2009 年 9 月 6 日 のアーカイブ

熊埜御堂由香 09年9月6日放送

元祖スイーツ男子


あの人の食 元祖スイーツ男子

スィーツ男子が流行だという。
スイーツ男子というのは甘党の男性だ。
甘いもの好きと、自然に言いやすい世の中になったのだろう。

けれども、甘党の真打ちは明治の昔にいる。
お汁粉を食べ過ぎて胃潰瘍を悪化させ
大量の血を吐いてもビスケットを食べたがり
臨終の床でもアイスクリームをせがんだ夏目漱石先生だ。

それでも自分では甘党だと思っていなかったので
こんなことをぬけぬけとおっしゃっている。

 あれば食うという位で、わざわざ買って食いたいというほどではない

甘党もここまでくると、ハードボイルドで男らしい。

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薄景子 09年9月6日放送

秋山豊寛


あの人の食 秋山豊寛

「これ本番ですか?」
世界初の宇宙飛行ジャーナリスト、秋山豊寛が、
衛星から発した第一声は有名である。

彼が地上400kmから見た
青い地球は、まさに「命の塊」だった。

そんな秋山が、宇宙の次に選んだ旅先は、農業。
現在、福島県で米や椎茸などの有機農業を実践している。

彼は言う。
 「人間が生物であることと、
 いちばん身近にある仕事が、農業だ」

命の塊であるこの星の、命をつなぐ食べ物をつくる。
農業ブームとは一線を画す、生きものとしての営みに
ジャーナリストの探求の旅は、果てしなく続く。

佐藤初女


あの人の食 佐藤初女

佐藤初女さんのおむすびを食べて、
自殺をとどまった青年がいる、という。
その理由は、「おむすびがタオルにくるんであったから」

彼女は、おむすびをにぎると、
ラップではお米が呼吸できないので
赤ちゃんをおくるみで包むように、
タオルでそっとくるんでおく。

そうして、「食」という命と
向き合っている。

標高400メートル、
岩木山の麓にひっそり佇む「森のイスキア」。
初女さんが「みんなのお家」と呼ぶここには、
声もしおれ、水さえのどを通らない人が、
心の重荷を下ろしにやってくる。

夜中にチャイムが鳴るときも
初女さんは身支度をして玄関にでる。
開けていいのか、一瞬の葛藤。
意を決して開ける扉は、彼女の心の扉なのだ。

受け入れられた旅人は、
やがて、ぽつりぽつりと言葉を発し、
初女さんのおむすびを食べ、
気づけば、自分で重荷を下ろして帰っていく。

佐藤初女、87歳。何をやっている人かときけば、
「食べることを大切にしています」

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石橋涼子 09年9月6日放送

向田邦子


あの人の食 向田邦子

向田邦子は、
ドラマ「寺内貫太郎一家」で
ささやかだけれど
確かなぬくもりのある
昭和の家族の生活を描いた。

朝食のシーンのト書きには、
毎回献立が書かれていた。

アジの干物に大根おろし、
豆腐と茗荷の味噌汁、
などなど

ある日、向田はメニューの最後にこう書いた。

ゆうべのカレーの残り

そこには、ドラマのワンシーンではなく、
昨日も今日も、明日も続く、
寺内家の生活が確かに描かれていた。

ロッシーニ


あの人の食 ロッシーニ

食いしん坊という存在は、
なんだか愛らしい。
食い意地が張っている、
というのとはちょっと違う。

「食べる」という行為を
心から愛し、無邪気に楽しんでいるから
ではないだろうか。

ロッシーニは本物の食いしん坊だった。
オペラ作曲家として人気も実力も絶頂の37歳で
「食」に専念する、という理由で
引退してしまったのだから。

大好きな料理を楽しむためにレストランをつくり、
大好きなトリュフを探すために豚を育て、
大好きなワインを楽しむためにレシピを考えた。

彼の音楽的才能を惜しんだワーグナーが熱心に説得しても
ロッシーニはラム肉の焼き加減を気にしてばかり。

そんな彼が心から涙を流したのは、生涯で二回だけだという。

一度目は、パガニーニの演奏を聴いたとき。
二度目は、トリュフがたっぷり詰まった七面鳥を
落としてしまったとき。

食に向かうとき、その人がどんな人間かがよく見える。

トーマス・エジソン


あの人の食 トーマス・エジソン

発明家トーマス・エジソンといえば、
電球を発明したこと。
よりも、

発電から送電までの
電気事業を整備したこと。
が、評価されている。

そんな天才エジソンがある日言い出した。

一日二食では健康に良くない。
一日三食にするべきだ。

こうして、アメリカ国民は健康のために
朝食を食べるようになった。

エジソンが発明したトースターで焼いた
こんがりキツネ色のトーストを。

モノをつくるだけでは売れないことを
彼は知っていた。
同時にマーケットもつくらないと。
エジソンは、本当の発明家だった。

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熊埜御堂由香 09年9月6日放送

森鴎外


あの人の食 森鴎外の秘密

家庭の中だけの、ちょっとマニアックな食の嗜好、
ひとつやふたつ、ひとにはあるものだ。

硬派な文豪、森鴎外の場合は・・・
ご飯に饅頭を割って載せ、煎茶をかける、饅頭茶漬け。

饅頭茶漬けは門外不出の家庭の秘密だったけれど
鴎外が死んだ後、
娘が書いたエッセイで世に知れわたってしまった。

お汁粉のようでおいしい、と娘は書いているが
天国の鴎外先生はどんな顔をしているだろう。

幸田文


あの人の食 父と娘の台所

幸田文(あや)は自分を「台所育ち」だと言った。

幼いころに母をなくし、
父、幸田露伴が家事全般を躾けた。

その台所仕事の手始めは、
文が7歳の頃から毎日の献立を記録する「だいどころ帖」
文が「とうふのおみよつけ」と、たどたどしく書けば、
露伴は、「味噌汁 つかみどうふ もみのり散らして」と
一言一句、きびしく直す。

露伴は文に言った。
 この帳面から音が聞こえてくるようにならなくちゃね

女学校に入って台所をあずかるようになった文は、
献立に迷うと、かつてつけていた「だいどころ帖」を何度も思い返した。

父の死後、文は食を題材にした小説やエッセイを数多く残したが
そのひとつにこんな短編がある。「台所のおと」

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