安藤隆 2023年8月27日「偽朝顔と偽老人」

偽朝顔と偽老人

ストーリー 安藤隆
   出演 大川泰樹

人いわく、朝顔といえば、昼顔、夕顔、夜顔に、
朝鮮朝顔まで名を連ねるらしい。そもそも朝顔は
ヒルガオ科なのだよと惑わす。朝顔のほうがメジ
ャーなのに、どうしてアサガオ科でないのだろう。

 タケシ老人は良い会社に勤めている。ぼんやり
した人間なのに給料をもらえている。昼近い時間、
良い会社へ出勤するので駅までの道を歩いている。
 あたりは基地跡の整備が進んでいる。原っぱだ
った土地には、スーパーが建つらしく、針金のち
ゃちなフェンスが巡らされている。タチの悪い大
柄な草が、馬鹿にするように、道に盛大にはみ出
している。
 と、草草にはさまれて、ちいさな朝顔が二輪、
タケシ老人を見ていた。薄いピンクの風情がいか
にも可憐である。子供のときには、野生の朝顔が
こんな風に生えて垣根に蔓を伸ばしてたっけ。一
瞬まわりを見回したタケシ老人は花弁に鼻を近づ
けた。なにも匂わなかったことにすこし傷ついた。
 タケシ老人は良い会社を出るとそそくさと電車
に乗った。地元駅近くの飲み屋へ直行した。店の
名前は「焼鳥朝顔」。今週行き過ぎかなと躊躇した
振りをしたけど、行くのはわかっていた。「あっ、
きた」と女将さんがニヤニヤした。タケシ老人は
照れて目を伏せた。カウンターの客が気に入らな
い奴という顔をした。
 タケシ老人が「血ギモ塩焼き」と口にしたのは
途中の電車のなかで見た女性のせいだ。女性は左
手をノースリーブの脇から中へ入れた。それで目
が離せなくなった。服の下を掻く指の動きが見え
た。その手が半分開けた口の横を掻いた。つぎに
頭のてっぺんを掻いた。目は右手でかざしたスマ
ホの画面から離さない。左手は別の生き物のよう
に休みなく掻きまわる。女性の顔は赤黒く腫れあ
がっている。つい血ギモ塩焼きを連想したのがい
けなかった。頭から離れなくなった。
 モノが積み重なってゴミ屋敷のような店内。カ
ウンター前の置き台には焼酎やウイスキーの瓶の
ほか、観光土産のワニの置き物、おおきなコケシ、
土偶、飛行機、花瓶に造花を挿したのとか置いて
あって、焼き場のカスミさんがよく見えない。席
の一つを使わなくなったテレビやカラオケの機材
が占領している。白い朝顔の写真パネルが斜めに
なっている。変わった朝顔だけど、女将さんが朝
顔と言うのだから朝顔なのだろう。
 カウンターの客が食料自給率の話を女将さんに
仕掛けている。「ニッポンの大問題ですよ、ねえ」
見知らない顔が、タケシ老人に話を振ってくる。
「そんなの今更じゃねえの」上の空である。カス
ミさんが焼けた血ギモの皿を持って出てきたか
ら。
「珍しいですね、ふふふ」とカスミさん。
「え、なにが」「どうするんですか、血ギモ」
「あ、血ギモ」
どぎまぎして赤くなるのがわかる。そんな隙を
狙って「この店の名前、夕顔のほうがいいんじゃ
ないの」客がカスミさんになれなれしい口を聞
く。
 なのにタケシ老人は、たしかにそうだ、と感心
している始末だ。
 「朝顔じゃないとダメなんスよ」女将さんがニヤ
ニヤした。「朝顔っスよねえ」カスミさんもニヤニ
ヤ。「だって朝顔は有毒でしょ」「ここのは猛毒だ
よ」えっ、いま、なに言ったの?
 店を出たタケシ老人は急に尿意をもよおす。ま
さか立ちションというわけにいかないが…という
ことはつまり立ちションもありと気がついてしま
った。老人は立ちションの夢にここで取り憑かれ
た。さいごにしたのは二十代頃として五十年も前
ということになる。死ぬ前にもういっぺんしよう、
しなければならぬ!
 基地跡に通したダダっ広い道路に車はあまりこ
ない。タケシ老人は女子刑務所が建つと噂の原っ
ぱの、針金のフェンスを押し開いて草草の中に入
り込んだ。チャックを開いて引っぱりだした。も
よおしたとたん漏れそうなのに、表立つと引っ込
むのが老いたおしっこ。背後の車のライトに緊張
しながら、タケシ老人は下腹に力を込めた。チョ
ロチョロと糸のようなのが真下に落ちた。
 何かに見られている気がして目をこらすと、真
んまえに朝顔が口をあけていた。危うく注ぐとこ
だった。垂らしながらジワジワ爪先の方向を変え
た。し終えると思いがけない達成感があった。

 チャックを閉めながら、ハハーン、朝顔って夜
から咲いてるんだ、タケシ老人は一人納得するよ
うだった。
.


出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

関陽子 2023年8月20日「コントラスト」

コントラスト

ストーリー 関陽子
    出演 平間美貴

てっぺんから降り注ぐ太陽は
道に並ぶアパートの四角い形や木々の葉っぱを
くっきりと浮かび上がらせ、
わたしは自分の視力が急に上がったかのような錯覚を覚える。
日傘を差さないのはただ忘れただけだけれど、
この日差しが肌に当たってビタミンDを合成してくれるからね、と
良い方に解釈してみる。
いま、わたしは生きている。あの人も、まだ生きている。

そういう施設はたいてい、
最寄りのバス停から少し歩かなくてはいけない場所にあり、
今日もわたしは黙々と歩く。
そして今日も、施設の駐車場には鮮やかな黄色の車が停まっていて、
隣の玄関には、紫の朝顔が萎れている。

あの人は、いつもかん高い声で文句を言っていた。
食卓で、テレビから流れるニュースに一つ一つコメントを挟む。
母は生返事をしていて、
弟はただ黙っていて、
負の空気の中で、わたしは味噌汁をご飯にかけて
一刻も早く食事を終わらせようとしていた。

世の中にはいつも文句を言っていたけれど、
家族ヘは何一つ文句を言わなかったことに
わたしが思い至ったのは、ついこの間だ。

日曜の昼下がりの部屋には、テレビからのど自慢の歌が流れていて、
わたしはそのリズムに合わせて握った手に力を入れる。
かすかに握り返す力が伝わる。
でも、この部屋には日差しは入らない。
この人の体の中で、ビタミンDはもうつくられない。

また来るね、と声をかけて、部屋を出る。玄関を出る。
明日の朝、
またこの朝顔は鮮やかに咲くのだろうか。
あの人に少しだけ、その力を貸してほしい。
柄にもなく、そんなことを思ってみたりもする。

黄色と紫。コントラストの景色。
それはきっと、
いちばん新しく、いちばん最後の、父との思い出になるのだろう。
.


出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

村山覚 2023年8月13日「朝顔の大あくび」

「朝顔の大あくび」

ストーリー:村山覚
   出演:平間美貴“・村山覚

あさだ: 一日の始まりって、いつだと思う?
かおる: 一般的には23時59分から0時0分になった瞬間です。
    あるいは、あなたが住む町に日がのぼった瞬間を
    一日の始まりとみなすこともできるでしょう。
あさだ: チャットなんとかみたいな答えだね。
かおる: それは褒め言葉でしょうか。
あさだ: 他にもある?一日の始まり。
かおる: では、あなたが「おはよう」と発声した瞬間を
     一日の始まりとするのはどうでしょう?
あさだ: 俺、一人暮らしなんだけど‥‥
かおる: いいじゃないですか。私は毎日、自分に言っていますよ。
おはよ〜、いただきま〜す、ごちそうさま〜、おやすみ〜。
あさだ: うーん、まぁ「おはよう」もいいんだけど、
    もうちょっと風流な始まりがいいな。
かおる: 風流?
     風流は優れた美的感覚や洗練された趣味を指し、
     雅や趣があること、です。
あさだ: そう、そういうの。
かおる; では、一日の始まりは
    「ベランダの朝顔が開いた瞬間」というのはどうでしょう?
    先日、入谷の朝顔まつりで買ってきたでしょう?
あさだ: そうそう、毎朝咲くのが楽しみで。
かおる: 朝顔って日没から約10時間後に開くらしいんです。
あさだ: え?朝の明るさとか気温で開くんじゃないんだ。
かおる: まぁ多少は関係あるんでしょうけど、
     一旦暗くなること、そして気温が下がることが
    開花の条件だそうです。
あさだ: そうなんだ。
かおる: 尾崎放哉の俳句に、こんなのがあります。
     「父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて」
父と子、何歳ぐらいだと思います?
あさだ: 朝顔ってさ、小学一年生が育てがちじゃん。
だから、30代後半のお父さんと6歳の娘。
かおる: 私は、70歳の父と40歳の息子を想像しました。
あさだ: えー?ぜんぜん違うね。
    でもたしかに、70歳と40歳だと言葉少なくもなるか。
かおる: 会話が少ない家庭に、毎朝可憐な朝顔が咲くって、
     とても風流ですよね。
あさだ: そうね。俺一人暮らしだからさー、
     毎朝、朝顔がさ、ラッパ?蓄音機?みたいな感じで開くと
     “起きろ〜” って言われてる気がするんだよ。
かおる: それはあなたの思い込みですね。
あさだ: え?
かおる: あれ、”起きろ〜” ではなく、朝顔の大あくびなんですよ。
あさだ: え?あくび?
かおる: 夏の夜に、暗いなかで10時間じーっと待っていて、
     ちょっとずつ気温が上がってきて、夜が明けそうな時間帯。
     そりゃあくびもしますよ。
あさだ: 私の一日は、朝顔の大あくびとともに始まる。
かおる: あいつは一度あくびをしたら、もう二度と口を開かない。
     そして翌朝、また別のやつがあくびをするのだ。
あさだ: うちのベランダはそんなに退屈か?
かおる: いえ、夏はそもそも退屈な季節なのです。
あさだ: 言葉はなくとも、一日の始まりに大あくび。
かおる: そして言葉を浴びるにつれ、朝顔はしぼむのです。
.

出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属


  

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

佐藤充 2023年8月6日「8月6日のアサガオ」

8月7日のアサガオ

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

東京の暑さに耐えられず、北海道の実家に帰省した。

「ローソク出ーせー出ーせーよー 
 出ーさーないとー かっちゃくぞー
 おーまーけーにー噛み付くぞー」

窓の外から子どもたちの歌が聞こえてくる。
今日は8月7日か。

8月7日、北海道では「ローソクもらい」がある。

日が暮れ始めると子どもたちが
「ローソク出ーせー」と歌いながら近所の家々をまわる。
大人たちはやって来た子どもにお菓子を渡す。

アメリカのハロウィンと同じだ。

子どもたちが
「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子をもらうか、
「ローソク出ーせー」と言うかの違い。

たまに本当にローソクを配る家があると
子どもたちの間で生涯ずっとローソクの家と呼ばれ続ける。

うまい棒などよく食べるお菓子を配る家は普通の家と呼ばれ、
カステラやワッフルなどを配ってくれる家はレアな家、
「ごめんね、お菓子買い忘れて」と100円をくれる家は100円の家と呼ばれる。

小学校5年の夏休み前に新しい学校に転校した。
これで3つ目となる小学校だった。

家庭環境のせいもあってか、転校はいつも突然だった。
3回目となるとまた次もすぐあるような気がして、考えるとまた憂鬱だった。
最初は転校に反対や抵抗をしてみたりしたが無駄だとわかった。
口でも勝てない。腕力も勝てない。子どもは何もできない。無力だった。

担任はサイトウという中年の女の先生で
国語の教科書に載っている与謝野晶子に似ていた。

新しいクラスには学校に来たり来なかったりする女の子がいた。
彼女はいじめられていた。

彼女が登校して来た日、
サイトウ先生が「彼女の嫌なところを1人1つ言っていこう」と言った。
転校してきたばかりの僕は免除された。

クラスメイトが1人ずつ順番に言う。
「走り方が変」
「汚い感じがする」
言葉のひとつひとつが彼女に向かって飛んでいく。

彼女は泣いている。

どこかのタイミングでサイトウ先生は
クラスメイトに注意するのかと思ったら違った。

泣きながら聞いている彼女に
「泣いてないでちゃんと聞きなさい」
と注意をする。

最後にサイトウ先生は彼女に「言われたところを直していこう」と言った。
この教室には、彼女の味方がいないように見えた。
思うことはあるのに黙って聞いているだけの自分もまた無力だった。

1学期が終わり夏休みに入る。
8月7日、僕は友人たちと「ローソク出ーせー」と歌いながら
お菓子をもらいにまわっていた。

すると友人の1人が彼女の家を教えてくれた。
嫌がる友人たちを無理やり連れて家の前まで行く。

これをきっかけに彼女が学校に来やすくなればいいと思った。
こういう空気を変えられるのは部外者の転校生だったりする。
と勝手に思っていた。

インターホンを押す。
そして、歌う。

「ローソク出ーせー出ーせーよー 
 出ーさーないとー かっちゃくぞー
 おーまーけーにー噛み付くぞー」

家からは、誰も出てこなかった。
つぼみを閉じたアサガオが玄関脇に植えられていた。

そして9年後、この話には後日談がある。

成人式の会場に彼女がいた。
「もしよかったら、今夜同窓会来てほしいです」
彼女が来たいどうかはわからなかったけど、
その夜にある同窓会に誘うことができた。

8月7日になると思い出す。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ