2009 年 9 月 27 日 のアーカイブ

Vision収録見学記part2-(1)

PICT0056


石橋涼子-一発勝負のライブ感

再びVision収録現場におジャマしてきました
薄組の石橋です。
今回の収録、またまたラジオCMとの違いで
驚いたことがありました。

VisionはVieVieさんのナレーションと音楽を
同時に!録音しているのです!同録!!

セリフを噛んだら全部録りなおし。
音楽も一曲使用ならともかく、
数曲を組み合わせる場合は
ナレーションに合わせて一発勝負のミックスです。

すごーいすごーい!!

と、驚いていたら、プロデューサーさんに
なんで?と逆に驚かれました。
生放送が多いラジオとしては
これくらいの尺ならば一発で録れるのが常識なのです。

かっこいー。

モチロン、一発録り至上主義!というわけではありません。
ナレーション、音楽、SEそれぞれが素材としてスタンバイする中で、
何度かテイクを重ねながら、
30秒や60秒を仕上げていくラジオCMのつくり方も大好きなんですが。

とはいえ、VieVieさんとディレクターさんの息の合った
ライブ感には興奮です。
聴いているだけでドキドキです。楽しい!

そして!隣のスタジオではまさに番組生放送中。
ゲストに某アイドルグループ。の卒業生が来ていました。
「かわいいなあ」と、カメラ片手にちらちら覗いていたので、
スタッフさんにすっごく訝しげな顔をされました。
次回、Vision立会い不許可になったらすみません!

topへ

厚焼玉子 09年9月27日放送

ワーズワースの家


ワーズワースの家

湖の詩人ワーズワースが生まれたのは
イギリスの湖水地方、
川や森に囲まれたコッカマスの町。

その目抜き通りに面した家を見学に行くと
なんだかいい匂い。
キッチンでミートパイを焼いている最中です。
庭では野菜を収穫しています。

お父さんの書斎や客間の道具に
手を触れることはできませんが
子供部屋の家具やおもちゃはご自由にどうぞ。

ただ家を眺めるだけでなく
当時の暮らしぶりも見ることができる。

ワーズワースの家はまだ生きて呼吸しています。

ワーズワースの落書き


ワーズワースの落書き

湖の詩人ワーズワースは8歳で母親に死に別れます。

裕福な法律家だった父は
幼いワーズワースを湖水地方中部の村
ホークスヘッドのグラマースクールに送りました。
9歳の少年が下宿生活をしながら
学校に通ったのです。

その学校は小さかったけれど
16世紀に創立した伝統ある学び舎でした。
白い壁に木の床、細長い木の机に
椅子は背もたれのない木のベンチ。

机のひとつには
ワーズワースの名前が刻まれていました。
少年ワーズワースが
小刀で刻んだいたずら書きです。

ワーズワースとアンおばさん


ワーズワースとアンおばさん

湖の詩人ワーズワースが
母の死をきっかけに
ホークスヘッドで学校生活を送っていたころ
その下宿先のおかみさんにアンおばさんと呼ばれる人がいました。

アンおばさんは孤独な少年に愛情を注ぎ
少年も母のようにアンおばさんを慕いました。

ワーズワースが大学生になった夏休み
なつかしいアンおばさんに会うために
ホークスヘッドを訪れたときの詩があります。

ヒースの野を越え
牧場の丘からウィダミア湖へ駆け下り
大声で渡し船を呼んで湖を渡ると
また丘を駆け登ってホークスヘッドへ向う…
その飛ぶような足取りとはやる心を
その詩はうたっています。

丘から見える湖は青く輝き
その湖の向こうになつかしいおばさんがいる。

ワーズワースがその詩のなかで
アンおばさんを表現した言葉「kind and motherly」は
湖水地方の風景そのものでした。

ワーズワースのクリスマス休暇


ワーズワースのクリスマス休暇

13歳のワーズワースは
クリスマス休暇で家に帰るために
迎えの馬車を待っていました。

待ち切れず、原っぱに駆け出し岩山に登り
吹きさらしの風のなかで
草の上にしゃがみこんで馬車が来る道を眺めていました。

それほど待ちかねたクリスマス休暇の最中に
ワーズワースの父は亡くなり
馬車を待っていたときの風の声、森や水のざわめきは
ワーズワースの心の中に暗く沈みます。

その風景は一生ワーズワースにつきまとい
常に警告を発するブレーキの役割を果たしました。

ワーズワースの散歩


ワーズワースの散歩

大学から湖水地方を離れていたワーズワースが
再び湖のそばに戻って来たのは1799年のことでした。

グラスミア湖のほとりの
もとは宿屋だったというダヴ・コテージを借りて
妹のドロシーと一緒に暮らしはじめます。

家は湖に面し、小さな果樹園と庭がありました。
バラとスイカズラが白い壁を彩っていました。

この頃の生活の中心は散歩。
ふたりは昼でも夜でもかまわず歩きまわりました。
5キロ離れた隣の町などは散歩のうちにも入らないくらい
20キロ先の友人の家でも気軽に歩いて遊びに行きます。
けれども、本当に好きなのは山や谷、森に湖。
ここにはワーズワースの作品のテーマが
すべてそろっていました。

大自然こそ自分の書斎と言い切るワーズワースにとって
山や湖を歩くことは
感性を研ぎすまし、詩の風景をさがすことでもありました。

そんな詩人の心中を知らない村の人々は
ワーズワースのあまりに長い散歩の理由がさっぱりわからず
ときには、こんな愉快な噂もあったようです。
「フランスのスパイかしら?」

ワーズワースの最後の家


ワーズワースの最後の家

1813年
湖の詩人ワーズワースは最後の引っ越しをします。

古い農家を改築したその家からは
ふたつの湖を眺めることができました。
庭はワーズワース自身が設計し
まわりの風景に溶け込むように
注意深く木々や草花が植えられています。

この最後の家こそワーズワースにとって完璧な家。
でも自分が死んだらどうなるだろう…
 
 家の正面の壁や石段はそのまま残るだろうか。
 庭はどうだろう。
 美しいシダやコケ、野生のゼラニウム…

ご心配なく。
心ある人たちの手でいまもちゃんと守られています。

ワーズワースの朗読


ワーズワースの朗読

湖の詩人ワーズワースが
書き上げたばかりの新しい詩を真っ先に聴いたのは
庭の小鳥たちでした。

ワーズワースは
新しい詩をつくるたびに庭に出て朗読をし
小鳥が返すさえずりで
作品の出来を判断していたといいます。

批評家の小鳥の名前は
残念ながら伝わっていないのですが。

ワーズワースの自然保護


ワーズワースの自然保護

湖の詩人ワーズワースの存在は
イギリスの湖水地方を世界的に有名にする一方で
湖水の景観を守る意識を人々に植えつけました。

1844年、この地方に鉄道を敷く計画が持ち上がったとき
ワーズワースは湖の環境だいなしにすると猛反対。
モーニング・ポストに反対の意思を表明する文書を投稿し
それがきっかけで鉄道計画は中止になります。

いまでもウィンダミアから湖に向う鉄道はなく
自動車では近づけない湖もあります。
そのかわりに活躍するのがフットパスと呼ばれる散歩道。

歩いてください。
そして美しい自然を楽しんでください。
ワーズワースの声が聞こえるようです。

topへ


login