中山佐知子 2013年9月29日

屋根

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

茅葺き屋根のふるさとで
春になったらススキを焼いた。
ススキの原っぱを焼いた。
野焼き、火入れ、その土地土地で呼びかたは違うが
茅葺き屋根の茅は山里ならススキのことで
姿の良いススキが育つための野焼きは
雪が溶けた最初の祭りのような、村中総出の行事だった。

ススキの原に火が入ると
早くに芽を出していた草や灌木が焼ける。
去年の枯れ草に生み付けられたカマキリの卵も
名前を知っている花も、虫も、たぶんネズミも
野焼きは地上にあるものをすべて灰にする。

この殺戮でススキの原を守るのは
いつの時代の知恵だろう。
野焼きをしなくなったススキの原は
何年もしないうちに藪になるのを
僕はいくつも見てきている。

ある年の春、火がおさまったススキの原に
焼け焦げたイタチの死骸を見つけた。
これほど火の勢いが強くても、
地中深く眠るススキには何の影響もなく
まだ焦げた色の残る焼け野原にツンツンと緑の葉を伸ばし、
夏には大人の背丈より高く育つ。

ススキの原のススキは美しいと思う。
土手のススキのように曲がったり折れたりせず、
何の心配もなく暮らしている人のような素直さで
長い茎を空に向かって真っ直ぐ立てている。
僕はその姿を見るたびに
茅葺き屋根のきっぱりとした直線を思った。

そしてある風の強い晩に
月明かりのススキの原を見たことがある。
風にちぎれたススキの穂がキラキラと上空を舞い
その下には海原にも似たまるいうねりがあった。
僕はそのときはじめて
茅葺き屋根のやさしい丸い曲線の秘密を見たと思った。

ススキの刈り取りは
山の紅葉が散るころにはじまる。

去年葺き替えたアラキダさんの屋根は
6000束のススキを使った。
トラックで運べば4トントラック20台分だが
昔はトラックがなかったので
遠くから運ばなくても済むように、
どこのでも村のなかにススキの原っぱがあった。
春の野焼きも、秋の刈り取りも
屋根を葺くのも、みんな村の共同の仕事だった。

茅葺きの屋根は呼吸をしている。
夏は暑さを締め出し、冬はぬくもりを抱きかかえてくれる。

茅葺き屋根の下にいると、外の騒音が聞こえない。
小さな声も聞き取れる静かな家では
そういえば大声を出す人がいなかった。

茅葺きの断熱、保温、通気、吸音
どれをとっても、これほどの優れた屋根を
現代の材料と技術でつくることができないのは
その家のある土地の生きた材料を
使わなくなったからではないかと思うことがある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

  

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直川隆久 2013年9月15日放送

ススキてすけと

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

○もしもし。
■ばい。
○あ、ススキてすけと。
■あら、ズズギざん。
○しゅんこさん、とつせんてすけと。
■なあに。
○ほくたち、つきあって、とれくらいになるんてしょうね。
■どうじだの、あらだまっで。
○すっとかんかえてたんたけと、ほくたち、ふしきなカッフルてすよね。
■ぞうね。
○ほくわ、たくてんのないおとこ。
■わだじわ、だぐでんばがりのおんな。
○せいはんたいたけと…
■ぜいばんだいだげど、ぞごがびっだりなのがもじれない。
じばらぐまえにぞんなばなじをじだどごろよね。
○ても、しゅんこさん、ほくは…そろそろつきのステーシにいきたいんた。
■えっ。
○ほくはもっとあなたと…あなたとのキャッフをうめたいんた。
■ギャッブっで…どういうごどがじら。
○おなしものをたへてもほくはフリンといって、
■わだじわ、ブリンでいう。
○トイレットヘーハー。
■ドイレッドベーバー。
○ハイナッフル。
■バイナッブル。
○それたけならまたしも、
しゅんこさんか「うちのははわ」っていうと
ははなのかハハなのかとちらかかわからない。 
にほんこのおかあさんなのか、えいこのおとうさんなのか。
■「ババ」なのが「ばば」なのが、わだじもごんらんずるわ。
○ことはをかさねるたひに、ほくわ、ふたりのちかいにはかり、
こころかとらわれる。これか、キャッフてす。
■でも、ぢがいをみどめあい、ぞんぢょうじあのも、
ガッブルのありがだではないの?
○そんな…そんなきれいことはききたくないんた!
 ほくは…ほくは、いますく、しゅんこさんとひとつになりたいっ。
■でも…でんわで、どうやっで?
○こまかいことわこのさい、きにしないてくたさい。
■だめ。わだじ、まだ、ぶみだずゆうぎがない。
○しゅんこさん。こうかいはさせません。
■…ごんな、だぐでんだらげの…
にごっだでんどがいでだぐでんだらげのおんなでいいの?
○こけつにいらすんはこしをえす。
■…(やや間)…ごうがいじないのね…?
○…しゅんこさん!
■ズズギざん!
○しゅんこさーん!さーん!……(エコーの口マネ)
■ズズギざーん!ざーん!ざーん!…
(間)
○しゅんこざん!
■ずすきざん!
(二人ユニゾンで)
◎…あれ?

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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中村直史 2013年8月11日

花火男

    ストーリー 中村直史
       出演 遠藤守哉

気づいたときには、男は火薬の詰まった真っ黒い玉になっていた。
というのも男は眠りに落ちる前、どうせならでっかい打ち上げ花火のように、
バーンと輝いてパッといなくなりたい、と神様に願ったからだった。
自分がでっかい打ち上げ花火になってしまったと気づいた男は
「いやいや神様、花火って言ったのは比喩だから」と叫んだのだけれど、
その声を聞いた神様は雲の上から
「いやいや男よ、時すでに遅しだから」と叫び返したのだった。

時すでに遅し。ずっとそういう人生だった。
自分の人生を決めるのはいつも自分ではなく状況だった。
なんの覚悟もできないまま何十年も状況に従い、
一個の黒い花火玉になったのだ。ただこんな姿になって
「時すでに遅し」と言われるのは気分が良かった。
生まれたときからずっと、時はすでに遅しでよかったのだと
ようやく気づいたのだった。

それから幾日もたたない夏の夜、男は
花火師の手によって漆黒の夜空へ打ち上げられた。
長年自分がべったりはりついてきた地上はぐんぐん小さくなった。
すばらしい気分だった。重力に逆らって飛ぶのが、ではなかった。
重力が自分を地上につなぎとめていたことの意味を知ったからだった。
ずっと解放されたいと思いつづけた地上の
つながりやしがらみの意味を理解したからだった。
自分とともにあったものは、ぜんぶあってよかったのだった。

男はこれ以上重力に逆らうことができないという地点にたどりついた。
男はもうすぐ死ぬのだった。
もうすぐ死ぬ、ということが、
こんなに晴々とした気分にさせるとは考えてもみなかった。

体の真ん中に小さな火がともった。
小さな火は、そのまわりにある無数の小さな火種のひとつひとつに、
つぎつぎと火をともしていった。体中に力がみなぎった。
こんなに生きたことはなかった。死ぬから生きているのだった。
本当はこんな姿になるずっと前から、死ぬから生きているはずなのだった。
本当はだれもが、生まれたときから時すでに遅しなのだった。
時すでに遅く、死をめがけて、空を駆けあがっているのだった。
火が体中のすみずみにいき渡り、玉は炸裂した。
男はもはや何者でもなく、さまざまな光となって地上にふりそそいだ。
夜の闇へ消えさってしまうその瞬間、
男は「時すでに遅し」と歓喜の声をあげたのだった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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直川隆久 2013年7月13日

センセイとわたしとナイフ

      ストーリー 直川隆久
         出演 西尾まり

わたしは毎日、ナイフで鉛筆を削っている。
いまどき鉛筆。しかも、ナイフ。
わたしがつとめるK建築設計事務所ではパソコンを禁じられていて、
図面は手描きだ。そして、所員全員の製図用の鉛筆を削るのが、
わたしたち新米の仕事なのだ。

「ものづくりは、手を動かすことや。パソコンに頼るようなやつらは、
頭の中までゼロイチで奥行きがない」というのがセンセイの言い分で、
「K事務所といえば鉛筆」というのが半ばトレードマーク化している。
世間的には、反骨の建築家ゆえのポリシーということになっているのだが、
単にケチなだけではと所員達はうすうす勘づいている。

わたしたちは、センセイが有名になってからのことしか知らないのだけど、
それまではなかなかに大変な人生だったようだ。
競馬の予想屋をやりながら独学で建築を学んだものの、
学閥と縁がないので設計の仕事はなかなかできなかった。
みかねた田舎の親戚がたまに家の改装を頼んだりすると、
かやぶき屋根の家を総ガラス張りにして出入り禁止なったりしていたらしい。

うけを狙ってもいまいちぱっとしないセンセイのキャリアに転期が訪れたのは、
50代半ばだった。サイドビジネスのクワガタの養殖が大失敗し、
ドン底状態のやけくそでつくった作品――リアカーの上に、
段ボールを張ってつくった移動式住居――が
意外やヨーロッパで高く評価されてしまったのだ。
「システムとしての都市文明に対抗する運動体、
すなわち《個=ノマド》を表象している」とかなんとか。

「いや、ホームレスになってもそれで暮らせるかな思(おも)ただけで。
ついとったわ」とセンセイはよく宴会でもらしていた。
(ちなみに宴会の会費も、割り勘である。)

いざ海外から評価がえられると、エラいもので日本での評価もうなぎのぼり。
設計依頼があれよあれよと舞い込んできたらしい。
お金とか名声のにおいがするところにはますます仕事も人も寄ってくる。
まあ、わたしもその一人だったわけだ。

ここ数年のセンセイの勢いはすごかった。
段ボールが専売特許となり、段ボールハウスは段ボールメゾン、
段ボールレジデンスへと進化を遂げ、ついには段ボールシティ、
というプロジェクトまで動き出した。

事務所の仕事が増えると、センセイの仕事は段々雑になった。
アイデアスケッチをだすこともなく、所員が描いてきた図面に最後、
気合い一閃サインを入れる――というパターンが多くなった。

段ボール建築についての取材はひっきりなしだった。
火事に弱いのでは?とインタビューで問われると
「生きるということは、そもそもリスクを負うことですわ。
段ボールに住まうということは、その根源的なリスクを、
文明社会に取り戻すことを意味するんです」と
もっともらしいこと答えていたセンセイだが、
心配ごとはだいたい実現するもので、
この段ボールハウスの一軒が火事で全焼し、死傷者が出た。
基準をクリアしていたはずの耐火性能に、
そもそも計算ミスがあったことがわかったのだ。

センセイは一転犯罪者扱いされ、バッシングをあびた。
いちばんよくなかったのは、釈明しようとして開いた記者会見で、どう責任をとるのかと問い詰めてきた記者に向かって「戦後の焼け跡から復興した日本人なら大丈夫です」とわけのわからない答えをしてしまったことだ。これがダメ押しになった。

当然ながら建築依頼は激減し、事務所員も次々に逃げた。

わたし?
わたしは、出て行かなかった。なぜかと言えば、
まあ、仕事も身についていないし、
ほかで雇ってくれるところもなさそうだし。
あと、このどうしようもないセンセイの行く末を見届けたいという思いもあった。

そんなわけで、今でもわたしはセンセイと二人きりの事務所で、
誰も使わない鉛筆を削っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という文を日記に書いてから何日かたった、ある朝。
小雨が降る中事務所にたどり着いたわたしがドアを開けると――
さりさり、さりさり、という音が奥から聞こえてきた。
見ると、センセイが所員のデスクで鉛筆を削っている。
真黒なクマができた顔で、わたしを見たセンセイは小さな声で
「おお。はやいやないか」
とだけ言うと、またさりさりと、鉛筆を削る。
ぱき、と音がして鉛筆の芯が折れた。
下手だ。もう何十年も自分で鉛筆なんて削っていないのがわかる。

「お茶でも淹れましょうか」とわたしがいっても、センセイは答えなかった。
窓の向こうの、雨で輪郭がぼやけた町をじっと見ている。

「初心に戻ったら、なんか出てくるかな、と思たけど――あかんわ」
センセイがぼそりとつぶやき、鉛筆とナイフをごとりと置いて、席を立った。
デスクの上には、コピー用紙が一枚。真っ白な紙に一行だけメモ書きが見えた。
「段ボール」という文字から矢印がひかれ、その先に「ラップの芯」と書かれている。

センセイはふらふらとドアに向かった。
ドアノブに手をかけたところで、
「ああ、そや」
と、こちらを振り返らないままで言った。
「きみ…もう、鉛筆、削らんでええで」
「いいんですか」
「そんなもん、パソコンでやったらええねや。アホやな」
そう言ってセンセイは、出て行った。
それが、わたしとセンセイが交わした最後のことばだった。

何日かはわたしも事務所に顔を出したが、センセイが帰る様子はない。
センセイが置きっぱなしにした携帯も、しばらくは鳴りまくっていたが、
やがて音をたてなくなった。わたしも事務所に行く理由がなくなってしまい、
家事手伝いの生活に戻った。
そうして今また自宅の机でこれを書いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時折、あの事務所の日々が思い出される。
結局のところ、あの頃は今よりよく笑っていたような気がする。
わたしは、センセイが嫌いじゃなかったのだ。
ケチでうさんくさいおっさんなのだけど、でも、見ていて飽きない人だった。
建築なんてものに手をださず、
地道にクワガタの養殖をやっていたほうがよかったのかもしれない。
どうしているんだろう。
あの、段ボールを張ったリアカーで街をさまよっているんだろうか。
そう思うと、センセイが少し可哀想になった。

と、ここまで書いて、聴きなれたダミ声がテレビから聞こえてきた。
思わず振り向くと、「石釜ハンバーグ」という
ファミレスの新メニューのテレビコマーシャルに、
センセイが出ているではないか。
ドリフのコントみたいに顔中真っ黒に塗ったセンセイが
「とことん焼いたれ!」というきめゼリフをシャウトしていた。
わたしは持っていたコーヒーのカップを落としてしまい、
ふとももにわりと大きなやけどをした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、YouTubeの制限時間もあることなので、今日はここまで。
センセイがその後「人生丸焼け建築家」として
テレビのバラエティで華麗な復活をとげ、都知事選に勝利するまでの話は、
また別の機会に書きたいと思う。
                       

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

  

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古居利康 2013年4月28日

ファミリア            

       ストーリー 古居 利康
          出演 平間美貴

 榊原一郎の頭に生卵をぶつけたのが石留正好だった
ことに驚くものはいなかった。うすうす予感されてい
たことが起こったのだという気がしていた。血相を変
え、すぐさま榊原のそばに駆け寄って黄身と白身にま
みれた榊原の髪の毛をハンカチで拭おうとしているの
は、銀熊二郎だった。
 榊原のほんとうの名前は一郎ではなく彰文で、銀熊
も二郎などではなく泰昭といった。ふたりが一郎、二
郎と名乗っていることを先生は知らない。「ねぇ一郎」
「なに、二郎」と呼びあうのは休み時間か放課後に限
られていたし、まちがってもテスト用紙に「榊原一郎」
なんて書くわけがなかったから。ふたりがそんなふる
まいを通じてじぶんらの親密さをまわりにアピールし
だしたのは夏休みのあとくらいからだった。十月にな
ると三郎が加わった。教来谷三郎。かれもほんとうは
隼という名前があるのに、あるときから三郎になった。
そうこうするうちに四郎が生まれ五郎や六郎があらわ
れ、ついには七郎八郎九郎と、雪崩を打つようにつづ
いて、十郎まできたのは十二月のはじめだった。十ま
でいくと榊原は飽きたのか、十一郎というのはいかに
もつくりものめいていると思ったか、それで打ち止め
になった。
 四十人のクラスのうち二十人いる男子のはんぶんが
兄弟となった。十人兄弟は何をやるにも団体行動をと
った。ほんとうの兄弟みたいに庇いあい、褒めあい、
笑いあっていた。やがて兄弟になれなかったほかの男
子がそわそわしはじめる。石留正好は榊原になんども
頼んでいた。僕を十一郎にしてほしい、と。しかし榊
原はかたくなに首を縦に振らなかった。兄弟は十人ま
でと決めているようだった。榊原は石留を拒み、石留
は正好のままでいなければならなかった。あきらかに
それを逆うらみしての生卵事件。石留はこう叫びなが
ら生卵を投げつけたのだった。
「ほんとはあきふみのくせに!」
 家庭科の授業で卵サンドイッチをつくるために各自
家から生卵を持参した日のことだった。わたしたち女
子は石留の行為をおおむねひややかに傍観していたが、
ぶつけられたのが卵でよかった、というていどの感想
はもった。卵なら怪我はしないし、ふざけあいに見え
ないこともない。もちろん榊原本人には決して愉快な
出来事ではなかっただろう。いくら拭いてもとれない
白い滓のような卵の残骸が髪の毛にこびりつき、冬の
冷たい水道で洗い流すしかなかった。
 銀熊二郎が「だいじょうぶ?一郎」と声をかけ、榊
原一郎が「だいじょうぶだよ、二郎」と答える。ふた
りを他人から隠すように三郎や四郎や五郎が取り囲み、
その外側に六郎七郎八郎九郎が立って二重の壁ができ
ていた。十郎だけが外側を向いてずっと石留のことを
睨みつけていた。
 石留正好はその後、石留ジョンと名乗り、新たなフ
ァミリーの形成をもくろんだ。しばらくして無栗真吾
が賛同してジョージとなり、「やぁジョン調子はどう?」
「まぁまぁってとこかな、ジョージは?」などと言葉
をかわしていた。その後新井田邦光が新井田トムとな
ったが、それきり新しい兄弟は増えなかった。
 あるとき、教室で飼育していた金魚のことを榊原が
「まさよし」と呼びはじめた。榊原は「まさよし」を
いじめるどころかだれよりもかわいがった。「まさよし、
おなかすいてない?」とか、「だいぶ水が汚れたねぇ、
まさよし」とか、生きもの係でもないのにすすんで面
倒をみるようになった。クラスのだれもがその金魚の
ことを「まさよし」と呼ぶようになったころ、人間の
ほうの正好は学校に来なくなっていた。無栗ジョージ
は無栗十一郎になり、新井田トムが新井田十二郎にな
っていた。石留正好があれほど懇願しても拒みつづけ
た十一郎。
「気がついたんだ、十一郎のなかには、一郎が隠れて
るってことに」
 無栗を迎え入れるにあたって、榊原は兄弟たちにそ
う説明した。いったん十一郎をよしとするならば、も
う十二郎だってありだし、次は当然、十三郎が登場す
る流れになるだろう。女子のあいだではいま、「十三
郎に選ばれるのは誰でしょうグランプリ」がおこなわ
れている。参加料は、一口千円。的中すれば総取り。
正解者が複数いれば山分け。さぁてと。残っているの
はだれだっけ。

出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

 

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直川隆久 2013年3月24日

ある記者会見

           ストーリー 直川隆久
              出演 上杉祥三

え?
今、なんて言った?
「禁花見法」?
あのねえ。大向こう受けを狙いたいんだろうけどね、
そういう矮小な呼び方は迷惑なんだなあ。国民の誤解を招くんですよ。
今日成立したのは「青少年の健全育成の前提としての公共秩序に関する法律」ですよ。
あぁたがたもごぞんじとは思うけどもだね、
花見を禁止することが目的の法律じゃないんですよ。
核心はあくまで、子どもの健全なる精神の涵養にあるんであってだね。
そこの論点をずらしてもらうと困るんだな。

国や地方公共団体が管理する土地でだね、薬物やアルコールを摂取したりだな、
さらには摂取してる人間を見るということまで含めて、
青少年の影響されやすい脳には非常に有害だと。
公(おおやけ)の空間てのは、そもそも誰のものなんだと。
まあ、こういう議論は今さら繰り返すまでもないでしょうが。
ま、おかげさまを持ってね、無事成立ということで。
施行(せこう)はこの春からですけども。
何?
憲法上の集会の自由との関係?
もう、そういう話はいいでしょ。すでに議論はつくしてるわけだから。
あきあきしてんだ。
憲法にそんなことが書いてあるの?花見の権利とか、
そんなことが。
書いてないだろ?

はい、次。
…ああ。ああ。
 
…はい。
君、ちょっときくけどもね。源氏物語、呼んだことある?
源氏だよ。
げんじ。
知らんはずはないよな。
なに?“源氏物語が今関係あるんですか”?
質問に質問で返すなよ。答えなさいよ。
読んだことあるの?ないの?どっち?
ないんだろ。
そんな、源氏も読んだことのない精神レベルの記者にだね、質問する資格はありません。勉強してから来たまえよ。何のために会社は君らに高い給料払ってるの。
はい、次。
 
なに?きこえないんだよ、声が小さい。
あのさあ、何度も同じことを言わせなさんなよ。
国家がこの国難に陥っているときにですよ、
大の大人が桜の木の下で浮かれておる場合じゃないでしょうってことだよ。
 
え?なに?
デモ規制?
デモってなに。
ま、この法律でデモを規制するかどうかは、現場の判断でしょうね。
 
いや、だから、それは現場の判断ですよ。
そんなことはいちいち総理大臣である私が口をつっこむことじゃないよ。

じゃあ君の会社の社長は、君だちが書く記事を、全部支持して書かせてるか?
そうじゃないだろう。社長にきいたら、
明日の紙面の記事の一言一句が分かるのか?
 
え? 
声を荒げるのは、痛いところをつかれた証拠?

私がいつ声を荒げたんです。
いつ声を荒げたんです。何時。何分、何秒。
答えろよ。
こっちが訊いてるんだ。答えろよ。
答えられないのか。
自分が言ったことに責任をもてないのか。それでマスメディアかね。
私を侮辱するってことはねえ、国民を、
私を選んだ有権者を侮辱するってことですよ。
あんた、その覚悟があるんですか。
おい、あなた、どこの新聞社?
ああ、毎朝か。
顔おぼえとくよ。

ま、もういいでしょ。これ以上続けるのも、不毛ですし。
はい、ごくろうさん。はい。
 
 
…カメラ止まったかね。
 

え?
いや、なに今日はねえ、これから議員会館で幹事長と会わなきゃいけないんだ。

イヤなんだけどね。議員会館の食堂は。まずくてさ。
このあいだプリンを頼んだら、カラメルがやたらに甘ったるいプリンを出してきてさ。
こんなもの、食えるか、子どものエサだ。って私がどなってやったらね、
ちゃんと次から、ほろ苦いカラメルのプリンに変えて出してきましたよ。
連中は人を見てやがるんだ。
はっはっは。
  
ま、食うのはやっぱり銀座だな。
公園で酒なんて飲むもんじゃないよ。あんたらもね。
はっはっはっは。
じゃ、ま、そういうことで。

出演者情報:上杉祥三 オフィスPSC:03-3359-2561

 

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