく戦ったよ。
 彼らは火をもっていたから。
 われわれの側の犠牲者も少なくなかった。
 だけどさいごは、その火でみずからを
 焼き尽くした」

犠牲者・・。
そのなかにお隣のご主人もいる。
奥さんはやっぱり団地に入ってはいけない。
あのごみごみした港町のかたすみの、
六畳一間のアパートで、平穏に暮らしてほしい。

「ねぇ。なぜあんなところに人間がいるの?」
「あそこは人間の保護区なんだ」
「団地のこんなすぐそばに?なんかこわいな」
「だいじょうぶ。彼らは人間のなかでも
 いちばん最初に降伏した種族だ。
 おとなしいし、友好的だ。それに・・」
「それに?」
「全員、去勢されている。
 いまいる人間が死んだら、それで、
 ジ・エンドだ」

団地に描いていた未来の夢が、
急速に色褪せていくような気がした。
陽が傾いて、西の空が赤くなっていた。
東の空で最初に輝きだす緑色の星に向かって、
息子のしっぽがもぞもぞ動いた。

わたしたちと同じ、緑色の顔をした、この子。
わたしたちと同じ、緑色の血が、流れてる。
黒光りするつぶらな3つの瞳に、
わたしは語りかける。
大きくなったら話してあげるね。
あの星のこと。この星のこと。
わたしたちの親たち。長く厳しい戦争。

丘の中腹の火はもう消えかかっているのか、
弱い煙が一本の線になって、
ゆっくり立ちのぼっている。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

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藤本宗将 2011年11月20日

リセット

         ストーリー 藤本宗将
            出演 大川泰樹

気がつくと5人は後ろ手に縛り上げられ、
膝をついて座らされていた。
暗いために彼らの表情までは読み取れないが、
長く伸びた頭髪はひどく乱れており
激しく抵抗したことを示していた。
しかし今はみな声を発することもできず、
ただ恨めしそうに襲撃者たちを見上げている。
自分たちがなにをしたというのだ。
深くくぼんだ眼窩の奥で、眼がそう訴えていた。
森の中から眩しい光とともに
突如現れた異形の集団は
見たこともない銀色の服を身にまとい、
見たこともない武器を肩からさげていた。
どうやって捕えられたのか、まさに一瞬の出来事だった。
「悪く思わないでくれ。
君たちに罪はないが仕方ないんだ」
銀色の連中のうち、
リーダー格とおぼしき1人がそう話しかけた。
しかしあくまでもその口調は、
相手との会話を望んでいるようには思えない
きわめて一方的なものだった。
判決理由を言い渡す裁判官のように、男は淡々と続ける。
「それのせいさ」
男は傍らの焚火のほうに視線を向けた。
表情は冷ややかなままだが、
瞳に映ったオレンジ色の炎がぎらりと光った。
「君たちが火を手に入れたことで、
人類は文明を飛躍的に発達させた。
しかしそれは人類自身を狂わせもした。
われわれとしては、
破滅を回避する必要があったんだ。
そのために、この時代へと送り込まれたんだよ。
もういちど進化をやり直せば、
違う道を歩むことができるかもしれないからね」
いったいなんなのだ?こいつはなにを言っている?
5人に理解することはできなかったが、
動物的本能が身の危険を告げていた。
縛られたまま必死で叫んだものの、
それは言葉にならない。
やがて5発の銃声がひびきわたると、
森はふたたび深い闇と静寂に包まれた。
そのままにされた焚火の残り火が、
あたりを弱々しく照らしていた。
1929 年に北京市房山区
ぼうさんく
周口店
しゅうこうてん
で発掘された
約78 万年前の人類は、考古学者によって
「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」と名付けられ、
その周辺からは、ほぼ完全な頭蓋骨5個と
彼らが火を利用していたことを示す跡が発見された。
しかしその化石骨のすべては、
第二次世界大戦の混乱の中で忽然と消えてしまう。
まるで、もとより存在しなかったかのように。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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