ストーリー

一倉宏 2010年2月20日ライブ



3月は握手をして

             ストーリー 一倉宏
                出演 清水理沙
                             
いちばん短い月 2月は 3月にいいました
さようなら 握手をしましょう
ようやく芽吹いたつぼみたちを どうぞよろしく 
雪解けのせせらぎをつくる陽射しを どうぞことしも
明るい春を待ちわびた受験生たちを
どうぞ あなたの暖かい笑顔で 迎えてあげてください
いちばん短い月 2月はそういって 
3月と やわらかな握手をしたのです

3月は 別れの月 
握手をしましょう さようならの握手を
街路樹の枝を揺らして 電線をすすり泣かせて
まだ冷たさの残る風は 吹き過ぎてゆきます
さようなら 石油ストーブと やかんの湯気
くもった窓ガラスに 指で書いた絵
さようなら 衿を立てたコート ポケットに入れた手

さようなら もう さようならの季節だから
それなのに こたつの中にいるネコは出てこない
そろそろ さようならをしないとね こたつにも
おばあちゃんは 肉球をやさしく包んで いいきかせます
なのに こたつの中のネコは さっと手をひっこめる
さようなら なごりおしいけれど
さようなら もう 春だから

さようなら 6年生の教室 ランドセル
机にも椅子にも 図書室にもプールにも さようなら
逆上がりのつらかった鉄棒 楽しみだった給食のハンバーグ
さようなら 大好きだった先生とも お別れの握手 
涙で濡れたちいさなその手を ズボンで拭いて

さようなら 住み慣れた街
引越のトラックが到着すると 部屋は 手際よく空っぽになり
何年も住んだアパートに 置き忘れたものはなにもありません
だけど 壁紙のしみ 床の傷跡 過ぎた日々
さようなら ここに何度も遊びにきて そして去った彼女 
引越する若者は その部屋のドアノブと 最後の握手をします

さようなら 過ぎてゆく日々
立ち止ることのできない 時の歩み
3月と握手した 2月の手は とても冷たかった
2月にくらべれば 3月の手は たしかに暖かいのだけれど
やがて はなやいだ4月がやってくる
さようなら あとをよろしくと また握手をして
そのとき 3月は かすかに 
自分の手の冷たさを 知るのかもしれません

さようなら 春をよろしく

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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古川裕也 2010年2月20日ライブ



僕には君がわからなかった

               ストーリー 古川裕也
                  出演 大川泰樹

 春になると、君は僕の耳元で、突然ヴィトゲンシュタインと3回ささやいた。
何日かそれをくりかえすと、今度は、エイゼンシュテインと3回ささやいた。
その完璧にコントロールされた吐息の質と量に僕は君の思惑通り興奮した。
というか、僕が興奮するまで君はそれをやめなかった。
やがて僕の方がそれを期待するようにさえなった。
ルビンシュタインとささやかれたら興奮するだろうか。
ストラヴィンスキーだとどんな感じだろうかと。
今となっては無邪気な思い出だけれど、間違いなく言えるのは、
君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

 春になると、僕たちはよくけんかをした。
細かいことはいちいち覚えていないけれど、
いちばん深刻なけんかの原因は、確か、八重洲ブックセンターの
5色あるしおりのうち、ふたりがいちばん好きなムラサキ色が一枚しかなくて、
それを取り合ったことだと記憶している。
今から考えてもお互い譲れない問題だったと思う。
とくにその本が長編小説である場合、
それは読後感に決定的な意味を持つ。
ジョイスを読んでるのにトルストイを読んでるような感じになることすらある。
それはよくない。
喧嘩の決着がつかないと、君は必ず街の時計台のいちばん上に登って
降りてこなかった。
春とはいっても、そこは寒い。
たぶん。君は、またたくまに風邪をひいた。
咳をしては、その振動で時計を3分遅らせ、洟をかんでは7分、
くしゃみをしては11分遅らせた。
これは、街のヒトみんなの迷惑のみならず、
僕たちが喧嘩をしていることを街中に知らせることも意味した。
今となっては無邪気な思い出だけれど、間違いなく言えるのは、
君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

 春になると、僕たちはよく散歩に出かけた。
そうしてみると僕たちはそれなりに似合いのカップルだったと思う。
セーヌ河沿いも散歩したし、テムズ河沿いも、テベレ河沿いも、
ガンジス河沿いも、チグリスユーフラテス河沿いも、
黄河沿いも、多摩川沿いも。
君は気持ちのいい春の空気に触れると必ず僕の耳
に噛付いた。しかもちぎれるまでやめなかった。
ちぎった僕の耳をくわえる君の顔には残忍さなど微塵もなく、
むしろ愛情にあふれていて、僕はうれしかったけれど、
正直ちょっと痛かった。
もういちど耳が生えてくるまで2週間くらいかかったし。
今となっては無邪気な思い出だけれど、間違いなく言えるのは、
君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

 春になると、とても悲しいことが起こる。
君の17歳の妹が死んだのだ。葬儀で妹のために自作の詩を読んだ君は
美しく気高かった。今回の神様の行いを咎める詩だった。
“神様、あなたはときどきまちがえる”というような題の。
美しい喪服姿の君は葬儀が終わると僕の手をぐいぐい引っ張って行った。
ある種興奮してる様子だったので、
僕のアタマの中には、エロスとタナトスとか
ジョルジュ・バタイユなどの単語が浮かんでいた。
立ち止まった瞬間、ヴィトゲンシュタインと耳元でささやかれると思っていたのだ。けれど、着いた先はなんの変哲もない中華料理屋。
僕がビールと餃子と焼きそばを食べてる間、君は、餃子8人前はじめ
店のメニュー全部平らげた。
“悲しいときがいちばんおなかがすくという真実を知ったわ”とか言いながら。
喪服をラー油だらけにして。
このできごとで、僕はますます君を好きになった。
今となっては無邪気な思い出だけれど、
間違いなく言えるのは、君が僕が出会った中で
飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

 僕には君がわからなかった。
こうして墓の下にいるとますますそう思う。

そして最後の春、なぜ君は僕を殺したんだろう。
あの日、あの時刻、たまたま気温が殺人に最適の19.4度になったから。
君がほんとうは猫であることに僕が気付いたから。
セックスではなく死を前にした男の耳に、
ヴィトゲンシュタインとささやいてみたかったから。
この3つのどれかの理由にちがいないと僕は思う。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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佐倉康彦 2010年2月20日ライブ



匂い

         ストーリー さくらやすひこ
            出演 清水理沙
                 
二度寝をしてしまった遅い朝、
ベッドの中は、私の匂いで満たされている。

正確に言えば、
昨日の夜に落とさなかった化粧とお酒と、
少しだけ後悔が入り交じった匂い。
ずっと点け放しになっているテレビからは、
気象予報士と呼ばれる中年男の
鼻にかかった声が聞こえている。

 上空に強い寒気が入り冬型の気圧配置が一層強まって
 今夜は雪になる見込みです。

それから一拍置いて
ステキな聖夜になりそうですね、とつけ加えたひと言が
刃物のように私を痛くする。

私は、まだベッドから抜け出せないでいる。
ベッドのそばに脱ぎ捨てたままのコートや
ストッキングからは
昨日の夜の執着が見え隠れしているようで、
慌てて目をそらす。

そんな昨日の残骸の中に、それはあった。
おそるおそる手を伸ばす。
誰が見ているわけでもないのに
用心深く手繰り寄せる。

ベッドから起きあがった私は、
少しだけ逡巡したあと
自分の胸元に、それをそっと引き寄せる。

ベッドの中の私の匂いが、
わずかだけれど薄まったように感じた。

ケータイが羽虫のような音を立てて震え出す。
私はそれに顔を埋めながら、震える羽虫の音を聞き続ける。
それには、
マフラーには、あいつの匂いがした、
ような気がした。
 
今夜、知らない誰かのために雪が降る。

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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中山佐知子 2010年2月ライブ



一軒宿の日記            

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹
                      
目が覚めたら、障子は明るいのにポタポタと雨音が聞こえていました。
雨音というより雫の音です。
2階から見ると、狭い道を隔てた共同浴場の屋根が白く光っていました。

雪、と僕は日記に書いたけれど本当は霜でした。
今朝は大霜です、と宿の女将さんの高い声が
階段を降りる僕の肩に刺さって、
僕は日記のウソを知られたかとうろたえました。

川沿いの一軒宿から見る景色は、その霜の朝を境に一変しました。

葉を落とした落葉樹は小骨のような枝がくっきりと見えてきました。
川も涸れて細い流れの両側には
あばらが浮き出るように大きな石が顔を出しました。

山も川もすべての罪をさらけ出して眠っているようでした。
僕もよく眠っています。
もう何日も眠りつづけています。

あなたがいなくなってから
あなたがこの世界から消えてから
僕ははじめてやすらかな日々を過しています。
あなたのカラダはもう僕を置き去りにすることはなく
あなたの心はどこにも飛んでいかない。

あなたの眼はもう誰も見ることがなく
あなたの手は誰にも触れることはない。
僕はすっかり安心して白いお湯の中で手足を伸ばし、
あなたを忘れる時間さえ持てるほどです。

お湯の湧く川の向こう岸には
石垣を組んで何軒かの家がうずくまり
そばの畑からここ何日か籾殻を焼く煙が登っています。
籾殻はじわじわと蒸し焼きにすると黒い炭になり
燃え過ぎると白い灰になると教わりました。

僕はきっと、いっぺん灰になってしまったんだ。
そして、灰ではないものに再生するために
この一軒宿にやってきて
心のアリバイを日記に書き続けているのだと思います。

籾殻の煙が消えると
西の空だけが不思議と明るく
ものの輪郭が不確かになる夕暮れがやってきます。

僕があなたの首に手をかけたとき大きく開いたあなたの眼
あのときの眼が日記を覗きこむ気配を感じるのも
そんな夕暮れです。

あなたはその眼を、もう一度眠らせてもらいたいですか。

日記の中の僕は
いなくなったあなたを悲しんでいるけれど
日記を書いている僕は、
何度でもあなたの眼を閉ざすことができます。
それほど僕は、あなたの眼を愛しています。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2010年2月ライブ



雪の絵日記

           ストーリー 小野田隆雄
              出演 西尾まり     

絵日記の白いページに、
黄色い色が、あちらこちら、
こちょこちょと塗ってあるのは、
雪をかぶって咲き残る菊の花。

絵日記の白いページに、
緑色の、ほそ長い雲みたいな形が
互いちがいに書いてあるのは
雪の山のヒマラヤ杉。

絵日記の白いページに、
うすい灰色の足跡が、
消えそうに書いてあるのは、
出ていったまま、帰ってこない
忘れっぽい男の、長靴のあと。

この絵日記を、船に乗って南の島へ
行ったあなたに、船便で送ります。
もしも、受け取って返送しても、
絵日記は、私の所へは戻らない。
あなたは、わからないでしょうけど、
番地がちょっと違っているのです。
受け取って、読んでくださったら、
細かく切って、海にバラバラと
まいてください。
南の魚たちが、たわむれに
つまんで食べて、北国の風邪でも
ひいてくれないかな、と思っています。

絵日記の白いページに
ふんわりと水色の煙が書いてあるのは、
ふたりで飲んだ、マツリカ茶の湯気。
あの時は、
カップの中に、ふたりとも
マツリカの花がひらいたのにね。

絵日記の白いページのまんなかに、
赤い丸が書いてあるのは、
わたしの心。
ずいぶん恋もしてきたし、
だまされたり、だましたり、
もう慣れっこになっているから、
センチメンタル・ジャーニーなんて
ワインに酔った、そのときだけの、
つかのまの気まぐれ、それだけのこと。
私は、しっかり、生きていきます。
では、あなた、さようなら。
外では、雪もやみました。
凍りつくような、星空になりました。
さようなら。

出演者情報:西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ



この宇宙に生まれたすべてのものに 

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹清水理沙

 この宇宙に生まれたすべてのものに刻まれた
 たったひとつの言葉がある。

 会いたい。会いたい。

 だから、ビッグバンがはじまったとたんに
 素粒子と素粒子は出会って陽子と中性子になり
 陽子と中性子が出会って原子核になった。

 原子核は4000度の熱のなかで電子に出会って
 はじめての原子になり
 その原子からこの世のすべてが生まれた。

  会いたい。会いたい。
  酸素は水素と出会って水になり
  炭素と酸素の出会いで二酸化炭素ができた。

  会いたい、会いたい。
  地球に存在した最初の2種類のバクテリアは
  ある日、不思議な出会いをして
  ひとつの細胞で一緒に暮らしはじめた。

 会いたい、会いたい。おまえを食べるために。
 あまりに多くの命が生まれたカンブリア紀は
 ついに生き物が生き物を食べる世界を生み出した。

  会いたい、会いたい。おまえを愛するために
  植物は風に花粉を運ばせて
  目指す相手にたどりつくすべを覚えた。

 会いたい、会いたい

 おまえを憎むために
 17世紀のヨーロッパでは
 4万人の魔女が曳きずりだされて火あぶりになった。

  会いたい、会いたい
  あなたを殺すために。
  1991年、5つの民族と4つの言語をもつ旧ユーゴスラビアでは
  市民が市民を虐殺しあう戦争がはじまった。

会いたい。会いたい

自分がひとりではないことを知るために。

会いたい、会いたい

 生きるために。
 愛して憎んで殺して
 もう一度ひとりになるために。
 そうしてまた会いたい。
 この世のどこかにいる人に。

会いたい

 この言葉はあらゆるものに刻みこまれ
 すべての物質の法則になって宇宙を支配しつづけた。

 だから、会いたい
 この言葉がある限り
僕はおまえを求めずにはいられない

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
      清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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