古田彰一 09年4月19日放送
エド・ウッド
エド・ウッドは史上最低の映画監督として名高い。
生前はもちろん、この世を去ってからも
「もっとも映画作りが下手な監督」と酷評された。
そんな彼に憧れて映画監督になった人たちがいる。
ティム・バートン、デヴィッド・リンチ、
サム・ライミ、クエンティン・タランティーノ。
エド・ウッドの破天荒な作品を見て、
そこに映画づくりの新しい可能性を見出したのだ。
エドは、映画監督としては二流だったが、
一流の映画監督をつくりだす天才だった。
ロバート・ジョンソン
生きているうちに評価される人と、
その人生を閉じてから評価される人がいる。
ミシシッピー・デルタブルースの創始者、
ロバート・ジョンソンがそうだった。
彼の悪魔的なギターテクニックは、
文字通り、悪魔と契約して手に入れたと言われる。
みずからの魂と引き替えにした
その人生は、果たして短かった。
ロバート・ジョンソン、27歳の夏。
わずか29曲を残してこの世を去る。
ローリングストーン誌が、もっとも偉大なギタリスト
5人にロバートを選んだのは、21世紀になってからのことである。
オスカー・ワイルド
男はいつも最初の男になりたがる。
女はいつも最後の女になりたがる。
イギリスの劇作家、オスカー・ワイルドは言った。
男と女の本質をこんなにも鮮やかに看破できたのは、
オスカーが同性愛者だったから、という説もある。
それはともかく、
最初の男として、最後の女として
出会いたいという男女の関係は、
なるほど最初から難しく仕組まれている。
ヘンリー・フォード
自動車の大量生産システムを発明した
ヘンリー・フォード。
彼は自動車を
大衆の手の届くものにしたかった。
だがしかし、決して
大衆の意見を聞こうとはしなかった。
お客にどんな乗り物が欲しいかと聞いたら、
速い馬という答えしか返ってこなかっただろう
ヘンリー・フォードの時代に、
マーケティングという考え方は存在しなかった。
だからこそ、彼は馬車を大量生産しなくてすんだのだ。
イチロー
2004年10月、
メジャーリーグの年間最多安打記録が
84年ぶりに塗り替えられた。
イチローがその偉大な記録を打ち立てたとき、
インタビューに答えて言った。
小さな一歩の積み重ねが、
とんでもないところへ行けるただひとつの道だと思う。
うまくやるコツや、成功の秘訣や、人生の裏技。
そんなものに期待してはいけない、とイチローは教えてくれる。
そして2009年4月
あらたな山の頂に達したイチローは語った。
張本さんにしか見えていなかった景色を
僕も見ることができました
天才は、努力の足し算でできている。
スティーブン・ジョブス
アップルコンピュータの創始者、
スティーブ・ジョブズは
相手を口説き落とす大天才。
なかでも有名なのが、ペプシコーラのCEO、
ジョン・スカリーをヘッドハンティングしたときの台詞。
砂糖水を売って一生を終えたいのか、
それとも世界を変えたいのか
この殺し文句はナイフよりも深くスカリーの心に突き刺さった。
プライドを揺さぶってからプライドをくすぐる、
巧みな台詞だった。
その後、スティーブ・ジョブズは、スカリーとのいざこざで
自分の会社であるアップルをクビになってしまうのだが、
それはまた別のお話。
植村直己
冒険とは、生きて帰ること。
冒険家、植村直己はいつもこう語っていた。
だが、彼の姿はマッキンリーの氷雪の中に消える。
冒険とは、生きて帰ることって言っていたのに、
ちょっとだらしないじゃない。だらしないじゃないの…
冒険家の妻、植村公子は
悲しみをこらえながら、帰らぬ夫をしかった。
度重なる捜索にも関わらず、
ついに植村直己の姿が発見されることはなかった。
きっと、彼の冒険はまだ続いているに違いない。
伊福部昭
作曲家の伊福部昭(いふくべあきら)は
映画音楽にはイクタスが必要だ、
と語っていた。
イクタス。
音の張りや音域の広がりといった
意味の専門用語。
しかし伊福部は、
「あなたの音楽には、
いま聴いている音楽以上の何かがあるか」
という意味合いでその言葉を用いた。
伊福部昭といえば、あのゴジラのテーマ曲。
当時、ゲテモノ映画と言われたゴジラが、
いまなお愛され続けているのは、
そこに映画以上の何かである「イクタス」が
与えられたからに違いない。
ガオー!