ストーリー

波間知良子 2020年12月6日「12月の思い出」

12月の思い出

   ストーリー 波間知良子
      出演 西尾まり

ヨーロッパで過ごすクリスマス。
ロマンチックな響き、と思ったでしょう。
でも実際、12月25日のイタリアのその街は、世界の終わりって感じでした。
人はいないし、車もないし、店はどこも開いていない。
誰もいない路上に枯れ葉やゴミが転がっていく。

もちろん噂には聞いてましたよ。
むこうの人たちにとってクリスマスはとにかく家族で過ごすものだからって。
でも、足りない食材を買いに走る人や、
犬の散歩する人くらい、いてもいいじゃないですか。

知らない間に核戦争が始まって、みんなとっくに地下シェルターに避難した。
そんな映画みたいなことを言われても、信じちゃったかもしれません。

同じ宿に泊まっていた男の子は強盗にあいました。
ふだんは賑やかな大通りの真ん中で、リュックとカメラをとりあげられた。
犯人グループ以外、目撃者は誰もいない。
こんなこと言ったら不謹慎だけど、やっぱり何かのショーみたいじゃない?

さしあたっての問題は、食べるものが何もないことでした。
そうはいってもクリスマス、スナックやらシリアルやらで済ませたくはない。
そこで、宿でたまたま出会った日本人4人で街に出ることにしました。
まるで狩りに出かけるような気分です。

チェーン店のひとつくらいやってるだろう。
お腹をすかせた観光客狙いで店を開ける店主のひとりくらいいるだろう。
そう信じてしばらく街をさまよい、やっと一軒、開いている店を見つけました。

それは、インド料理のレストランでした。
考えてみれば当然のことです。
彼らにとって今日はなんでもない普通の日ですから。

白を基調にインド風に装飾された店内は
特別なディナーにふさわしい高級な雰囲気で、
ファーストフードにでもありつければいいと思っていた私たちは
なんだかちょっと気恥ずかしい気持ちになりながら
いくつかの種類のカレー、黄色いライス、焼きたてのナンを食べました。

すっからかんに見えるこの街の、すべての家の扉のむこうでは、
きっと今、何世代もの家族が集まって、ご馳走を取り分け、
ワインを飲み、ツリーを囲んで語り合っています。
暖かい部屋。オレンジ色の光。にぎやかな話し声。
とても信じられないけれど、それは多分本当のことです。
少なくとも核戦争が起きている可能性よりは高い。

いっぽうで私は、インドカレーを食べています。
今さっき出会い、きっとこの先もう会わないであろう人たちと、
クリスマスの日に、遠い異国の地で、また別の遠く国の料理を囲んでいます。
どうしてだろう。どうしてだと思いますか?

ナンをちぎりながら私は、暗闇にぽつんと浮かぶ宇宙船を想像しました。
誰からの交信もなく、どこにもつながっていない。
私たちを気にかける人なんて、この宇宙にはひとりもいない。
今ここに、こうしている必然性が、私にはひとつもない。
でも、とにかく私はここにいます。それだけが本当のことです。
いいえ、寂しいとか、悲しいとか、虚しいとかじゃないんです。
これってなかなか素敵なことだな、と思ったんです。

翌日の街は何事もなかったかのような賑わいで、
混み合う食堂で焼きたてのピザを食べていると、
昨日の出来事はすべて夢だったのかもしれないと思えてきました。
でも、たとえそうだとしても、何も変わることはないと思いました。

これが、私の12月の思い出です。
いちばん奇妙で忘れられない、クリスマスの思い出です。

出演者情報:西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー

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中山佐知子 2020年11月29日「たくさんのベンチ」

たくさんのベンチ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

久しぶりに田舎に帰ったら
駅前のデパートが今月限りで店じまいすると聞かされた。
そのデパートができたおかげで潰れた地元のデパートは
ピカピカの建物の銀行になっていた。
その銀行は地元の銀行だ。
少しホッとした気持ちになったが、
資金繰りの厳しいデパートと地元の銀行の関係を思うと
それ以上のことを考える気になれない。
地元のデパートで、僕はいつも母の日の贈り物を買っていた。

賑やかだった商店街は半ばシャッターがしまっていた。
商店街を抜けると橋のたもとに公園があった。
公園は橋の左右にあった。
どちらの公園にもベンチがたくさんあった。
用もなく佇むのにちょうどよかった。

橋を渡るとまた公園があった。
向こうの橋まで続く川沿いの細長い公園で
ここにもベンチがたくさんあった。
背もたれのある木のベンチに石のベンチ。
木陰のベンチ、川を見晴らすベンチ、
日当たりのいいベンチ、
道路から見えにくいシャイなベンチ。
ベンチとベンチの間を鴨がヨタヨタ歩いていた。
鴨はまったく人を怖がらず、むしろ近づいてきた。
風が強くなって
頭の上で乾いた木の葉がカサカサ音を立てた。
久しぶりの生まれ故郷だった。
駅前のロータリー以外は人が少なかった。
笹掻き牛蒡のうどんを食べさせる店も
おばちゃんひとりで頑張っていたステーキ屋もなくなって、
お好み焼き屋だけが奇跡的に残っていた。
そして、ベンチがやたらと増えていた。

駅へ戻る途中の道に歩道橋があった。
歩道橋の下には信号のある横断歩道があるから
誰もが横断歩道を渡る。
歩道橋を渡ったところには小さな花壇があって
そこにまたベンチがあった。
すぐそばのバス停にもまたベンチだ。

僕はやっと理解した。
どうやらこの街は年寄りが多いのだ。

ベンチはやさしい存在だと思う。
ベンチは疲れた足を休ませてくれる。
向き合う相手がいないことを目立たなくしてくれる。
目的のない散歩の終点にもなってくれる。
ベンチはやさしい。
ベンチには未来をあきらめた穏やかさがある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2020年11月22日「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

         ストーリー 直川隆久
          出演 地曳豪

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファーストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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三島邦彦 2020年11月15日「嫉妬」

「嫉妬」 三島邦彦

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

9回の裏、同点で迎えたツーアウト満塁。
サヨナラ勝ちのチャンスで監督の烏賊山(いかやま)は悩んでいた。

打順はピッチャーの鯵沢(あじさわ)。
代打を出さなくてはいけない場面。
ベンチに残された選手は2人。
一人はルーキーの鰻田(うなぎだ)、もう一人は7年目の蟹丘(かにおか)。

烏賊山はこの二人のことが嫌いだった。

ルーキーの鰻田は、高校時代に東京の有名校のキャプテンとして
甲子園でベスト4に駆け上がり
甘いマスクと爽やかなインタビューで全国的な人気者になった。
大学に進学し、満を持してプロにやってきたのだが、
本来ならまだまだ二軍で鍛えたほうがいいレベルだった。
しかし、グッズが売れるという理由で球団からの指示があり
一軍のベンチに入っている。
鰻田には、大学時代からグラビアアイドルと付き合っているという噂があった。

7年目の蟹丘は、本来ならレギュラー格の選手なのだが、
開幕からの不調が続き、ここ数試合はスタメンを外れていた。
そしてちょうどこの日の昼、
週刊誌に人気アナウンサーとの熱愛スクープが出た。
相手はスポーツ番組の担当で、球場に取材に来るたびに
烏賊山が可愛いなあと思っていたアナウンサーだった。
週刊誌の「不調の蟹丘、プライベートは絶好調!」
という見出しを見たときには心拍数が急上昇した。
偶然だが、その週刊誌の表紙は鰻田と付き合っているという噂の
グラビアアイドルだった。

鰻田と蟹丘。グラビアアイドルとアナウンサーと付き合う二人。
烏賊山はそういう奴らが嫌いだった。
四国の名門私立高校に入ったものの一度も甲子園には行けず、
社会人野球で頭角を現してドラフト6位でプロ入り。
チームの勝利を第一に考える献身的なプレースタイルで
16年間のプロ生活を地味に終え、コーチ生活を続けてきた烏賊山。
報われない選手たちの気持ちがわかるということで選手たちの信頼は厚く、
監督にまでなることができた。
妻は中学の時の野球部のマネージャーだ。

鰻田のバッティングはまだ大学生レベルに過ぎない。
しかしここで万が一にも打てば開花のきっかけになるかもしれない。
ただ、グラビアアイドルと付き合っている。
蟹丘は不調とはいえ実力はある。
ここで打つ可能性は鰻田よりもあるかもしれない。
だけど、人気アナウンサーと付き合っている。

どちらも嫌いだ。心から嫌いだ。
しかし、ここはどちらかを使わなければいけない。
鰻田か、蟹丘か。
グラビアアイドルか、アナウンサーか。
烏賊山は迷っていた。

鰻田と目が合った。あどけない顔をしているな。烏賊山はそう思った。

「鰻田、行って来い。」烏賊山は言った。

蟹丘の「えっ」という声が聞こえた気がした。
烏賊山は蟹丘に目を向けることなく、グラウンドを見ていた。

鰻田が打席に入る。震えているようにも見える。
プレイボール。ピッチャーが振りかぶり、初球を投げる。
147キロのストレートが、鰻田の尻を直撃した。
悶絶する鰻田。
サヨナラ勝ちの歓声が球場を包む。
選手たちはベンチから飛び出し、
ガッツポーズをしながらホームに還ってくるサードランナーを迎えた。
その光景を前に、ベンチの中で烏賊山は笑っていた。
心の底から笑っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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渋谷三紀 2020年11月8日「ベンチにて」

「ベンチにて」

ストーリー 渋谷三紀
   出演 藤谷みき

「キスをするのに最適な身長差について考えてみたんです。」
ベンチに座るなり、タカシは話し始めた。

「映画やドラマのキスシーンを見ていると、
キスをする時、男性は顔を横に傾けるようです。
自分の顔を自然に横に傾けてみると、角度はおよそ45度。
顔を45度傾けると、唇が何センチ下に下がるのかを
数学の三角比を使って求めてみます。
僕の首の付け根から唇までの長さを測ると12センチなので、
計算式は12-12sin45°で、およそ3.5。
キスをする時、男性の唇の位置は3.5センチ下に下がることになります。」
地面に図形や数式を書きながら、タカシは説明をつづけた。

「次は女性です。
女性は男性と回転軸が異なり、顔を上に向けるようです。
試しに顔を上に向けてみると、角度はおよそ30度。
女性の首から唇までの長さを8センチとすると、
計算式は8sin30°で、およそ4。
キスをする時、女性の唇の位置は4センチ上に上がります。

男性が低くなる3.5センチと女性が高くなる4センチを足すと、
キスをするのに最適な身長差は、7.5センチ。ですが、

ここでさらに考えてみます。
キスをするシチュエーションについて。
立ってキスをするとすれば、おそらく室内より屋外ですから、
必然的にもう一つの要素が加わります。
そう、靴です。
周囲の男女の靴をつぶさに観察したところ、
男性の靴底は平均1.5センチ、
女性のヒールは平均6センチで、
男女の靴の高さの差は4.5センチでした。
つまり、先ほどの7.5センチに4.5センチを足した12センチが、
キスをするのに最適な身長差だと、僕は結論づけました。」

わざわざ休日に公園のベンチに呼び出して、
この人は何を言っているのだろう。
唖然とするマチコに、タカシはうつむいて言った。
「僕とマチコさんの身長差はまさに12センチです。」 

もしかして、これは回りくどい告白なのだろうか。
それには気づかないふりをして、マチコは静かに言い返した。
「確かに私とタカシくんの身長差は12センチです。
ただし、タカシくんが163センチで、私が175センチ。
女性の方が高い場合は、計算が違いますよね。」

「もちろん、それも計算済みです!」
突然ベンチから立ち上がり、タカシは言った。
「高さ24センチのこのベンチの上に立てば、
僕はマチコさんより12センチ高くなります!」

果たして、タカシのそれは正解だったのだろうか。
マチコの採点が始まろうとしていた。



出演者情報:藤谷みき フクダ&CO所属

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中山佐知子 2020年10月25日「石蕗」

石蕗(ツワブキ)

   ストーリー 中山佐知子
      出演 地曵豪

「とくさ」という駅から歩いて
山をひとつ越えたところが津和野だった。
どれだけ歩いたのかはわからない。
いま鉄道の路線で見ても十二、三キロほどあるから
山道を歩くとなると、さあな…と言って祖父は首を傾げる。

これは祖父が若かったころの話だ。

津和野を見下ろす山から坂道を下っていくと
町の入り口あたりに茶店があった。
開け放ってある入り口から中に入ると
まだあどけないくらい若い娘がひとりで店番をしながら
長い野菜のようなものを刻んでいた。
お昼はとうに過ぎて腹を減らしていた祖父は迷わず中に入り
飯を頼んだら、名物の蕗飯と切り干し大根の汁と蕗の佃煮がでた。
津和野とは石蕗の野と言う意味で、
山や野原の日当たりのいい場所には石蕗が群生している。
アクが強く手間はかかるが
蕗飯と佃煮はあたりの名物だった。

その蕗飯をあっという間に一膳平らげ。
おかわりを運んできた娘にひとりかと尋ねたところ、
娘は多少の身の上話をし、
三月前に亡くなった父親の百か日が過ぎたら
奉公先を探すつもりだと答えたそうだ。

祖父はその晩、友人が紹介してくれた家に泊まり
いろいろおもてなしにあずかったが、
昼間食べた蕗飯が頭から離れず
翌朝、益田まで歩いて列車に乗る前に
娘の茶店へ行き、また蕗飯を食べながら少し話をした。

東京に帰ってしばらくすると娘が本当に訪ねてきた。
祖父の母は娘を見るなり
おばあさまにお願いしましょうと言って
娘を祖父の祖母に預けた。
祖父の祖母はむかしお旗本に行儀見習いに上がっていたという
しっかりもので、
女ひととおりの教養を身につけているかわりに
たいへん厳しい人だったが、条件付きで娘を引き取った。
条件というのは、祖父と娘が会うのを禁じるというものだった。

会うのを禁じられても、行けば娘がお茶を出すし、
たまには蕗の佃煮が届くようになる。
一年も過ぎる頃には
娘は簡単な手紙の代筆ができるようになり、
その字を見て祖父の母が感心するような具合になってきた。

三、四年も経ったころ、祖父は結婚を命じられた。
相手はあの茶店の娘だった。
すでにあどけなさは消えて、
ふっくらと優しげな面立ちのきれいな娘になっていた。
姿勢の正しさと歩きかたが
なんだかばあさまそっくりだ、と、祖父はひそかに思ったそうだ。

この結婚はうまく行った。
僕が知っている祖母は優しいがしっかりした人で
どこかのんびりした祖父は
この人のおかげで大過なく生きてこられたと思う。
祖父の家の庭の、日当たりのいい場所には
艶々した緑の葉を広げた石蕗があり、
10月には黄色い花を咲かせていた。

石蕗は丈夫でいつも青々としているせいか
日陰の暗い場所に植える人が多いが、
日向に移してやると毎年花が咲く。
祖父はたぶん、庭の石蕗を植え替えるように
娘を日が当たる場所に移してやりたかったのだ。
それは祖父のいっときの気まぐれだったかもしれないが、
娘は辛抱を重ねて花を咲かせたのだろう。
いま僕はそんな風に思っている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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