ストーリー

小助川雅人 2011年5月3日


恋のカプセル
                   
         ストーリー 小助川雅人
            出演 長野里美
 

それでは、我々チームが開発した恋愛誘導剤、
通称「恋のカプセル」についての経過報告をさせていただきます。

もともとこのプロジェクトは、恋愛したときの人間の能力が
通常より飛躍的に活性化するところに着目してスタートしました。

人は恋をしている状態では、恋人に会うために遠くへ行くことも、
長電話で深夜ずっと起きていることも、
デートのために仕事を早く終わらせることも楽々とこなし、
しかも疲れをしりません。

この能力アップのメカニズムを人工的に作り出すことできないか、
これが「恋のカプセル」のミッションでした。

そのために我々は、激しい恋愛をしているカップル200組に対して、
脳の状態を調べるところからはじめました。

そして、恋愛中の脳は、脳幹のある特定の部分が刺激され、
多量のドーパミンが分泌されることをつきとめたのです。

さらに我々は、新薬剤の開発によって、
その特定部分を刺激することにより、
脳を恋愛しているのとまったく同じ状態にまで導く薬を開発しました。

これを一錠飲むことで、見るものすべてがバラ色になり、
眠っていた能力を最大限に引き出すことができ、
そしてなにより世界がすべて自分のものになったかのような
幸福感を覚えることができるのです。

はい・・・ええ、ご質問の通り。
ではなぜこの画期的な「恋のカプセル」を世界に向けて発売できないのか。

なぜならこのカプセルには重大な副作用があったからです。

カプセルの効果は一回約二時間。
その二時間が過ぎると、恋愛状態の脳は、
いっきに覚め、元通りになるばかりか、
後悔、自己嫌悪、極度の喪失感といったネガティブな感情を
引き起こすことがわかったのです。

もうおわかりかとおもいます。
我々が開発した「恋のカプセル」は、
結果的に「失恋のカプセル」でもあったわけです。

この問題を解決するために我々は現在400人にのぼる失恋状態の男女の脳を…
(終わり)

出演者情報:長野里美 03-3794-1784 株式会社融合事務所所属

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岩田純平 2011年5月1日



「中山さんごめんなさい」

         ストーリー 岩田純平
            出演 瀬川亮

終電で帰れるよう、
ちゃんとケータイで終電の時間を調べていた。
品川0時3分。
駅に着いたのはまだ56分だったので、
私はトイレに行った。
これから小一時間ほどの電車。
途中で降りるわけにはいかない。
今日はビールを少々飲み過ぎた。
僕は長い小便を終え、
やっぱりトイレに行ってよかったと満足しながら
ホームへの階段をのぼる。
時計が見える。
まだ0時1分。余裕である。
ホームはこの時間には珍しくガラガラであった。
これは座って帰れると喜んだが、
よく見ると人が一人もいない。
不景気とはいえこれは異常だ。
おかしいと思い電光掲示板を見ると、
「節電のため使用を控えております」
の張り紙。
節電。私はハッと気づいて時刻表を見る。
「計画停電の影響のため、休日ダイヤで運行しております」
休日ダイヤを見ると終電は23時56分。
こんなところにも震災の影響が。
私は途方に暮れた。

と、そこまで書いたところで僕は文章を読み返した。
全然面白くないではないか。これも震災の影響か。
僕も途方に暮れた。
このあと主人公はマンガを買い込んでカプセルホテルに泊まり、
これならマンガ喫茶に泊まった方がよかった、
などと苦笑いするのだが、
全く話が全体的に苦笑いである。

中山さんからこの東京コピーライターズストリートの
原稿を頼まれたのは2月の中旬くらいであった。
お題はカプセル。締め切りは4月1日。
つまりカプセルの話を4月1日までに
書かなければならなかったのだが、
締め切りに余裕があったことが災いし、
僕は一文字も書かないまま4月1日を迎えた。
「実はエイプリルフールで原稿を依頼したことも嘘でしたー」
という中山さんのお茶目な電話を期待してみたが、
当然そんな電話はない。

現実を見つめ直した僕は3つ話を考えた。
一つ目は冒頭のカプセルホテルの話。
二つ目は、
酸素カプセルに入って寝ている間に、
地球に謎の隕石が落ちて世界中が毒ガスに包まれてしまい、
酸素カプセルから出るとみんな死んでいた、という話。
なんだか不謹慎な気がしたので自粛した。
三つ目は、
小学生の頃埋めたタイムカプセルを掘り出したら
なぜか中身が宝の地図に変わっていて、
インディジョーンズばりの大活劇ののち辿り着いた宝はなんと・・・!!
という話。
宝の中身をこどもの頃に埋めていたタイムカプセルにするか、
なぜか死体で昔犯した殺人を思い出すという二重人格落ちにするか、
の2方向で迷ったのだが、
そもそもこんな内容でいいのか、
という根本的なところで迷いだし、
書くことを断念した。

現在日付変わって4月2日午前2時33分。
僕は苦し紛れにテレビをつけた。
何かアイデアのきっかけが見つからないだろうかと。
もしくは何かパクれそうな話はないものかと。
やっていた番組は「本当は間違っている医学の常識」
というような番組で、
カプセルや錠剤はお湯で飲まなくても大丈夫、
と医者が解説していた。
カプセル!
こんなに運良くカプセルの話が出るなんて。
これは運命の出会いと思った僕は
集中してその番組を見続け、
ジョギングは朝してはいけないことや、
傷は消毒してはいけないことなどを知るのだが、
残念ながらカプセルの話が
その後いっさい出ることはなかった。
挙句の果てには病気の話ばかり見ていたら
なんだか喉が痛くなってきて、
薬を探してみたけど粉薬しかなくて、
カプセルは消費期限の切れた鼻炎用のものしかなかった。

僕は鼻炎カプセルをゴミ箱に捨てると、
この文章はゴミ箱に捨てず保存してメールに添付し、
中山さんに怒られる覚悟を決め、
送信ボタンを押してしまうのであった。

なんだかきれいに終わらせた感じではあるが、
全部実話である。  

出演者情報:瀬川亮 03-6416-9903 吉住モータース

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中山佐知子 2011年4月29日


小さなかわいい飛行機
           ストーリー 中山佐知子
              出演 瀬川亮

小さなかわいい飛行機を僕は飼っていた。

僕と飛行機はときどき散歩に行った。
犬の散歩みたいにハーネスは使わないけれど
そのかわり
僕は片手に飛行機雲のはしっこを握りしめていた。
飛行機雲はどこまでもぐんぐん伸びるので
飛行機も本当はどこまでも飛んで行けるのだと思ったけれど
僕の小さな飛行機はいつも僕の目の届くところしか飛ばなかった。

朝、僕が寝坊をしていると飛行機が飛んで来て
片方の翼で僕の顔をツンツンと突いた。
うるさいので布団をかぶると
ブルンブルンとエンジンの音をわざと大きくして旋回飛行をした。
その音にとうとう寝ていられなくなって
起きるからコーヒーを淹れて、と
あるとき飛行機に言ってみた。

元気なエンジン音はあっという間に小さくなり
しょんぼりと着陸したかと思うと
よたよたと翼を揺らしながら飛行機は部屋から出て行ってしまった。
僕はそれから飛行機に出来ないことを
たとえウソでも言うのはやめたのだ。

僕は小さな飛行機が大好きだった。
僕と飛行機は何年も何年も一緒に暮らした。

僕は飛行機をしょっちゅう磨いていたので
飛行機の外側はいつも新品のようにピカピカだったけど
中の部品はシャフトもディスクもケーブルも
年を重ねるごとにすり減ってくたびれていたに違いなかった。
それよりも飛行時間と発着陸の回数が
飛行機の残りの寿命を少しづつ減らしていったのだ。

飛行機は、もうワインの瓶を上手によけながら
テーブルのまわりをぐるぐると八の字に飛ぶことがなくなっていた。
天井から僕の足元まで急降下して、また急上昇する
ハラハラさせる遊びもしなくなっていた。
飛行機は本棚の上の自分の場所でじっとしていることが多くなった。

僕の飛行機は残った力を
僕にさよならを言うために使おうとしていたのだと思う。
飛べなくなって埃をかぶった置物になったり
スクラップにされたりする姿を僕に見せたくなかったのだと思う。
そして、その方法を考えていたのだと思う。

ある朝、僕が窓を開けて晴れ上がった空を眺めていると
後から咳き込むようなエンジンの音が聞こえ
あっという間に飛行機が飛び出して
あぶなっかしく庭を旋回しはじめた。
それから飛行機は僕が見ているのを何度も確かめると
体勢を立て直し、まっすぐに空に向かって上昇していった。

その迷いのない潔い姿に
僕はたまらず、「カッコいいぜ、飛行機」と大声で叫んだ。
飛行機はうれしそうにちょっとだけ翼を揺らし
それから垂直の矢印のように空に吸い込まれて消えてしまった。

僕は飛行機が残した白いひと筋の雲が青空に溶けるのを待ってから
小さな声でサヨナラ飛行機と言った。

出演者情報:瀬川亮 03-6416-9903 吉住モータース

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古川裕也 2011 年4月24日


彼は彼女を。彼女は彼を。

         ストーリー 古川裕也
            出演 大川泰樹

彼女は、今、ジョナサン・スイフト精神病院にいる。
3歳の頃から集めている、飛行機雲のコレクションの展示会を
ジョナサン・スイフト市民ホールで催したいと、
ジョナサン・スイフト市役所に申しこんだためだ。
彼女によれば、飛行機雲が現れ、形が完成した瞬間にライフルで撃ち落とす。
地上に落ちてきた飛行機雲をその場で血抜きして冷凍保存。
これがいちばんきれいに雲をコレクションする方法だという。
そうして集めた飛行機雲は全部で868個。
いちばん古いのが、ハノイで採集された全長50メートルにもおよぶ
あかね色の飛行機雲。
いちばん新しいのが、ナパヴァレーで採集された渦巻き型の飛行機雲だ。

残念ながら、この話を信じた市役所職員はいなかった。
心神喪失かどうかの判断に絶対的基準はない。
ひとつの決定的行為によってではなく、
たいていの場合、絶対ではないが疑わしい行為の積み重ねによって判断される。
狂気のマイレージのようなものだ。
ジョナサン・スイフト市役所職員は職務に忠実なことに、
ジョナサン・スイフト精神病院に通報した。
彼女の場合、これが既に、3度目の入院で、
今回の主治医はミッシェル・フーコー先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

彼は彼女を見舞いにやってきた。朝晩欠かさずに。
彼女の夫は、要するにハリソン・フォードのような顔で、
たいていの人に好意を抱かせる種類の人間だった。
その彼に、彼女はひどくつらくあたった。
“あのナブラチロワとかいう女とまだつきあってるのね”とか、
“わたしに無断でなぜポルシェ968を買ったのか”とか、
“歯医者の受付のチャスラフスカとできてるのを知らないとでも思ってるの”とか、
内容は他愛ないのだけれど、
それが、彼の髪の毛を引っ張りながら病院の庭を3周しながらとなると、
良し悪しは別として、確かに人目についた。
言うまでもないことだが、
彼には彼女に対する愛はまったく残っていなかった。
彼は今、全知全能を傾けて膨大な量の浮気をしていた。

去年の夏、彼女は空に向ってライフルを乱射していた。
彼女としては、飛行機雲を撃とうとしているつもりだが、
傍目にはどう見ても、飛行機を撃ち落とそうとしているようにしか見えなかった。
居合わせたジョナサン・スイフト市役所職員の通報により、
すぐジョナサン・スイフト病院に入院した。
それが彼女にとって最初の入院だった。
見舞いに来た夫には、“5年前に一度別れたジークリンデとかいう女と
またつきあいはじめたでしょ”と罵声を浴びせた。
そのときの主治医はロラン・バルト先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

今年はじめ。ルキノ・ヴィスコンティ航空でミラノに行くとき、
彼女は、飛行機雲を素手で獲ろうとして
旅客機の窓をハンマーで叩き割っているところを取り押さえられ、
そのままジョナサン・スイフト病院に入院した。
見舞いにやってきた彼に、“あなたが今夢中なブリュンヒルデとかいう女は
そもそも男なのよ”と言い放ってから殴りつけた。
そのときの主治医は、フェリックス・ガタリ先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテには、はっきり、心神喪失と書き込んだ。

この国の行き過ぎた福祉政策のおかげで、
ジョナサン・スイフト精神病院では極めて快適な暮らしを送ることができた。
3食とも明らかに彼女のふだんの食生活よりも豪華かつヘルシーだった。
そこには、無限の時間と完全な自由があった。
そもそも精神病院では、自分がなりたいと思う人間になることができる。
医者に向かって、ファッキンと言いたければ言えばいいし、
セクシーなインターンの前でいきなり裸になってもかまわない。
正常だとここにいられないわけだし。

彼女が、2週間ほどの入院と半年くらいのふつうの生活とを
繰り返していることは、
町中のひとは、もう、おおよそ知っていた。
そろそろだわ、と、彼女は思った。

やっぱり日曜がいい。それも午後2時くらい。
みんなが集まるジョナサン・スイフト広場。
彼女は彼と腕をくんで歩く。まるで、ほんとは仲がいいかのように。
知った顔がたくさんいる。
みんな彼女を見かけると少し不安そうな表情を浮かべた後、会釈を交わす。
今日は大丈夫そうだ、と思いながら。
そのとき、彼女は、“あ。飛行機雲”と叫び、銃を取り出す。
それを空には向けず、そのまま、彼の方へ向ける。
すぐ、撃つ。再び、撃つ。もう一回、撃つ。
まるで、広場にいるみんなに見せるかのように、
なんだか説明的なゆったりとした動きで。
誰が殺し、誰が殺されたか、みんな知っている。
けれど、誰も、その殺人者を捕まえることはできない。
罪に問うことはできない。

心神喪失は、数字だ。
彼女は、2週間ずつ過去3度精神病院に入っていたことがある。
心神喪失は、多数決だ。
ジョナサン・スイフト裁判所が精神鑑定を依頼するのは、
ミッシェル・フーコー医師。ロラン・バルト医師。
フェリックス・ガタリ医師の3人。

彼女は、微笑んだ。銃を持ったまま。
これから、1年くらい、大好きなジョナサン・スイフト病院で暮らせる。
たまった本を読もう。好きなだけ音楽を聴こう。
彼女には、無限の時間がある。何をしてもいい自由がある。
それは、愛する彼と引き換えに、手に入れたものなのだ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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直川隆久 2011年4月17日




You meet You

      ストーリー 直川隆久
         出演 地曵豪

 
冬の日。
 いっこうに進まない引越しの準備に、僕はうんざりする。
アパートの床に座って、
スマートフォンで「フェイスノート」のサイトをなんとなく開く。
世界最大規模のSNSであるフェイスノートが、
新しいサービスを始めていたのを思い出し、試してみる気になる。
サービス名は「You meet You」。

 
これは要するに、自分と同じ顔の人間を検索してくれる、という
一種シャレのサービスだ。
この世には同じ顔をした人間が自分をふくめ3人いるというが、
利用者30億人のフェイスノートなら、
そのうちの一人は見つかるだろう、というふれこみ。
バイト先の田中店長が、はしゃぎながら報告していたのを思い出す。
「いや、俺、ヨルダンとイエメンにフェイスメイトがみつかっちゃってね。
アラブかよ!?って微妙に動揺したんだけどさ。
ところが、あいつらとやりとりするとね、なんか気があうのよ。
俺思うにさ、顔つきって、そいつの気性によってかわるでしょ。
つまり、顔が同じってことは、性格も近いってことなんだよ。
こんど遊びに行く。イエメンに」



「You meet You」のアイコンをクリックする。
 
時計があらわれ、針がくるくると回る。
30億人の顔の中から、「もう一人の僕」を抽出している。
期待させる間(ま)だ。僕のフェイスメイトは何人(なにじん)だろう。
日本人か。モンゴル人か。それとも…

 
部屋を見渡すと四年間でたまった雑誌やら服やらで
足の踏み場もないほどごちゃごちゃだ。うんざりする。
 
だが、今週中には引越しの荷物をまとめないといけない。
 
来週から、新日本陸軍の寮に入るからだ。

 

就職活動はさんざんだった。
シューカツの基本はSNSで顔を売ることだということを知ったのは
4回生の後半で、さすがにこのときは自分のツメの甘さにあきれた。
とはいえ、それをやってたとしても、結果は同じだったかもしれない。
僕はいわゆるコミュニケーション力というやつ、
あれに全く自信がなかった。今もない。
 
10年ほど前なら、「就職浪人」なんて悠長なことが
許されていたらしいけれど、なにせ、今は競争がはげしい。
大企業の枠はあらかた優秀な中国人がもっていってしまう。
さらに、22歳を境に年金の納付額がバカ高くなる。
バイト収入ではとうてい無理な金額だ。
 
そういうわけで、選択肢をなくした大勢の同世代と同じく、
僕も軍に入ることにした。

A国との関係が格段にきな臭くなってきた頃から、
新規募集の処遇が一気によくなったことも大きい。
個室の寮と三食はもとより、年金納付全額免除、
あと大きな声ではいえないが、
新入隊者全員に最新式のNintendo DSが支給される。

 軍でなら僕は「何者か」になれるような、そんな気もしている。
自己PRをうまくできなくてもいい。
「言われたことしかできない」と上から目線で非難されることもない。
命令をきちんと正確にこなす熱意、それがいちばん大事なのだから。
あとは、体をきたえ、銃の扱いを学ぶ勤勉さがあればいい。
シンプル。

窓の外で、爆音がした。
 
窓ガラスの向こう、晴れ渡った空に戦闘機のものらしき飛行機雲が3本、
伸びている。なんだか、焼き鳥の串みたいだな、と思う。
 
時計のアイコンはまだ消えない。
 
テレビをつける。県営カジノのコマーシャルをやっている。

 
ふと、ある考えが頭をよぎる。
 
見つかった「もう一人の僕」が、もし、A国の人間だったら。
−−そして、ひょっとして、「彼」も兵隊として働いていたら−−
僕は、どういう気持ちがするんだろうか。
 
…いや。そんなことはないだろう。
A国と、本格的にどうかなるなんてことは。
お互い核保有国なのだから、下手に戦争なんて始められない、
と大学でも習った。
時計のアイコンは、まだ、まわっている。
 
テレビの中では、コマーシャルがおわり、
タレントが温泉につかって嬉しそうな声を上げている。

(おわり)



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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佐倉康彦 2011年4月10日


紅いパスポート
           ストーリー さくらやすひこ
              出演 志村享子

もうパスポートは、更新しない。
分厚くページを継ぎ足された私の紅い旅券。
同じ国のスタンプが何十回と
押され続けた私の10年間。
旅券に貼られた私の写真は、
ちょっと不機嫌そうな
今にも泣き出しそうな、
それでいて、どこか強い意志のある
前向きな眼差しでカメラを睨んでる。
そんな10年前の私が、
何か言いたそうに今の私を見つめてる。
知らない女だ。そう思った。
あの頃の私は、
こんな髪型で、
こんな服を着て、
こんなピアスをして、
こんな顔で生きていたんだ。
でも、もう、こんな私はいないし、
こんな紅い旅券もいらない。
最初の頃は、
イミグレーション・コントロールの度に、
入国審査官の態度に怯えていた。
それが、いつの間にか、
その態度に無性に腹が立つようになり、
今では、その国の言葉で
口論までするようになった。
それも、もうしないで済む。
バゲッジクレームで、ひとり取り残され、
私の荷物だけが、
北半球の凍えるような知らない国まで
旅することもないだろう。
あの街を記したスタンプの押された
エアメールが毎日のように届いていた頃は、
無様に幸せだった。
でも、そのエアメールが
電子のメールにとって変わるあたりから
途切れがちになった便り。
それでも、私は、あの街に向かった。
何度も、何度も、何度も。
あの街に行く度に、
ふたりで訪れた、レストランやバーの人々。
顔見知りになったバザールの老女にも、
もう、会うことはない。
カルナバルの夜の喧噪と熱気と、
陽気なふりをしたチャランゴが奏でる、
悲しみを湛えた濡れた響きの中で、
あの男の汗と涙とウソと、私の血と、
どちらが重かったのだろう。
あの夜、
男が寝静まったあとに、
男のマチエテ(山刀)をそっと手にして
月明かりに照らして見た。
その切っ先を、
惚けて眠る男の首筋にそっと当てたとき、
もう、終わりにしようと思った。
愚図で、臆病で、怠惰で、愛おしいひとへ。
あなたは、
生まれた国を捨てたというけれど、
そうじゃない、
捨てられたんだよ。
さようなら。さようなら。さようなら。
上空10000メートルの強い偏西風に乗って、
私は、いま、この手紙を書いている。
西から東に向かう銀色の機体も翼も
ナイトフライトのために見ることはできない。
あの男から
毎分15キロ以上の速さで離れてゆく機体から
流れ、生まれる航跡も見えはしないだろう。
男と私の間をつなぐコントレイルは、
闇につづく飛行機雲は、
どんどん曖昧に、
どんどん、どんどん薄く脆くなりながら、
いつか消えてゆく。
搭乗するときから気になっていた
エキゾチックな長身のパーサーを期待して
CAをコールする。
私のコールに応えてやって来たのは
クルーバンクからたった今、
起きてきたばかりといった面持ちの
若い女のCAだった。
眠そうでむくんだ顔に笑顔だけを貼り付けて、
私のひと言を待っている。
「つぎの男は、どんな男にしたらいい?」
若いCAは、怪訝そうな顔のまま、
私の手元に置かれた、
書きかけの手紙を黙って凝視している。
この手紙も、きっと、出すことはない。
不細工な紅いパスポートと一緒に、
ゴミ箱の中に行くはずだ。
私の想いの航跡は、
どのくらい、この闇の中に残り、
続いているんだろう。
今は、なにも見えない。

出演者情報:志村享子 03-5456-3388 ヘリンボーン

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