2009 年 7 月 5 日 のアーカイブ

海のむこう、広告のむこう。〜vol.3

シャトルバスに20分ほどゆられて
着いたホテルは薄暗いB&B。
玄関前にはアラブ人の若者たちが何かよくわからないものを吸いながら
うろうろしています。
こわごわフロントに行くと美人のお姉さんが、
4人部屋しか空いてないとにべもない態度。
絶対ウソだよ。
思いながらも、抵抗する気力もなく1人で4人部屋へ。
とにかくシャワーを浴びようとすると、
そこにはタオルもシャンプーも石けんすらない。
手荷物しかないんですけど、私。
仕方なくドロドロのままベッドで丸くなる。
あぁ日本が遠い。

翌朝5時。
全く疲れも取れないままホテルを出、
またどこをシャトルしているかわからないシャトルバスに乗り、
1時間前からゲートの前に座ってニース行きの飛行機に乗り、
ようやくカンヌだ、と思ったら甘かった。
ニース空港。
いくら待っても自分の荷物が回ってこない。

「ロストバゲージね。」

いま一番聞きたくない英単語を平然と言い放つ空港のお姉さん。
(何だってフランスの女の人はあんなに美人で
 あんなにぶっきらぼうなんでしょう。)
さすがにがまんしていた涙が頬をつたいます。

そのまま手荷物一つでカンヌに到着。
一番に行ったのは、
会場でもなく、ましてやビーチなんかでもなく、
下着を買うためのスーパーマーケットでした。

「サマータイムマジック。」
渡辺美里さんにぜひ歌ってほしい。
みなさん、カンヌに行かれる際はお気をつけください。

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小山佳奈 09年7月5日放送

1

ペリー

1953年。
黒船で浦賀に乗り込んだペリー。

彼は幕府の役人を船上に招き、
「土色をしておびただしく泡立つ酒」を、
大いにふるまった。

役人たちは、
この魅惑的な泡にすっかり飲まれ、
西洋万歳、われらは同士と肩を抱き、
その後、やすやすと不平等条約を
結んでしまった。

ビール。

いまもむかしも
絶望的にうまい。

ペリーは有能な
外交官だ。

2

蔦監督

日本の夏は、
高校生にとって
すこぶる不公平だ。

どんな部活も差し置いて、
野球部だけが脚光を浴びるなんて。

その原因の一つは、
高野連でもNHKでもなくて、
池田高校元監督、蔦監督に
あるのかもしれない。

彼は、
無名高校のたった11人の生徒が、
強豪校を打って打って打ちまかし、
ついには甲子園を制するという
あざやかな魔法を日本国民にかけた。

あぁ、蔦監督。

今年の夏もまた。
日本中の高校生が、
地団駄を踏んでいます。


3.5

高村光太郎

詩人、高村光太郎。

たいていの人がそうであるように。
彼の好きになる女性は、
みんな顔かたちがよく似ていた。

恋焦がれた若太夫に捨てられ、
智恵子と初めて出会ったとき、
つい、口走った。

「若太夫。」

言葉で生きる詩人ですら、
失言はある。

彼がベッドで思わず
前の彼女の名前を呼んでも
一回なら大目に見てあげよう。


4.5

ルイ・レアール

1946年、自動車工ルイ・レアールは
ある一つの水着を思いついた。

そのあまりにも大胆なデザインには、
それに見合う大胆なネーミングが必要だ。

そんな彼の耳に飛び込んできた、
「ビキニ環礁原爆実験成功」のニュース。

これだとヒザを打ったレアールは、
その水着を「ビキニ」と名づけた。

水着と原爆。

人間を狂わせるという意味では、
どちらも正しい。

今日はビキニスタイルの日。

5

エリック・ハイドシェック

ピアニストには、
もう一つ向いている職業がある。

エリック・ハイドシェック。

兵役でアルジェリア内戦におもむいた際、
軍の通信部に配属された。

そこで彼は、
その研ぎすまされた耳と自慢の指遣いで
モールス信号を自在に操り、
あっという間に伍長に昇格。

その時、
モーツァルト・コンツェルト大賞受賞の知らせを
受けていなかったら。

危うく私たちは、
20世紀最高の音楽を取り逃がす
ところだった。


6

夏目漱石

いまどきの子どもは物を知らない。
魚は切り身で泳いでいると思っている。

そんな紋切り型の大人の嘆きに辟易したら、
夏目漱石大先生に登場してもらおう。

彼は田んぼに生えている稲が
いつも食べている米だということを、
大人になるまで知らなかった。

百の知識より、
一のおいしさを
知っていればいい。

稲ぐらい、
とは思いますが。


7

トリュフォーと春樹とそんなようなこと

トリュフォーの映画みたいに、
家を飛び出してみたけど、
寂しくなって
夕飯の時間より前に
家に帰った。

村上春樹の小説みたいに、
昼間からビールを飲んで
ピーナッツの殻を
床に落として
母にものすごく叱られた。

平凡だから、
平凡じゃないことを楽しめる、
平凡な私の
平凡な喜び。


8

茨木のり子


 好きだった顎すじの匂い
 やわらかだった髪の毛
 皮脂なめららかな頬 
 水泳で鍛えた暑い胸廓

茨木のり子が
亡き夫を思って詠んだ詩、
「部分」。

曖昧な全体を無理に見ようとするから、
愛はむつかしくなる。

地球もきみも絶望もひまわりも、
全部、部分。

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五島のはなし⑲

いま、田舎から両親が来ています。
昨日は落語に連れて行きました。
うちはすごくマジメな家で、そんな中、
将来の名人といわれる柳家三三(やなぎや・さんざ)の落語会は
超ナイスセレクトで、健全な笑いと喜びを届けられると思っていたら、
やったネタが吉原(つまり女郎買い)のはなし。
ふだん落語を聴いている人なら遊郭の話なんて当たり前なんですけど、
いやー、なんか、ドキドキしてチラチラ親の横顔を見てしまいました。
でも二人とも爆笑しててひと安心。

うちの母は強烈で、座右の銘は「負くんもんか(負けるもんか)」。
あと「私は悟っている」もよく言う。
悟りを開いた人が勝ち負けを気にするのだろうか・・・

僕が中学1年の時、母と一緒に、名古屋の大学に進学したばかりの
兄のところへ行きました。はじめて一緒に地下鉄に乗った瞬間、
母は持っていた2つのバッグを空いた座席に放り投げ
僕と兄に向って「あんたたち、そこに座らんね!」と叫びました。
「恥ずかしいからやめてくれ」と頼む兄に放った一言が、
「都会ではこがんせんば生きてゆけんと!」。

昨日もバスの中で、(今回の横浜への旅の心構えとして)五島の叔母から
「都会ではあんまり大声で話したらいかん、って忠告されてきたとよ~」と
けっこう大声で話してました。
こうして、時間をおいてみると笑えるのですが・・・

がんばれ、五島(の母)!

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