岩崎俊一 2010年6月26日ライブ




        ストーリー 岩崎俊一
           出演 高田聖子

やっぱり犬にはかなわない、とヒトミは思った。

朝、学校に行く途中で、うしろ足が一本ない犬に出会った。
道の端を、人に連れられ歩いていた。
歩くたび、からだが上下に揺れる。他の犬に比べれば、
あきらかに歩みは遅く、歩調もなめらかではない。
しかし、犬に卑屈の影は見えない。
自分ののろのろとした歩みに焦れるでもなく、
気おくれするでもない。
顔に憂いもなく、目にはおびえもない。
自分ならどうだろう、とヒトミは思った。
とてもあんなふうにはふるまえない。
泣きわめき、物を投げ、親にあたるだろう。
あるいは心を折り、ふさぎこみ、死ぬことも考えるだろう。
だが、犬は悲運を嘆くことはない。
身の不幸を言い募ることも、自暴自棄に陥ることもない。
そうか、とヒトミは思う。
犬は絶望しないのだ。
犬はもともと、「人生に」望外な期待など抱かないのだ。
犬は、ただ生きている。
目の前のものを食べ、与えられた足で歩き、
眠くなれば目を閉じ、一日に二回外の空気を吸い、
うれしければ尾をふり、解き放たれれば走る。
飼ってくれる人を選ばず、
飼ってくれている人が嫌いになって逃げ出すこともない。
あるがままの運命を受け入れ、ただ淡々と生きている。
犬は先生だ、とヒトミは思った。

ヒトミはもともと、じっとしていることが平気な、
犬という生きものに敬意を抱いていた。
近所にずっと、庭につながれている柴犬がいる。
通学の行き帰りに顔をあわせれば、「やあ」と声をかける。
犬は寝そべったまま、ピクリと耳を動かし、一瞥をくれる。
朝も、夕方戻ってきた時も、同じ場所、同じ恰好で寝そべっている。
ずっと何時間もそのままなのだろうか。
もし私がそうなら、気が狂ってしまう。
なぜ犬は平気なんだろう、といつも考えてしまう。
一度だけ散歩途中の「動く彼」に会って、
なんだかほっとしたことを覚えている。

ヒトミは、一年前、犬に死なれた。
自分より少しあとに生まれたサクラというメスの柴は、
15歳で亡くなった。
最後の一年は病気勝ちで、もう長くはないと医者に言われた時、
ヒトミは涙がとまらなかった。なんて短い一生だろうと思った。
私と同じ時に生まれ、私が大人になる前に死ぬ。
これっぽっちの時間しか生きられないなんておかしいよ。
そう言って、ヒトミは泣きじゃくった。
その時、父が言った言葉が忘れられない。
「ヒトミ、人間のいのちが長過ぎるんだよ。」
犬のいのちは、人間の目から見れば短いだろうが、
なあに、犬はそのことに不満は感じていない。
これくらいでちょうどいいと思ってるよ、きっと。
バイバイ。さよなら。お先です。
かわいそうなのは、あなたたちだよ。
つらい思いばかりして、
私たちの何倍もの長い人生を送らなければならない人間たちだよ。
父の話を聞いて、そう言えば人間も大変だ、と
ヒトミはちょっと泣き笑いになった。

静かに散歩する三本足の犬に出会った日、
ヒトミは学校の帰りに花屋に寄った。
サクラが死んで初めて、
居間のサクラの肖像画の前に飾る花を買った。

出演者情報:高田聖子 Village所属 http://www.village-artist.jp/

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神谷幸之助 2010年6月26日ライブ



渚にて。

        ストーリー 神谷幸之助
           出演 坂東工高田聖子

子犬に激しく吠えられて、ビックリして目が覚めた。
一緒に午睡をしていた彼女も悲鳴をあげた。
牧羊犬のボーダーコリーだ。
羊に吠えるように、僕らにまとわりつく。
誰のペットなんだよ。

地元の人が多いこの小さなビーチは、
昨日、都会から来た僕らに、冷たかった。
話しかけても誰も答えてくれない。
時々目が合って、愛想良く微笑んでも
すぐかわされた。

のどが乾いて
「すみません、ビールください」って、海の家でお願いしても
「なめんなよ!」って叫んでも。
全員に無視された。

ぼくらは、孤独だった。
閉鎖的なビーチ。

だから
僕は彼女とふたりで、
海で遊ぶしかなかった。

彼女は、泳ぎが得意ではなく、むしろ金槌だった。
水を怖がって、海には入ろうとしなかった。
それを無理矢理ゴムボートに乗せて沖に引っ張って行き
キャーキャー騒ぐ彼女と笑いあった。
ビーチのみんなに冷たくされても、
けっこう楽しかった。

それはビーチに戻ってきて
雲に隠れていた
太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

(女性)「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
    まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

僕の彼女に影がないことに気がついたのは。

え、どういうこと?

そして、僕にも影はなかった。

体を動かしたり、手を振っても
影はない、てか、できなかった。

その瞬間すべてが瓦解し、すべてが理解できた。

思いだした。
昨日、僕と彼女はこのビーチで
彼女を沖につれだしたとき溺れ、
それを助けようとした僕も溺れたんだ。

ライフガードにビーチまで上げてもらったけど。
人工呼吸をしてくれたんだけれど。
だめだった。

僕と彼女は、死んだ。

ビーチのみんなが冷たかったのではない。
みんなに、僕らは見えなかった。

犬だけが、僕らのに気づいたんだ。
ぼくらの「存在」を知っているのは、キミだけだったんだね。
ありがとう。

(女性)「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

影があるのは、僕と彼女だけ。

そのほかこのビーチにいる全員に影がないことに気がついた

あのおじさんも、あのビキニの娘にも、この小さな子にも。

そこは、死の国だったんだ。
死者たちの海水浴。

犬は、この死のビーチの番犬。
こう吠えていたんだ。

「こっちに来ては行けない。出て行け!」

*番組の音声はこちらでお聴きいただけます
http://www.01-radio.com/tcs/archives/12468

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小野田隆雄 2010年6月26日ライブ




     ストーリー 小野田隆雄
        出演 高田聖子

「波はよせ。
波はかへし。
 
波は古びた石垣をなめ。

 陽の照らないこの入江に。
 
波はよせ。
波はかへし。」

私は二十年前、十九歳のときに、

ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって

九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している

アパートの部屋で

私はヨシノリをタエコから奪い取った。

東京に戻ってきたタエコは

涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」

ヨシノリは大田区役所につとめ、

売れない詩を書いていた。
二十五歳だった。

タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、
馬券売り場で働いている。

「波はよせ。
波はかへし。

 下駄や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
 
波は古びた石垣をなめ。

 波はよせ。
波はかへし。」


草野心平の、「窓」という題名の詩が

原稿用紙に万年筆で書かれて、

ヨシノリのアパートの
北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」

私とヨシノリは一年ほど続いたが、

そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、
帰ってこなくなった。

私は十日ほど、「窓」という詩と、

にらめっこをしていたが、

その詩を壁からはがし取って、

そのアパートを出た。


それから数年が過ぎた。

馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。
すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。

京浜急行の青物横丁の駅員だった。

きちんと結婚式もあげた。

けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、
横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、

一月もしないうちに、

チンピラのケンカを止めようとして、

ナイフに刺されて、死んでしまった。

「波はよせ。
波はかへし。

波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。

雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。

億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。

波はよせ。
波はかへし。」

私は、いつもひとりだった。

羽田空港に近い、

穴(あな)守(もり)稲荷のある町で生れ育ち、

ひとりっこだった。
父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、
朝から晩まで
働いていた。

私が高校に入る頃に父が死に、

高校を卒業する頃に母が死んだ。

私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、

南の窓から海が見えた。

沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。
そして、また、走ってくる。

父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。

どちらのときも、私は海を見つめた。

聞えるはずのない、波の音を聞いていた。


波はよみがえる。ひとは死ぬ。

私は、今日まで、しあわせだった。

さびしかったけど、しあわせだった。

きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。


「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」

出演者情報:高田聖子 Village所属 http://www.village-artist.jp/

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佐倉康彦 2010年6月26日ライブ



保健室、という家
                           
        ストーリー さくらやすひこ
           出演 高田聖子
             

3限目がはじまって、少し経つ。
体育館からは、
ドリブル音とバスケットシューズが
床に擦れ合う音が散発的に
漏れ聞こえてくる。
普通なら青臭くさい嬌声なども混じり、
溌溂とした活気のある音のはずが
まったく覇気が感じられない。
弛緩し切った無気力な雑音にしか
聞こえてこないのは、
進学組と呼ばれるA組のヤツらの
授業だからだ。

いつものように私は、
眉の手入れをはじめる。
ムダに早い始業時間のせいで、
朝はそんなケアをする余裕などないし、
かといって通勤電車の中で
化粧をするほどのコンジョーもない。
午前中、この部屋に客が比較的、
少ない時間帯が狙い目だ。
洗い立ての白衣を着た年増のコスプレ女が
思わせぶりに脚を組んで鏡をのぞき込んでる、
ように見えなくもないか…

今のこんな姿を、
いつも何かに忙殺されている
教頭にでも見つかったら、
あのオッサンの仕事を、
また増やすことになるし、
ツマらん妄想のネタになるので、
カーテンは閉めたままだ。
その向こう側は、
今の私には強すぎる春の光が溢れてる。
ホント、眩しすぎるぜ青春。
ベッド廻りの間仕切りカーテンは
逆に引き開けられている。
ベッドは、もちろんもぬけのから。
朝礼の時にぶっ倒れた進学組のコゾーが
さっきまでマグロになっていたが、
とっとと早退していただいた。
コゾー特有の甘ったるい匂いが
シーツに残らないよう
掛け布団は剥いだままにして整えてある。

いかにも無難で退屈なおばはんバッグから
コスメポーチを取り出す。
ババくさいバックには不釣り合いなほど、
妖しくド派手なポーチは、
中国系アメリカ二世の女が
立ち上げたブランドのものだ。
この女のことが私は好きだ。
ブランドが好きというより
この女の顔が好きだ。
とくに目がいい。
上手く言えないが、
何か怨嗟を感じるというか、
硬くて冷たい意志を感じるからだ。
そんな女のつくった
アイブロウライナーを取り出し、
右側の眉にさっそく取りかかる。
我ながらうまくいったな思いながら
左の眉に取りかかろうとしたとき、
身体検査のお知らせポスターが貼られた
ドアが音もなく引き開けられる。

また、あのコだ。
私は、鏡の前で脚を組みブロウライナーを持ち
左眼をつぶり口を開けたままの状態で固まる。
まるで笑えないトーキョー者のコントだ。
そんな私を見て、
彼女は左側の口角だけを引きつるように
持ち上げ声もなく嘲笑っている。
春から、このガッコーに入った新一年生ってやつだ。
入学式から2週間、
毎日この時間になるとやって来る。
入学式の当日ですら、
式を途中で抜け出して保健室を探し回った強者だ。

「へたくそ…」
挑むように言葉を選び、
私のそばに、
ささくれだったひと言を投げ捨て遺棄する。
目は笑っていない。
この化粧品つくった女の目と同じだ。
半分だけ描かれた眉のまま私は脚を組み直す。
どんなに大人を気張ったところで、
片眉の私に勝ち目などあるわけがない。
「ベッド、空いてるよ」
彼女の方を見ずに鏡をのぞき込み
左の眉に取りかかる振りをする。
                    
彼女は黙ったままベッドへ向かい               
私を拒絶するように間仕切りのカーテンを強く引く。               
安物のベッドのスプリングが軋む音がする。
間仕切りの向こうの様子を片眉のままじっと窺う。
そんな私を見透かしたように
カーテンの向こうの彼女が喋り出す。
「おかあちゃんのせいで、
毎日、寝不足や、
なんでアンタのお弁当まで私がつくるん?
お昼なったら起こしてな!
きょうのおかずは、
ちなみに卵焼きとタコさんウインナーです」 
一気に喋り終えると、
もう、寝息らしきものが聞こえてきた。
カーテンをそっと開けると
カラダを丸めるように背を向けて眠っている。
                    
鏡の前の片眉の私の目は、
眠る彼女の目にそっくりだ。
でも化粧は、圧倒的に彼女の方が上手い。
このコスメポーチも娘から誕生日に貰ったものだ。

3限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
あと1限でお弁当だ。

番組で放送した音声をお聴きいただけます

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一倉宏 2010年6月26日ライブ



 こころを2で割った答は

ストーリー 一倉宏
出演 高田聖子

ねえ…
どうしていまごろ そんなこと言うの?

まだ陽射しの残る9月の夕暮れ
あなたは青山のあの店で さよなら と言った
あれから私は… どうしたと思う?

パウダールームの鏡の前に立つと ふたりの私がいたんだ
くちびるを噛んで無表情な私と 涙をぽろぽろとこぼした私
どちらの私が ほんとうの私だと思う?

それから
石のように無表情な私は 外苑東通りを歩きはじめた
あなたの置き去りにしたものに 私は怒っていた
すべてが中途半端で 矛盾して 曖昧なままだった
結論のない 謎ときのない ミステリーのようだった
私が怒る理由は すれ違うひとの数よりも多いと思えた
あなたは確実に 犯人だった
臆病で ただ逃げまわる 情けない犯人だった

それから
涙のとまらない私は 外苑西通りを歩きはじめた
あなたの言ったことは ぜんぶ嘘に違いない
その証拠に あなたは一度も私の目を見て話さなかったから
いつもより小さな声で 真直ぐにことばを投げなかったから
だけど そんな薄弱な根拠に また涙がこぼれた
はじめて 愛している と言ってくれた記憶も
あなたは 横顔だったから

外苑東通りを歩く私は 無表情のままだった
復讐ということばさえ 胸に浮かんだ
あなたの罪状は 優柔不断のろくでなしだった

外苑西通りを歩く私は 涙がとまらなかった
どんなことでもするから 戻って欲しかった
私が死なない方法は それ以外にないと思った

外苑東通りを歩く私は くちびるを噛みつづけた
中途半端で 矛盾して 臆病な犯人に
私を共犯者にさえできなかった その弱さに

外苑西通りを歩く私は 泣きつづけていた
ぜんぶ嘘だと なんどもなんども考えた
携帯電話が鳴らないかと なんどもなんども確かめた

外苑東通りを歩く私は 怒っていた
あなたを 一生許さないと考えた
外苑西通りを歩く私は 泣いていた
死ぬまで 泣きながら待ちつづけるのだと思った

ねえ…
あれから私は どうしたと思う?
どちらの私が ほんとうの私だと思う?

それから ふたりの私は
桜田通りでタクシーを拾い 行く先を告げた

その夜 私はひとりで
怒りながら 泣きながら 
もう 決してあなたを愛していない私を 選んだ

それが… いまの私です

出演者情報:高田聖子 Village所属 http://www.village-artist.jp/

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上田浩和 2010年6月26日ライブ



4の回。

ストーリー 上田浩和
出演 高田聖子

数字の4は、鏡の前に立つのが好きではない。
数字の32にだんだん似ていく自分を見たくないのだ。

鏡のなかの4は一見数字の4なのだが、かたむける顔の角度によっては、
32の面影がうっすらとではあるがさす瞬間があり、
その加減が日に日に強まっているような気がするのである。

32÷8。
この計算の結果産まれたのが、この、4である。
だから、32に似ていたとしてもなんの不思議はない。
むしろ当然のことだし、4も32と8には心から感謝している。
ふたりがきっちり割り切れたおかげで、
余りもない小数点もない身軽な生き方をこれまでしてこれたのだから。

それでも、それとは別の割り切れない思いを、
4は4なりにずっと持ち続けてきたのも事実だ。
どうして、あの場面で、32と8は、
割り算ではなく掛け算をしてくれなかったのだろうか。

そうすれば、4ではなく、
256というジゴロな生き方もできたはずなのに、
と思わずにはいられないのだ。

出演者情報:高田聖子 03-5361-3931 ヴィレッヂ

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