ストーリー

中山佐知子 2020年7月26日「空の夢を見る」

空の夢を見る

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

空の夢を見る。
空に大きなマザーシップが浮かび
そのまわりを取り巻くカプセルで僕たちは暮らしている。
カプセルは基本一人用だ。
家族という概念はあるが、一緒に暮らしてはいない。
子供はマザーシップで訓練を受け
やがてカプセルを与えられて一人立ちをする。

友だちはたくさんいるが直接会うことはまずない。
たまに結婚をしたという話も聞く。
モニターに映しだされた顔とデータ、
モニターから聞こえる声で
好きになったり別れたりしている。
死んだ人はどういう処理をされるのか誰も知らない。

地球が汚染されて
生き物がどんどんその数を減らしていったとき
人類はついに空の上で暮らす決断をした。
年に一度、研究グループが防護服に身を固めて地球に降り立ち、
空気や水や土のデータを持ち帰っている。

地球へ帰れる日はいつなのか
自分の足で地面に立てる日はいつなのか
毎年「予測不可能」の発表がある。

僕は小さな窓から外を見ることがある。
外にはなにもない。
そうか、なにもないのが空なのか。

そんな夢を見た日、
僕は空と宇宙がどう違うのか調べてみた。
アメリカ空軍は高度80km以上を宇宙と呼んでいる。
国際航空連盟は高度100km以上を宇宙と定義する。
オーロラは高度100kmあたりがいちばん明るいそうだから
ギリギリで空と言えるかもしれない。
宇宙ステーションは高度400kmの軌道をまわっている。

ほんの少しでも空気があるところを空だと定義すると
宇宙ステーションも空に浮かんでいることになる。

僕が夢で住んでいたカプセルは空に浮かんでいた。
僕は自分がいる場所を宇宙ではなく空だと考えていた。
空には空気がある。空は地球の一部である。
空に住んでいるのなら、僕たちは宇宙人ではなく地球人だ。

もし、夢ではなく本当にこの星を捨てることになったとき、
僕たちは地球人でいられるだろうか。
それとも宇宙人になってさまようのだろうか。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2020年7月19日「顔のある空」

顔のある空

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

四月七日。
春らしい、青空。静かだ。

そして、今日も太陽と反対側の位置に、それはある。
――空の三分の一ほどを覆って浮かぶ、総理大臣の顔。

その二つの目はときどき、右に、左に動き、
地表で生きるすべての人間を見守っている。
口元は、ほんの少し開かれて、何か言葉を…
「あ」と声を発する一瞬前のように見える。

この街は、気密性を保つため、全体がセラミック製のドームでおおわれている。
青空も、総理大臣も、その内側に投影された映像なのだ。

ぼくは、生まれてから、この空しか知らない。
「顔のない空」を想像してみても、なんとなくとらえどころのない、
ただのっぺりとした広がりにしか思えない。

総理大臣の二つの目がぎゅる、と動いた。
北の方の街区を見つめている。
総理大臣の顔がみるみるくずれ、泣き顔になる。

「ああああん」

口から、赤ん坊のような泣き声が響く。
その声は、地を揺らすような響きになって、街を覆いつくす。

「あああああん」

恐怖…秩序が乱れることへの恐怖…が、ドームの内側の空気を満たす。

北街区の方から銃声が聞こえた。
二発…三発。
銃声がやむと、総理大臣は泣くのをやめた。
そして、さっきの「あ」と言いかけた顔に戻る。

誰かがまた脱出をはかろうとしたのだろう。
愚かな。外の空気が入ってきたら、どうするというんだ。
平和な静けさが、街をふたたび覆った。

ドームに投影する翌日の天気は、ネット投票によって決められる。
だが、「雨」にわざわざ投票する人間が多数派になることはない。
ここ二十年続いた青空は、明日も総理大臣の顔とともに、
僕らの頭上にあるだろう。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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大江智之 2020年7月12日「池の鴨」

「池の鴨」

   ストーリー 大江智之
      出演 地曵豪

『鴨をいじめたら退学だってさ』
もうこれを聞くのは何度めか分からないぐらいだ。
この変な学則の噂を話すときの先輩方はいつもどこか得意気だ。

今日も鴨は、空を忘れてのんびりと池の中を泳いでいる。
ときどき顔を水の中に突っ込んでみたり、
思い出したように羽を揺らしてみたり。
誰もこの鴨にちょっかいをだそうだなんて思わないだろう。

このキャンパスは、本キャンパスから60kmほど離れた山の中にあった。
電車の最寄り駅からバスに揺られてさらに25分、
それでようやく着くようなド田舎だ。
池の鴨は、ここができたとき田舎にぴったりの贈り物として
贈られてきたものだった。

鴨池は、キャンパスのちょうど南の端にあり、
まるでそこだけポッカリと空いた穴のようだった。
池の周りは芝生が茂り、
そのさらに外側をキャンパスを一周するバスの道路が囲む。
暖かい季節はこの芝生で過ごす学生もとても多い。

『鴨に触っても退学になる』
鴨に関する変な学則の噂はどんどんあらぬ方向にエスカレートしていった。
こんな根も葉もない話であっても、
小さなキャンパスでは、流感のように広がった。
いつしか学生の間では、鴨は不可侵な存在として扱われるようになっていた。

鴨は本来渡り鳥らしいという話を聞いた。
にわかには信じられなかった。
だってここの鴨は、飛んでる姿もろくに見せたことがない。
きっと空のことなど忘れてしまっているのだろう。

今日も鴨池の周りには長いバス列ができていた。
夕方を過ぎると帰る学生の列が鴨池の周りを囲むように伸びるのだ。
秋も終わりに近づいていたのか、周囲が薄暗くなるのはいつもより早かった。
これじゃあバスから見えなかったのも頷ける、
鴨の親子が道路を渡っていたなんて。

いま思えば、いくつも要因が重なっていた。
学生は鴨が池から出て、道路を渡っているなんて考えもしなかっただろうし、
鴨もまた、天敵がいないのだから、どこを歩いても大丈夫と思っていただろう。
とどめに、小さな鴨の親子が道路を横切るにはあたりは暗過ぎた。

「鴨が!」という声を聞いた。
ほかにどのくらいの学生が気づいただろうか。
そこにいた数十人の長い列は、ほぼ全員がスマホに夢中だった。
仮に気がついても、鳥なのだから、地上が危険なら空に逃げるくらいに思っただろう。
しかし、鴨はなぜか飛ばなかった。

鴨の代わりに、飛んだ人がいた。
その人は、列に並ぶほとんどの人間が気がつく前に、いち早く道路に飛び出した。
鴨親子を有無言わさずに引っ掴み、抱きかかえて、
反対の茂みに自分ごと飛び込んだ。

「グエッ」とも「グワッ」ともつかない声で、不満を訴える鴨。
人間に掴まれたことなんてただの一度もなかっただろう。
全く自分たちが命の危機に瀕していたことなど理解していない様子だった。

もう一人、ほぼ同時に飛んだ人がいた。
列を飛び出て、道路の真ん中に立ってバスの前で両手を広げて訴えた。
運転手に急ブレーキを踏ませたが、そのおかげで万が一の事態も免れた。
この光景を、為す術もなく見ていたのが、俺だった。

俺は二人のヒーローように、飛ぶことができなかった。
ただ事態に唖然とし、ひとり不甲斐ない思いを噛み締めた。
だからこの話をここに書き残すことにした。
飛べないから、地べたでただただ筆を動かす。

飛べるのに飛ばない鳥がいたり、飛べないのに飛べる人がいる。
今日も池の鴨は、俺の気持ちなど知らず、
空を忘れてのんびりと泳いでいるのだろう。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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田中真輝 2020年7月5日「箱空」

箱空(はこそら) 

   ストーリー 田中真輝
      出演 地曳豪

誕生日に彼女からもらった小さな箱には、
小さな空(そら)が入っていた。
休みの日、ふらりと入った店で売っていたらしい。
ありがとう、とは言ったものの、どう扱ったらいいものやら、
軽く途方に暮れた。

箱の中の小さな空は、その時間その場所の本当の空と繋がっているらしく、
窓の外で雨が降り出せば、箱の中でも灰色の雲が小さな雫をこぼし、
日が暮れれば、箱の中も夕焼けに染まった。
たまに仕事から帰って箱を開けてみると、
やはりそこには夜空が広がっており、
都会の空らしく、小さな星がひとつふたつ、瞬いていた。

ある日、戦争が始まって、
みんな地下のシェルターで避難生活を送ることになってからも、
僕の手の中には小さな空があった。彼女とは離れ離れに
なってしまったが、僕は朝な夕な箱をこっそり覗いては、
そこにささやかな慰めを求めた。

誰かが箱からこぼれる夕焼けの光に気づくまで、そんなに時間は
かからなくて、それがみんなの知るところとなるには、
それからさらにあっという間で、そして当然のごとく、
箱は僕の手元から奪われ、いさかいの中で宙を舞い、
そして幾人かによって踏み潰されることとなる。

そのとき箱から流れ出した空は、
希釈されながら浮き上がり、天井のあたりに薄くたまった。
誰かが「空だ」とつぶやいた。

薄められた、ぼんやりとした空ではあったけれど、それはやっぱり
その時間その場所の本当の空と繋がっていて、
雨を降らせ、星を宿し、夕焼けた。
そしていつしか僕らは、それを本物の空だと思い込むようになった。

誰かが、僕たちのいるこの箱を開けてくれたら、
空はここにとどまるのだろうか、それとも浮かび上がって、
本物の空と合流するのだろうか。
ここにとどまってくれたらいいのになと、僕はぼんやり思っている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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一倉宏・晴海四方 2010年作品「蛍の想い」



蛍の想い

ストーリー 一倉宏
出演 春海四方

1945年 戦争の終わる夏
日本の各地には たくさんの蛍が飛んだ
たくさんの たくさんの たくさんの蛍が
せめてそうやって ひそかに故郷に帰りたいと願った
若者たちがいたことを 私たちは知っている

その頃は東京にだって
山手線の外側には まだ田んぼがあり小川があった
蛍たちは 水を飲んで渇きを癒し そして切なく光った
玉川上水の近くに住んでいたおばあさんは
その夜をきのうのことのように 憶えている

1960年代 オリンピックがあり 高度成長がはじまる
それでもまだ 蛍たちはいた
全国いたるところの里山に 田園に たしかにいた

やがて 川の水は汚れ
東京の用水や上水は ことごとくコンクリートの蓋をされた
だから 蛍たちは姿を消したのだという
誰もが そう信じている
だけど そうだろうか? ほんとうに?

蓋をされない玉川上水を いまも散歩するおばあさんはいう
「みんな 戦争のことを忘れたからだ」と
「戦争のことを 思い出さなくなったからだ」と
戦争で死んだ 若く 寡黙な 無念な 若者たちのことを

1960年代には まだ 戦争は語られた
思い出された若者たちの数だけ 蛍は飛んだ
くりかえし語られて 夏の闇に蛍は光った
そうじゃなかったろうか?
70年代 80年代と 戦争が語られなくなるたびに
あの蛍たちは どこかに消えたのではなかったろうか?

2010年のいま
どうしてあの戦争は 語られなくなったのだろう
どうして蛍たちは こんなに少なくなってしまったのだろう
このままだと 絶滅してしまうかもしれない
あの蛍たちは
あの若者たちの 痛恨の思い出は

それでも 東京のあちこちで
今年の夏も「ホタル観賞の夕べ」が開かれるだろう
一生懸命に 限られたわずかな環境を整え 飼育された蛍たち
私も数年前 近くの公園でそれを見た
二晩だけの限定の催し 長い列に並んで1時間待ち
7つほどの舞う光を たしかに見た
その夜 7つだけ 若者たちの魂の残光を見た
何万 何十万のうちの たった7つだけ

そして いつの日か
20XX年の日本に たくさんのたくさんの蛍の飛ぶ日が
ふたたびやってくることは あるのだろうか

私たちはそれほど 賢いだろうか?
あるいは それほど 愚かだろうか?

忘れないでください
源氏 平家の昔から 戦争で死ぬ若者たちの残した想いが
この世の蛍となることを

出演者情報:春海四方 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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小野田隆雄・高田聖子 2010年作品「波」




     ストーリー 小野田隆雄
        出演 高田聖子

「波はよせ。
波はかへし。
 
波は古びた石垣をなめ。

 陽の照らないこの入江に。
 
波はよせ。
波はかへし。」

私は二十年前、十九歳のときに、

ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって

九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している

アパートの部屋で

私はヨシノリをタエコから奪い取った。

東京に戻ってきたタエコは

涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」

ヨシノリは大田区役所につとめ、

売れない詩を書いていた。
二十五歳だった。

タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、
馬券売り場で働いている。

「波はよせ。
波はかへし。

 下駄や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
 
波は古びた石垣をなめ。

 波はよせ。
波はかへし。」


草野心平の、「窓」という題名の詩が

原稿用紙に万年筆で書かれて、

ヨシノリのアパートの
北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」

私とヨシノリは一年ほど続いたが、

そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、
帰ってこなくなった。

私は十日ほど、「窓」という詩と、

にらめっこをしていたが、

その詩を壁からはがし取って、

そのアパートを出た。


それから数年が過ぎた。

馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。
すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。

京浜急行の青物横丁の駅員だった。

きちんと結婚式もあげた。

けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、
横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、

一月もしないうちに、

チンピラのケンカを止めようとして、

ナイフに刺されて、死んでしまった。

「波はよせ。
波はかへし。

波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。

雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。

億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。

波はよせ。
波はかへし。」

私は、いつもひとりだった。

羽田空港に近い、

穴(あな)守(もり)稲荷のある町で生れ育ち、

ひとりっこだった。
父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、
朝から晩まで
働いていた。

私が高校に入る頃に父が死に、

高校を卒業する頃に母が死んだ。

私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、

南の窓から海が見えた。

沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。
そして、また、走ってくる。

父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。

どちらのときも、私は海を見つめた。

聞えるはずのない、波の音を聞いていた。


波はよみがえる。ひとは死ぬ。

私は、今日まで、しあわせだった。

さびしかったけど、しあわせだった。

きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。


「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」

出演者情報:高田聖子 Village所属 http://www.village-artist.jp/

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