中山佐知子 2017年1月22日

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最後のつばさ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

翼は三つあった。
最初にもらったのは昆虫だった。
4億年ほど昔の、古生代と呼ばれる時代だった。
海から陸へ上がって暮らすようになった最初の生物の中で
昆虫類は小さなカラダで環境に適応しやすかったので
繁栄は約束されたようなものだったし
翼を与えて恩を売っておくのは得策だった。

何しろバクテリアのような生命が地球に誕生して
もう36億年も経っていたし、
海から出てこないオウムガイや三葉虫に翼を与えるのは
あまりに無意味なことに思われた。
昆虫よりも先に地上に上がった植物は
空を飛ぶなど思いもよらぬとばかり地に根を下ろしてしまった。

馬鹿な連中だ、と神さまは思った。
海に漂い、地にしがみつくのは愚かなことだ。
空を飛んでこそ神に近づけるのだ。
あの虫どもはやがて神の存在を知り神を崇めることだろう。

しかし、そうはならなかった。
昆虫は極めて合理的に進化を遂げ、
その脳は種の繁栄に必要な情報しか取り込まない。
「神」という抽象的な概念は奴らには不要だった。
神はそれを知って深く傷ついた。

2番めの翼は鳥がもらった。
およそ1億5千万年前のジュラ紀だった。
その頃の鳥は森に棲むちっぽけな生き物で、
恐竜と呼ばれる生物の末端に属していた。
彼らはカラダを覆うウロコが羽毛に変わり、
翼になったことをたいへん喜んだが、
それは冷えたカラダを温めることができるからだった。
神さまはため息をつき、
3番めの翼をそのへんの恐竜に投げ与えた。
こうして空を飛ぶ恐竜、翼竜が出現した。
翼竜は堂々たる姿で大空を制覇したが、
中生代の終わりに仲間の恐竜とともに絶滅してしまった。

新生代になって生き延びていたのは
魚と鳥と昆虫、そして一部の小さな哺乳類だった。
神さまは死に絶えた翼竜から3番目の翼を回収していたが、
与えるべき生き物が見当たらなかった。
魚は論外だったし、昆虫はすでに飛びまわっている。
あの鳥でさえ近頃では飛ぶのが上手くなってきて
空を我が領土としている。
神さまは残る哺乳類に注目した。

確かにいまは臆病で情けないちっぽけな生き物に過ぎないが
こいつに翼を与えて行く末を見守ろう。
神さまはコウモリに最後の翼を与えた。
5000万年ほど前のことだった。

ホモ・サピエンスが登場したとき、
神さまはコウモリに最後の翼を与えたことを
少し後悔をしたようだった。
しかし、彼らが神の名を語って殺しあうのを見て、
さらに空を飛ぶ武器まで発明し、大量虐殺を行う姿を目撃すると
心からコウモリを愛しいと思った。

だからコウモリはいま全哺乳類の4分の1を占める種の数を持ち
繁栄している。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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福里真一 2017年1月15日

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トリの唐揚げの話

    ストーリー 福里真一
       出演 遠藤守哉
       
Aさんは常に温厚で、
彼が怒った姿など、
もう十数年の付き合いになるが、
一度も見たことがない。

聞いてみると、
いまは40代の彼が、最後に怒ったのは、
中学2年のときだそうだ。

当時、中学校の昼食の時間に、
クラスメートの弁当に背後から手を伸ばして、
次々とつまみ食いをする同級生がいたそうだ。

その同級生は、ちょっと不良がかってはいたが、
どこか茶目っ気もある、なかなかの人気者だったから、
彼のその行為を、クラスメートたちもなんとなく笑って許していた。

その、みんなの、笑って許している雰囲気が、
Aさんからすると、
なんとも嫌な感じだったそうだ。

そうしたある日、
ついにAさんの弁当に、彼の手が伸びる日がきた。

自分の弁当の、トリの唐揚げをつまみ食いされた瞬間、
Aさんは、自分でもびっくりするぐらい、
ブチ切れた。

そんなに食いたきゃ、いくらでも食え!

Aさんは、弁当箱の中にあった、
ありったけのトリの唐揚げを、
彼に全力で投げつけた。

いつもは温厚なAさんの、突然の逆上に、
そのつまみ食いの同級生も、
そのほかのクラスメートたちも、
あっけにとられていたそうだ。

…その話を聞いてから、
僕のAさんを見る目が変わった。

一見、温厚に見える彼の奥底には、
トリの唐揚げのような形をしたゴロゴロした怒りが、
再び爆発する機会を待って、
いまはいっとき、つばさを休めている。

そんなイメージが、頭から離れなくなって、
困っている。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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小野田隆雄 2017年1月8日

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行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

紀元前6世紀。メソポタミアとシリアを制圧したバビロニア王国は、
さらに軍を進めてユダヤ人の国、イスラエル王国も滅ぼした。
ところが戦いに敗れたユダヤ人たちは、
バビロニア王国に対して反抗的だった。
これに怒ったバビロニアの王様は、
反抗する数千人のユダヤ人を、
自分たちのバビロンに強制移住させた。
反抗するなら殺してしまえ、という論理は鉄砲のない時代には
無理があった。
数千人の人間を、鉄砲なしに殺すことは
たいへんな重労働となるのである。
むしろ全員まとめて、
監視できる場所に強制移住させたほうが安あがりなのだ。
かくてイスラエルを追われたユダヤ人たちは
シリア砂漠を越えて、メソポタミアのティグリス川のほとりにある
バビロンの都まで、兵士のムチに追われて歩き続けたのであった。
このときからユダヤ人の国は地球上から消えた。
そして祖国を失なったユダヤ人が
もういちど自分たちの国イスラエルを勝ち取ったのは、
2,000年以上も過ぎた、1948年のことであった。
このユダヤ人の事件は、「バビロンの捕囚」という名前で、
日本の世界史の教科書にも登場する。

イタリアの作曲家ヴェルディが、
1842年にミラノで発表したオペラ「ナブッコ」は、
この「バビロンの捕囚」をテーマとしたものである。
「ナブッコ」とは、バビロニアの王様のことである。
このオペラの第三幕で歌われる、
「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、
捕らわれの身となったユダヤ人たちが、
ティグリス川のを見つめながら、
祖国を流れるヨルダン川を思って歌う大コーラスである。
この歌は、当時のイタリア人に熱狂的に支持された。
イタリアは、その頃、
オーストリアとの独立戦争のまっただなかにあった。
祖国を想うユダヤ人の気持が、
独立をめざすイタリア人の心を打ったのである。
この歌は、現代でも、イタリアの第二の国家として、愛されている。

「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
もしも、いま、私に、黄金の翼があたえられたら、
若い日の写真が一枚も残っていない亡き母の、
青春時代の一日を、翼の上から見つめたいと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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