ストーリー

中山佐知子 2011年2月27日



目が醒めるとプトレマイオス三世

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

目が醒めるとプトレマイオス三世になっていた。
人体の転送よりも記憶の転送がマシンに負担がかかるために
移動前後の記憶がいまいち曖昧で
プトレマイオスになった理由がよく思い出せない。

自分は何のために紀元前3世紀のエジプトにいるのだろう。
しかもファラオだ。死ぬとミイラにされるのか?
発掘されて大英博物館に飾られたりするのは恥ずかしい。
だれにも発見されない墓をつくろう。

いやいや、そういうことではない。
ミイラにされる前に私には果たすべき任務があるはずだ。

もう一度訊く、と自分で自分に問いただした。
おまえは何のために紀元前3世紀のエジプトに送られたのだ。

私は頼りない記憶からプトレマイオス三世の偉業を検索した。
プトレマイオス三世の文化的な功績といえばアレキサンドリアの図書館だ。
世界中のあらゆる本を集め、略奪し、騙しとった学問の殿堂、
の擁護者でありヘレニズム文化の推進者….
それは私の人格にはふさわしいかもしれないが
時間がかかりそうだった。
文化は酒のように時間をかけて発酵し、成熟するのである。
長期にわたる任務を遂行中に死んでミイラにされるのは避けたい。

私はもういちど自分の記憶をさぐり、ひとつの歴史的事実を拾い出した。
それは喜ばしいものではなかった。
もしそれが任務だとしたら
私は5年ものあいだ故国を後にして戦いに赴かねばならないのだ。
もっとも古代エジプトは私の故国ではないが。

私はなんとか平和主義を貫きたいと願い
イシスやオシリスの神々に祈りを捧げながら
隣で眠る妃ベレニケの布団をそっと持ち上げてみた。
美しい…しかし髪の毛がない…….ああ、よかった。
安堵のあまり長いため息が出た。

よかった、シリア戦争はすでに終わっている。
王妃ベレニケはプトレマイオス三世の勝利を祈って
自慢の髪の毛を神殿に捧げ、
その髪の毛は星座になったという非科学的な伝説がある。
この女が丸坊主ということは厄介な戦争はすでに終わっているということだ。
本物のプトレマイオス三世が片付けてくれたのだ。
ありがたい。が、しかし、それでは私は何をすべきなのだろうか。

私は再び自分に問いただした。
星座の髪の毛と本物の髪の毛とどっちが好きか。
そうではない、私が紀元前3世紀のエジプトにいる理由は?
丸坊主の妻を持ち、ミイラにされる危険をおかしてここにいる理由は?

そのとき窓にうす明かりが射した。
ナイルの川向こうに東の地平線が横たわり
天と地の境に青い光がにじんでいた。
これが紀元前3世紀の日の出なのか。
いや、そうではない。ただの日の出ではなかった。
太陽よりも一瞬早く星々の王であるシリウスが昇ってきた。

ヘリアカルライジングだ。
シリウスの光と太陽の光が地平線で交わる年に一度の日だ。

私はおもわず暦をさがした。
この日、古代エジプトでは元旦を迎える。
この日からナイルの洪水ははじまり、ギザより下流は水面下に沈む。
畑が水につかって暇になった農民はピラミッド工事の出稼ぎにやってくる。

しかし、なにかがおかしかった。
太陽も星も新年を告げているのに暦は新年ではなかった。

ここにいたって私はやっと思い出した。
古代エジプトの暦は1年を365日とし、閏年がなかったこと。
そのために100年で25日の狂いが生じていたこと。

暦を変えることは神々への反逆とされていたので
どんな偉大なファラオも閏年を加えることができなかったのだ。
それができるのは私しかいない。
私にはエジプトの神々に対する忠誠心などひとかけらもないからだ。
よし、今日の太陽が沈まないうちに
このプトレマイオス三世(ニセモノ)が正しい暦を民衆に与えるぞ。

やがて….
この国の暦が新しくなると同時に帰還命令を受け取った私は
カツラを着用していっそう美しくなった妻に
少々心を残しながら現代に戻り
なにひとつ変わっていないエジプトの歴史の片隅に
紀元前238年に閏年をもつ暦を取り入れたプトレマイオス三世の
わずか一行の記録を見つけたのだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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吉岡虎太郎 2011年2月20日


「あけましてピヨピヨ」

             ストーリー 吉岡虎太郎
                出演 地曵豪

ああ、今年も書かなかった。
…と後悔してしまうのは、
ポストに届いた年賀状の束を眺める時だ。
不義理をしている、と思う。

「年明け年賀」というものがあると知って、
それはとてもいい考えだと思ったが、
思っただけで、やっぱり実行できなかった。

世の中は善意の人たちで
構成されていると思うのは、
「俺は年賀状を出したのに、
お前は返してくれないじゃないか」
と責められたことが一度もないことだ。

それとも、心の中では激しく僕を責め立てていて、
「M-1どうだった?」とか、
「もち何個食った?」などと
何気なく接し続けることで、
婉曲的に、僕に自責の念を呼び起こそうと
しているのだろうか。
だとしたら、それはあまりに婉曲すぎる。無意味だ。

無意味なコミュニケーションといえば、
ツイッターのフォロワーという人々とのやりとりだろう。

昨年ある日突然、ピヨピヨママン(仮名)なる
子持ちの人妻からメッセージが届いた。
「おひさしピヨ~。私のこと覚えてるピヨ?」
なれなれしい口調だが、驚くべきことに、
まったく記憶にない。

高鳴る胸。湧き上がる期待。震える指。
「たぶんわかると思うけど…、ヒントはありますか?」
「昔の友達ピヨ~」
「大学の友達でしょうか?」
「ちがうピヨ~」
「バイトの仲間ですか?」
「全然ちがうピヨ~」
「あの、もう少しヒントをもらえるかな(笑)」
「あ~、忘れてるピヨ!」
「いやいや…(汗)」
「ひどいピヨ!」「ごめんピヨ!」
「ピヨピヨ!」「ピヨーン!」
…僕は疲れ果てて連絡を絶った。

このような不安定なコミュニケーションと比べて、
年賀状ははるかに人間らしい、
温もりのあるつながりを提供してくれるはずだ。
なのに、もう、何年も書いていない。

…そうだ、「思いつき年賀」というのはどうだろう。
一年のいつでもいい、思いついた時に、
思いついた場所からメッセージを送るのだ。

桜舞い散る春のうららかな午後、
猛暑の予感に包まれた夏の朝、
天高く馬肥ゆる秋の夕暮れ、
眉間にしわを寄せ、一枚のハガキを手に、途方に暮れる人々…。

「あけましてピヨピヨ」

今日は2月1日。旧い暦ではお正月だそうです。
ことしも、よろしくお願いします。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋

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黒須美彦 2011年2月13日


恋するモノローグ

    ストーリー 黒須美彦
       出演 瀬川亮 内田慈

「きっもちいいねー」
「あ、そうだね」
「走ろう」
「え、ああ」

k 今日は、柏木さつきと
  二回目のデートだ。
  デートと呼ぶにはうぶな代物かも知れないが

「あ、月がでてるよ。昼間なのに」
「ああ、そうなんだ、
 白夜月は、
 月齢にもよるんだけど、
 特に冬、上限の月だとよく見える」
「ふーん」
「いま、暦の上では立春だけど、
 まだまだ寒いから…」
「戸田君、詳しいんだね、天気のこととか…」

k あー、なんかつまんない話してるな、俺…
  いつも、こうだ。とりとめくて、雲や星の話ばっかりして、
  まあ、天文部の部長なんだけどね…
s ねえ、
k ん?
s ねえ、君、いま、つまんない話してるな、俺、
  って思ってたでしょ?
k 誰?なに?
s 柏木さつきのココロの声、モノローグね
k ココロの声って
s ええ、君が戸田浩一郎のココロの声なのと、おんなじこと。
  でも、たしかに、退屈だよね。
k え、それって、なに、会話できちゃうわけ、僕たち
s ま、そうなんじゃないの、一種のテレパシーみたいなこと?
k それって、すごくない、
s うーん、そうかな、現にこうやって話しているわけだし、
  そんなことより、君はどう思うわけ?
k どうって
s この、じれったい感じよ
k ま、でもしかたないんじゃないの、悪気はないんだし
s 悪気とかじゃなくって、リビドーないの?
k リビドー?
s 性的衝動
k そりゃまた、ずいぶん、いきなり
  ものには順番てのがありまして?
s なに、じいさんみたいなこと言ってんのよ 
  さつきのキモチになってみればね…
k あれ?さつきのキモチって、
  君はココロの声だから、
  キモチそのものなわけじゃない、
  まそれは、話がこんがらがるから、おいといて、
s うん、そうしといてくれる。
  つまり、戸田君が、どんだけ強く、
  さつきを思ってるかってこと。
k ああ、好きだよ。彼、ていうか俺、
  病的なくらいにね。毎朝四時に、
  さつきが好きだって、
  きゅんと胸が締めつけられて、
  起きたりしているし
s そこまで。それを押し殺しちゃってるんだね。
k そうなんだ。
s あー、でも、いま地動説に行っちゃったよ、はなし
  せめて音楽とかの話題ないの?
k そっちもわりとマニアックなんだ
s たとえば?
k ベル&セバスチャンとか、
s あ、ベルセバなら、さつきも大好き
k なんだ、じゃ、ちょっと待ってて、
  話題変更を命令中枢に指示するから
  ベ、ル、セ、バ…、
  最近のアルバムの話でいいか…

s ね、キスしてよ
k ん?
s キス、しよ
k キスって、僕たちココロの声だよ
  まだ本人達もしてないのに?
s だから、ココロでするのよ
k どうやって
s してみて
k あ、こ、こうかな
s ちょっと違う
k じゃ、こう
s …
k …
s なんとなく、そんな感じかも
k 実感ないけどね
s でも、なんか、いい感じかも、
k 余韻があるね…
s あ!

「あ、バイトの時間だ、あたし行かなくちゃ」
「あ、もう、そんな時間か」
「でも、楽しかったよ、握手」
「うん」

k 本人達より先越しちゃったけど
s 続きが楽しみだね
k じゃ
s また

出演者情報:瀬川亮内田慈 30-6416-9903 吉住モータース所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋

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中島英太 2011年2月11日



月曜日の憂鬱
                  ストーリー 中島英太
                     出演 瀬川亮

月曜日は、憂鬱だった。
火曜日も、水曜日も、木曜日も穏やかだし、
ましてや金曜日に至っては浮かれているのに、
月曜日の心は、いつも重く、ブルーだった。
月曜日は、思った。
どうして俺、月曜日なんだろうかと。

月曜日にとって、月曜の朝はまさに苦痛だった。
サラリーマンや学生たちはみな、
自分の訪れを疎ましく思っていた。
また月曜になっちゃったよ――
彼らの暗い顔を見るのが、月曜日はなにより辛かった。
子供たちは、さらに残酷だ。
前日の夜、テレビでサザエさんという番組の
エンディングテーマが流れる頃になると、
すでに月曜日が来るのを嘆き悲しみはじめる。
早すぎるだろ!どんだけ嫌われてるんだ俺。

自分なんて、いないほうがいいんだ。
いっそ、平日が火曜日から始まればいいのに。
そんなふうに思うこともしょっちゅうだった。
ほかの平日の連中たちは、
月曜日は週のトップバッターって感じで、いいね、
なんてことを呑気に言うが、
あいつらは俺のプレッシャーをまるでわかってない。
同じ平日と思われるのも、心外だ。

平日。そう、俺は平日。
自分がもし土曜日や日曜日のような休日だったら、
と月曜日は思った。

人々はみんな、自分がやってくるのを心待ちにしている。
早く来ないかな、月曜日。まだかな、月曜日。
映画「マンデーナイトフィーバー」が大ヒットして、
田中星児が「ビューティフルマンデー」を歌う。
そんな月曜日だったなら、どんなにいい気分だろう。
どんなに人々を素敵な気分にさせられるだろう。

でも、それは夢のまた夢。
ブルーマンデー症候群。月曜日は週で一番自殺者が多いらしい。
ブラックマンデー。株の大暴落も、自分のせいな気がしてくる。
月曜日を描いた歌は、大抵暗い。カーペンターズにも、ディスられた。
俺は、月曜日。嫌われ者の月曜日。

週休2日制になった時。どうして、「土日」じゃなくて、
「日月」にならなかったのだろう。
週のはじまりが日曜日ならば、日月と来るのが道理ではないのか。
土曜日の奴は、水面下でロビー活動でもしていたのだろうか。
国の連中もようやく最近になって、
3連休に絡めてハッピーマンデーなんてことをやり始めたが、
まるで浸透してないし。むしろ前のほうが良かったねと囁かれる始末。
どこかでボタンが掛け違ったとしか思えない。

ホントは、月曜日だって、日曜日だって、何曜日だって、
同じ1日で、週に一度しかなくて、人生に一度しかなくて…
そんな正論を訴えたこともあった。
金曜日は、そうだね、と鼻で笑うだけだった。
花金とか呼ばれ始めたころから、コイツ嫌い。

マンデー。M・O・N・D・A・Y。
ローマ字読みすると、モンダイ…。フッ
一週間の問題児だな、俺は。

月曜日がそんなことを自虐的に思っていると、
どこか遠くで、かわいらしい小さな声が聞こえた。

「はやくげつようびにならないかな」
え?誰?いまなんて言った?
「げつようびになったら、ランドセルしょってがっこういくの」
小さな女の子が、ピカピカのランドセルを、
親戚のおばさんに自慢していた。

そうか…こういう子も、いるんだな。
もしかしたら、月曜の朝に暗い顔をしている
サラリーマンも学生も、
昔はこの子みたいだったのかもしれないな。
それがいろいろあって。
人間も人間なりに、大変なんだろうな。

今度の月曜は、女の子のランドセルが濡れないように、
なるべくいい天気にしてあげよう、と月曜日は思った。
そして、女の子が青空を見上げて、
手を大きく振り、元気に登校していく様子を想像して、
ちょっとだけ陽気になった。

出演者情報:瀬川亮 03-6416-9903 吉住モータース

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国井美果 2011年2月6日



「微熱屋」
               ストーリー 国井美果
                 出演  西尾まり
                      

暦のうえではもう立春ですが、まだまだ寒い日がつづきます。
どうかお風邪など召されませぬよう・・・

あ、召されてますか。

でも、仕事を持っていると、おちおち休めませんよね。
まずいな~と思いながらもズルズルと残業して、こじらせて。
で、あわてて市販の風邪薬を飲む。医者にかかる。

でもね。
こういう言葉をご存知ですか。
「風邪は治すものではなく、経過するものである。」

これ、有名な整体の先生の受け売りなんですけど、

そもそも風邪というのは病気なのではなく、
それ自体が治療行為なのだそうです。

だから、早く治したくて無理に熱を下げようとしたり、

咳を止めようとしない方がいい。中断しない方がいい。

「自然な経過を乱さなければ、
風邪をひいたあとは、蛇が脱皮するように新鮮な体に」なれるものなんですと。

なるほど。
風邪をひきかけたら、無理に止めずに、
「まずはすみやかに休養する」のがいちばんです。
え?

すみません、申し遅れました。
わたくし「微熱屋」と、いうものです。

微熱屋とは、あなたのようなお忙しい方が、
風邪かな?と思ったら、すぐさま身体を休ませることのできる場所。
街中にある、有料の保健室のベッドのようなものと申しましょうか。

ご興味がおありですか?

どうぞいらっしゃいませ。さあどうぞ。

では、まず受付で検温してください。
37度5分以上の方は、申し訳ございませんが
微熱の範疇を超えておりますのでお帰りください。
それ以下の方は、個室へどうぞ。
 

各部屋には、小さいですが清潔なベッドと
気持ちのいい麻のシーツが備えてあります。

プラズマクラスター付き加湿器も標準装備。
温度と湿度の管理はカンペキ。
ご希望ならば和室タイプもございます。
 

では、こちらのパジャマにお着替えください。
クリーニング済み。素材も選べます。キティちゃんのもあります。
オプションで五本指ソックスや腹巻きもございます。

さてこちらが、ルームサービスのメニューです。
風邪といったらやはり、
すりリンゴ、みかんゼリー、生姜と蜂蜜入りミルクティー、葛湯、
さらに卵粥、きのこ雑炊、煮込みうどん、
ネギの黒焼き、スンドゥブ、牡蛎鍋などもございます。

カラダが芯からポカポカしてきましたでしょう?

それでは、
どうぞおやすみなさいませ・・・・

あ、BGMもお選びいただけます。

iTunesの中には、ボサノバからグレゴリオ聖歌まで10,000曲以上、

「キッチンでお夕飯の支度をする音」なんていう選択もございます。

 お時間は、「60分後にお目覚め」コースでよろしいですか?
それでは、ベテランのお母さんが優しく起こしに参りますので、
おやすみなさいませ・・・

あ、お母さんのタイプも選べますよ。

八千草薫タイプ、
竹下景子タイプ、
市原悦子タイプ・・・・それから、
もう、いい?

それでは、おやすみなさいませ。お大事に。

あ、料金ですが、前払い制になってまして・・・・・・・・

(おわり)

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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中山佐知子 2011年1月30日



その馬は星を眺める

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

その馬は星を眺めるのが好きだった。
たぶん故郷の草原を思い出すからだろう。
馬の故郷ははるか西のキルギスに近い草原で
遠い地平線を見渡すことができたし
西に沈む星に向かってどこまでも駆けることができた。

馬が連れて来られた洛陽の都には草原がなかった。
地平線がどこにあるのかもわからなかった。
そのかわり大きな建物とたくさんの人がいた。

その馬は一日千里を走った。
二世紀の中国で千里といえば400kmと少しの距離だ。
その能力の高さゆえに馬はときの権力者への贈りものにされたのだったが
馬としてはそんな人間を背中に乗せるつもりは毛頭なかった。
そこで最初の持ち主はこの言うことをきかない馬をある武将に与えた。

その武将は強かったが、義に疎く節操がなく裏切りを繰り返した。
ある意味ではとてつもなく自由でありその奔放さが馬と似ていた。
馬は呂布というその武将を乗せて戦場に出向くようになった。
壕(ほり)を飛び越え、城に攻め入って敵を蹴散らすのは面白い、と
馬は思った。

やがて呂布が死に、馬は呂布を殺した男の手に渡った。
この三番めの主は知謀に優れた武将だったが少々冷酷でもあった。
馬はその男を嫌って大暴れに暴れた。
それから馬は自分の首にあたたかい手が置かれているのに気づいた。
なるほど、自分はまた誰かに譲られたのだ、こんどはどんな奴だろう。
馬はさざ波のような笑みをたたえた髭面の武将を見返した。

そしてまた、戦いの日々がはじまった。
あたたかい手をしたあたらしい主は関羽という名で信義に厚く
部下にやさしいと噂される人物だった。
戦場では恐れを知らず勇猛に敵を攻めたが
そんなときでも馬をいたわり危険な目に遭わせることがなかった。

馬はもう星を眺めることがなくなった。
あたらしい主は混み合った戦場でも
草原と同じように馬を走らせることができた。
馬はどこにでも草原をつくりだす主の手綱に従うことが心地よく
また、その日の戦いが終わってから自分を撫でるあたたかい手が
待ち遠しいと思うようになった。

このとき関羽は曹操のもとにあり将軍として仕えていたが
一生の友情と忠誠を誓った相手はほかにいた。
馬が草原をなつかしむように
関羽もまた慕わしく思う人がいたのだ。
そしてその日、関羽は馬とともに目指す人のもとへ走った。
もし追われても、この馬に追いつけるものはいない。
一日千里を走るこの馬に勝てる馬はいない。
馬が与えてくれた自由を関羽は喜んだ。

馬もうれしかった。
自分が乗り手の喜びになることがうれしかった。
馬は星空の下を走りに走った。

この馬の名前を赤い兎と書いて赤兎(せきと)といった。
やがて関羽が死んだあと、
赤兎は絶食し自ら命を絶ったと伝えられている。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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