直川隆久 2020年11月22日「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

         ストーリー 直川隆久
          出演 地曳豪

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファーストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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直川隆久 2020年8月16日「北村の流儀」

北村の流儀

        ストーリー 直川隆久        
           出演 大川泰樹

ドアが開き始めるそのときには、すでに片方の脚は踏み込んだ状態でいたい。
だから、相手が…まだ顔も見せないその相手が、ドアの裏側へ接近する気配を、
北村は全身を感覚器官にして待ち構える。
ドアノブに、見えない手がかかり、ひねられる。
扉が動く0.1秒前に、北村は右足を踏み出す。

右手の平の上には、小包が載っている。

ドアが20センチほど開く。
その隙間から、警戒心に満ちた相手の視線がこちらに射られる。
さっき北村がインタホン越しで名乗った所属組織ははたして真実なのか、
という疑念。
とがった視線は、突きささるべき場所を求めて、一瞬さまよう。

北村は「郵便局」と書かれた胸元の名札を視線の先端に触れさせる。
そしてその瞬間――荷物を持った右手はドアの前に残しつつ、
上体をするりと左側に回転させ、ドアと正対しないポジションに流す。
受け止め、同時に受け流す…ドアを開けた相手に安堵を与えながら、
その負のエネルギーをこちら側に撃ち込ませないために、
そして、次の動作へ最小の時間で移るために、北村が編み出した所作であった。

相手がサインをするためのペンを…
筆記具の共用を警戒して自前のボールペンを握りしめているのを…
北村は口惜しい思いで眺める。
「あ、サイン要りませんのでー」と改めて言葉を発しなければいけないからだ。
それだけ、対面状態で吐き出す空気が増える。
インタホン越しの時点で「郵便局です。ポストに入らないお荷物おもちしました。
サイン要りません、お渡しだけで」と最後まで言わせてくれればよいのだ。
なのに皆「ポストに入らないお荷物」まで聞いたところでインタホンを切り、
あたふたとペンを探しに行ってしまう。

受け渡しという、この不可避の接触に要する時間をどれだけ短く、
優雅にできるか。それが北村の関心事であった。
最初は、「感染回避」のためだった。
だが、何百回となく同じことを繰り返すうちに、
当初の実務的な目的は徐々に意味を失い、
いつしか様式美そのものの―労働の中における美学と洗練の―追求という
目的が純化されていった。

受取人の手が、荷物に触れるか触れないか、ぎりぎりのラインで、手を離す。
早すぎても、遅すぎてもいけない。
優雅に。
あくまで優雅に。
ソロを舞うダンサーが、たまさか舞台端(ぶたいばな)まで進み、
最前列の客席に、しなやかな肉体の躍動の残り香を、
ひとしずく置いて去るかのように――

小包がそのすべての重量を受取人の手の上に移動させたとき、
北村の体はすでに回転を終え、
自分が運転してきたトラックに向かって歩き出す態勢になっている。
荷札に視線を落とし、送り主の名と荷物の内容を確認した荷受人が
再び視線を上げるころには、
北村は「ありがとうございましたー」の「たー」を言い終えている。
最後の「たー」をひときわ大きく発声しながら。

北村には、厳に自らに戒めていることがある。
それは「荷受人からの、ねぎらいの言葉を期待してはならない」ということだ。
期待すれば、その期待が裏切られたとき、心は微細な傷を負う。
ひとつひとつは紙の縁で肌をなぜるような傷であっても、
幾度となく同じところを擦過(さっか)されるうち、
あるときぱっくりと口を開いて、血を噴き出すことがあるかもしれない。

だから、北村は荷受人に背を見せながら大きな声を出す。
大きな声を出せば、礼を言われたかどうかはそもそもわからない。

荷受人が「あ、マスクつけるの忘れてた。ま、いいか」などと独り言を漏らしているとき、
すでに北村はトラックの運転席に着き、エンジンを再点火している。
アクセルを踏み込む頃には、荷受人は再び家の中に戻り、
荷物を開封するハサミの在り処に意識は上書きされる。

北村に関する記憶は何も残らない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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坂本和加 2019年12月21日「クリスマス」

クリスマス

     ストーリー 坂本和加
        出演 清水理沙

アカリは、みんなと同じが好きじゃない。
なぜ同じことをしなくちゃいけないの?
違うのは、だめなの?
転んだとき「痛かったねえ」とか。
どうしてわかったように言うの?
あなたは私じゃないのに。
どのくらい痛かったかなんて、わかるはずがない。
「いいね、わたしもそう思う!」なんて簡単に言わないで。
みんな共感しているフリをしてるだけだよね?
アカリは、ずっとそう思ってきた。

だけど、普通はそんなふうに思わない。
というか普通の子は、そうらしいとわかった。
変わってるねって、褒め言葉じゃないんだってことも。
だからアカリは変わった子。
きょうも普通の子のふりをしながら
いつもと同じことを考えている。

なぜみんな同じが好きなのか。なぜ私は同じが苦手なのか。
こないだは、大人になったら同じが好きになるのかを想像した。
気持ち悪くなった。自分が何かに組み込まれるようで、
それが大人になることなら、私は私のままでいたい。
できるだけ目立たぬように普通の子のふりをして、アカリは大人になった。

ハロウィンとクリスマスは、ずっと苦手なままだ。
仮装してバカ騒ぎするハロウィンに何の意味があるのか。
クリスマスに恋人がいないひとはかわいそうで、
何千万というカップルがイブの夜にセックス。
それって頭がおかしすぎる。
アカリは、ブランドものももってない。
欲しいような気もするけれど。高いし。みんなもっているから。
そんなわけで、ひとと合わせないから、友達も少ない。
でも特に気にしていない。
彼氏はいる。つきあってみれば案外、普通のひとだ。

ある日、聞いたことがある。わりと勇気を出して。
「トウくんは、きっと変わってるよね」
とりたて美人というほどでもない、私とつきあうくらいだから。
なぜそんなことを聞くのかと問われて、
自分が昔から変わっていると言われつづけてきたことを伝えると、
返ってきた答えは意外だった。
「アカリは、オレから見たらちゃんとした、普通の女の人にみえる。
ちゃんと働いて。納税してる」
「なにそれ」
「だってそうだろ」
それからトウ君が言ったのは、
「なにが普通でなにがヘンか、なんて。そんなモノサシどこにもないだろ」。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

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直川隆久 2019年9月22日「督促」

督促

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

あ、もしもし、田中さんのお宅でしょうか。
川添市立市第2図書館の藤村と申します。

深夜に、申し訳ございません。

用件は、もう、おわかりだと思いますが、
当館よりお借りになられました「括約筋しめるだけダイエット」、
貸出期限を大幅に過ぎております。

7か月と1週間、の超過です。
これで、お電話、10回目となります。

田中さん、ひょっとして、若干、意地になっておられますか。
税金で運営している図書館ごときに、返せ返せと指図されるのは業腹だ、
と、こうお考えでしょうか。
いや、きっと、そう、お考えなのでしょう。
じつは、昨日も、そのようなご意見の方が、おられました。
“なんでリクエストした本が入らないんだ。
 眠たい仕事するな、この税金泥棒“
という貴重なご意見を頂戴しました。

ま、考え方というのは人それぞれです。
市立の図書館の仕事も、対市民のサービス業という側面は確かにございます。

ですが、田中さん。
借りたものは返す。
それは、人としての道義です。
人としての道義に、納税者も公務員も関係ありません。

事ここに至って…
私も、手立てを講じさせていただくことにいたしました。
ついては、
田中さんに「括約筋しめるだけダイエット」を返却いただけるまで、
30分ごとに、こちらにお電話をさせていただきます。

(しばらく間の後)
田中さんねえ。
わたし、もう、我慢しないことにしたんです。

あっちこっちで、堪忍袋の緒を切る音が聞こえるような世の中でしょう。
それで、相手より早く切ったもん勝ちっていう、そういう世の中でしょう。

そんな風潮に流されてはいけない。
そう思って、今日まできました。

でも、わたしは疲れてしまったんです。
だから、もう、我慢しません。

(突如大きな声で)田中!

だれが税金泥棒だ!
おまえが、泥棒、なん、だよ!
借りパクうんこ野郎!

(しばし間の後)

はっはっはっは…

こんなことをしたら、来年の定年を待たずして、クビになるかもしれませんな。
はっはっは…

それでは、次回は30分後の午前1時10分に、お電話いたします。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2018年11月18日「落ち葉長者」

落ち葉長者

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

冬至に近い頃あいのよく晴れた日、
おれはX山の展望台からの下山ルートをたどっていた。
木立のせいで見晴らしもない上に角度が急な斜面を嫌って、
ほとんどのハイキング客はケーブルカーを利用する。のだが、
俺は人気のない登山道を一人で歩くのが好きで、
よくこの道を使うのだ。
山道のとおる斜面はやわらかな光につつまれて、
歩いていて気分が和む。なべて世は事もなし、という気分。
道の両側にはクヌギやコナラが自生し、
茶色いじゅうたんのような落ち葉を斜面にしきつめていた。
調子よく歩いていたときに、
右側の視界の端に妙なものが映った気がした。
振り返って確認すると、
地面の色合いが…
半径3メートルほどの範囲で変わっているところがある。
なに?なんだろう、と近づいてよく見ると、
それは…大量の一万円札だった。
何千万円、いや、何億円分あるだろうか。
まるで廃棄物のように無造作に散乱している。
ぎょっとして足がすくみ、思わず周囲を見渡す。
映画かなにかを撮影していて、そのセットだろうか?
だが、周囲にはスタッフらしき人間も見えない。
一枚を拾い上げて見てみる。
そこには映画の小道具然としたちゃちさは微塵もなく、
どこからどう見ても本物だ。
犯罪?
不安になって耳をそばだて、周囲をうかがう。
そのとき、顔の前をはらりとかすめるものがあって、
思わず、ひゃおうと大きな声がでてしまった。
かさ、と音をたてて地面に落ちたそれを見ると、一万円札。
それが降ってきた方向を見上げて、再度たまげた。
俺の頭上にひろがった樹の枝には、
一万円札がわっさわっさと茂っている。
そして、風がふくたびに、
万札がはらりはらりと冬の陽光に照らされながら散り、
降り積もるのだった。

ガコ、と音がして、頭上をケーブルカーが通り過ぎた。
ケーブルカーは樹高よりは相当高いところを通っており、
地面の万札に気づく乗客はいなさそうだ。
が、あまり同じところにとどまっていれば怪しまれる可能性もでてくる。
俺は慌てて足元の一万円札をかき集め、
ウィンドブレーカーのポケットに詰め込めるだけ詰め込むと、
残りの山道を急ぎ下った。

アパートに戻り、持ち帰った一万円札の一枚を手にとり、
ためつすがめつ眺める。
本物の万札と比べても、寸分違うところはない。
ご丁寧にすかしまで入っている。
しかし…これは、実際に使える金なのかどうか。
実地で確かめるよりない。
ポケットに天然の万札を1枚入れて、街に出た。

コンビニで使うと店員の目にとまるので、
駅の自動券売機にそれを入れてみる。
一番安い切符のボタンを押すと、切符とつり銭がでてきた。
いきなり券売機がピービ―鳴りだし、駆け付けた係員にとっつかまる…
ということもなく、9,870円の現金がおれの手元に残った。
ほっとする、と同時に、しみじみと嬉しさがこみあげてきた。
その金で回転ずしに行き、つい大トロばかり12皿も食ってしまい、
気分が悪くなった。
アパートの帰ったおれは、拾った一万円札を、中国のまじないよろしく、
上下逆さまにして壁にセロハンテープで貼り付けた。金運招来。

持前の用心深い性格が幸いしてか、金は意外に長くもった。
車も乗らないし、ブランドものにも興味がないので、
一息に使う理由がない。
毎日、スーパーで刺身を買って食うようになったくらいだ。
また、使えない事情もあった。
足がつくのを避けるために、使う場所をあちこち変えたのだ。
あちらの駅の券売機で一枚、
そのあとで電車に一時間乗ってパチンコ屋に入り、
一枚を玉に替え、そのまま景品所で現金に再び戻す、というように。
これはなかなか厄介で、そうか、マネーロンダリングというのは、
こういうところにニーズがあるのだなあ、と妙な納得をする。

しかし、あの樹はいったいなんなのか。
突然変異でそんな新種が誕生したのか。
いや、それはいくらなんでも…バイオテクノロジーというやつか。
そうなると、誰かが、目立たないようにあの樹を育てたということなのか。
…答えはでない。面倒くさくなってやめた。

このペースなら当分金はもちそうだったが、ふと不安になった。
季節が春になって、周囲が新緑になったころになると、
あの樹はどうなるだろう。
一本だけ茶色い万札がわっさわっさと茂っていれば、否応なく目立つ。
そうなれば…
俺は、急なあせりをおぼえ、次の日、夜もまだ明けきらぬうち、
リュックを背負ってX山の登山口に向かった。
今日は逆ルートで登り始める。
小雨がぱらついており、ほかのハイキング客も見当たらない。
30分ばかり、ひたすら進む。
確かこのあたり…というところにさしかかって、ぎょっとした。
相当に広い面積…テニスコート一枚分ほどの広さで、
周囲の赤茶けた土がむき出しになっている。
巨大なショベルでこそげとられたかのように樹木の根すら残されておらず、
無残な有様だ。
もちろん、あの「金のなる樹」は跡形もない。
何者かが、土木工事をおこなったのだ。
土の表面はまだ湿っていて、
「伐採」からそう時間はたっていないように見えた。
…それにしても、これだけの規模の伐採と土砂の運搬をしようと思えば、
相当な重機が必要なはずで、
そんなものをどうやってこのせまい登山道しかない山に運び上げたのか。
だれが?
おれは、恐ろしくなってそのまま後ろも振り返らず山道を駆け下りた。
帰りのスーパーで、ハマチの刺身を買った。

同じようなペースの数か月が過ぎ、五月の連休も過ぎた時分。
手元の一万円札は確実に数を減らしていき、残るは最後の一枚となった。
壁に貼った一枚だ。
そうか、これで最後か。この一枚がなくなったら、
もう毎日刺身を食うのは無理なのか。
はたしておれは、一度知った刺身の味を忘れられるだろうか。
などと思いながら重苦しい気分で逆さまの一万円札を見つめていたその時。
きゅー、という聞き慣れない音がして
万札の端っこがまぶしい光を発したかと思うと、
どかんと音がして、煙があがった。
一万円札があった場所からしゅうしゅうと音をたてて炎があがる。
わ。
わ。
わ。
おれは仰天して、コップの水をかける。ぼふ、と音がして、
猛烈な湯気が立ち上る。
だが、しゅうしゅうという炎は一向に収まる気配がない。
鍋に水をくみ、1杯、2杯、3杯、と壁にぶちまけ、ようやく収まった。
焦げ臭い煙でいっぱいになった部屋の中で、おれはがたがた震えていた。
確かに見た。
万札が、火を噴いた。
これが、おれのポケットの中にあったら…?火傷くらいではすまなかったろう。

幸いに火災報知器は発動せず大ごとにはならなかったが、
隣家の住人には怒鳴り込まれた。
壁に貼った一万円札が爆発したんです、とはいえず、しどろもどろに答える。
いやな動悸がおさまらないまま布団に潜り込む。
寝床で、もしや、とおれは考えた。
これは、現金の形をした兵器なのかもしれない。
あんな目につきやすいところに樹が植わっていたのは、
やはり意図があったのではないか。
わざと、人間に、拾わせる、という意思が。
まずは、人間に、金を拾わせ、気分よく使わせる。
万札は、人から人へ、どこまでも渡っていく。
細分化され、人間社会の網の目の中へ、とめどなく浸透していく。
そして、十分に、時間をおいたある日、
いたるところで突然火を噴き上げる…。
遺伝子操作か何かで、誰かが、そんな兵器をつくったんだろうか。
そして、人知れない山で、栽培した。
だが、何かの事情で証拠隠滅をする必要がでてきた。
それで、山肌をごっそりと削り…
そんなことが地球の科学でできるんだろうか?だとしたら…?
いや、原因はもうどうしたってわからない。問題は、
これから起こることだ。
おれは、金のつもりで時限爆弾をばらまいたのかもしれない。
冷や汗が首筋を流れ、がば、と寝床から飛び出す。
テレビをつける。
通販番組が、ヒザ関節によいサメの軟骨を大盤振る舞いしている。
画面の上に、不審な出火や爆発事故を伝えるニュース速報が
現れるのを待ちながら、おれは動くことができない。

えらいことになった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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古居利康 2018年10月21日「花に身を」

  花に身を           

     ストーリー 古居 利康
       出演 地曳豪

 そのひとがいるとにおいでわかる。
 あるときこどもらが亀をつかまえて酒を飲ませて
みようということになった。力ずくで口を開かせ酒
を注ぐが、亀は死にものぐるいで首を歪め逃げよう
ともがく。そこまで酒を嫌うかと残酷な子らが思っ
たそのとき、においが近づいてきた。
 姿を見ないでもわかった。意外な速度で歩いてき
てそのひとは「そういう無慈悲なことをするもので
ない」と諭したが、こどもらは口々に「うぁぁ」と
声にならない声で呻き、鼻をつまんで亀を放り投げ、
すでにいちもくさんに逃げている。道端で裏返って
甲羅に手足を引っ込めている亀を、そのひとは池に
放してやる。
 またあるとき川べりに腰をおろしたそのひとが、
何をしているのかと思えば着物にたかった虱を潰し、
石の上に一匹ずつ並べている。遠巻きにしたこども
らが石を投げつける。そのうちのひとつが後頭部に
命中したのだろう。そのひとは頭から血をだらだら
と流すが倒れるでもなく立ち上がる風もなくただ動
かない。こどもらは逃げ出すが、気になって戻って
きて物陰から様子を窺う。そのひとはずっと動かな
い。坐ったまま死んだのか。こどもらはそう思って
こわくなる。
 けれどもそのひとは翌日いつものようにふらふら
と歩いている。腰にぶらさげた瓢箪を的にして、ま
たもやこどもらが石の礫を投げつける。今日はなか
なか当たらない。昨日のことがあるので、こども心
に手かげんしているのか。
 もともとはおさむらいだったせいか、いつも袴を
履いている。真っ黒でぼろぼろで穴だらけの袴。羽
織は着ておらず、薄手の小袖一枚、垢まみれで薄黒
くなった上半身は妙に瘦せ細り、全体が烏みたいな
シルエットになっている。ひどくにおう痩せガラス。
御一新前から刀を捨て放浪を繰り返し、俳句をつく
ってきた。そんなことはこどもにはわからない。家
をもたず、襤褸をまとってひどいにおいを撒き散ら
す、文字通りの鼻つまみ者でしかない。けれど親た
ちは握り飯やお酒などをめぐんでいるようで、腰に
ぶら下げた瓢箪の中身はいつも酒でたぷたぷしてい
る。酒をもらったそのひとは、「千両、千両」と歌う
ようにつぶやく。礼のつもりか、ときおり紙に文字
を書いて渡すことがある。手紙ではない。一行、二
行のごく短い文字の連なり。それが俳句というもの
だろうとひとびとは思ったが、字が読める者などだ
れもいないので、それはただの紙切れだった。
 ある秋の日。事件はあっけなくやってきた。あぜ
みちを転げ落ちたのだろうか。そのひとは、いちめ
んコスモスの花が咲く休耕田へ頭から突っ込んでい
た。薄紫の花のあいだに、細い白い足が逆さに生え
ているようだった。第一発見者のこどもは、鼻をつ
まむのも忘れて村の駐在に駆けこむ。コスモス田か 
ら助け出されたそのひとは、まだ息をしていた。医
者のいない村では薬草を煎じて飲ませるほかは、た
だ一心に念仏を唱えるしか能がない。
 かつてこんなこともあった。鼠花火で遊んでいた
こどもがまちがって前髪と眉毛を灼いて痛がったと
き、「それそこに渋柿という妙薬があるではないか」
と柿を頬張り噛み砕いてこどもの頭に塗りつけた。
医者の心得があるわけではなかったが、放浪の日々
に覚えた応急処置だったかもしれない。
 そのひとは息はしているが目を覚まさない。ここ
ちよい眠りを眠っているようだった。大人たちは気
がつかなかったが、こどもらは気がついていた。そ
のひとからにおいが消えていることに。
 しばらくしてそのひとは死んだ。葬る際に懐をあ
らためると、ぼろぼろの紙が出てきてこう書いてあ
った。

 花に身を汚して育つ虱哉  

 字の読める駐在さんに読んでもらったが、意味が
わからない。みずからを虱に喩えているのはなんと
なくわかったが、葬いをお願いしにいくついでに寺
の住職に聞いてみようということになった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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