ビル・ゲイツ
毎週月曜日には、
ビル・ゲイツの言葉を噛みしめたい。
自分が出したアイデアを
少なくとも一回は人に笑われるようでなければ、
独創的な発想をしているとはいえない。
そして、火、水、木、金と、
結局なにかを生み出すことができなくても、
また次の月曜日には、
同じ言葉を口にしたい。
いつかきっと、その仕事に、その日々に、
大きなWindowが開くことを信じて。
マーシャル・マクルーハン
テレビにとって、映画のスクリーンにあたるものは何か?
この問いに、何と答えるべきか。
ブラウン管? いや、液晶画面?
ところがマクルーハンの答えは、まったく違った。
テレビの場合、映画のスクリーンにあたるものは視聴者である。
彼は、テレビという巨大な大衆メディアに映し出されるのは、
ふつうの人々、
つまり私たち自身の、夢や欲望、生活や人生が
コンテンツだと言い切ったのだ。
近頃、テレビがつまらない、という声をよく聞く。
それって、だれのせい?
マルセル・プルースト
人はときどき、タイムスリップする。
ふとした匂いを嗅ぐことによって。
埃っぽい雨の匂いに、なにかを思い出したり。
公園の芝生の匂いに、いつかを思い出したり。
そんな体験を、「プルースト現象」と言うそうだ。
家マルセル・プルーストは、
生涯の大半をかけて、
記憶喪失の主人公が、
紅茶に浸したマドレーヌの匂いによって
過去を思い出す。
という長編小説を書いた。そのタイトルは、
『失われた時を求めて』。
プルースト自身は、
どんな過去にタイムスリップしたかったのだろう。
彼は、その人生の最後に、
ママ!と叫んで、
息を引き取った。
山崎富栄
うどん屋の屋台で、
小説家のオサムに恋をした夜。
サっちゃんは日記にこう書いた。
戦闘開始! 覚悟をしなければならない。
それは、戦さのような日々の始まりだった。
血を吐きながら執筆するオサムに寄り添い、
秘書として、恋人として、母として、看護婦として、
サッチャンは彼を支え続けた。
男が、よそで設けた私生児への養育費すら、
自分の貯金をはたいて、毎月こっそりと支払った。
そして、61年前の今日、
1948年6月13日。
その恋は、終戦を迎える。
太宰治と、その愛人サっちゃんこと、山崎富栄。
入水自殺。
幸せな死に方をして、ごめんなさい。
と、遺書に残した彼女は、
勝ったのだろうか、負けたのだろうか。
リバー・フェニックス
あんなに大勢の女の子を
一度に泣かせた男は、
いなかったんじゃないか。
リバー・フェニックスのことだ。
死体置き場の中で、いちばん美しい死体になりたい。
なんてカッコつけて、
雑誌のインタビューに答えていた彼は、
その後本当に、23の若さで、
死体置き場に転がった。
友達のナイトクラブで、
友達にすすめられたドラッグを、
断り切れなくて。
あとはただ、
泣きじゃくる女の子を前に
困り果てた男の子たちが、
世界中の国にいたことを
覚えている。
アンドリュー・カーネギー
かつて、
経済には
ロマンがあった。
人生の前半をかけて、
莫大な金を稼いだ、
アメリカの大富豪カーネギー。
彼の人生の後半は、
持てる財産のすべてを
社会のために使い切ることに
費やされた。
その理由が、ロマンチックだ。
金持ちのまま死ぬなんて、もっとも恥ずべき死に方だ。
いま、カーネギーがいたら、
この経済危機に、
何て言っただろう。
レイ・クロック
マクドナルドの創業者、
レイ・クロック。
そのビジネスエピソードには、
凄味がある。
よく彼は、夜中にライバル店のゴミを漁り、
仕入れや消費のヒントを探したという。
そこから名づけられた、
自伝のタイトルは、
『成功は、ゴミ箱のなかに。』
どうやら、
空を見上げて
ただ成功を夢見ていても、
いいことなんて
なさそうだ。