直川隆久 2016年4月17日

naokawa1604

第二の人生

      ストーリー 直川隆久
         出演 遠藤守哉

はい。
え、わたしに。
なにかききたいことが。
はあ、はあ。

女子トイレの前で突っ立って何をしているのか、と。
佐藤さんを待ってるんです。
・・佐藤さん、っていってもわからないよね、雇い主です。わたしの。

わたし、ハンカチなんです。
佐藤さんの。

ほら、わたしの着てるこの服、タオル生地でできてて、すごくよく水吸うんですよ。
佐藤さん、ハンカチ持ち歩くのめんどくさがるタイプでね。
手洗ったあと、わたしの背中で、べべっと手、拭くんです。
はい、そのために、佐藤さんについて歩いて。

一応、8時から18時までの契約で、1日1万円・・かな。
まあでも今メロンパンが一個2万円ですから、たいした稼ぎじゃないけどね。
まあ、年金の足しに、ないよりはましかなって。

ここにずらっといる連中、みんな佐藤さんに雇われてるんです。
ここの四人はアッシーですね。佐藤さんをおぶるの。交代制で。
あの人は、充電器。
ほら、ハンドルまわして電気おこす小型の発電機ってあるでしょ。
あれ持ち歩いて、1日中佐藤さんの携帯充電してるの。

高齢者が増えすぎちゃってねえ。
ロボットがいまは大概のことはやっちゃうし。
人間の値段が安くなっちゃって。
まあ、ここまで安くなるとは思ってなかったけどね。正直。

え?
つらくないか?

幸いね、わたし、そういうところプライドないの。
同年代でね、プライド捨てきれない人たちは大変ですよ。

わたしの飲み友達でね、人口知能の研究やってた先生がいましたけど、
「人工知能の研究は人工知能本人がやるのが一番じゃないの?」って
人工知能から言われちゃったらしいですよ。で、首になって。
まあ、大学の先生だからねえ、
いきなりハンカチとか爪楊枝にはなれんわけですよ。プライドが邪魔して。
で、まあ、ノイローゼなっちゃって。

わたし若い頃はアッシーとかメッシーとか呼ばれても平気なほうだったんで。
懐かしいなあ。80年代。はじけてたなあ。
いやまあそれはいいんだけど。
今ならなんていうんですかね。フッキー?
はっははは。

いやもう、あんまり深刻に考えてもしょうがないかなって。
数が多けりゃ安くなるのが、モノの道理ってもんで。
まあ、モノじゃないんだけどね。ほんとは。

ああ、佐藤さん、でてきました。
・・・。
じゃあ、行っていいですか。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/



  

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直川隆久 2016年3月20日

naokawa

卯吉と春

      ストーリー 直川隆久
         出演 遠藤守哉

大工の卯吉が二十歳の度胸試しやというて、
辰兄さん、背中に鯉と桜吹雪を彫ってくんなはれと頼みにきた。
長くかかるぞと念おしてから幾十日かけて筋彫、
色入れ済ませ、ぼかしの終わった日から
三四日がところ床に臥せったままうんうんいうておったようやが、
五日目にはけろりとして、
兄さん、ちょいとでかけまひょいなと誘うてきた。
おなごに見したりまんね、とにたにた笑う。
この卯吉の情婦は川沿いの一膳飯屋の女将。
四十越えた年増で、名はお春という。
いや、卯吉っつぁん、立派にならはったやないの。
男にならはったやないの。と、
もろ肌脱いだ卯吉の背中をぺちゃぺちゃたたく。
桜は、春の花やからな、と卯吉が言えば、
いやんそれひょっとしてうちのことかいな嬉しい、と
お春が総身を舌のようにして卯吉の背中にしなだれかかる。
辰兄さんは日の本一の彫り師やで、と大きな声をだす卯吉に、
彫られる人の我慢なければ、彫り師の商売も上がったりやんか、
ほんまにえらい我慢しなはった、男の鑑、とお春も言うて卯吉、上機嫌。
青二才の扱いは芋の煮炊きより容易いものとみえ、
一月ばかりすると、のれんが新しうなって
「おはる」の名の入った提灯が軒に下がった。
実を申せばこの儂もお春に男にしてもろうた口で、
若気の至りで随分と執着もした。
とはいえその手の男は、界隈に片手できかぬ数。
このまま、若いながら腕の評判は確かな卯吉と所帯を持ってくれれば、
なんとやらこちらも負い目なくお春の店に行ける。
さて、どれだけの男が知っておるかは知らんが、
お春の体にも彫物がある。儂が彫った。
お春のところに通うていた頃に、
たっての望みというので内腿に彫ったのが「辰 命」という文字。
あの二文字を見ては、卯吉も心おだやかならじというもので、
お春の店に一人で行ったおり、
あの彫物は卯吉に見せんほうがよかろうと儂が言うと、
はて、なんのことですかいな。とお春はいう。
なんのことて、あの彫物のことよ、と儂がいうと、
へえ、どこにそんなものがありますかいな、五十銭、おおきに、と
こちらに背をむけて台所に引っ込みよったので、儂も店を追い出された形。
その晩お春が儂の家を訪ねてきた。
内腿のあの「辰」の字を黒い兎で隠してくれとの頼み。
花嫁衣装がわりの「卯」命という符牒、
よほど卯吉に入れあげておるのであろうと得心して、
あいわかったと請け合うた。
店を閉もうてからの真夜中に幾晩も通うてきて、
蝋燭の下、お春に墨を入れてゆく。
なんべんやっても痛いもんやなとお春は、額に汗を光らせておったが、
よう耐えた。
とうとう辰の字を黒兎で覆い隠した。
今日が最後という日、代はいらんぞ、祝いがわりやというたら、
へえ、そらまたおおきに、とだけいうてお春は出て行きよった。
端午の節供の少し後に卯吉とお春は祝言を挙げた。
お春の店の屋号は「うさぎ屋」に変わった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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直川隆久 2016年2月21日

1602naokawa

ふきのとう

    ストーリー 直川隆久
       出演 吉川純広遠藤守哉

大学生活最後の春休み。
K先輩が、大学5年間を過ごした世田谷代田の部屋を引き払い、
練馬のさる機械メーカーの独身寮へ引っ越すことになり、その手伝いに呼ばれた。
先輩のアパートに出向いて2階にあがると、目指す部屋の引き戸は半開きだった。
タバコのにおいがする。中を覗くと、先輩は壁に向かって座り込んでいた。
壁を雑巾で一心にこすっている。
「先輩」
「おお、来てくれたか」
「なにしてはるんですか」
「煙草のヤニ落としてんねや」
 見ると、たしかに、先輩がこすっている周囲だけ壁が白い。
「そんなこと、せなあかんのですか」
「いや、まあ、せんでもええねやけどな。
 ひょっとしたら、敷金の引かれ方が違うかもしれんから」というと
また先輩は、黙々と壁をこすりはじめた。
俺もしょうことなしに手伝うことにした。
えらいもので、こすった分だけ壁の元の色があらわになる。
ものすごい主張をともなう白い丸が、忽然と現れる。目立つ。
これはむしろ何もしないほうがよいのでは、とも思ったが、
顔を真っ赤にして壁をこすりつづける先輩を見ると、言う気も失せた。

作業は遅々としてすすまず、
30分かけても、清浄なスペースはせいぜい下敷き一枚分くらいしか広がらない。
「あかん。やめや。しんどい」
そうつぶやくと先輩は、雑巾を放り出してしまった。
そして煙草に火をつけると、ぼんやりとした顔で壁を見つめる。
「ええんですか」
「ええわ。どうせ敷金なんか返ってけえへんねやろ」
くわえっぱなしのマイルドセブンの先っぽから、ぼたりと灰が畳に落ちた。
この人はこういう具合に、雑に人生をやり過ごしてきたんだろうなと、あらためて思う。
ぼく以外にはゼミの人間は誰も手伝いにこんのですか、と言いかけてやめた。

先輩は、本当は出版社に就職したがっていた。
でも、坂口安吾がいくら好きで全集を借金してまで買ったとはいっても、
それだけで就職できるほど、出版業界は甘くない。
同時代のベストセラーを小馬鹿にしながら
さりとて文学についての該博な知識があるわけでもない先輩の底の浅さは、
おそらく就職活動先の社員にはお見通しだっただろうと思う。
ちなみに、全集を買う金は、いくばくかおれも貸し、結局返ってこなかった。

大家さんに借りた軽トラックを先輩が運転し、寮に乗り付ける。
3階建ての古い建物で、エレベーターはない。
すると先輩は「あ、ポケベルが」とだけ言って、出て行ってしまった。
公衆電話なら、寮内にもあったはずだが。
一人残されたおれは、荷台の段ボールを手でおろし、運ぶ。
都合20回も往復したあたりで、先輩が戻ってきた。
疲労の極みで最後の箱を運びこむと、
先輩は「いやお疲れさんお疲れさん。茶でも飲むか」と大きな声で言い
「寮生用の食堂があるんや」と続けた。
一階に降りると、なるほど50人ほど入れるホールがあった。
いまどきこれだけの設備をもっているなら立派な会社といえる。
しんと寒い。
空気の底に、干物やら、ハンバーグやら、卵焼きやら、味噌汁やら、
柴漬けやら、ナポリタンやら、いろんなおかずの残り香が折り重なって淀んでいた。
平日の昼間のこととてテーブルにも厨房にも誰もいなかったが、
先輩は勝手知ったるといわんばかりに、
備え付けの給湯器から茶をそそいでおれにさしだした。
「来月から、毎朝ここで朝飯を食うのか」と先輩はぼそりと言った。「信じられんな。今でも」
先輩が、くしゃみを一つした。
ホールの冷え切った壁や床に、短い残響が残った。
「そういうたら、お前は優文堂にうかったんやったな」と先輩がこちらをむかずに言った。
「はい。ま、あそこしか拾(ひろ)てくれませんでしたんで」
「ええやないか。おれもあの会社は、ええ本だしてると思う」
その出版社の就職面接で、おれと先輩は、顔を合わせていた。
おれは通り、先輩は落ちたのだ。
「やっぱり留年がひびいたんかな。おまえは現役やからな」
と先輩が不服そうな顔でつぶやいた。
いや、問題はそこやないでしょうね、とおれは思ったが
「どうでしょうね」とだけ言った。
味のない茶を飲み干すと、おれは、先輩に挨拶して寮を去った。
引き止めるかな、と思ったが、先輩は引き止めなかった。

4、5日後。
先輩から小さい段ボール箱が届いた。
開ける。と、「おれは植物だ」という濃厚な主張を伴った匂いが鼻に襲い掛かった。
生のふきのとう。数えると36個あった。その上に、メモ用紙が一枚。
「このあいだは礼も至らず失敬。実家より送ってきたふきのとう、おわけします」とある。
改めて箱を見ると、宛先が先輩の名になった伝票を剥がしもしていないのがわかった。
察しがついた。
実家から届いたふきのとうを一目見て、処置がめんどうだと思った先輩は、
そのまま伝票を剥がしもせずに後輩に送りつけて厄介払いすることにしたのだろう。
それでさらに感謝でもされればもうけものだ、と。
雑だ。
この人のこういうところはたぶん、一生治らないのだろうなと思った。

優文堂での面接の日、待合室にはおれのほうが先に着いていた。
開始時間ぎりぎりにやってきた先輩はおれをみつけると
「お」という口の形になって、目元を緩ませながらおれに近づいてき、
ひそひそと囁いた。
「優文堂の最近の一番のヒットってなんやったかいな。面接でその話題になるかもしれんやろ」
と訊いた。おれは
「『清貧の思想・実践マニュアル』やないですか」と答えた。
嘘だった。

ふきのとうの天ぷらというものは知っていたが、揚げ物なんてしたことがないし、
そんな大量の油も後の処置に困る。
とりあえず電子レンジで蒸してマヨネーズで食ってみたが、
アクがひどく、食うのに難渋した。よほど捨てようとも思ったが、
それはすまいと思った。それを食い切ることが最後の務めのように思えたのだ。
3日ほどかかって、なんとか全てのふきのとうを腹に入れた。
そして、手帳に控えていた先輩のアパートの電話番号に線を入れた。
 
それ以来、K先輩とは連絡をとっていない。

出演者情報:吉川純広 ホリプロ http://www.horipro.co.jp/
      遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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直川隆久 2016年1月17日

naokawa1601

カレのテチョー

       ストーリー 直川隆久
          出演 西尾まり

 わ。
 ちょちょちょ。
 カレが、ダイニングテーブルに…
 忘れてるんですけど。
 
 手帳。
 手帳忘れてるんですよ。
 わー。
 裕人くん!油断!
 
 …どうですかこれ!
 どうなんでしょーう!
 どうなんでしょーうってつまり(笑)…
 見てもいいのかなー!
 
 いいともー!
 とは、ね、ま、誰も言ってくれませんけれども。
 ままままま、
 ここは、私の内面にいらっしゃるリョウシンカシャクさんとの
 打ち合わせ次第ということにはなりますけれどもええ、ええ、ええ、ええ。
 
 というのはねー。
 裕人くんとは約束があるんですよねー。
 お互い、携帯の履歴とか手帳とか、そういうののぞきみするのやめようね
 って。 
 ま、まだ同棲段階なんで。
 そのへんのプライバシーは、まだ、ね、籍入れる前は
 お互いにセイフティゾーンとしておこう的な。
 
 ま、ね。
 いまどき、ほんとに大事な情報はスマホに入ってますから。
 よしんば、
 よしんばですよ。
 ま、裕人くんが、フローティングエアー…
 日本語でいえば浮気ですか?
 を、
 していたとしてもですね。
 そんな情報はたぶん、手帳に残しては…いなーい。
 いなーい。
 ということはま、普通に想像されますよね。
 それに、いくら裕人くんがアホでもですね
 そんな重要な情報を残した手帳を、
 こんなダイニングテーブルに残しておくとは
 これ、
 思えなーい。
 
 思えなーい。

 …んですけれども。

 …まさか…

 ということがありますよね、これ(笑)

 ま、わたくしの内面に湧き上がるキュリオシティ、好奇心にね、
 抗えない、逆らえないというのもこれまた正直なところではありまして。
 いや、逆にむしろ抗わない。逆らわない。というのも人間の…
 
 見る!
 はい!
 見ちゃう!

 ぱらりぱらりと(笑)
 いやー、どっきどきするわ。
 これ…

 ん?

 なにこれ…
 真っ白ですわ。
 
 なんだこれ…新品?
 これ…
 どこめくっても…

 …

 がっかり〜!
 なんすかこの肩透かし!
 しょーもな(笑)

 どきどきして損した。
ま、ねー。そりゃそういうもんかも…

 …ん?
 あれ。
 あれあれ?

 なんか、最後のほうのページに、電話番号が…
 ありますよ。
 090…
 あ、携帯だ…

 これ…なんですかね…
 あきらかに…携帯ですよね…

 わ。
 携帯だ…

 なんでしょう。
 裕人くんの…番号…ではないん…ですよね…

 ふふふふふ。
 どーなんでしょう…
 ねー。これ、どうしたらいいんでしょ。
 
 あー。
 かけちゃ…うんですかね。わたし?わ、わ、わ(笑)
 
 いや、この番号に…かけちゃうんですかね?
 わたし。
 
 いやいやいやいや。
 そっれはないでしょ。
 
 それやっちゃうとー、裕人くんとわたしとの信頼関係自体が、
 こう、アースクエイク的な揺さぶりを受けてしまうというところありますか
 らこれは…
 
 かける!
 はい!
 かけちゃう!

 うっわー。
 くっそドキドキする。
 …
 090…3…9…

 (電話呼び出し音)

 あ…
 あの、もしもし…
 あ、わたし、田中裕人の友人…というか、
 こ…婚約者でございまして…
 あは。
 あはは、突然電話して申し訳あり…

 え…?
 裕人くん?

 え、なに。

 なんで裕人くんがでてんの?
 
 え、いやいやおかしいじゃん。
 なんで?
 この番号、裕人くんの番号じゃないじゃん。
 
 いや、なんでこの番号わかったのとか、そういう問題じゃないじゃん。
 なんでわたしに黙って別の番号持ってんのおかしいじゃん?

 手帳?
 …うん、見たよ。
 
 約束?
 うん、覚えて…るよ。
 覚えてるけど。
 
 それさ、そんなに大事なもんならさ、
 テーブルの上に置いてるのが悪くない?

 え。
 終わり?
 
 なにそれ。

 なに言ってんの?
 それ、自分にやましいことがあるって言ってんのとおんなじじゃん。
 
 全部おまえのせいだ?
 はあ?
 
 え?
 この番号がなんだっていうの?
 
 賭け?
 だれの?
 
 なんかすごい人?
 意味わかんない。
 
 賭けってなによ。
 え?
 「人間が、約束を守れる動物かどうか」?

 え、裕人くんは、
 守れるってふうに賭けたの?
 
 でも、なに、それで賭けに勝ったらどうなってたっていうのよ。
 
 え。
 一生困らないだけのお金?
 なにそれ、意味わかんない。
 騙されてるよ、そんなの、あたりまえじゃない。

 え、負けたら…
 俺の命?
 意味わかんない。
 なに、
 え、おまえのせいだって…
 なに言ってるわけ?
 
 あ。

 もし…もしもし。
 もしもし。

 ちょ、
 ちょ、なにいまの叫び声。

 裕人くん!
 裕人くん!

 答えてよ。

 あはっ。
 あはははは。
 
 わかんない。
          
 あははっはは。
 
 意味わかんないんですけど。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー


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直川隆久 2015年11月15日

1511naokawa

ニュータウン

ストーリー 直川隆久
出演 遠藤守哉

谷口が失踪した理由を、書いておこうと思う。
が、若干こみいった話でもあるので、順を追わせてほしい。

一月ほど前。
あいつがアメフト部の合宿への参加を頑なに拒むので、
部長の俺が説得にあたることになった。
谷口は、比較的俺には心をひらいている気がしたし、
俺もそのつもりではいたのだ。
一人暮らしのワンルームに谷口を呼び出した。
寡黙ながらグラウンドではいつも練習熱心な谷口が、
どうして合宿にだけは参加したがらないのか。
疑問を素直にぶつけた。
谷口の口はいつも以上に重かったが、ついに根負けし、
「部長にだけ話します」と事情を語り始めた。

「ひかないでほしいんですけど」
「なに?」
「タトゥーっていうか彫り物っていうか…
わりとでかいのがオレ、背中にあって…」

びっくりした。まさか谷口がそういうタイプの人間とは思わなかったのだ。
が、納得もした。
谷口がロッカールームではいつも壁際で着替え、
練習のあとはシャワーを浴びずにそそくさと帰るのはなぜかと
前から不思議だったからだ。

「まあ昔どういうことがあったかは知らんけど、過ぎたことは…」
俺の言葉を聞き終わらないうちに、谷口がTシャツを脱ぎ始めた。
屈強さを誇るアメフト部の中でも
ひときわ量感のあるその背中をこちらに向けると…
一面に、妙に、込み入った模様があった。

…地図だ。
しかも、住宅地図。

右肩甲骨のあたりに四角い枠があって、
その中に「けやき台3丁目地図」という文字があった。

「おまえ…この地図…」
「オレの生まれた町です」
「それを…なに、タトゥーにしてるわけ?…なんで…?」
谷口はいつになく言葉数多く話し始めた。
何か抑えていたものが堰を切ったかのように。
「…2020年頃に、ニュータウンのゴーストタウン化っていうのが
日本のあちこちで問題になったらしくて…
で、オレの生まれたけやき台ってとこなんですけど、
なんていうか…ちょっとおかしな自治会長がでてきたんですよ」
「おかしいっていうと…」
「まあ、一言でいうと、宗教っぽいっていうか…
最初はふつうの…むしろ、立派な人だったらしいんです。
子育て支援とか行事とかいろいろやったせいで、
町にだんだん活気が戻ってきて…
うちの親なんかはそのあと移り住んだんですけど。
でも、その自治会長がだんだんおかしくなっていって…」
「…どんなふうに…?」
「誰かが引っ越そうとすると、いやがらせをするんです…
集会に呼び出して何時間も問い詰めるとか…
そのうち、住民がその人の思うように動かされるようになってきて…」
「洗脳?」
「そう…ですね。ニュータウンの住民って、なんだかんだ言って
価値観も似てるから、染まりやすいのかも…
で、住民が全員、自分が住んでる家の周辺の地図を
刺青(いれずみ)させられたんです。
『けやき台魂を注入するために』って」
「…なにそれ…」
バカのようにぽかんとしている俺に
「星印のとこ」
と谷口が言いながら、もう一度背中を向ける。
腰のあたりに黒い★印がある。
「…ここがオレの家なんです。3丁目15の3」
「…」
「おまえの居場所は一生ここだ、っていう刻印なんです」
「一生?」
「故郷に忠誠を誓え、っていう」
「これ…いくつのときやられたの?」
「小3です」

カルト自治会長、肌に彫られた住宅地図…という組み合わせが
俺の理解の範疇を超え、なにかできの悪い冗談を聞いているようだった。
でも谷口はそんな冗談をいうやつじゃない。
まだ子どものときに無理やりこんな刺青をされるなんて、
ひどすぎる経験だ。どれだけ痛くて苦しかっただろうか。
「警察は?」
「だめです…ばれたら、ただじゃすまない」
「でも、谷口、おまえは今そこに住んでないわけじゃん。それは…いいのか?」
「よくないです」
と谷口は曖昧に笑った。
「オレの両親がオレを逃がしてくれたんです」
だから、自分はこの彫り物を迂闊に人に見せられないのだと言った。
それがばれると、連れ戻されるからと。
両親はどうなったんだときくと
「わかんないです。ぜったいに連絡とるな、って言われてるんで」
と言って谷口はうつむいた。

・・・・・・・・・・・・

それから何週間かたったある日、ポストに、手書きのメモが挟まれていた。
谷口からだった。走り書きで
「自治会長に見つかりました 検索リレキからかぎつけられたみたいです
仲間はみつけてあります このメモはトイレに流してください」とあった。
そして最後に「合宿、いきたかったです」と書き加えてあった。

・・・・・・・・・・・・・

重苦しい数日が過ぎた。俺は、どうすることもできなかった。
部の連中も、谷口が何も言わずに消えたことを不審に思い、
何か言ってなかったかとしきりに尋ねたが、
俺は沈黙するしかなかった。

ある日の朝パソコンを開くと、「ニュータウンで原因不明の大火」という
ネットニュースの見出しがあった。
何か予感がしてクリックすると、
「けやき台」の文字が俺の目に飛び込んできた。

「A県X市内のけやき台ニュータウンの複数箇所で火災が発生し、死傷者数82名に及ぶ大惨事となった。12棟が全焼、28棟が半焼。死亡した住人の中には、コミュニティ・デザイナーであるM山K彦市(65)がいた。M山氏は自治会の長としてこのニュータウンの人口減少を食い止め、一時期メディアでもとりあげられる手腕家であった。家屋の損壊の様子が通常の火災よりも甚だしいことから、重火器の使用の可能性があったとみて、警察は調べを進めている」…

俺は谷口の名前を必死で検索した。
死亡者リストの中に谷口の名前がないことを確認してから、
あいつが「仲間」と書いていたことを思い出した。
ひょっとしたらやつは、同じ思いをしたけやき台の人間と力を合わせて
「反乱」をおこしたのだろうか。
俺は…谷口のことを知っているようで何も知らなかった。

練習が終わってワンルームに帰り、ポストを開ける。
まだ谷口からのメモは入っていない。

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直川隆久 2015年10月11日

naokawa1510

天国への階段

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

げえ。
止まっちまったよ。

まじか。

4階の自宅まで、いつもは階段で上がるのに…
1秒でも早くトイレに行こうと思ったのが、
裏目にでた。

うう…。

「あ、止まってしまいましたね。非常ボタン、押しましょう」

ちくしょう。
しかも、よりによって、
この狭いエレベーターに
女性と二人きりだなんて。
だれだっけ、この人…3階の…奥田さんだったか。

階段使えよ!
…い、いや、怒ってもしょうがない。
まずは、無駄にあやしまれないように、快活に。

「とまっちゃいましたね。大丈夫ですよ。ここの非常ボタンを押せば、
警備会社のコールセンターにつながるはずですから。
あ、わたし、4階の原田です」

非常ボタン。非常ボタン。

「あ、あの、すみません。こちら、レジデンス欅台です。
エレベーターが止まってしまいまして…はい。どれくらいで来れます?
…い…1時間?もうちょっと早くなりません…かね?あはははは」

なぜ笑ったのかわからないが、それほどに、動揺している。
もう一刻の猶予も許されない状態なのだ。

「す、すこし時間がかかるみたいですね…
 わ、わたし、4階の原田です。…あ、さっき言いましたね」

うう。下腹部が震えてきた。
持ちこたえられるだろうか。
早く!
早く来てくれ!

いかん…
奥田さんが…不審げな目でこっちを…

だめだ。
ここで…
ここで漏らしたら…
おれの社会人生命は…おわりだ…

う。
うおお。
神よ…!
助けてください…
わたしに…
手をさしのべてください…!!
ここから出る…手立てを…
う…

……

まぶし…

なんだ?

え?

目の前に…
階段!?
エレベーターの中だったのに…

き…奇跡だ。
神よ!
感謝いたします!

奥田さん。
助かりましたよ!

よかったですね!
わたし、ちょっと急を要する用事がありまして…!
お先に、のぼらせていただきます!

よいしょ…

よいしょ…

よいしょ…

ふう…

ふう…

ふう…

ふう…

ふう…

ふうふう…

ふうふう…

な…

ながいな…

ど、
どこまで続くんだこの階段…

ああ、また、下腹部っううう
も…漏れ…

いかん、落ち着け。
神は俺に救いの手をさしのべてくださったんだ。
裏切るはずはない。

もう、すぐそこのはずだ…
きっとすぐ、そこに…

あ。あんなところに、
張り紙が…。

ふう…

ふう…

ふう…
ふう…

な…なんて…なんて書いてある…

…「ようこそ、安住の地へ」…

やった…!
たすかった…
天国はあったんだ…!

あれ…もう一行…書いてる…

「がんばれ、あと3万段」…?

ううっ、
か…

神よ…!!

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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