ストーリー

小野田隆雄 2008年11月21日

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働くって、どんなこと?

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

 
淑子さんが、バーのカウンターの中にいる。
下北沢の、若者でにぎわう駅前から
少しはずれた住宅街の
古いマンションの一階にある
止まり木が八つほどの小さなバー。
彼女は、このバーの、ママの代理。
田園調布にある外務省のキャリアの家の
三人姉妹のすえっこに生れ、
広尾の女子大学の国文科を出たが、
どこにも就職せず、美術館やコンサート、
ときおりは海外旅行、そして、しばしば
ボーイフレンドたちと酒場がよい。
そんな生活を、ごく自然に続けているうち、
このバーのママに気に入られて、
いつのまにか、ママの代理になった。
そのうち、ママは顔をみせなくなり、
そろそろ三年になる。
淑子さんの父は、彼女の生き方が、
どうにも気に入らない。
「額に汗して働けとはいわん。
ともかく、もうすこし、
まともな仕事をしなさい」
たまに家に顔を出すと、必ず、そう言う。
けれども、母は、のんきなもので、
「いいじゃございませんか。
お女郎さんをやっているのではあるまいし」
などと言って、笑っている。
ところで淑子さんにしてみると、
働くということに、あまり実感がない。
遊ぶということも、あまり実感がない。
やりたくないことは、やったことがなく、
特別になりたい職業もなく、
でも、生きているのは楽しいから、
それだけのことで、生きてきた。
それが今日までの人生だった。

淑子さんが、バーのカウンターの中にいる。
時刻は金曜日の二十二時。
いまだ、ひとりもお客がこない。
常連さんも、ヒヤカシも、まったくこない。
こんなことは、いままでになかった。
待てど暮らせど、こぬひとを、
宵待草のやるせなさ、
今宵(こよい)は月も出ぬそうな
古い竹久夢二の歌である。
この歌を思い出すと、
マツヨイグサの黄色い花を思い出す。
すこし寂しい感じの花。
この花は、月見草とも呼ばれている。
「富士には月見草がよく似合う」
太宰治が「富嶽百景」という小説の中で
そういうことを書いた。
それから、マツヨイグサは
月見草と呼ばれるようになったと、
淑子さんは、記憶している。
宵待草、マツヨイグサ、月見草。
「待つ女か」……
そんなことをぼんやり考えているうち、
ついに時刻は二十四時を回ろうとしている。
この店の閉店は二十五時。

「もうすぐいくからね。待っていておくれ。
あなたが、そうことづけてきたから、
私はねむらずに、ひと晩おきていた。
有明の月が沈むまで待っていたのに」
そういう意味をうたった、
百人一首の歌もあるけれど、
まさか、こないお客を呼び出すほどの
ヤボも出来ない。
淑子さんは、CDをかけてみたり、
ラジオのスイッチを入れたり、切ったり。
でも、秋の夜ながに、ひとりぼっち。
そのうちに、お店のどこかの隅で
ツヅレサセコオロギが
かぼそい声で鳴き始めた。
イカナイ、イカナイ、イカナイ。
とでも言っているみたいに。
たまらなくなって、淑子さんのひとりごと。

「さびしいな。待つのって、つらいな。
こんな日が、まい日まい日続いたら、
どうすればいいのかしら」
そう言いながら、アッと思う。
「そうか。もしかすると、待つことが、
働いているってことなのかしら」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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岩田純平 2008年11月14日



いいわけ

                  
ストーリー 岩田純平
出演 森田成一

「仕事とわたし、どっちがたいせつなの?」

と、言われるくらいの完全な遅刻だった。
店に電話して遅れることは伝えた。
しかし、彼女の携帯がつながらない。
相当怒ってるのだろう。

僕はタクシーを拾い、
ユキコの待つレストランへ急ぐ。
待っていればの話だけど。

「仕事とわたし、どっちがたいせつなの?」
そう聞かれた時、僕はどう答えればいいのだろう。
僕はちょっと集中して考えはじめる。
「仕事だよ」
これはない。
でも、これをちょっとおしゃれに言ってみたら。
「ごめん、さっきまでは仕事だったんだ。
でも、いまはユキコだよ」
「ふーん、さっきまでは、やっぱり仕事だったんだ」
やっぱりダメだ。

問題をすり替えたらどうだろう。
「じゃあ、仕事しない俺と仕事する俺では、どっちがいいの」
「まずは、私の質問に答えてよ」
ごもっとも。

だったら素直に。
「どっちもたいせつなんだよ」
「私じゃないんだ。わかった。じゃあね」
引き分けは負けだ。

結局、答えはこれしかない。
「もちろん、ユキコだよ」
「じゃあ、何で約束守れないのよ。
 何でわたしよりたいせつじゃない仕事を優先するの?何で?」

「何で」。それは仕事がたいせつだから。
ほとんど誘導尋問だ。
「仕事を優先したんじゃない、
ユキコを優先するために、仕事を途中で切り上げたんだ」
「私を優先するために?じゃあ何で遅刻してるの?
仕事を選んだからでしょ。知らない。帰る」

ダメだ。太刀打ちできない。

あ、そうか、
そもそも、この質問が出る状況を作らなければ…
というか、
そもそも、こういう質問をする人とつきあわなければ…
というか、
そもそも、彼女のどこが好きだったんだっけ?
というか。

シミュレーションもむなしく、
答えは見つからないまま、レストランに着いた。
急いでユキコを探す。
しかし、彼女の姿はなかった。

ユキコは、まだ来てなかったのだ。
「お連れさまも、遅れるとのご連絡をいただいております」

ふう、よかった・・。

あれ?僕は思った。
「仕事と僕、どっちがたいせつなの?」
彼女は何と答えるんだろう。

「そんなのくらべらんないよ」

……ですよね。
で、僕はきっと頭をかいたりしながら、
「変なこと聞いてごめんね」
とか謝ったりするんだ。

男と女は、不公平です。
でも、だから平和なんだろうな。

出演者情報:森田成一 03-3749-1791 青二プロダクション

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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一倉宏 2008年11月7日



  
一日なんでもいうことをきいてくれる券

                   
ストーリー 一倉宏                     
出演 西尾まり

  
むかし、母の日や父の日には、
「肩たたき券」や「おてつだい券」をつくって贈った。
母はよろこんで残さず使ってくれたけれど、
父はほとんど「期限切れ」にしてしまったのを思い出す。
あの頃は、休日もほとんど遊んでもらえなかった父。
ともだちが父親との約束をうれしそうに話すのを聞いて、
涙が止まるまでブランコを漕いでいた、連休前の帰り道。
たった一日でもいいから。
一日限りでいいから。
「娘のいうことをなんでもきく券」が、欲しかった。
  
おとなになってわかることの多くは、
たいてい、こどもながらに知っていたことだ。
父は、休みの日こそ働いて稼がなければならない商売を
していたのだし、それはわかって、あきらめていた。
こどもはみんな、けなげにも理解しているのだ。
だからこそ、けなげな願いをそっと胸に抱く。
それは、「一日なんでもいうことをきいてくれる券」。

小学の高学年になる頃には、
「絶対に、休日をちゃんと休めるサラリーマンと結婚する」と、
私は、かたくこころに決めていた。
その決意はやはり父にはいえず、ともだちと母にだけ話した。
母が、どんなつもりで父に伝えたのかは知らない。
「そうか。それがいいかもしれないな」と、
さびしそうに笑う父の姿は、どうしたって想像できる。
母親はなぜ、こんなに軽率な裏切りをしてしまうのだろう。
それは告げ口じゃない?
私は顔を赤くして、怒り、泣き、そして永遠にあきらめた。

「一日なんでもいうことをきいてくれる券」のことは。
私はいま、幼い頃の決意通りに、
「休日はちゃんと休めるサラリーマン」とつきあい、
このままうまくいけば、結婚するだろう。
母は、彼のことをほぼ満点に近く、気に入っている。
父も、おまえがいいのならと認めている。
彼は活動的で、遊びにいくことが大好きだし、
いろんな計画を立てては、休日を楽しくしてくれる。
そうだ、父とはまるで正反対に。
  
だけど・・・
贅沢をいうようだけど・・・
彼の立てる休日のスケジュールはあまりに充実していて、
ときどきは、遊びにいくのが面倒くさくなることもある。
こども時代もおとなになっても、休日の私は、
ごろごろとマンガや本を読む習慣に浸っていたから。
それはもちろん、怠け者のわがままなんだけれど。
「ねえ、たまにはうちでゆっくりしない?」というと、
「え? そんなのもったいないじゃん。
こんどはどこにいこう」と、屈託なく笑う彼がいる。

「そうだね・・・」
ひさしぶりに思い浮かんだ
「一日なんでもいうことをきいてくれる券」を、
私は、こころのなかでそっと破り捨てた。

 
出演者情報: 西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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中山佐知子 2008年10月31日



素焼きの壺で発酵するワインは

                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

素焼きの壺で発酵するワインは自由に呼吸する。
けれどもワインは人間にふたつの不自由さを教えた。

ひとつはものを集めて溜めこむことだ。
今日必要な量よりはるかに多くの葡萄を採らなければ
ワインはできない。
もうひとつはその土地で長く暮らさなければならないことだ。
潰した葡萄を入れた壺は土に埋めて発酵させるとき
気候によっては9ヶ月もかかることがある。
ワインをつくることは
獲物を追って数百キロの旅をする身軽さを
捨てることでもあったのだ。

ある秋、川と川にはさまれた三日月型の土地に
野生の麦がたくさん実った。
女はその土地に感謝の祈りをこめて
ひと握りの麦を土にもどした。
祈りは聞き届けられ
翌年、そこは小さな麦畑になって
ひと粒の麦から80粒の麦がとれるようになった。
葡萄の種を捨てたところには
葡萄の木が生えることもわかった。

誰もがもう旅をせずに麦や豆を蓄え
素焼きの壺でワインをつくるようになった。

けれども、
ユーフラテスの岸辺の葡萄畑が何度めかの秋を迎えたとき
男はその実りの重さに心が押しつぶされる心地がした。
こうして同じ土地を消費しつづけることが
太陽や月や森に宿る神々の心にかなうことなのか
この豊かな川の神のものである水を汲み上げ
乾いた土に与えることは…..
そして自分が弓を捨て槍も持たずに
斧で木を伐ったり土を耕したりすることは
正しいことなのだろうか。

それからまた何度めかの秋が来た。
夏の収穫はすでに蓄えられ
今年の葡萄はまだ摘み取っていなかったが
去年のワインがあり余るほどあった。

そこに見たこともない顔の人々がやってきた。
彼らはこの世界有数の豊かな土地を自分たちのものにするために
武器を手にしていた。

男は仲間の呼びかけに応じて戦うために出て行った。
それが正しいかどうか考える余裕はなかった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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佐倉康彦 2008年10月24日



   鏡

                
ストーリー さくらやすひこ
出演 片岡サチ
             
試着室のドアをそっと閉める。
店の女に勧められるままに選んだ
真っ白なマキシ丈の
ワンピースを手にしたまま、
わたしはゆっくり目を閉じる。
姿見とわたしの距離は、
どのくらいだろう。
        
わたしは、
目を閉じたまま
真っ新な服に素早く袖を通す。
そして、
時間が過ぎるのをただ待つ。
わたしがこれまで生きてきた
気の遠くなるようなときに比べれば、
一瞬にも満たない時間。
         
新しい服を纏った自分を
鏡に映して試し替えし
吟味する女を
つかの間、やり過ごす。
わたしの前には
おそらくわたしの背丈よりも
高くて大きな鏡があるはずだ。
その鏡が微かに軋む。
小さな悲鳴のような振動が
目を閉じたままの私の
耳朶(みみたぶ)を震わせる。
閉店間際に飛び込んだ一見の客に
少しだけ苛ついている
店の女のダルな声が、
鏡の悲鳴に重なる。
「いかかですかぁ?」

ドア越しに聞こえる女の声を遮り
わたしはドアを開け、
そっと告げる。
「これ、いただきます」
惚けたようにわたしを見つめる
店の女に
値札の倍の金を払い
さっきまで着ていた服の処理を頼む。
店の入口でわたしを待つ男は、
ウィンドウに映る己の姿を
眺めながら
ひとり悦に浸っている。
          
「知り合いの店に
いいワインが入ったらしいんだよ」

ショウウィンドウに映るのは、
脂下がった男の姿だけ。
男の前ではにかみ俯く
白いワンピース姿の女はいないはずだ。
タクシーで移動の途上、
向かうはずの場所が
「知り合いの店」から
完成したばかりの外資系のホテルへと
すり替わる。
在らぬ方向を見つめたまま
何食わぬ顔で男は行き先を変えた。

飲み過ぎたのか
男は、わたしの足下に仰臥している。
はだけた胸元から
透けるような白い肌が見え隠れする。
男の言う「いいワイン」のせいだろう。

わたしの真っ白なワンピースの胸元には
小さな赤いシミが出来た。
これもきっと
「いいワイン」のせいだ。

わたしの口元から零れて落ちた
その小さな雫が、
わたしの赤い乾きを癒やす。

わたしの強さと弱さは、
抗(あらが)えない掟に従っているから。
男の心が傷付き、
そしてその躯から血が流れれば
わたしの心だって一緒に血を流している。
男の暖かい命で
わたしは生き続ける。

抜かれることのなかったワインは、
テーブルの下に
男と並んで転がっている。

わたしはワインと男を
リビングに残したまま
バスルームに向かう。
そして、
鏡には映らないわたしと対峙する。
誰も映ってはいない鏡を凝視し続ける。

鏡が、
また、小さな悲鳴を上げはじめた。

出演者情報:片岡サチ 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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小松洋支 2008年10月17日



Twilight
                     
ストーリー 小松洋支
出演 浅野和之

夢を見ていた。

小学校の廊下だった。
右手の窓からは校庭が見えた。
左側は工作室になっていて、高学年の生徒たちが
角材とボール紙とセロファンで何かをこしらえていた。

つきあたりが給食室で、
マスクとエプロンと三角巾をした母親くらいの年齢のひとたちが、
湯気の中でいつも忙しく立ち働いているのだった。
自分がそこに向かっているのは、
ミルクが入った大きなケトルとか、パンが並べられた木箱とかを
教室に運ぶ当番だからに違いない。

給食室の間近までくると、
かすかに漂っていたアルコール発酵の匂いが
不意に輪郭を濃くするのだった。
遠い日の甘い記憶に浸るようなあの匂いが好きで、
コッペパンをふたつに割り、
穴を穿つように白い実をむしって食べ、
微細な空気孔の無数にあいたやわらかなパンのくぼみに
鼻をおしあてて、
深々と息を吸いこんだりしたものだった。

夢の中なのにこんなにもはっきりと匂いを感じるのは何故だろう。
そう思ったところで目がさめた。
目の前にパンのひろがりがあった。
つま先からあごの下までおおきな四角いパンが覆っているのだった。
横たわっているのもパンの上のようだった。
粘性のあるひんやりとした膜状のものが体を包んでいた。
それが生ハムであることは確かめなくても分かることだった。
眠っている間に蹴ったのであろうレタスが足もとの方にまるまっていた。

夕暮れだった。
そう思ったが、それはそうではなかった。
すこし離れたところにあるワイングラスを透過した光が、
あたりいちめんにさしていた。

ほどなく、最前より深い眠りが訪れた。

出演者情報:浅野和之 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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