ストーリー

中山佐知子 2022年1月16日「はじまり」

はじまり

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

飼い主がいなくなったら死んでしまう、
なんていう仲間もいるけれど
俺はそういうタイプじゃない。
むしろ変化は喜んで受け入れたい。
ピーピー鳴くばかりのチビ猫だった俺を引き取ってくれたのは
ありがたいと思ってはいるが、
いまの暮らしにはいいかげんうんざりしていた。

俺の飼い主は年配の女の人で
俺がこの家に来てからこのかた
「私が死んだらこの子はどうなるの」と言い暮らしてきた。
ときには俺をギュッと抱いてポロポロ涙をこぼした。
そんな年になって子猫を飼うのが無謀なのだ。
自分が先に死ぬに決まっている。
その前に新しい里親を探してくれればいいのだが、
そういうことは考えもしないようだった。

引き取られて3年もすると
飼い主はときどき俺の飯を忘れるようになった。
そのくせ、「私が死んだらこの子は」という口癖はやめなかった。
そのことに気づいたのは
月に何度かやってくるボランティアの女性で
洗っていない猫の食器に昨日の餌が残っている様子を見て
年を取って猫を飼うたいへんさをさりげなく話題にするようになった。

なるほど、と思った。
うまくするとこの湿っぽい生活から抜け出せるかもしれない。
古い水、古い餌、汚れたままのトイレ、
干してない布団やカーテンを閉めたままの部屋と別れて
暖かい乾いた場所へ行きたかった。

俺はその女性が来るたびに玄関に出迎え、
歓迎の挨拶をするように心がけた。
彼女が座ると膝に乗り、
お前は俺の女だという顔をしてじっと目を見つめた。
俺たちは次第に心が通うようになってきた。

チャンスがやってきた。
飼い主は相も変わらず
「私が死んだらこの子はどうなるの」と
うんざりするほど言い続けていたが、
階段から足を滑らせて救急車で運ばれたとき
ついに俺を手放す決心をしたのだ。

車が止まる音がして、聞き慣れた足音が聞こえた。
俺が玄関に出迎えると
彼女は笑顔で俺を抱き上げ、「さあ、行こう」と言った。
「さあ、行こう。もうここには来ないから。」

そうか、もうここに帰らなくていいのか。
とうとう新しい暮らしがはじまるんだな。
俺は彼女の肩に前足を乗せて明るい空を見上げた。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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福里真一 2022年1月9日「はじまりはおよそ1億年前」

はじまりはおよそ1億年前 

   ストーリー 福里真一
      出演 遠藤守哉

ニンゲン、という名のウイルスが、
地球上で少しずつ増殖をはじめたのは、
およそ1億年前、と言われている。

その後、
ニンゲンは、次々と変異を繰り返しながら、
その数を増やしてきた。

古代株、中世株、近世株。
日本で言えば、
縄文株、弥生株からはじまって、江戸株まで。

そして、200年から300年ほど前、
ヨーロッパで生まれた、近代株と呼ばれる変異株は、
その感染力の強さ、
毒性の強さで、またたく間に、
地球を席巻した。

重症化する、地球。
しかし、運び込むべき病院もベッドもない。

惑星に注射できるワクチンも、
現在までのところ、開発されてはいない。

いま、
このままでは地球という宿主を殺してしまうことに
気づきはじめたウイルスたちは、
みずからの、「弱毒化」について検討をはじめている。

弱い毒になる、と書いて「弱毒化」。

ウイルスたちは、
この、自分たちの「弱毒化」に、
SDGs というこじゃれた名前をつけたらしい…。

同じように、
いま、宿主であるニンゲンを殺してしまわないために、
みずからの「弱毒化」について考えはじめている、
新型コロナウイルスたち。

最近、ニンゲンの代表が、
新型コロナの代表に、質問状を送った。

結局あなたたちは、ニンゲンの体の中で、
何がやりたかったんですか?と。

すると、
新型コロナの代表から、予想通りの回答が届いた。

お言葉を返すようですが、
結局あなたたちは、地球上で、
何がやりたかったんですか?

…と、ここまで書いてきて、
私はこの原稿が、年のはじめに、
そんなに明るい気分になれるものではないな、ということに気づく。

きっと、新型コロナの代表に言われるだろう。
結局あなたは、東京コピーライターズストリートという場で、
新年早々、何がやりたかったんですか?と。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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一倉宏 2022年1月2日「はじめの初恋」

はじめの初恋

   ストーリー 一倉宏
      出演 地曳豪

僕の名前は「はじめ」
漢字で書いて 横棒の「一」

おそらく というか 間違いなく
世界でいちばん シンプルな
画数の少ない文字で書く 
僕の名前

中学生の時に入賞した
読書感想文コンクールの副賞は
なぜか フルネームでなく
名前だけを刻印した万年筆で
僕の受け取ったそれは
ただ横棒がひとつ 傷のように
刻まれた代物だった

小学の低学年の時は 先生が 
なにかの合図で「はじめ!」と 
かけ声をとばすたびに
ふりむいて 笑うやつらがいて
いやだった けど

天才バカボンの
バカボンのパパの下の息子
つまりバカボンの弟の
はじめちゃんこそは
申し分ない同名の有名人 なのだ

なんでもいちばんにと
素敵なママの祈りをこめた
はじめ という名前
はじめちゃんの存在によって
救われたはじめは 多いと思う

そして
石川啄木の本名が いしかわはじめ 
しかも僕と同じ 横棒の「一」
彼もまた 天才くんだったみたいで 
みんな知ってる有名人に違いないけど

いしかわはじめ としての実生活は
ずいぶんだらしがなくて
借金ばかりして 無駄づかいして
プライド高くて 転々として
家族に苦労かけて 早死にした
ということが 石川啄木についての 
いろんな本に書いてあるのを 読んで 
知ったのは 中学二年の時

僕は 図書委員をしていた
同じクラスの もうひとりの
図書委員は女子で
司書の先生のお手伝いを
放課後にふたりで
することもあったりして
案の定 筋書き通り 僕は彼女を
意識するようになっていって

彼女の名前は「れい」
華麗の「麗」という 
画数の多い字で

その名前 そのものが
僕には きらきらと輝いてみえて
まぶしいほどだった

彼女も言ってくれたことがある
この僕の名前を いいねと
……書きやすくて

ベッドに潜り 眠りに落ちる前に
彼女のことを 考えたものだった
なにより 画数のこんなにも違う
ふたりの名前を 並べて思い浮かべては
その あまりに鮮やかな対比に
なんか 必然が隠されているようで
なんか 謎を解く鍵がありそうで

ある夜 ふと僕は気づいた
「はじめ」と「れい」と
それは 「いち」と「れい」
すなわち「いち」と「ぜろ」ではないのか

ついに その謎は解けた気がした 
世界の謎は 二進法で解けるだろう
まるで コンピュータのように完璧に!

この大いなる発見に興奮して
眠れない夜を過ごした つぎの朝は 
案の定 筋書き通りに
寝坊して 朝飯抜きで登校しても
遅刻したのだった

この大発見は 結局
だれにも言うことなく
告白することもなく  

その後 彼女は
親の海外赴任にともない 日本を離れ
消息を絶ったまま

この世界はあいかわらず いまも 
謎のままだ



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

 

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中山佐知子 2021年12月26日「オオカミ」

オオカミ

    ストーリー 中山佐知子
       出演  清水理沙

オオカミを連れて行く、と私は言った。
出て行くための条件だった。
何でも3つだけ持って行くのを許されたのだ。
オオカミはチビの頃に親に逸れて弱っていたのを
私が見つけて手当てをしたオオカミだった。
男たちはオオカミに餌を与え、一緒に狩りをすることを教えた。
これからの旅を考えるとぜひともオオカミが欲しかった。
あとは、ここでいちばん年をとった女と狩の下手な男が欲しいと言った。
オオカミには渋い顔をしたリーダーも
これを聞くとゲラゲラ笑ってよかろうと言った。
役に立たない人間をふたりも連れて行ってくれるのは
大歓迎というわけだ。
すると、年をとった女と背の高い男が素早く進み出て私の横に並んだ。

出発は翌朝で、それぞれ自分の荷物を担いでいた。
私はオオカミを連れていた。
年をとった女はキャンプを出てからずっとクスクス笑っていたが、
とうとう口に出して言った。
「あの男が大きな顔でいられるのも長くない。
役に立つ人間ばかりをこんな風に追い出すようではね。」
年をとった女は驚くほど足が達者で先頭を歩いた。
どうやら目的の土地があるようだった。
オオカミが油断なく目を配りながらその後に続き、
狩りの下手な男はいちばん後で鼻歌を歌っていた。

私たちが住処に決めたのは大きな川の岸辺の
ちょっと引っ込んだ土地だった。
遠くに海も見え、背後にはまばらな森があった。
人を襲うような凶暴な動物はいない。
もしいたとしても、オオカミが守ってくれる。
そこは砂漠から山へ移動するガゼルの通り道にも近かったが、
狩の下手な男にガゼルの肉は期待できそうになかった。
しかし、年をとった女が言った。
「大丈夫。とびきりの狩人が肉をくれるよ。」
本当にその通りになった。
狩の下手な男は石を削って鋭いナイフを作り、
貝殻や亀の甲羅や動物の骨や歯から美しいベルトや腕輪を作った。
ガゼルを追って近くを通る狩人に見せるとみんなそれを欲しがり、
かわりにたくさんの肉を置いていった。
肉がないときは川の魚や鳥の卵があった。砂浜で貝も掘ったし、
森へ行ってドングリやピスタチオを集めてもよかった。
実を言えば狩の下手な男もオオカミの助けを借りて
たまにはシカを仕留めることがあったのだ。

私は年をとった女と相談して昴が西の空に傾く春を待ち、
土を耕して食べられる草の種、いまで言う豆や麦を播いた。
これらは保存がきく上に土に播けばいくらでも増やせる食べ物で、
実際に秋の収穫は期待以上だった。
私の一族はなぜそれを嫌うのだろう。
植物を育てるには同じ土地に定住しなくてはならないからだ。
彼らにとって旅をやめることは生きるのをやめることだった。
しかし、子供を抱えて難儀な旅をする母親や
歩けなくなって置き去りにされる年寄りを見ていると
旅をしない暮らしの方がよほどいい。
そうして私は一族を離れ、ここに来た。

その冬はオオカミの姿が見えなくなっていた。
たまにあることなのでさほど心配せずに
昴を目印にして春の土を耕し、また種を播いた。
緑の芽が伸びる頃になって、
オオカミが恐縮した様子で2頭の子供を連れて帰ってきた。
「いいんだよ」と年をとった女が言った。
「ちゃんと養えるからね。
 オオカミの子供だけじゃなく人間の子供だって養えるのにさ」
そう言って、年をとった女はオオカミの頭を撫でながら
私の顔をじっと見た。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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川野康之 2021年12月19日「星空のすばる」

星空のすばる

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

銀河、明星、彗星、月光、金星、あかつき、すばる。
7つの寝台急行列車が、東京と大阪を結んでいた。
一晩眠れば目的地に到着する寝台急行は、
東海道線の花形スターだった。
いちばん最後に登場したのがすばる。1963年のことだった。
しかしその翌年に東海道新幹線が開業すると、
すばるは、わずか1年運行しただけで廃止された。

すばると同時にあかつきと彗星が姿を消した。
翌年には金星と月光が消えた。
4年後には明星が廃止された。
時代のスピードはあっという間に寝台急行を追い抜いて行ったのだ。

東海道のスターたちは、その後どうなったか。
あかつき、彗星、月光、金星、明星の5つは、
山陽本線の夜行特急となって再び走り出すことになった。
東海道線に一つだけ残った銀河は、
始発駅を新幹線の最終列車より遅く出発し、
終着駅に新幹線の始発列車より早く到着するという裏ワザを使って、
なんとか21世紀まで生き延びた。
しかしすばるだけは、再び線路の上に戻ることはなかった。

たった1年走っただけで消えてしまったすばるを
「幻の」という形容詞をつけて呼ぶ人もいる。
でもすばるは幻なんかではなかった。
私はあのすばるに乗っていたのだ。

大阪駅を夜8時5分に出発し、京都、大津、岐阜、名古屋・・・
すばるは黙々と私の体を遠くへと運んでいた。
はじめての一人旅の心細さを断ち切るような力強さで。
冷たい窓ガラスに額を押しつけて私は真っ暗な外の景色を見つめていた。
宇宙の星空の中をすばると私だけが進んでいる。
ドキドキして眠れなかった。
気がつくと窓の外が白くなっていた。
すりガラスみたいな窓の向こうに森が見えた。
曇りを拭うと、それは森ではなくて工場とエントツだった。
あちこちに工事中の建物や道路が散らばっていた。
ゴミゴミとした街の中をすばるは平然と進んでいた。
なんだか頼もしく見えた。

ホームに立った時、体がまだ揺れていた。
「ここから先は一人で行けよ」
とすばるが私に言った。
早朝の東京駅は仕事に向かう多くの人でエネルギーにあふれていた。
オリンピックのポスターが貼られていた。
この年の秋にすばるは廃止され、
もう再び見ることはできなくなるのだが、
もちろんその時の私は予想もしていない。
歩き始めた時、私はすばるを振り返らなかったと思う。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2012年12月12日「スバる」

スバる

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

ここ数年、全国で断続的におこってきた失踪事件。
そこに共通する点がある。
みな、SNSへの投稿、書置き、離れた両親への留守番電話、
なんらかの形でメッセージを残す。
抽象的であいまいな言葉遣いながら、大体の内容は似通っていた。
明日から自分は「そちら側」から「見えなく」なること、
でもそれは自分の意志であり、
明日以降も自分は「こちら側」で生きていくつもりであり、
心配は無用であること。そして最後に必ずこの言葉があった。
「すばらしき無のために」。
宗教団体か、テロ組織か。反復される「すばらしき無」という
芝居がかった言葉は、失踪者間のつながりを想像させる。
そして、この言葉を残して失踪する行為を
「スバる」と人々は呼ぶようになった。

 ある社会学者は、こう解説した。
スバった人間たちは「忘れられる権利」を「無」になることで
主張しているのだと。
 われわれの生活の一瞬一瞬はすべてモニターされ、データ化される。
ネット上の検索行為やサイト訪問履歴はいうにおよばず、
ベッドに組み込まれたセンサーからは寝返りの回数と位置、
トイレのセンサーからは尿の量や各種成分、
食器に仕込まれたセンサーからは、食べ残した野菜の量…と、
瞬間ごとに大量のデータが吸い上げられる。
それを監視だ搾取だと非難する人もいるが、データはすべてポイントで買い取られ、
その収入で生きていくことができるのだから、
情報を提供する側は情報の「生産者」として、
資本側と対等の地位にいるともいえる。
われわれは幸福な時代に生きているのだ。
 ただ、そういう生き方をうけつけない人間がいる。
彼らは、データの網に捕捉されることを拒もうとする。
だから彼らは、物理的に消えることにした、
というのがその社会学者の見解だった。
言論ではなく実行で――
なぜなら言論は所詮データの1バリエーションだからだ。
質量はもちながら観測ができないダークマターのように、
この日本のどこかに生息しつづけること――
それが、連中が望むことだというのだ。

だが、はたしてこの時代に、
情報網の一部とならずに生きることが可能なものだろうか?
情報をポイントと交換し、そのポイントをカロリーと交換し、
その交換のしかたを、また情報として提供する。
このサイクルを抜け出す方策は「死」以外ない。
そしてそれは――現実だ。
その現実を、連中は否定することができると本気で考えているのだろうか。
無謀だ。それは火星に移住することよりも難しい冒険だろう。
いや、「冒険」などというポジティブな言葉は使うべきではない。
それは「あってはならないこと」だ。情報の網から進んで脱することは、
命綱を自分で断ち切って暗闇の中に飛び込むことだ。
「スバる」という言葉にあらわれた半笑いの態度が示すもの、
それはとりもなおさず、そんな無謀な行為を進んでやる人間がいる、
ということを信じたくない気持ちーー
それをごまかしたいという僕らの無意識ではないか。
現実はひとつであり、それ以外のありかたなどあってはならないのだ。
…と、僕はそこまでで考えるのを止めた。
そろそろお茶の時間だ。お湯をわかしコーヒーを淹れて、
情報を生産しなければいけない。
すばらしきもの、それは存在であり…情報こそが存在なのだから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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