ストーリー

中山佐知子 2018年12月30日「山の奥の奥」

山の奥の奥

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

山の奥の奥のどん詰まりの村があった。
村人はここより奥によもや人が住んでいるとは思ってなかったが、
あるとき川の上流からお椀が流れてきて、
もっと奥にも人が住むことを知ったという。
そんなことがきっかけで
上流の村と下流の村は様子を尋ね合うようになった。

昭和のはじめの冬のことだった。
常なら4メートル積もる雪が6メートルの深さになり
ついに10メートルに達した。
もう二十日あまりも道が塞がれ行き来が絶えていた。
そんなところへ下流の村には
県の役人と赤十字の医者がやってきた。
大雪に閉じ込められると怪我人と病人が増えるので
雪を侵して村々を巡回するのである。

下流の村の村長さんは
ここより上流にまだ村があることを役人に伝え、
自ら道案内をして雪の山を登った。

上流の村へ行ってみると
家々はすっぽり雪に埋もれていた。
玄関も窓も雪に塞がれ、
外に用事のあるときは床からハシゴを登り、
屋根につけてある小さな出入り口を使うのだ。
家の中は真っ暗で、チョロチョロ燃える囲炉裏の火だけが
灯りの役割を果たしていた。
結局この冬は、いくつかの村で百人ほどの人が死んだ。
上流の村はそんなこともあって
数年後には住む人もいなくなり、廃墟になってしまった。

それからまたしばらくして、
ある年のお盆に
下流の村の村長さんが上流の村の供養を思い立った。
守る人もいなくなった墓にせめて香華を手向けようと
考えたのである。

下流の村から10人余りの人が酒と線香を携えて
草に埋もれた道をたどり、山を登った。
おおかたの場所はわかった。
上流の村は炭焼きの村だったので
炭に使う樫の木や楢の木の林が目印になる。
ところが、墓のありかが見えない。
墓どころか、家も見えない。あったはずの石垣も見えない。
人の背丈より高い草が視界をさえぎり
歩くのさえ苦労するほどだった。

これではどうしようもない。
村長さんとその一行はそこからさらに山を登り、
峠の上から村があったはずの谷に向かって酒を撒いた。
村は夏草の海に沈み、影も形も見えなかった。
みんなはしばらく手を合わせ、それから山を下った。
誰も口をきかなかった。
草や木のたくましさに較べて
人の営みの何と脆くてはかないことだろう。
それでも人は草を刈り木を伐って家を建て村を作り
その日その日を生きようとする。

帰り道、村長さんは海原を漂う小舟のような心細さにおそわれて
ぽろっと涙をこぼし、
あわててクシャミでごまかした。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2018年12月23日「松茸が生えない」

松茸が生えない

    ストーリー 中山佐知子
       出演 遠藤守哉

えっ、赤松の林があるのに松茸が生えない?
そりゃあねえ、赤松があれば生えるってもんでもないからねえ。
松茸はむづかしいんだよ。
何かほかの相談はないの?
あ、そう。どうしても松茸を生やしたい。
わがままな人だねえ、あんたも。

まず松茸がはえる赤松の年齢というのがあってね。
ハタチからぼちぼち生えはじめてね、
30代40代がいちばんよく生えるのよ。働き盛りだね。
70歳や80歳になるともうダメ、おしまい。
ああ、なんか人間に似てるなあ。
生えない事情ってもんを大事にしてあげようよ。
ダメ?
どうしても松茸を生やしたい?

なら言うけどね、みんな勘違いしてるんだけど、
まさか肥料とかやってないよね。
松茸は養分のない貧弱な土が好きなのよ。
なぜかというとね、松茸って弱い子だからね、
養分のあるいい土だと
他のキノコがどっと生えちゃってね、
松茸は追い払われてしまうんだよね。
ははあ、うなづいてるね。
思い当たるフシがあるんだね。
あっそう、アミタケとかシメジが生えている。
よかったじゃない。おいしいじゃない。
え、ヒラタケも?酒の肴には十分でしょ。
それで一杯やって、松茸のことは忘れなさい。じゃあね。

えええええ、しつこい人だね、あんたも。
どうしても松茸を生やしたい?
めんどくさいよ、いいの?
じゃあまずね、他のキノコが生えている養分豊かな土をね、
ごそっと取ってしまう。
え、無理?無理だよね、そうだよね〜。
じゃあ、せめてね、
昔話のおじいさんみたいに柴刈りをしましょう。
桃太郎とか、こぶ取りり爺さんとか読むと
おじいさんが柴刈りに行くでしょう。
あれが大事なの。
うん、地面の落ち葉とか枯れ枝をキレイに集めて持ち帰る。
落ちた葉っぱや枝が栄養になるんだから、
それを取り除くわけだよね。
あああ、面倒だってその場で燃やしちゃいけないよ。
灰も肥料になっちゃうからね。
毎日毎日柴刈りをして、赤松林に落ち葉や枯れ枝がない状態にする。
箒で掃いたみたいに地面をキレイにしておくの。
それをまあ、5~6年も続ければね、
運が良ければ松茸が生えてくるかもしれないなあ。

どう、できる?



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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川野康之 2018年12月16日「雑木林」

雑木林      
                    
       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

どこにも行き場所がないなと感じたとき、
あい子はこの公園に来る。
あてもなく雑木林の中を歩きまわる。
落ち葉を強く踏みつけて歩くのは、
別にむしゃくしゃしているわけではない。
何か用があって急いでいる風を装っているのだ。
そういう歩き方が身に付いてしまった。
そのうちここではそんな風に装う必要はないのだと気がついて、
ようやく歩度を緩めた。
透明になっていたあい子が、
クヌギの木とナラの木の間で姿をあらわしはじめた。
背中の赤ん坊が「葉っぱ、葉っぱ」と声を上げた。
もっと葉っぱを踏めと言うのだ。
あい子はあわてて再びどしどしと歩き出す。
枯れ葉色の景色が後ろに流れていく。
世界中にこの子とただ2人っきりだと、あい子は感じる。

葉っぱの中からトシさんがあらわれて、伸びをした。
ビニールシートでできたトシさんの家に落ち葉が積もっていた。
トシさんには帰る場所も行く場所もない。
たとえ居場所がなくても人はどこかには居なければならないわけだが、
どこに居ても追い出されてしまったのだ。
乾いた落ち葉がホウキでひっかかれて風に飛ばされていくように、
あちこちに飛ばされ飛ばされして、トシさんはこの公園にやってきた。
さっきトシさんの耳もとを誰かが落ち葉を踏む音を立てて通り過ぎていった。
トシさんはきょろきょろと辺りを見回すが、人の姿は見えない。
ただ落ち葉の地面についた小さな足跡だけが雑木林の向こうへと続いている。
(自分も昔はあんな風に歩いて行く所があったものだ)
トシさんは大きなあくびをしてから、またビニールシートの家に潜り込んだ。
その上に枯れた木の葉が降り注ぎ、やがてトシさんの家は見えなくなった。

雑木林に囲まれて池がある。
水面を覆っていた落ち葉が揺れた。
ぽちゃりと音がして、何か青く光るものがはねた。
ブルーギルである。
ブルーギルはアメリカ原産でフナぐらいの大きさの淡水魚だが、
日本の川や湖に放流されて棲みついた。
水の中にいる昆虫、貝類、ミミズ、小魚まで何でも食べる。
繁殖力が強いためどんどん増えて、あちこちの淡水に広がり、
もともと住んでいた日本のメダカやフナやおたまじゃくしたちは
すっかり肩身が狭くなってしまった。
この池も例外ではない。
しかしブルーギルたちはそんなことは知らない。
与えられた場所で生きているだけである。

二週間後、池の中からブルーギルの姿が消えていた。
市役所の職員や大勢の人が来て、「掻い掘り」というのが行われたのである。
かい掘りとは、池の水をくみ出して泥をさらい、魚などの生物を捕り、
天日に干すことである。
その後きれいな水を入れて、フナやメダカはのびのびと放たれ、
ブルーギルたち外来生物は一匹残らず駆除された。
公園はきれいになった。
雑木林の公園からいなくなったものはブルーギルの他にもあった。
落ち葉の中に住んでいたトシさんと、
ときたま赤ん坊を背負って歩いていたあい子の姿である。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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小野田隆雄 2018年12月9日「雑木林の思い出」

雑木林の思い出

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

20年ほど昔のことである。
調布市の深大寺に近い植物園に行った。
そこのバラ園で白いバラを撮影し、
化粧品の広告に使用するためである。
五月の中旬、よく晴れた日だった。
撮影が終わったとき、カメラマンが言った。
「雑木林を通って帰りませんか」
私とデザイナーの彼は、
カメラマンの彼女について歩き始めた。
広いバラ園の隣りは、
ちょっと奥深い雑木林になっている。
その中を細い道が続いている。
静かだった。若葉をゆらして風が吹く。
彼女は私の前を、ゆっくりと歩いていく。
ときおり、何かを捜すように、林の中を見る。
細い道は植物園の裏門で終っていた。
バラの撮影をしてから10日ほどあと、
私は彼女と、別の仕事のことで、
バーボンソーダを飲みながら、
新宿三丁目のバーで打ち合わせをした。
そのとき、私は彼女に聞いてみた。
雑木林で何か捜していたのか、と。
すると彼女は次のような思い出を話した。
彼女は小学生時代を調布ですごした。
父は大学の農学部の先生だった。
父は休日になると、ひとり娘の彼女を
あの植物園に連れていった。
そして草花や樹木の名前を教えてくれた。
五月の中旬、やはり、よく晴れた日曜日、
父と彼女は雑木林の中で、ひっそりと咲く、
かわいい黄色い花を見つけた。
「キンランの花だよ」と父がいった。
「黄色く咲くのがキンラン。
白く咲くのがギンラン。
数少ない野生のラン。
こんなところで、この花に会えるなんて」
少女だった彼女の記憶に、
珍しく興奮している父の言葉と
あざやかな花の姿が焼きついた。
そんなことがあったので、撮影の帰り道、
思わず林の中を見てしまったのだ。
と、彼女は言った。
キンランの花について、私にも思い出がある。
あれは30代の始めの頃。
ひとりの女性と別れた。
私はひとりで京都方面へ旅に出た。
スケッチブックを持って行った。
寂しさから逃れるために、
風景や自分の気持をスケッチしたかったのだ。
バーボンソーダを飲んで帰った夜、
その古いスケッチブックを出してみた。
そこに短い文章が、乱暴に書いてあった。
山陰本線で北に行き、保津川の駅から
歩いたときの記録である。

「洛北西、雨(らくほくせい、あめ)
保津川峡を越える雑木林の道で、
ふいに雨が激しくふり出した。
ネムノキ、カツラ、ヤマボウシ、
ホオ、イタビカズラ、シラフジ、
タカオカエデ、コナラ、クヌギ。
緑の匂いが濡れた全身をつつみ込む。
ひとにひとりも合わず、
あだし野の念仏寺まで歩いた。
無縁仏の石塔がつきるあたり、
おぼろに明るく、たった一輪、
キンランの花を見た。
雨のまま、夕闇がせまっていた」

念仏寺から帰った翌日、
京都の図書館で野草図鑑を調べた。
それから落葉樹の図鑑も見た。
そして図書館の机で、あの文章を書いたのだった。
古いスケッチをながめながら私は思った。
ひとつのことや、ひとりのひとを、
思い出にしてくれるのは時間である。
そうやって思い出の雑木林を胸に抱いて、
私たちは歩いていくのだろうな。
北原白秋の詩が聞えてくる。
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。」

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2018年11月25日「三人の未亡人が」

三人の未亡人が

    ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

三人の未亡人が落ち葉を掃いている。

そこは片側に六軒づつ家が並ぶ坂道で
未亡人通りと呼ばれている。
もちろん正式な名前ではないし、
古い地元の人しかその名前を知らない。

未亡人通りと呼ばれるだけに
多いときは5人の未亡人がいた。
6軒と6軒で12軒、
奥まった家を入れても15軒で5人というのは
未亡人率がかなり高い。

いちばんしっかりものの未亡人はもと学校の先生で
戦争でご主人を亡くした。
年金のほかに戦没者の遺族がもらえる恩給があって
暮し向きの心配もせずに済み、
80歳を過ぎても毎朝元気にプールに通っている。
ただひとつ寂しいのは
結婚した娘がスウェーデンに行ってしまったことだ。

そのお向かいに住む未亡人は
いつも笑顔のおっとりとした人だが
人の話を正しく聞いて間違いがない。
なのに、なぜ
あんな早とちりばかりする息子ができたのだろうと、
これはご近所の噂である。

三人めの未亡人はもとオペラ歌手で、
若い頃は海外公演にもよく行ったらしい。
お天気のいい朝は
ソプラノの発声練習が聞こえることもある。
三人の中ではいちばんお出かけが多く、
白髪のおかっぱに赤いセーターがよく似合う。
ある日、この未亡人がいつも使っている箒と塵取りが
道端に置いたままになっていて
掃除の最中に気分でも悪くなったのかと
ご近所さんが集まってヒソヒソと心配したことがあった。
けれども、インターホンからはけろっとした元気な声が聞こえ、
はやまって救急車を呼ばなくてよかったと
みんなでホッとしたそうだ。
箒と塵取りがなぜ道端にあったかは謎のままである。

桜の葉、梅の葉、ハナミズキに木蓮、アブラチャン。
ケヤキの葉は少し離れた佐藤さんのお屋敷から飛んでくる。
イチョウの黄色い葉はさらに遠くの公園からだ。

三人の未亡人が落ち葉を掃いている。

おっとりした未亡人の息子は
また早とちりしてご近所の家の奥さんを怒鳴りつけ、
未亡人に叱られて謝りに行った。
しっかりものの未亡人の娘は1か月の予定でもうすぐ帰国する。
オペラ歌手の未亡人はホームパーティの案内状に
「駅を降りたら地元のタクシーに乗って、
お化け屋敷通りから未亡人通りに入ってください」と
道案内を書いた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2018年11月18日「落ち葉長者」

落ち葉長者

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

冬至に近い頃あいのよく晴れた日、
おれはX山の展望台からの下山ルートをたどっていた。
木立のせいで見晴らしもない上に角度が急な斜面を嫌って、
ほとんどのハイキング客はケーブルカーを利用する。のだが、
俺は人気のない登山道を一人で歩くのが好きで、
よくこの道を使うのだ。
山道のとおる斜面はやわらかな光につつまれて、
歩いていて気分が和む。なべて世は事もなし、という気分。
道の両側にはクヌギやコナラが自生し、
茶色いじゅうたんのような落ち葉を斜面にしきつめていた。
調子よく歩いていたときに、
右側の視界の端に妙なものが映った気がした。
振り返って確認すると、
地面の色合いが…
半径3メートルほどの範囲で変わっているところがある。
なに?なんだろう、と近づいてよく見ると、
それは…大量の一万円札だった。
何千万円、いや、何億円分あるだろうか。
まるで廃棄物のように無造作に散乱している。
ぎょっとして足がすくみ、思わず周囲を見渡す。
映画かなにかを撮影していて、そのセットだろうか?
だが、周囲にはスタッフらしき人間も見えない。
一枚を拾い上げて見てみる。
そこには映画の小道具然としたちゃちさは微塵もなく、
どこからどう見ても本物だ。
犯罪?
不安になって耳をそばだて、周囲をうかがう。
そのとき、顔の前をはらりとかすめるものがあって、
思わず、ひゃおうと大きな声がでてしまった。
かさ、と音をたてて地面に落ちたそれを見ると、一万円札。
それが降ってきた方向を見上げて、再度たまげた。
俺の頭上にひろがった樹の枝には、
一万円札がわっさわっさと茂っている。
そして、風がふくたびに、
万札がはらりはらりと冬の陽光に照らされながら散り、
降り積もるのだった。

ガコ、と音がして、頭上をケーブルカーが通り過ぎた。
ケーブルカーは樹高よりは相当高いところを通っており、
地面の万札に気づく乗客はいなさそうだ。
が、あまり同じところにとどまっていれば怪しまれる可能性もでてくる。
俺は慌てて足元の一万円札をかき集め、
ウィンドブレーカーのポケットに詰め込めるだけ詰め込むと、
残りの山道を急ぎ下った。

アパートに戻り、持ち帰った一万円札の一枚を手にとり、
ためつすがめつ眺める。
本物の万札と比べても、寸分違うところはない。
ご丁寧にすかしまで入っている。
しかし…これは、実際に使える金なのかどうか。
実地で確かめるよりない。
ポケットに天然の万札を1枚入れて、街に出た。

コンビニで使うと店員の目にとまるので、
駅の自動券売機にそれを入れてみる。
一番安い切符のボタンを押すと、切符とつり銭がでてきた。
いきなり券売機がピービ―鳴りだし、駆け付けた係員にとっつかまる…
ということもなく、9,870円の現金がおれの手元に残った。
ほっとする、と同時に、しみじみと嬉しさがこみあげてきた。
その金で回転ずしに行き、つい大トロばかり12皿も食ってしまい、
気分が悪くなった。
アパートの帰ったおれは、拾った一万円札を、中国のまじないよろしく、
上下逆さまにして壁にセロハンテープで貼り付けた。金運招来。

持前の用心深い性格が幸いしてか、金は意外に長くもった。
車も乗らないし、ブランドものにも興味がないので、
一息に使う理由がない。
毎日、スーパーで刺身を買って食うようになったくらいだ。
また、使えない事情もあった。
足がつくのを避けるために、使う場所をあちこち変えたのだ。
あちらの駅の券売機で一枚、
そのあとで電車に一時間乗ってパチンコ屋に入り、
一枚を玉に替え、そのまま景品所で現金に再び戻す、というように。
これはなかなか厄介で、そうか、マネーロンダリングというのは、
こういうところにニーズがあるのだなあ、と妙な納得をする。

しかし、あの樹はいったいなんなのか。
突然変異でそんな新種が誕生したのか。
いや、それはいくらなんでも…バイオテクノロジーというやつか。
そうなると、誰かが、目立たないようにあの樹を育てたということなのか。
…答えはでない。面倒くさくなってやめた。

このペースなら当分金はもちそうだったが、ふと不安になった。
季節が春になって、周囲が新緑になったころになると、
あの樹はどうなるだろう。
一本だけ茶色い万札がわっさわっさと茂っていれば、否応なく目立つ。
そうなれば…
俺は、急なあせりをおぼえ、次の日、夜もまだ明けきらぬうち、
リュックを背負ってX山の登山口に向かった。
今日は逆ルートで登り始める。
小雨がぱらついており、ほかのハイキング客も見当たらない。
30分ばかり、ひたすら進む。
確かこのあたり…というところにさしかかって、ぎょっとした。
相当に広い面積…テニスコート一枚分ほどの広さで、
周囲の赤茶けた土がむき出しになっている。
巨大なショベルでこそげとられたかのように樹木の根すら残されておらず、
無残な有様だ。
もちろん、あの「金のなる樹」は跡形もない。
何者かが、土木工事をおこなったのだ。
土の表面はまだ湿っていて、
「伐採」からそう時間はたっていないように見えた。
…それにしても、これだけの規模の伐採と土砂の運搬をしようと思えば、
相当な重機が必要なはずで、
そんなものをどうやってこのせまい登山道しかない山に運び上げたのか。
だれが?
おれは、恐ろしくなってそのまま後ろも振り返らず山道を駆け下りた。
帰りのスーパーで、ハマチの刺身を買った。

同じようなペースの数か月が過ぎ、五月の連休も過ぎた時分。
手元の一万円札は確実に数を減らしていき、残るは最後の一枚となった。
壁に貼った一枚だ。
そうか、これで最後か。この一枚がなくなったら、
もう毎日刺身を食うのは無理なのか。
はたしておれは、一度知った刺身の味を忘れられるだろうか。
などと思いながら重苦しい気分で逆さまの一万円札を見つめていたその時。
きゅー、という聞き慣れない音がして
万札の端っこがまぶしい光を発したかと思うと、
どかんと音がして、煙があがった。
一万円札があった場所からしゅうしゅうと音をたてて炎があがる。
わ。
わ。
わ。
おれは仰天して、コップの水をかける。ぼふ、と音がして、
猛烈な湯気が立ち上る。
だが、しゅうしゅうという炎は一向に収まる気配がない。
鍋に水をくみ、1杯、2杯、3杯、と壁にぶちまけ、ようやく収まった。
焦げ臭い煙でいっぱいになった部屋の中で、おれはがたがた震えていた。
確かに見た。
万札が、火を噴いた。
これが、おれのポケットの中にあったら…?火傷くらいではすまなかったろう。

幸いに火災報知器は発動せず大ごとにはならなかったが、
隣家の住人には怒鳴り込まれた。
壁に貼った一万円札が爆発したんです、とはいえず、しどろもどろに答える。
いやな動悸がおさまらないまま布団に潜り込む。
寝床で、もしや、とおれは考えた。
これは、現金の形をした兵器なのかもしれない。
あんな目につきやすいところに樹が植わっていたのは、
やはり意図があったのではないか。
わざと、人間に、拾わせる、という意思が。
まずは、人間に、金を拾わせ、気分よく使わせる。
万札は、人から人へ、どこまでも渡っていく。
細分化され、人間社会の網の目の中へ、とめどなく浸透していく。
そして、十分に、時間をおいたある日、
いたるところで突然火を噴き上げる…。
遺伝子操作か何かで、誰かが、そんな兵器をつくったんだろうか。
そして、人知れない山で、栽培した。
だが、何かの事情で証拠隠滅をする必要がでてきた。
それで、山肌をごっそりと削り…
そんなことが地球の科学でできるんだろうか?だとしたら…?
いや、原因はもうどうしたってわからない。問題は、
これから起こることだ。
おれは、金のつもりで時限爆弾をばらまいたのかもしれない。
冷や汗が首筋を流れ、がば、と寝床から飛び出す。
テレビをつける。
通販番組が、ヒザ関節によいサメの軟骨を大盤振る舞いしている。
画面の上に、不審な出火や爆発事故を伝えるニュース速報が
現れるのを待ちながら、おれは動くことができない。

えらいことになった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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