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いつまでも引き分け
わたしの子ども時分の話です。
このへん一帯は、むかし、飛行場だったことがあります。
ひろくて、真っ平らな地形だったですから、
海軍に目を付けられたんでしょう。
ほれぼれするような美しい田畑をつぶして、
飛行場をね、大飛行場をつくろうとしたわけです。
農家や学生も動員して大工事が始まりました。
いちばんきつくて危険な土木工事は、
刑務所から来た囚人の役目です。
軽い罪の囚人は青い作業服で、
重い罪の囚人は赤い作業服で、
みんなで青ちゃん、赤ちゃんと呼んでいました。
湖ひとつ埋まるような、大量のコンクリートで舗装して、
幅100m、長さ1500mの滑走路ができるまで、
村のどこにいても、コンクリートの匂いが鼻をついたものです。
それこそ家の便所にいても。
まだコンクリートが固まり切らないところに、
4、5羽の白サギが降りてきて、
足がはまって身動きできなくなったことがありました。
それを青ちゃん、赤ちゃんが寄ってたかって助けようとしてね。
白、青、赤の動きがおかしくて、
いま思い出してもあれは奇麗だったです。
滑走路のまわりには野芝が植えられて、
冗談みたいにでかい、人工的な野原になりました。
格納庫や兵舎も建ち、
戦闘機、偵察機、輸送機等、300機もやってきて、
飛行場は完成しました。
海軍はまず、この飛行場を大規模な訓練用にして
どんどん若い航空兵を養成しようとしていました。
1日に何百回という離着陸訓練が行われ、
ひっきりなしの爆音は、雷のように凄まじく、窓も割れるほどでした。
何より恐ろしかったのは、未熟な飛行や整備不良のせいで、
3日に1回は、田畑や民家に墜落することでした。つまり、
3日に1回は、死人が出るということです。
村の人は爆音で頭痛を患い、
墜落の恐怖ですこしずつ発狂していきました。
異変が起こったのは、田植えの頃です。
滑走路のまわりに、いつのまにか野兎が大発生したのです。
ふかふかのビロードを1000m敷きつめたように、
野兎の茶色で、野原が見えないほどでした。
飛行機が着陸するたびに、
滑走路にぴょこぴょこ飛び出してきた野兎を轢きます。
次々着陸しては、次々轢きます。
飛び散った肉と血と油と糞は
飛行機をスリップさせて兵隊の命に関わりました。
それを除くために滑走路を掃除する時間だけは、訓練は止まりました。
村の人は、取り戻した静かな時間を
兎さんのおかげの時間、と呼びました。
しばらくすれば訓練が再開され、
また新しい肉と血と油と糞で、滑走路は汚れるのでした。
ある兎が言いました。
「いつまでも引き分け」
いや、そう言ったように、聞こえたのです。
わたしも狂っていたのかもしれません。
戦争が終わって、わたしは野原に立つたび、
それがどこの、どんな野原でも、
反射的に「いつまでも引き分け」の場所と感じます。
そして、妙に落ち着くのです。
今回お話した飛行場の滑走路ですが、
自動車部品メーカーに買いあげられ、改修されて
いまはテストコースとして使われているそうです。
あの兎、まだ生きているかもしれませんね。
出演者情報:Pecker 03-5456-3388 ヘリンボーン